三巻王子とトースト娘

秋月流弥

三巻王子とトースト娘

 日曜日の朝から私の鼓膜を刺激するのは両親のケンカの声だった。

 毎日毎日よくも罵る会話内容があるものだなんて呑気に考えられるくらい、父と母の夫婦喧嘩にも慣れてしまった。

 朝食の支度もしてないで、台所はお互いへの罵詈雑言を吐く戦場と化している。

 私はそっと家を出て、いつもの場所へと向かう。

 なけなしのお小遣いを握りバスに乗ってそのまま街中へ。

 私の居場所は街中にある。


 街中の隅にひっそり佇む漫画喫茶。それが私の憩いの場所だ。

「九時五十五分……ギリギリセーフ」

 十時に間に合ってよかった。ちなみに、このタイムを逃すと大きな損失があるのだ。


「お待たせしました~。モーニングサービスです」


 こんがり焼けたトースト、茹で卵にミニサラダ。自分で調整出来るように使いきりの塩やドレッシング、ジャム&マーガリンもある。

 午前十時までにという条件付きでこの素晴らしいプレートを通常料金でいただけるとはもう十時までに滑り込むしかない。

 あの怒声響く食卓では何を食べても味がしないし雰囲気も最悪だけど、ここでなら朝食に飲み物、更には漫画や雑誌が読み放題!

 今となっては電子書籍や無料読み放題サイトが主流となってしまったものの、居場所を提供してくれるこの漫画喫茶は私にとって砂漠のど真ん中にある湖のように貴重で尊いものだった。

「漫画でも読もうっと」

 朝食を平らげ、あと数時間で何冊読めるか吟味しながら漫画が詰まった本棚へ移動する。

 気になっていた少女漫画と少年漫画をそれぞれ手に取ったとき、あることに気づく。


「あれ? どっちも三巻がない」


 本棚をよく見ると、私が手に取った漫画の他にも三巻のない漫画がちらほら本棚に不自然な隙間を作っていた。


 その日は気になったままそれぞれの漫画を二巻まで読んで我慢した。


 退屈な平日の学校生活を過ごし、日曜日になった。

「あれ、またない……」

 これはおかしい。複数の漫画の三巻だけが無いなんて変だ。

「汚れが酷かったとか?」

 お店側の事情かもしれないと考えたが三巻だけというのが分からない。

 うーん……と本棚の前で一人考えていると、

「そこ、どいてもらえる?」

 男の人の声が後ろから私宛にかけられたのでびっくりした。

「えっ? ああ、どうぞ……」

「どうも」

 私が本棚の前から退くと男は本棚の各漫画に手を伸ばす。

 一つの漫画につき一冊ずつ手に取っているのでそれなら少しの種類に絞って何巻か持っていけばいいのに。

 余計なお世話なことを考えながら何となく男の腕に挟まれる漫画の束を見る。

 すると驚くことに先週からの謎が解決した。


 男の腕の中に収まっている漫画は全て三巻と表記されていた。


「あなたが三巻ばっかり借りてたの!?」

「? そうだけど」

 思わず声をかけてしまった。

「私の気になる漫画がどれも三巻だけなくて困ってたんです」

「ああ、そうなんだ」

 どの漫画? と聞かれたのでタイトルを答えるとぽいぽいと男は漫画を渡して「じゃ」と自室へ戻ろうとしたので肩を掴む。

「いや、そうじゃないでしょ! 他の人も困ると思うから止めなよ」

「店員じゃないのになんで注意するんだよ……お節介なんだよトースト娘」

「トースト娘って私のこと?」

「いつもモーニングサービスに滑りこんでるの見かけるから。部屋も角んとこって知ってるし、俺毎日ここに居るんで」

 常連に顔を覚えられてた。

 しかも、いつも居るってこの人どういう人なんだろう。もしかして危ない人に注意しちゃった? 誘拐? 誘拐とかされないよね……?

 でもここで引き下がれば恐怖に負けて逃げたようになってしまう。

 そんな豆粒みたいに小さなプライドにかけて私はもう一度立ち向かった。

「そんな個人情報なんて全然怖くないから。それより、どうして三巻だけ抜くなんて困るようなことするの?」

 男ははぁー、と肩に置かれた私の手を振り払う。

 面倒なことになったと顔に思いっきり書いてある。

「こっち俺の部屋だから、来い。そこで説明してやる」

「えっ!? やっぱ誘拐するの」

「誰がお前みたいなちんちくりんな小学生誘拐するか」

「失礼ね、私は高校生よっ」



***


「え、お兄さん漫画家の沢渡巡さわたりじゅんだったの!?」

「……売れないが付くが、一応漫画家な」

 案内された漫画家先生の部屋はソファー席で二人分の座れるスペースがある。

 私はその片側に座りついでに持ってきたコーンポタージュを啜る。

 警戒心はあるので一応通路側に腰かける。

 沢渡先生はソファーに座ると引き出しから大量の原稿用紙を見せこう言った。

「俺は前までとある週刊誌で漫画を描いていてな。打ち切りになったから次回作の構想をここで考えてんだよ」

 机の上には何十枚もの落書きみたいな白い紙に描かれたものもある。大まかな流れや構図を描くこれは……確かネームというやつだっけ?

「また連載をするって難しいことなの?」

「難しい。フグ毒の解毒剤を開発するくらい難しい」

「お兄さん……先生、頑張ってるんだね」

「もがき苦しんでるよ」

 それは分かるんだけど……

「でもこれが三巻とどういう関係があるの?」

「俺が思うに三巻で漫画の面白さは決まると思うんだ」

 まるで名言を言ったかのように自信に満ち足りた顔で沢渡先生は独自を続ける。

「どの長期連載されている漫画も自分に合う合わないが必ずある。その一番の判断材として三巻が大事なんだ。展開的にちょうど一つのイベントが終わっているぐらいだろ」

「すみません日本語だよね? 何を言ってるのか全然わからないんだけど」

「ようするにだな……」

 再度ベラベラと喋る沢渡先生の長い演説をまとめるとこういうことになった。

 自分は次の連載に繋げるためのネームを描かなくてはならないが自分の作品が面白いと思えない。

 自分自身が納得できない作品が連載できると思えず漫画喫茶に入り浸り文字通り缶詰状態に。

 とりあえずヒットしている漫画の三巻を一通り読み、長期連載の秘訣は何かを模索中である。


 長期連載よりも連載出来るかを先に考えなよと言いたいところだけど、男はロマンを追う生き物。ましてや漫画家という職業もあって尚更野望があるだろうから触れないでおく。

「でも本物の原稿なんて初めて見た。しかも結構面白いよこのネーム!」

「担当もこれぐらい良いリアクションしてくれれば俺だってやる気出るのに」

 ソファーに沈む売れない漫画家の男の目には濃い隈。頬も痩せこけていて少し心配になる。

「漫画家だって体が資本でしょ? ちゃんと食べなきゃ駄目だよ」

「たまに実家に帰ってお袋の料理まとめ食いしてるから大丈夫」

「親の脛かじってるね」

「脛で出汁とれるくらいかじってる。感謝しかないよ」

 だから今度こそ成功させて俺がたらふく飯食わせてやるんだ! 沢渡先生は言った。


「なんか……偉いね」

 そんなことを言う彼が眩しく見えて、私はその前向きさに少し後ろめたい気持ちになる。

「私の両親さ、いつも喧嘩ばかりで私に興味なんかなくて。家が嫌で休みにここで過ごしてることとかも知らないの」

 だから、死んでも親孝行なんてするかってくらい両親が憎いよ……私は消え入りそうな声で言った。

「そういったって、お前はその両親のお陰で生きてるんだぜ」

 沢渡先生は言った。

「食事も服もその他諸々の見えないところも両親の助けで今のお前が成り立ってるんだよ」

「だから感謝しろっていうの?」

「 ちゃんと世話してくれる両親なんだから、自分の気持ちを言ってみればいいんだってこと」

「自分の気持ち……?」

「はい、ここから料金のお支払いです。お前パースとれるか」

「え、パース?」

「背景のことだ。アドバイス代としてお前には俺の助手をやってもらう」

 沢渡先生は私に定規とペンを渡してにやりと口角を上げた。


***


 それから私は毎週沢渡先生のアシスタントとして漫画制作に取り組んだ。

 漫画喫茶なので必要以上に会話はしなかったけれど、ストーリーの方向性について話し合うこともあった。

 現役高校生の意見は貴重らしい。忘れかけていた当時の感覚を思い出すようだと先生は笑っていた。

 私は私で夢中で背景を描いた。

 美術は得意分野だったので楽しかった。

「楽しそうに描くなー」

「楽しいよ。描くの好きだし、先生の役にもたってるしね」

 私が笑うと先生は休憩がてら持ってきたコーヒーを啜って一息吐く。

「俺にも純粋に楽しさだけで漫画を描く時期があったんだよ。いつのまにか売れることばかりが優先されて、そんな気持ち忘れていたっけ」

 声を落とす先生に私は声をかけようとして考える。

 えっと、こういう時どんな言葉をかければいいんだろう?

 私は辿々しくも先生に言ってみた。

「ほら、初心忘るべからずっていうでしょ? 最初の気持ちを忘れないでって。先生にとって漫画家を目指した最初の気持ちが今の先生を後押ししてくれると思うの」

 本当の意味はもっと違う意味かもしれないけれど、解釈が多少異なっても本人が前向きになれればそれでいいと思ったから。

 案の定先生は私の演説に笑ったけれど、「その通りだな」とうなずく。

「俺はさ、描いた俺も読む奴らもみんなで楽しむ作品を作りたいから漫画家目指してたんだ」


 当たり前なことなのに、見失ってしまっていた。

 一番大切なことの筈なのに。


「なんか今度は良い作品が描ける気がする。ありがとなトースト娘!」

「……トースト娘じゃなくて夏海なつみっていう名前があるんだけど」

「今更な自己紹介だな」

「なんかお兄さん再デビューしちゃいそうな気がするから……」

「いつまでもここにお世話になってるわけにもいかんしな」

 そうすると、ここにもあんまり来れなくなるんだよね。それは少し寂しいかな……。

 涙が滲み泣き顔を見せないように俯く私の頭に先生はぽん、と手を置く。

 顔は見えないけれど、先生の声は柔らかさを帯びていてきっと優しい表情をしているのだろう。

「お前はさ、くすぶっていた俺に動き出す原動力を思い出させてくれた立派な奴だ。そんな奴はもっと幸せにならなきゃいけない」


 今度はお前が自分の居場所の為に一歩踏み出す番だ、夏海。


 それが、沢渡先生と最後に話した会話だった。






「お父さん早く!」

「そんな慌てるなって……」


 日曜日の朝。


 十時のモーニングサービスに間に合うように今日も私は大慌てでいつもの漫画喫茶へ向かう。

 相変わらず私は憩いの場である漫画喫茶へは通い詰めている。

 ちょっと違うのは父と一緒に行くようになったこと。

「お父さんがいるからお小遣い削減になっていいや」

「そんなお前、自分の父親を銀行みたいに……」

 そんなやり取りを見て母が頬笑む。

 いってきまーす! と見送る母に手を振って私たちは家を出る。


 あれから私は自分の正直な気持ちを両親に話した。

 喧嘩の声が毎朝聞こえて辛かったこと。

 居場所として逃げるように漫画喫茶に入り浸っていたこと。

 両親は娘の苦悩に気づかなかったことを反省し、私に謝ってくれた。

 それから喧嘩はピタリとなくなった。

 ちなみに喧嘩の内容だが、どうやら私の進路についての話だったらしい。

 喧嘩の原因がまさかの私で面食らった。

 父も母も私のことを何とも思っていないと私は誤解していた。


 やっぱり、自分の気持ちを伝えることは大事なんだね、先生。


 漫画喫茶に着くと私は少年漫画が置かれているコーナーを確認する。

 そこには沢渡巡と作者名が記された漫画が並んでいる。


「面白さは三巻で決まる、か」


 お手並み拝見といきましょうか。

 私はその漫画の三巻に手を伸ばした。



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