第三十話 トンビの鳴く時に

 トンビがタカを産むということわざがある。

 このことわざの意味は、どこにでもいる月並みな親から、やたらと優秀ゆうしゅうな子どもが生まれるという意味なのだそうだ。月並みな親とはなかなか切ないいわれようではあるが、トンビにしても、その辺のどこにでもいる鳥で、タカのくせにかり腕前うでまえもそれほどうまくないことが、その由来になっているのだとか。

 トンビのこんないわれようを若干気の毒に思いつつも、この不憫ふびんなタカについてインターネットで調べてみたところ、どうやら狩がそれほどうまくないことは事実なようで、主に魚や動物の死骸しがい、あるいは生ゴミなどを食べているのだとか。さらには、どこにでもいるめずらしくもないタカということも事実のようで、こういうとトンビには失礼かもしれないが、やはり平凡へいぼんな親のたとえになってしまうタカのようではあった。ただ、目はすごくいいそうで、飛びながらもめざとくエサを見つけるのだとか。

 こんな話を聞いたことがある。私の友人の話であるが、コンビニでアイスクリームを買って食べようとしたところ、後ろからトンビが飛んできて、まさにこれから食べようとしているまだ口もつけていないアイスクリームをうばっていったのだとか。なんと贅沢ぜいたくなトンビであろう、トンビがアイスクリームを食べるのか、などとその話を聞いておどろいていたのだが、海辺にある観光地では、食べものをうばわれているイラストとともに「トンビに注意!」などというメッセージの看板を見ることも多いから、こういった事例は多いのかもしれない。実際に私が目撃もくげきしたことのあるケースでは、子どもがおにぎりを手わたされて、のんびりしていたところをうばわれていた。この様子を少しはなれた場所から観察していると、トンビは飛びながらも人を見ていて、食べものを手に持ったところを見つけると、一度その人間の後方へ飛んでいってから、急降下して食べものをうばっているようだった。確かに目は良さそうであるし、知恵ちえもあるようである。

 ピィヒョロロロロロ。

 トンビはこのように鳴く。この度スザクがまっていたホテルは海辺の岬にあったから、周辺でも頻々ひんぴんと聞こえ、その鳴き声をたよりに空を見上げれば、何羽も飛んでいるトンビの姿が確認できるのであった。


 スザクがメロンズ教授をカフェに置いてホテルを出ていったちょうどその頃、サンズマッスルの事務所では、理事長と太満ふとみつ比留守ひるすを交えて話をしているところだった。

「そう考えると、何かあやしいと思わんかね? スザクとここ数日間連絡れんらくが取れないということは、つまり、我々にかくれて、裏で何かやっているんじゃないかと」

 理事長はそういってウインクをした。

「だからそれ、さっき私がいったことじゃないですか」

 太満ふとみつはニコニコエクボ顔で答えたが、目は笑っていなかった。

「おおっと、失礼。私もやっと話にキャッチアップできたところなのだよ」

連絡れんらくが取れないだけじゃないっすよ。ヤツはスマホの電源も切っていやがるんです。おそらく比留守ひるす追跡ついせき警戒けいかいしてるんですよ」

「ほう。ヤツめ徹底てっていしておるな。ますますあやしい。比留守を警戒しているということは、つまり、我々を警戒しているのと同じことだよ?」

「その通りっす。比留守は常に監視かんしにあたっていますから、スザクがスマホに電源を入れ次第、どこにいるのかき止めて見せるそうです」

「ゴボ、ゲフ……」

「よし。わかった。ヤツとはもっと腹を割ったコミュニケーションが必要そうだな。その時には二人とも、よろしくたのむよ? だが、いいかね。これだけは理解しほしい。いずれアカシックレコードD.E.大学、つまりメロンズ教授だな? アイツは我々を消そうとするだろう。おそらく我々三人ではヤツに敵わない。そのためにセッカだけでなくスザクとも契約けいやくしているのだ。わかってくれるよな?」

「ゴフゴフ……、ゴホ! ゴエッホン!」

 比留守ひるすが何かいおうとしたが、何といったのかはわからなかった。


 ホテルから出てきたスザクは、メロンズ教授が出てくるまで、ホテル入口が見える場所にかくれて待機することにしていた。

 スザクにとってはおどろくべきことだったのだが、どういうわけかスザクとクライアントとの間で交わされる秘密の連絡れんらく方法をヤツが知っていたのだ。あの「通りゃんせ」はまさにクライアントから危機を伝える緊急きんきゅうメッセージだったのである。内容によってどの歌を流すか決まりがあって、あの歌は「帰り道に気をつけろ」という意味のメッセージだった。

 しかし、そうはいっても、ホテルで流れているBGMをジャックして任意の曲を流すなど、はたしてそんなことができるのだろうか。

 それができるのだからおそろしい。スザクのクライアントは他国の国家予算と人材が投入された機関だったから、かれらの諜報ちょうほう活動に使われる様々な技術の前では、廃業はいぎょうの決まったホテルの設備を乗っ取ることはおろか、あらゆる店舗てんぽをジャックすることなどお手のものだったのである。とはいえ、これは超法規的行為ちょうほうきてきこうい、つまり法律など度外視した行為であるから、機密事項きみつじこうの一つでもあったのだ。

 さきほど、スザクはメロンズに違う歌の歌詞を教えたが、問題はヤツがこの機密事項を知っていたということだ。ヤツを生かしておくわけにはいかない。スザクは切れ長の目を細め、真っ赤に染めたくちびるを手でかくした。笑ったのである。

「おほほほ。これでやっとのことヤツを切り刻めるわ」

 スザクはメロンズを切り捨てる感触かんしょくを想像して、うれしさをかくせないでいた。それだけではない。もう一つ楽しみなことがあった。それは「帰り道に気をつけろ」というメッセージである。これはつまり、このホテルからの帰り道、何者かがスザクを拉致らち、あるいは抹殺まっさつしようとして待ちかまえているということなのだ。

「おほほほほほ。今日はたくさんの人を切れそうね。後始末はかれらにしてもらいましょう」

 彼らというのはスザクのクライアントのことであった。


 さて、メロンズが出てくるところを楽しみに待っていたスザクであったが、ヤツが出てくる気配がまったくない。かわりにというわけではないだろうが、駐車場ちゅうしゃじょうに止まっていた黒い車があって、そこから降りてきた男たちが、スザクの方へ足早に近づいて来るのだった。

 この男たちはあからさまに物騒ぶっそうななりで、この猛暑もうしょだというのに中折なかおぼうをかぶったトレンチコート姿の男を先頭に、武装した機動隊の男五人が防護盾ぼうごたてを持ってその後に続いていたのである。途中とちゅうからスザクをがすまいと走り出して、あっという間に彼女かのじょを取り囲んでしまった。

「失礼。さる事件について捜査そうさに協力してもらいたい」

 トレンチコートの男がいった。有無をいわせぬ物いいである。防護盾ぼうごたてを持った五人の男たちも威圧的いあつてきな態度だった。

「署まで来てもらう。抵抗ていこうすればこの場で逮捕たいほする」

「いいわよ。ここじゃ目立つものね?」

 スザクは口元を手でかくした。笑ったのである。しかし、トレンチコートの男は彼女の意味深な返事に何の反応も示さず、コートからピストルを取り出すと、スザクの顔にねらいをつけてこういった。

「まずはその日傘ひがさをよこせ」

「おほほほ。こんな紫外線しがいせんの強い日に? ずいぶんとデリカシーのない男ね」

 スザクが日傘を差し出すと、一人がそれをぶん取ってトレンチコートの男にわたす。男は日傘に不審ふしんな点がないか確かめ始めた。

 この日傘には日本刀が仕込しこまれている。理事長の自宅プールでメロンズ教授に刀をきつけた時には、持ち手部分を引きくと日本刀のつややかな刃文はもんが姿を現していた。この日本刀がバレれば即逮捕そくたいほである。しかし、トレンチコートの男が持ち手を引いてみてもびくともせず、不審な点を見つけることはできないでいた。何か仕掛しかけでもあるのだろうか。日傘を確かめ終えたトレンチコートの男はこう続けた。

「さて、両手を上げてもらおうか」

 スザクが両手を上げながら微笑ほほえんでみせると、口からきばのようなものが見えた。彼女かのじょの犬歯はみょうに長かったのである。血のように赤いくちびるはまるで吸血鬼きゅうけつきのようで、男たちの何名かはこれを見てゾッとした。彼女が笑う時に口をかくすのは、これをかくすためだったのだろうか。

 トレンチコートの男はあいかわらず何の反応も見せずにアゴをしゃくって合図を出すと、三名がスザクにたてし付けながら、他に武器を持っていないか身体検査をした。

「よし。今度は両手を前に出せ」

 スザクがいわれた通り両手を前に差し出すと、一人が手錠てじょうをかけ始める。手錠をかける時に見えるスザクの指には、ヘビが巻きつく形をした指輪がはまっていた。これを見ながらスザクは口を開き始める。

「これって逮捕たいほよね?」

 彼女の問いにだれも返事をしない。

「話が通じないのかしら。あなたたち、そろいもそろって体が大きいだけの頭の悪そうな男どもにしか見えないものね……」

 スザクは微笑みながら続ける。

おれは思うの。人を侮辱ぶじょくしたり、愚弄ぐろうしたり、人格を否定したりしちゃいけないっていわれるけれど、これから死ぬ人間相手だったらどうなのかって、おれは思うのよ? 別にいいんじゃないかって。だって、もうすぐ死んじゃうじゃない?」

 これにトレンチコートの男は反応せずに続ける。

「よし。ではこっちへ来い」

 そして、ピストルをコートにしまいながら歩き始めた。

「あなたたちみんな死んじゃうから、これから俺がどんなにあなたたちの人格を否定したって構わないって、あなたたちもそう思うでしょう? ねえ? えらそうにしてるあなた。こんな暑いのにコートなんか着ちゃって、中ははだかで、あせびっしょりなんじゃない? ねえ? 本当は露出狂ろしゅつきょうの変態オジなんでしょう? 俺に見せたいの? おほほほほほ」

だまってろ」

 機動隊の一人が口をはさんだところを、トレンチコートの男が片手を上げてそれを制止した。

「くほほほほほ。さぞ自慢じまんのモノをお持ちなんでしょうね? 見せてちょうだいよ。さっき見せてくれたピストルなんかよりも、ずっと立派なのよね? だって、ご自慢なんでしょう? おほほほほ」

「てめえ、黙ってろっつってんだろ!」

「いわせておけ。さあ、この車に乗るんだ」

 向かった先は八人乗りの大きな車で、スザクは二列目の真ん中の席に座らされた。その両脇りょうわきに機動隊員が座り、後部座席に他の三名が座った。すでに運転手が乗車していて、助手席にトレンチコートの男が乗るとすぐさま車が動き出した。

くさいわね……。ヘドが出るわ。あなたたち、ちゃんと風呂ふろに入ってるんでしょうね?」

 だれもしゃべらない中で、スザクだけが陽気に話しだした。

「おほほほ。ごめんなさいね。思ったことがそのまま口に出ちゃったんじゃなくて、ちゃんと冷静に考えた上で、あなたたちを侮辱ぶじょくするためにいってるのよ?」

「ああ?」

 トレンチコートの男が手を上げて男たちを制止する。

「警告しておく。そういった挑発的ちょうはつてきな言動は君のためにならん。やめたまえ」

「おほほほほほ。そうなの? あなた我慢強がまんづよいのね? おれはね、いろんなことを考えるのだけども、その中でも一つ、あだ名をつけるのって、とっても人間の尊厳や人格を否定できるんじゃないかって思うのよ? だって、そう思わない? 例えば、車を運転するあなたは『下っ運転小僧こぞう』なんて呼ばれたらどう?」

 運転手の男は横目でルームミラーを見た。スザクが笑っている。この状況じょうきょうで何を考えているのだろうか。この女はまるで白雪しらゆきひめになったつもりなのか、次々と男たちにあだ名をつけ始めるのだった。

「くほほほほほ。いい線行ってるでしょう? それで、ハゲ上がって額の広いあなたには『ツヤ光り』なんかどうかしら? ずんぐりむっくりのあなたは『短足子グマ』」

「テメエ! いい加減にしろ!」

 「短足子グマ」といわれた男がたまらずいい返した。

「うふふ。そうあせらずに最後までいわせてちょうだい? 鼻の大きなあなたは『はなくそほじ太郎』。あら、これはそのまんますぎて面白くなかったかしら? それならそうね、腹の出たあなたは『廃業はいぎょうビールだる』、息のくさいあなたは『めいわく汚染物質』、そして、安物のコートを着たあなたには『あせかき安物スルメ』なんてどうかしら? くっほほほほほ! これは傑作けっさくだわ!」

 トレンチコートの男がルームミラーでスザクを見ると、ヤツは目を細め口元を手でかくしていた。笑っているのである。これを見て男はハッとした。手錠てじょうをはめられたスザクが片手で口をかくしていたのだ! 男がり返ったところで、スザクが突然とつぜん前に乗り出してつかみかかり、男が持っていた日傘ひがさをうばうと、そのまま刀をき出して、運転手を切りはらった!


 話が急に変わっておそれ入るが、ここで忍者屋敷にんじゃやしきの話をさせてほしい。

 こんなタイミングでどうして忍者屋敷の話などするのか、話が飛びすぎて申し訳ないのだが、何卒ご忍耐にんたい頂戴ちょうだいして忍者屋敷の話をさせていただきたい。

 忍者屋敷というものは、どんでん返しや落とし穴など、アトラクション施設しせつのようなカラクリのほどこされた屋敷として広く知られているのではないだろうか。それらのカラクリは、敵からの襲撃しゅうげきを受けた時のことを想定した様々な工夫であって、いわば防犯対策のようなものなのである。その中の一つに屋敷の間取りをせまく造るというのがあって、それにどんな防犯効果があるのかをここで説明しておきたい。

 忍者が活躍かつやくした時代の主力武器は刀であった。刀というものは一定の長さがあって、それを構えてからり放つ必要があるから、刀で相手を殺傷するには、それを振るための十分なスペースが必要になってくる。それにはどれくらいのスペースが必要になるのか想像していただきたいのだが、たとえば上段に構えた時には十分な天井てんじょうの高さが必要であるし、思いきり振りかぶった時には後方にも刀が当たらない程度のスペースが必要になってくる。こういったことを考えてみると、刀で人を切るには部屋に一定の広さが必要であって、そうでなければかべや柱、あるいははりに刀が当たってしまい、振り回すことなどできないのだ。


 それが車の中だったらどうだろう? 忍者屋敷にんじゃやしきよりもずっとせまい車の中だったら。想像していただきたいのだが、人が座るだけのスペースしかない狭い空間の中で、どうやって刀をるうことなどできるのだろうかと。

 答えは簡単だ。

 スザクは車ごと切ったのだ!

 まるで絹ごし豆腐どうふに包丁のを差しこむように、フロントガラスから鋼鉄製の車体フレームを切りいたのだ!

 しかし、どうやったらあの頑丈がんじょうな車体を切ることなどできるのだろう? 忍者屋敷のような木製の柱でもなく、様々な交通事故でもドライバーを守るために頑丈に作られている車体フレームなのだぞ? 刀などで切れるはずもなかろう!

 それはスザクのATP能力だった!

 スザクのATP能力、それはあらゆるものを「切る」能力なのだ! 衝撃しょうげきとともにたたき切るのではない! なめらかでしなやかに、どんなものにも刃先はさきを当てさえすれば「切る」ことができる能力なのだ! この能力はたとえ鋼鉄であろうとも、まるであの固くて有名なあずきのアイスをかすように滑らかに切ることができる能力なのだ!

 はじめにスザクは指に巻きついたへびの指輪から、小さな刃先を出して、まるでバタークリームにナイフを入れるかのように手錠てじょうを切り外した。そうしてトレンチコートの男から日傘ひがさを取り返すと、そのまま刀を引きいて、車体ごと運転手を切りはらった。運転手は即死そくしだった。制御せいぎょを失った車はそのまま走り続ける。

 この道路の左側は草木が鬱蒼うっそうとした尾根おね斜面しゃめんになっており、反対に右側は断崖絶壁だんがいぜっぺきで、その向こうには海が広がっている。次第に道路は左側へカーブして行って、制御を失った車は直進を続け、このまま行けば海へ転落する。

 続けざまにスザクは左側、つまり助手席側の車体を二度三度と切り払うと、車から外へ飛び出した!

 この時、トレンチコートの男も切られたことはいうまでもない。このまま行けば後部座席にいる機動隊員たちも海に落ちてしまうだろう。スザクの右側に座っていた男は、運転手が切られた時に刀が届いてしまっていて、座席ごと体を切られすでに絶命していた。残りの隊員たちはあわててシートベルトとドアロックを外し、サイドドアを開けて脱出だっしゅつを試みる。かれらは極めて高レベルな訓練を受けているのだろうか、これだけ突発的とっぱつてき緊急事態きんきゅうじたいであったにもかかわらず、見事に脱出してみせたのである。しかも、防護盾ぼうごたて自動小銃じどうしょうじゅうも忘れずに!

 自動小銃を所持した隊員はすぐさま正確な射撃しゃげきを始めた! しかし、スザクは銃弾じゅうだんのすべてをはじき返しながら接近し、跳弾ちょうだんの一発を正確に隊員へ命中させると、ひるんだところを袈裟懸けさがけに切り捨てた! 盾を持った二人のうち、一人がピストルで援護射撃えんごしゃげきをしつつ、もう一人がたてを構えながら接近する! ピストルの銃弾じゅうだんね返されてしまっても、跳弾ちょうだんは盾で防げるのだ! しかし、距離きょりめたところで盾の上から真っ二つに切りかれてしまう! スザクの刀の前では盾などなんの意味もないのだ! 援護射撃をしていた隊員はこれを見て、そのあまりの戦闘せんとう能力の差に逃走とうそうしようとするも、あえなく背中から袈裟懸けさがけに切られてしまう! 最後に残った隊員は救助要請きゅうじょようせいをしようと無線機を取り出したが、そのすきに接近を許して、無線機ごと切られてしまったのだった!

 皆殺みなごろしだった! ついさっきまで、こんなことになるなどだれに想像できたであろう? 一瞬いっしゅんの出来事だった!

「おほほほほほ! なんと、なんと心地いいことか!」

 スザクはそう喜悦きえつをもらすと、誠におどろくべきことであるが刀をベロベロとめだした!

「レロレロレロレロ! むふうん! おいしい! おいしいわ! あらあら、ごめんなさい? 気の利いた食レポもできなくって! おれはそういうの苦手なのよ! だって、だって、おいしいんだもの! ごめんなさいね! オォッホホホホホ!」

 なんなんだ? この女は! その様はまさに吸血鬼きゅうけつきだった!

 スザクは舐め終えた刀を着物から取り出した手ぬぐいでふき取ると、ひらりと一振ひとふりしてから日傘ひがささやに刀を収めた。そして、隊員たちを二人ずつ軽々と引きずって海に投げ捨てると、片手で着物のすそを持ち上げながら走り出した。メロンズを切りにホテルへ向かったのである。


 ホテル正面エントランスへ続く道路はたった今通ってきた道路しかなく、メロンズが帰るとすればこの道しかない。トレンチコートの男たちに連行された後にこの道路を通った車や人はいなかったから、メロンズはまだホテルにいるはずだった。

 この日はよく晴れた光合成日和で、強い日差しを浴びたスザクは、緑色の着物が光合成に必要な光を透過とうかするのか、着物姿とはいえすさまじいスピードで走りけ、またたく間にホテルへ到着とうちゃくした。

 ホテルにはなるべく近寄らないように注意しながら、ガラス張りのカフェの中を確認してみたところ、スザクが座っていた窓際のテーブル席にはだれの姿もない。

「ヤツめ、もういなくなったか。どこへ行った? まさか、お土産なんて買ってないわよね」

 スザクは念のためエントランスに入ってみた。しかし、フロントに係の女もなければ、土産物売り場にも誰の姿もない。

 スザクは注意深くエントランスを歩いて、客室へ向かうエレベーターホールのある方へ向かった。そして、はたと立ち止まる。メロンズが客室にひそんでいるとしたら、探し出すことは困難だと思われたのだ。このホテルは今ではすっかりさびれ果てたとはいえ、かつてはリゾートホテルとして栄えたホテルだったから、客室の数がむやみに多いのである。

 エレベーターホールわきには階段があって、そのおくには通用口があった。とびらが少し開いているのが見え、そのすき間がまぶしく光っている。だれかが閉め忘れたのだろうか。スザクは通用口へ向かうと、音を立てぬよう気をつけながら扉を開けた。

 薄暗うすぐらい通用口から表に出ると、炎天下えんてんかの日差しで目を開けていられないほどまぶしかった。ホテル裏には業務用の駐車場ちゅうしゃじょうや道路があって、ここからもホテルへ出入りできるようだった。メロンズはここから立ち去ったのかもしれない。だとすれば、エントランス側の道でヤツを見かけなかったこともうなずける。スザクは辺りの気配に注意しながら外へ通ずる道を小走りに進むと、一般道いっぱんどうに合流するT字路にたどり着いた。

 ヤツはどっちへ行ったのだろう。右へ進むべきか、左に進むべきか。ここへ来て、スザクはメロンズの追跡ついせきをあきらめ始めていた。ヤツはホテルの客室にかくれているかもしれなかったし、仮にこの道を進んでいったとしても右か左かわからない。もはや、スザク一人で探し出せる状況じょうきょうではなさそうだったのだ。

 ただ、左側にあるややはなれた展望台には見覚えがあって、スザクは何かを思い出してそちらに歩き出した。スザクにとってこの展望台はなつかしい場所だったのだ。

 コンクリートでできた展望台にたどり着くと、階段をのぼってみる。てっぺんへ出てみれば四方が胸の高さほどのさくに囲まれていて、そこには「トンビに注意」という看板もあった。確かにトンビが何羽か飛んでいるのが見える。スザクは手すりに近づいて、そこから海の方をながめた。眼下には港町があって、少し離れた小島には赤い灯台が立っているのが見えた。

 スザクはかつてこの展望台に来たことがあった。ここで赤い灯台を背景にアキラの写真をったのだ。

 ホテルの建つこのみさきには、東側に青い灯台があって、西側には赤い灯台がある。この二つの灯台はそれぞれ「青鬼灯あおほおずき」「赤鬼灯あかほおずき」と呼ばれ、この地域の名物だったのだ。

 海からの風がいてスザクのかみと着物をらす。あの写真に写ったくもり空とちがって、この日は快晴、青々とした空に、遠く立ち上る入道雲のなんとまぶしいことか。

 ピィヒョロロロロロ。

 トンビの鳴き声が聞こえ、何羽かの鳥影ちょうえいが風にう。スザクはこの中の一羽を目で追っていたところ、虫も一匹いっぴき飛んでいることに気がついて、そして次の瞬間しゅんかん、それが真っ直ぐこちらに飛んでくることがわかり、スザクはハッとして顔を背けた。

 なんと、それは虫などではなかった!

 弾丸だんがんだったのである!

 しかも、それは一発ではなかった! 二発、三発と続いてくる! さらに、それぞれが別方向から飛んでくるのだ! スザクは日傘ひがさから刀を抜きはらってそれらをはじき返した!

「くそっ! 狙撃そげきか! どこからってるんだ!」

 何発かは弾き返せたが、一発が太ももをかすめた!

「どこから撃たれているのかわからない! まずいぞ!」

 スザクは後ずさりながら銃弾じゅうだんね返し、階段へげこむ。コンクリートで囲まれた階段であれば狙撃はできないだろう。スザクは階段中ほどまで降りたところで後ろをり返る。すると、なんと階段の上方から銃弾が飛んでくるではないか!

 これはどういう角度で狙撃しているのだ?

 展望台は高い所にある。展望台の外からこの角度で撃つことは不可能だ。

 スザクは理事長の自宅プールでメロンズから見せられた女の写真を思い出した。確かATP能力で弾道だんどうを自由にコントロールできる狙撃手といっていたか。

 ピィヒョロロロロロ。

 上空でのんきに飛んでいるトンビが見え、また銃弾じゅうだんが飛んでくる! それをスザクははじき返した!

 まさか、トンビが狙撃そげきしているのか? あるいはトンビにカメラでもついているのか……。そんなことをスザクが考えていると、階段の下方からも銃弾が飛んできて、不意をつかれたスザクは一瞬いっしゅんやられたかと思ったが、これは彼女には命中しなかった。続けざまに上方からも銃弾がきたのだが、この弾道だんどうも正確性を欠き、スザクには当たらなかった。

 しかし、次の瞬間しゅんかん、それが命中したのだ! 階段のかべに当たってはね返った跳弾ちょうだんが、スザクをつらぬいたのだ!


 スザクが着ている緑色の着物には、背中に純白の丹頂鶴たんちょうづるえがかれている。

 丹頂鶴は大きな白い鶴であるが、首から顔にかけては黒く、そのななめに切りこむようなコントラストは見事で、さらに頭頂部だけに真紅の差し色の入った見た目にも美しい鶴である。頭頂部は皮膚ひふ露出ろしゅつしており、その露出した皮膚が真っ赤であることが「丹頂」の名の由来になっているのだとか。

 丹頂鶴の「丹」とは、朱色しゅいろ、つまり赤という意味である。それは辰砂しんしゃとも呼ばれる朱色の美しい硫化りゅうか水銀の鉱物の他、日本画の絵の具や鳥居にも使われるなまりを酸化させた朱色の顔料、またはそれらの色自体のことを表す言葉である。

 スザクが着ている緑色の着物には、純白の美しい丹頂鶴たんちょうづる特徴とくちょうが見事にえがかれている。頭頂部についてことさらに注目して見てみれば、赤い皮膚ひふのイボイボまで緻密ちみつに表現されており、それだけでなく、これはいかなることか、まるで悪夢のようにいつしかそれがみるみる広がったかと思うと、その白い体まで赤く染めていくのだった! 銃弾じゅうだん貫通かんつうしたせいで、スザクの血がとめどなく背中から着物に染み出ていたのだ!

「や、やられた……」

 風にっていたトンビがすうっと旋回してスザクの位置からは見えなくなった。するとどうであろう。銃弾も止まったのである。

「やはりトンビからおれの位置を見ていたのか……? どこかに飛んでいってしまったところを見ると、トンビの行動までは制御せいぎょできていないのかもしれぬ。だが、次にもどって来た時には、今度こそやられてしまいそうだ」

 左側の胸を見ると、緑色の着物がみるみる血に染まっていく。

「くそっ……、止血をせねば」

 スザクは痛みをこらえながら傷口を圧迫あっぱくしてみたが、銃弾が貫通し、背中からも出血していたためどうにもならない。

「もうダメか。いや……、エージェントが近くにいるはずだ。俺に警告のメッセージを送ってきたのだから……、救助を求めるしか……ない」

 意識が遠のきながらも、スザクは着物からスマートフォンを取り出し、電源を入れた。この数日間、どこにいるかバレぬよう電源を切っていたスマートフォンだった。


「ゲホッ! ゴホ! ゴエッホン!」

「何だね急に!」

 サンズマッスルの事務所では、突然とつぜん比留守ひるすきこみ始めていた。

「なんだって! マジか!」

「なんだ? 何が起きたんだ!」

 理事長はわけがわからず太満ふとみつを問いただすと、かれはニコニコエクボ顔でこう答えた。

「スザクがスマホの電源を入れたそうです」

「なんだって? 本当か! でかしたぞ!」

 比留守はパソコンをパチパチと操作し始めた。

「それで、ヤツはどこにいる! どこで何をやっているんだ!」

 引き続き比留守がパチパチとやっていると、画面に地図が表示された。

「どこだここは?」

 比留守がパソコンを操作して地図を縮小して見せる。

「なんだここは? ずいぶんと遠いところだな。なんでスザクはこんなところにいるんだ?」

 比留守ひるすはさらにパソコンを操作すると激しくきこみ始める。

「ゲホゲホ、ゴフン、ゴホッ! ゴホォン!」

 理事長は画面から目をはなして太満ふとみつの顔を見つめる。見つめられた太満は察してこういった。

「スザクのヤツ、どこかに電話してるそうです」

「電話? どこに電話をしてるというのかね」

 比留守がカチャカチャカチャンとキーボードをたたくと、画面が切りわって何かのホームページが表示された。

「なんだこれは?」

「英会話スクールっすかね?」

「ヤツは英会話スクールに電話してるのか?」

「ゴッゲ、ゲホン! ゴホン!」

「そうです」

「何を話してるのかわかるのか?」

 カチャカチャ、カチャ、カチャン!

「ゴフゴフ、ゴホ! ゴフェッヒョン!」

 理事長は通話内容が音声で流れるか、画面に文字で表示されるかを期待していたが、何も起きないので戸惑とまどいながら太満の顔を見た。

「あ、通話が終わったそうです」

「終わった?」

「ええ」

「そうか。長電話をしそうなヤツではないしな」

「アイツ、英会話ならってんすかね?」

「ああ。確か、外国語ができるはずだ。何語かは覚えてないがな。ヤツめ、我々にかくれて裏で何かやってるのは間違まちがいなさそうだな。次に会った時はどうしてくれよう」

「ただ、正直いって、ヤツが正体現してきたら、ウチら殺されないっすかね? あの能力はマジで危険っすよ。アイツ平気で人を殺しそうじゃないっすか。勝てますかね?」

「そうだな……。ヤツと契約けいやくしてるのはメロンズ対策だ。さっきもいったが光合成法案の成立までは何も知らなかったことにしておこう。それとな、ヤツも光合成人間だ。夜になれば我々の方が有利であろうよ」

「そうっすね」

 理事長は太満ふとみつ比留守ひるすにウインクをした。


 さて、赤鬼灯あかほおずきの見える展望台には見知らぬ人影ひとかげがあった。先ほどのスナイパーだろうか。スザクの死体を確認しにきたのか、あるいはとどめをしにきたのか。しかし、そこにスザクの姿はなく、まだかわいてもいない生々しい血痕けっこんだけが残っているだけである。その人物はUOKうまるこwのような体にフィットする緑色の光合成スーツを着ていて、クセの強いウェーブのかかった長い黒髪くろかみの女だった。そして、風がいてあらわになったその顔には、明智光成あけちみつなりと同じような、草の仮面がからみついていたのだった。(続く)

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