■27『回帰』

 治すという行為は「危害」に該当するのか?

いな、それは不幸として識別しきべつされない。

 幸福とは主観的な物であるが、坂口の持つ能力は客観的な豊かさが裁定の基準となる。


「ボクに、ワタシにれるのを止めて! そんなことしたら……この"世界"が、皆の夢が覚めてしまう!!」


 つまりべネップが坂口を「元に戻す」行為または「精神性を治す」という行為は妨害される事なく、そのまま発動する。


「あ、ああ! その手をどけろ! 治すな……直すな! ボクをなおすなァあああああああ!!!」


 背中に手を当て能力を発動させ続けるべネップ。触れられた体は瞬く間に小さく、幼く、若返る。


 背丈は130センチも満たない子供の姿。誰もが目を逸らす凄惨せいさん放置ネグレクトを味わっていたあの頃の姿に。

 非力で、無垢で、何も持たないがゆえに純粋な少女へ比喩表現ではなく文字通り、幼児退行した。


「お兄ちゃん……だれ?」


 様子から察するに記憶すらも失い、状況が飲み込めていない。同一人物ではあるが、ある意味別人。経験や記憶によって形成されたハズの要素が抜け落ちてしまった純正品。


 肌は白く幼子特有の柔らかい質感。髪も地毛である黒色に戻っており、先端が少しだけ跳ねている。

 服装は見窄みすぼらしいが小綺麗にされており、完全に昔の状態へと再現されている訳では無い。


「僕はべネップ・バロン・ウィリアムズ。君のかたきです」

「???、よく分かんない……」


 キョトンとした顔を見せる少女の姿に、消え入りそうな表情のべネップ。自分よりも背の低い少女の頭に手を載せ、その綺麗な髪を優しく撫でる。


「えへへ、お兄ちゃん上手」


 奥歯を食いしばって目を凝らす。


「……………」


 ミルクのような甘い匂い。年上の男の子に撫でられ、掛け値無しの笑顔を浮かべる少女。軽く押せば壊れそうなこの子を殺す為に自分は存在している。


 そして悩みの中で撫でる手をめ、べネップは一言だけ聞く。答えは既に知っていたが、えて聞いた。


「カナデちゃんの好きなモノって何かな?」

「え! うーんとね……」


 自分自身の戒め。刻むその答えを聞くと同時に────。


「人間」


 能力を発動した。としにして5〜6歳。時間にして数秒もかからず受精卵の前まで回帰させる。


「ごめんね」

 頭に触れた手は震え、視界はかすむ。しかしそれでも確実に能力を発動させ、自らの罪サカグチと向き合う。しかし────。


 年の頃にして3歳。その時、異変に気がついた。

 

「なんで………?」


 能力は使い続けている。しかし

 通常であれば新生児や胎児まで退行するハズ。


「あれれ? もしかして気がついてなかったのかな? べネップくん」

「お前、まさか……」

 

 "お兄ちゃん"ではなく名前で呼ぶ声。目の前にいるのは幼い少女ではなく、薄気味悪い笑みを浮かべた坂口カナデ。しかし、今更気がついても。


「遅い」


 べネップの胸は小さな腕に貫かれ、心臓を鷲掴み。ドクンドクンと揺れる脈は一瞬、引き抜かれると同時に握り潰され、鼓動は止まる。


「さて最後の晩餐ばんさんだ。キミにとっての最後、キミが食べられる側の晩餐。だけどね♪」


「何故……??」


 強烈な欠損、血液の流出は致命的で意識が保たれている事が奇跡。瀬戸際の中、べネップは疑問を投げかけた。


「キミの能力はウイルスを打ち消す事は出来るけど、クラモトくんの力は無効化出来ない。まあ……ジャンケンの相性みたいなもんだよ」 


 倉本って誰だよ。と疑問は増えるが声が出ない。

 支えていた体は後ろに倒れ、仰向けになって天を見渡す。青い空に白い雲、太陽が体を照らし、血の海に光が反射する。


「べネップくん、最後に遺言はあるかい?」

「………それ、フラグです」

「ん? それってどういう────」


 搾りかすのような力を振り絞り、べネップは天に向かって腕を伸ばす。坂口自身に力が効かないのであれば、この世界自体を壊す。


 べネップ・バロン・ウィリアムズ。


 その有する力は『回帰』。情報の初期化、プログラム構築を『0』へと戻す能力。制御母体である坂口の権限を無視し、データを復旧する力。


世界ときよ、天地開闢てんちかいびゃくまで『回帰』しろ」


 時間は遡り、宇宙は原初に帰る。膨張する構成要素は無限に増殖し、それらが一瞬で処理速度を越えて負荷を掛け続ける。結果───────。


 画面がプツンッと切れ、液晶は黒く染まった。

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