■21『マタニティクライシス』

 坂口が動くよりも早く、べネップは家床いえゆかに手を着けた。どこかへ『飛ぶ』ために天井や壁が邪魔だと素早く分解する。


「シャーレ! 僕の手を!」

 そして同時に逃走を図る。

 しかし、その手に誰も掴まらない。


「───シャーレ!?」


 先程まで隣にいたはずのシャーレがいない。と気がついたべネップはすぐさま、目下もっかにいるへと視線を向ける。


「ふぅ……やっぱり一気きついなぁ」


 その視線の先にいたのは大きく膨れたお腹を優しく、胎盤の中にいる我が子を愛でるように、優しい顔つきで撫でる坂口だった。


肉団子シャーレちゃんはボクのお腹の中にいるよ】


 うっぷ……と軽い噯気おくびを出して、坂口は玄関先に腰掛ける。その体の重々しく、明らかに動きが鈍っていた。


(シャーレが食われた!? でもどうやって……)


 少年兵として生き残るため、身に着けた思考術。

 怒りや悲しみ、そういった感情を心の奥で押し殺し、生存のために脳を働かせる。


 過去の経験から癖づいたべネップの精神構造。反社を相手にしても出ることがなかったべネップの悪癖が、坂口を前にして現れた。


「ボクの能力だよー♪ イイでしょぉ?」

 そして、妊婦は軽い口調で少年の考えを透かして答えた。

 床に腰を据え、身重みおもな体を両手で支えるその姿は、誰の目からも隙だらけ。


「……すごい力ですね。でも、そのぶん残念です」

 その無防備な姿、千載一遇のチャンスを目の前にしたべネップは後退をめた。


 あからさまに"撤退"の二文字を思い浮かべていた少年。しかし少女が食われ、そして自身の姿を見た途端、考えを改めた。その心境の変化、機微きびを量るには難しいと、坂口は素直に聞いた。

 

「ほう、その心は?」

 

 床に手を着けた黒色の少年と、腹の膨れた褐色の女。二人は対峙し目を合わせる。ほんの数秒、片手で足りる沈黙が、両者の間に流れる。

 

 分解した木製もくせいの壁や天井は、床下の地中、槍状に形作られ坂口の足元まで伸びる。

 空気は固定なおされ、どんな怪力でも破壊不能の拘束空間が坂口の周りを覆う。


 そして刹那の沈黙は破られた。


能力おまえは死んで消えるから」


 鋭利に伸びる木槍もくそうが地中から坂口めがけ飛び出す。四方八方、死角を含めた無数の凶器が放たれる。空気は固定され、身動きが取れず物理的に避けることは不能。


 所詮は坂口も人間。無数のやいばに串刺しにされては絶命はまぬがれない。


 しかし───────。


【坂口カナデに危害を加えることは出来ない】


 地面から放たれた殺意は、まるで自ら避けるようにれ、皮一枚で坂口に当たることはなかった。

 

「なッ……」

「びっくりしたーー! 急に槍が生えてくるなんて驚いた!」

 

 たとえ力士であったとしても指一つ動かせない空気固定による拘束を、いとも容易たやすく解きながら、


「たく……妊婦に暴力なんて酷いなぁ、おなかに悪影響だよー」とブツブツ呟きながら、周りの槍をポキポキと折っていく坂口。

 

 そして枝打ちを終え、スッと立ち上がり吹き抜けの家、分解された土地の周りをゆっくりと見渡す。


 そして最後、戦闘態勢の少年に顔を向けた。


「やっぱりココじゃ味気ない」

 

 坂口はある提案を持ちかける。人差し指をピンと立たせ、その指先を顎に付け、考え、話す。


「べネップくん、場所を変えよう」


 少年は警戒心を崩さず。といった姿勢を保っているが、その表情はかんばしくない。


 村の家族も、仲間も、全てを失った。

 決死の覚悟で放った攻撃も傷一つにも満たない。


「別にどこでもいいでしょ、僕が食われて死ぬだけなんですから」


 べネップの心は、既に限界だった。


「ダメダメ、そんなのダメ」

「………何が?」


 べネップの心は限界。しかし、他人の気持ちを理解出来ぬ坂口は、汲み取れない。意に返さない。

 

「キミは最後の締め、食事の最終走者フィナーレだよ?」


 クラモトから聞いた食材じんぶつを、その順番通りに楽しむ。和洋中を問わず、運ばれた料理は最大限に活かしてしょくす。それが坂口の流儀。


 決戦には相応しい場所、相応しい状態で。

 少年の傷みを癒やす魔法スパイスをかける。


「だから特別に教えてあげる。の続きを────」


 それから語られるのは突拍子とっぴょうしも無い与太話。

 他人が聞けば笑ってしまうような妄想や空想。


 しかし、全ての合点がいった。


 少なくともべネップは、その話を聞いて笑った。

北叟ほくそ笑む。それが最も近い表現か、そんな顔をしていた。そして、咳が切れるように壊れた。


「ハハハッて! そうかそうか! それじゃあ今までのは……アㇵハハハ!!!」


 乾いた大きな声を出し、少年は笑った。

 目頭から涙が流れ、顔はグチャグチャに歪む。


「ね! 面白いでしょ!? ね! ね!」

 

 そして壊れたべネップを見て、坂口も子供のようにニコニコ笑う。それは少年とは対象的な喜びの感情。お気に入りの玩具を友人に見せるわらべ


「ええ、とっても面白いです。本当に」

 

 親殺しのかたきを見るような怒りが沸々とべネップの胸に溢れ、空白だったガソリンが満たされる。


「だから最後はで決着をつける」

「あの場所?」

「まあまあ、それは行ってのお楽しみ♪」

 坂口はパチンッと指を鳴らして姿を消す。


 突然消えた坂口にべネップは一瞬驚くも、自身の身に起きた異変に気がつく。


 舌に何かが触れている。


 ドロっとした感触と丸い何かを口内に感じる。

 オエッ、と口の中にあったを手に吐き出し、それを視界に捉えた少年の血管は切れた。


「何を……犠牲にしてもいい」


 殺風景な村の景色。閑散とした空の下でその心は密かに燃える。

 赤い液体に濡れた丸い瞳は美しく、手の上に乗せられた少女はジッと少年を見つめる。


「例えこの命を捨ててでも────」


 優しく握られた球体に体温は感じない。人は死ねば物となり、形あるものは壊れて消える。しかしそれでも許せない。だから僕は………。


「坂口カナデをもどす」

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