■3『カナデウイルス』

「難しい話だにゃあ……今度図書館に行って調べてみるね」

 クラモトの願望とその説明に対し、相槌あいづちを打ちながら理解しようと努力する坂口。


「君に理解してもらう必要なんてないさ」

 そんな彼女の態度とは裏腹に、クラモトは神妙な顔つきで語る。


「君はもう『あの世界』に戻れないからね」

 あの世界は既に消去した。君をココに連れてくるついでにワタシが破棄した。


「君には一生……いや永遠に、この『モニタールーム』で隔離させてもらう」


 拒否権はない。それと君の存在はワタシにとっても億劫おっくうなので、その『意志』も剥奪させてもらおう。


「えー! 嫌だよー! ボクはお家に帰る!! 【意地悪しないで】!!!」


 坂口はバッとまたがっていた五十嵐の元から立ち上がり、口元に血をつけながら地団駄じだんだを踏み出す。


「君に拒否権はないよ。さっさと──」


 ………は?


「ボクに意地悪するなら、クラモトくんも食べちゃうぞッ!」

 プンプンっと怒りながら、ごく自然に近づいてくる坂口。


 "ごく自然"に坂口。


「なぜ何も起きない……? なぜ『防御セキュリティ』を突破できる?」

「あー! また難しいこと言ってる! そんなこと言っても許さないからね!」


 座っていたクラモトの両肩にポンっと手を乗せ、そのままクルッと椅子の向きを変え、その後ろ姿を見つめる坂口。


「う、動けない……! こ、この『能力』はまさか五十嵐和雄いがらしかずおの────」


 クラモトは金縛りにあったように、体をピクリとも動かすことが出来ない。

 そしてそんなクラモトをジーッと見て、うっとりとした表情で坂口は呟く。

 

「うなじが綺麗だね……クラモトくん♡」

「待て! やめろっ! ワタシが死んだら……」


 慌てふためくクラモトの意見など耳に入らない坂口は、カプーっと首元に噛みつき、歯型はがた状に皮膚を傷つけ、チューチューっと血を吸う。

 

 クラモトは何の抵抗も出来ない。

 それでも、言い放った。


「いい加減にしろ『害悪』! 生きる価値の無いゴミがワタシの邪魔をするな!!」

 それはクラモトにとって虚しい反抗でしかなかった。その言葉はただの皮肉。


 しかし、その皮肉は坂口の動きを止めた。


「害悪………?」

「ああそうだ、お前は『害悪』」

 人と違った価値観を持つのはいい、種の生存には多様性が必要だからな。


 しかし誰かが傷つく価値観を、そのまま誰かに押し付ける行為は『純粋な害悪』だ。

 良い悪いという話ではなく、事実そうなんだ。と自分クラモト自身に当てはめながら語る。


「坂口カナデ、君は自覚はなくとも平穏に生きる人々の人生を奪っている」


 だから、だから頼む。頼むからワタシの───。

「人類の前から消えてくれ」


 それはクラモトの本心。

 悪意も敵意もない、心からの願い。


 この世から人格破綻者や悪人が消え、世界がより良くなって欲しい。そんな純粋な気持ちを坂口に吐露とろする。


 そしてその気持ちに当てられてか、少し悲しそうな声をクラモトは捉えた。


「お星様が光ってたの……」

「……は?」


 夜に輝く満点の星。いったい幾つもの星々があるのだろう? この綺麗な宝石に触れてみたい、この無数に光る夜空を、自分のモノにしてみたい。


「それっておかしなこと?」

「…………」


「楽しく歌って生きていたい。それがボクの素直な気持ち」


 生きるためには食べなきゃいけないし、欲しい物を手に入れるために何かを捨てなきゃいけない。


夢を叶えるためには現実を受け入れる必要もある。


「ボクはね、ボクの"現実"を受け入れてるだけ。ボクなりに、一生懸命生きてるだけなんだよ」


「……その行き着く先には何もない」


「みんながいる」


 ボクの血肉となったみんなが、ボクと一緒に生きている。たとえ心の底から恨まれても、それでもボクと一緒に歌ってる。


「だからキミも、一緒になって欲しいな……」


 寂しそうな顔をして子供のようにねだる坂口は、有無を言わさず、その首元に甘噛みする。

 唾液で濡らし、何度もチュッ、チュッ、と唇を這わせてせがむ。


「ね? いいでしょ? 受け入れよ? ボクを受け入れて……ね?」


 クラモトはウイルスによって思考も意識も曖昧になっていたが、それでも譲らない。


「ワタシはお前を認めない。受け入れる事は出来ない。形あるものがいずれ滅びるように、これは確定事項」

「そして人外じんがい、教えてあげるよ。君をつうじてワタシが得た研究結果は『汚物に力を与えるとロクなことにならない』だ」


 自身の最後を悟っても、一貫してクラモトは考えを変えることは無かった。


「ボクは人間だよ……」

 しゃがれた声は誰にも届かず消えていく────。


 坂口の歯は肉を荒っぽく削り呑む。


 何を思い、何を感じたのか?

 それは彼女と"同じ人間"にしか分からない。


 坂口も同様に、彼の気持ちが理解出来ずに苦しんだ。それでも彼女は、口に滴る体液と、温かいご飯の感触を味わう。


「クラモトくんは美味しいね。残さず食べるから『偉いよー』って褒めてくれたら嬉しい、な……」


 透き通った雫が頬に流れて落ちていく。溢れ出るその感情は「ごちそうさま」では消えはしない。


 その感情は……苦くて酸っぱい味がした。

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