六枚本格推理小説

石谷 弘

風船がいっぱい

「天下の警察機構ともあろう方々が、こんなことも分からないのですか」

 状況説明を聞いて一言目の挑発に周りの空気が凍りつく。

 小学生無限誘拐殺人事件。その犯人が目の前にいる。事件自体はわたしが小学校に上がる前だったから分からないけれど、登下校時の通学路にドローンが配置されるようになったきっかけだということは知っている。

 その男の人は後ろ手に手錠をはめられ、腰に縄を結ばれていたけれど、目が合った時には獲物として見られている感覚があった。慌てて間に入ったお姉ちゃんが震えている。

「それで、今の説明で何が分かったんだ」

 警部さんが男に詰め寄ると、男の人は方法と犯人ですよとにこやかに答える。

「いいですか。七つの部屋と障子で区切られて隣り合うこの部屋は事件当日、一歳の誕生日を迎えた被害者を祝うために三六五個の風船で上から下まで埋まっており、被害者と一緒に寝ていた祖父の義之氏と母の早苗氏に気づかれずに近づくことは不可能だった」

 おじい様を含むその場にいた全員が頷く。床に転がる風船は固定されていないので、少しでも当たれば玉突きした風船のどれかがふたりにまで届いただろう。

 また、竹籠のように編まれた天井のすぐ下には、いくぶん萎れた風船が力無く留まっている。こちらも大きく動くようなら、影が揺れて起こす原因になったはずだ。

「検視の結果、被害者は窒息死。しかし、外傷はなく、代わりにベビーベッドからかすかに化粧水のような香りがしたという証言がある。これも間違いありませんね?」

 もう一度、みなが頷く。

「なら、もう方法は分かりますよね?」

「ふざけるなよ」

「ふざける? とんでもない。優秀な警部さんでしたら、ノーヒントでこれくらい解いていただかないと、あなたに捕まった私の立場がない。さあ、みなさんもどうぞ。必要な情報はすべて手にしているはずですよ」


        ※※※


「これだけの手掛かりを前にしても解けない。あなた本当に忌方警部ですかあ? 実は双子の弟だったりしません?」

「あん時はまぐれだったんだよ。死刑囚になろうがどうしようが、生きている内は使ってやるから、いい加減勿体つけるな」

「仕方ありませんね。これですよ、これ」

 一歩部屋に入った男の人が床に転がる風船を蹴り上げる。周りの風船がひとつふたつと部屋から転がり出た。

「風船がどうしたって?」

「警部殿は本当鈍いですねえ。風船ではなく中のものですよ」

「空気でどうするっていうんだ」

「ではあちらの風船の中身は?」

 そう言って天井を見上げる。

「そらあ、あっちはヘリウムだろ」

「はい。正解です。百以上はありそうですが、これはボンベをレンタルしていますね?」

 男の人の問いに、叔父様がそうだと答える。

「なにしろ数が多いんでね。ヘリウムと窒素のボンベを借りてきてたんだ」

「窒素! 空気ではなかったのか」

「警部殿はもう少し現場を調べる癖をつけられた方がよろしいかと」

「現場の維持が難しいのが明らかだったからお前を呼ぶのを優先したんだよ」

「それは結構。ともあれ、ヘリウムボンベが必要なら、下の風船用のボンベも借りるのが普通ですし、死因が窒息なら窒素である可能性を予想するのは難しくないでしょう」

 男の人は楽しそうだけど、警部さんは渋い顔をしている。

「だが、どうやって赤子ひとりだけを窒息死させる? 部屋にいたふたりに頭痛のような酸欠の症状はないのだぞ」

「では、どうしたらピンポイントで狙えるでしょう。部屋の外からある程度の量を相手に気づかれることなく吸わせることができ、なおかつ、証拠の残らない方法です」

 白髪の混じる警部はしばらく唸り。

「そんなもの、部屋の外から棒を伸ばして酸素マスクでも被せて窒素を流すくらいしか」

 けれど、返事を待つことなく首を振る。

「駄目だな。それで被害者を起こさずに殺せるとは思えん」

「いえ、なかなか悪くないですよ。さすがは警部。本質を捉えています」

 後ろ手のまま器用に手を叩いてみせる。

「それでは大ヒントです。化粧水の香りを言い換えてみましょう。例えばそう、石けんの香り、とか」

「シャボン玉か!」

「はい、正解です。実際に化粧水を加える場合もあるようですから、細かな成分は鑑識さんにお任せしますが、窒素ガスで大きく膨らませたシャボン玉は」

 言いながら、右手に持った風船を筒に見立てた左手に押し当ててゆっくり離してみせる。そして何事もなかったかのように、自分で手錠をはめ直した。

「顔を覆えば窒息を誘発し、数秒後には弾けて消えてしまうでしょう。一度で上手くいかなくても、リトライも容易い。おあつらえ向きに、ストロー一本くらいの隙間なら作りやすそうな天井ではないですか」

 その後は早かった。刑事さん達が私たちの部屋を探す前にお姉ちゃんが自首したのだ。

 立ち去り際、男の人がわたしに視線を送ってくる。鋭い眼光に暗い笑みを浮かべて。

 同類を見つけて喜んでいるのだろう。「また呼んでくれるのだろう?」と、確信に満ちた期待の顔だった。

 いいでしょう。その挑発受けてあげようじゃない。

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六枚本格推理小説 石谷 弘 @Sekiya

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