第40話 聖職者殺しの熱

 その不吉な予感は的中した──


「プリーシア、しっかり!」


 僕は馬車の荷台の中央に横たわる少女の手を取って声をかける。

 《大運河だいうんが》を越えてから二日目の夜──子供たちの中での最年長、といっても十四歳のプリーシアが、突然高熱を発して倒れてしまったのだ。


「とにかく、熱を冷まさないとです」

「わかった、さっき通ってきたところに小川があったから水んでくる」


 フロースがプリーシアの衣服を緩めて呼吸を楽にさせ、フォルティスが木桶きおけを持って荷台から飛び降りた。

 ディムナーテが静かに呟く。


「……ここまで強行軍きょうこうぐんだったから……無理もないです……」


 彼女の言う通りだった。

 正直、南領なんりょうでの道程みちのりが上手く行きすぎていて、僕自身、少し甘く見ていたツケが来たのかもしれない。旅程短縮を優先して、野営の回数が増えたことも子供たちの身体に負担をかけてしまっていた。


「だめ、《神聖術しんせいじゅつ》がきかない」


 プリーシアを《神聖術》の回復魔法でいやそうとしていた、サーミィとオーヴィが泣きそうな顔を僕に向けてくる。

 子供たちの中で、一番神聖術けているのはプリーシアだったが、サーミィとオーヴィも彼女の元で一人前に近い信仰力しんこうりょくつちかっている。そんなふたりの力が効果を生み出さない、となると──


「──まさか、《聖職者殺せいしょくしゃごろしの熱》か!?」


 自らも《水霊術すいれいじゅつ》の回復術を使ったフェンナーテが焦りの声を上げる。

 《聖職者殺しの熱》──それは原因不明の高熱が続く病気で、稀に《神聖術》の使い手が発症する。特徴として挙げられるのが、《神聖術》や《精霊術せいれいじゅつ》などの魔法的な治療を一切受け付けないという点で、結果、高確率で死に至ってしまうという特殊な病だ。


「くそっ、あたいの《水霊術》の回復魔法も、ディムの《地霊術》も効かないとなると本格的にヤバいぞ」

「本当に《聖職者殺しの熱》だったら──」


 僕は言葉に詰まってしまった。

 本当にプリーシアが《聖職者殺しの熱》を発症しているのだったら、それ相応の規模の《神聖神殿しんせいしんでん》に運び込んで治療を依頼するしかない。だが、治療可能な神殿は数が限られている。


「頼れるとしたら《王都おうとトルネリア》の《神聖大神殿しんせいだいしんでん》、あとは北領の中心都市レナンディと大運河の東端の《オリエンテルプレ》の《神聖神殿》か……」


 子供たちの悲愴ひそうな視線を感じながら、僕は必死に考える。

 《王都トルネリア》は《革命軍かくめいぐん》の本拠地だ。今は停戦協約ていせんきょうやくを結んでいるとはいえ、敵であることには変わりはない。そんな敵の本拠地に飛び込むのは自殺行為に等しい。


「と、言うことは。このまま北上して《レナンディ》を目指すか、少し戻ることになるけど東の《オリエンテルプレ》に向かうか……」


 少しだけ考えた後、僕は決断した。


「《オリエンテルプレ》に戻ろう。距離的に《レナンディ》より近いし、今は一刻いっこく猶予ゆうよもない」

「うん、わかった」


 フラーシャが力強く頷き、双子の弟フランも、安心させようと気を落としているサーミィとオーヴィの頭を撫でてやってた。

 子供たちのうち、最年長のエクウスが人質として不在となり、次いで年長となったプリーシアが病に倒れた。順番的に今度はフラーシャとフランの双子姉弟きょうだいが年長となり、その意識が芽生めばえたのかもしれない。


「おう、水んできたぜ!」


 ちょうど、そこへフォルティスも戻ってきたこともあり、僕は御者席ぎょしゃせきに座ったマースベルとティグリスに馬車を動かすように頼む。

 目指すのは《大運河》東端──《オリエンテルプレ》、《革命軍》に押さえられた港湾商業都市こうわんしょうぎょうとしである。


 ○


 《大運河》東の入口──《オリエンテルプレ》。

 《ディアリエンテ大内海だいないかい》を通じて、《ティールデオルム大陸》の中央部にまで繋がる商業航路しょうぎょうこうろが集中する、一大貿易都市ぼうえきとしである。

 《革命軍》と《王国軍》の内戦の結果、抑圧的よくあつてきな《革命軍》の支配下になってしまったため、経済活動は下火になってしまっているが、それでも動く人、モノ、金の量は、《トルーナ王国》内屈指くっしの規模だった。


「遥か東方から仕入れた珍しい香辛料こうしんりょうだよ!」

「滅多に手に入らない《宝石細工ほうせきざいく》と《彩香木さいこうぼく》がたった今入荷したよ! コレを逃したら、しばらくは手に入らないよ!」

「そこの坊ちゃんたち、果物の砂糖漬けはどうだい!」


 内戦下にあるとは思えないような賑わいに、僕らはさすがに面食らった。

 戦火による南領なんりょう窮乏きゅうぼうぶりを見てきただけに、複雑な思いが心にわだかまる。

 だが、今は余計なことを考えている暇はない。普段なら食べ物の誘惑に負けてしまう年少組も、必死の形相でプリーシアの看護にあたっているし、僕は躊躇ためらわず《神聖神殿》へ直行することにする。


「《神聖神殿》なら、ほら、あそこの高台にある大きな建物がそうさ」


 そう言って、指さす果物商人に僕は素直に礼を言って、リンゴやイチジクを子供たちの人数分購入した。

 《オリエンテルプレ》は《王都トルネリア》と同じように《大運河》を挟んで、北側と南側に街区がそれぞれ広がっている。

 幸いなことに、目的地である《神聖神殿》は北街区にあったので、南への渡し船を探す必要は無くなった。

 それだけでも、時間は大幅に短縮できる。

 ホッと安堵のため息を漏らす僕に、果物商人が憐れみの表情を見せる。


「病人でも運んでいるのかい? もし、そうなら、アンタたち運が良かったよ。今、《神聖神殿》には《黒髪くろかみ聖女せいじょ》さまがいらっしゃってるんだ。どんな病気でも診てくれるし、安心していいよ」

「《黒髪の聖女》……?」

「ああ、《黒髪の聖女》アンジェラ・カリタスさま──高位の《神聖術》だけじゃなく、医術全般に通じた慈愛に満ちた巫女さまだよ」


 その名前に、僕はなにか引っかかるものを感じた。

 だが、今は止まっているワケにはいかない。


「ありがと、とにかく神殿に行ってみるよ」


 僕はもう一度礼を言って、馬車へと戻り、御者席のマースベルたちに行き先を指示した。


「プリーシア、もう少しで治してあげられるから、あとちょっとだけ頑張って」


 その僕の言葉に少女は力ない笑みを浮かべてみせた。

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