味覚オンチな俺の隣に越してきた料理下手女子の料理をホメたら、ヤンデレ女子に変わっちゃったので毎日いちゃつきます!!
サイトウ純蒼
1.絶望的な味覚障害のオレ
「美味しいですね、
「え、ええ……」
決して美人ではないが愛嬌のある魅力的な女性。この人と一緒になれればきっといい家庭が作れるだろうと思った。だけど……
お洒落な洋食レストラン。正司はその女性と他愛のない会話を続けた。
「また、ダメだったんですか……?」
「はい、すみません」
橘
結婚相談所。正司がここに登録をしてもうずいぶんと時間が経つ。31歳独身の正司。顔も性格も年収もすべてが普通。逆に正司のような普通な男性は意外と求める女性も多く、すぐに相手が決まることが多い。
ただ彼の場合は唯一、普通じゃない点が成婚の壁となっていた。
「また食事が合わなかったんですか?」
「はい……」
正司が唯一他の人と違う点、それは彼が極度の『味覚障害』を持っていることであった。どれだけ美味しいと言われるレストランでもコンビニの弁当でも、彼にとってそれらはクソ不味い食べ物でしかなかった。
先天性味覚障害と診断されたのが彼がまだ物心つく前。幼い頃から様々な治療を試みたが結局何ひとつ改善することはなかった。
「またお料理が好きな方がいらっしゃったらお声かけますね」
「はい、ありがとうございます……」
カウンセラーは笑顔で言ったが、内心では目の前の人間に合う女性などいないだろうとすでに諦めていた。
「はあ……」
アパートに帰った正司はひとりテーブルに置かれた水を飲んでため息をついた。
そもそも結婚がしたいとはそう思っていない。自分のような味覚崩壊した人間と、一生涯上手くやっていける女性などいるとは思っていなかった。31年この体と付き合って来た自分ですら、一体毎日何を食べたらいいのか分からない。
結婚相談所に申し込んだのも田舎の両親から『孫が見たい』と言った話が出て来るようになったからだ。無論、その両親も正司の結婚が簡単でないことは理解している。
ごくごくごく……
水。味覚崩壊した正司が唯一、味を感じずに飲める飲み物。
水を飲んだ正司はテーブルの上に置かれた食パンをそのままかじる。
(不味い……)
焼きもしない。ジャムもバターもつけないそのままの食パン。生きるために必要だから食べるが、口の中に広がる下水溝のような味覚に吐き気を催す。
(次は野菜か)
そして今度はスーパーで買って来た生の野菜、キャベツとニンジンを同じくそのままかじる。
ガリッ、むしゃむしゃ……
今度は腐敗臭のような味がする。慣れたとはいえ決して楽しいものではない。その後医師から指定された栄養サプリを水と一緒に飲み込む。
(はあ、不味かったよなあ、あの料理……)
正司は先日紹介された女性とレストランで食べた料理を思い出し、この生キャベツよりも更に不味かったそれが頭に浮かび再び吐き気を催した。
「正司君ーーっ、今日たまご焼き作りに行ってあげようか?」
正司が勤める会社は中堅で、大企業とまではいかないがこの不況の時期にしては堅調に売り上げを伸ばす優良企業であった。
味覚障害を除けば正司はいたって普通の男。仕事も普通程度にはこなしている。
「そうだなあ、久しぶりに食べたいかな。今日は飲み会ないの?」
正司が答えた相手、同じ営業部の
「うん、今日はないよ。正司君、どうせまた生野菜ばっかでしょ? 作ってあげるよ、みこが」
「あ、ありがとう」
そしてこの美崎みこが作るたまご焼き。それが正司が生きて来て唯一、嫌悪感なく食べられる料理であった。
味覚障害があると知りながら付き合ったみこ。料理好きなので正司に様々なものを作って食べさせたがことごとく失敗。結局、たまご焼きしか食べて貰えずふたりは別れることになった。
それでもみこは正司と仲が良く、時々彼の部屋に行ってたまご焼きを作ってあげたりしている。
「ひゃ~、きったない部屋~!! くっさいし!!」
仕事の帰り正司の安アパートにやって来たみこが部屋に入った瞬間鼻をつまんで笑って言った。正司が言う。
「男のひとり暮らしなんてこんなもんだろ。って言うかお前、知ってるだろ」
以前付き合ったことのあるふたり。この汚い部屋にみこも何度か遊びに来ている。みこがキッチンに立って言う。
「はいはい。知ってるわよ。元彼女だからね~」
そう言いながらみこはこれまで何度も作ったいつものたまご焼きの準備に取り掛かる。正司がその姿を見ながら思う。
(みこは本当にいい子。でも生涯たまご焼きだけじゃあもたないし、それにやっぱり同じ食事の価値観を持った女性に出会いたい……)
正司は笑顔でたまご焼きを作るみこを見ながらふとそんな希望的妄想を思い描いた。
そしてみこが帰った翌土曜日の朝。正司の人生を変えるドアのチャイムが鳴らされる。
ピンポーン
(ん、誰か来たのかな……?)
よく晴れた朝。少し冷んやりとした気持ちいい朝。まだ布団の中にいた正司はそのチャイムで目覚めた。
ピンポーン
「はい、はい!」
まだ頭が目覚めない正司が慌ててドアに行き覗き穴から来訪者を見つめる。
(え? 女の子!? それにずいぶん若い……)
何かの勧誘かと思いつつもそのあまりにも可愛らしい女性に思わずドアを開く。
「は、はい……」
まだ寝癖がついた正司。頭が冴えぬままその女性を見つめる。
(可愛い……)
真っ白な肌に肩までの清楚な黒髪。大きくてぱっちりとした瞳は自分をしっかりと見つめている。女の子が頭を下げて言った。
「あ、あの……、昨日隣に引っ越して来た
花凛と名乗った女の子は少し恥ずかしそうに下を向いて言った。正司も慌てて頭を下げて言う。
「あ、橘って言います。よろしく……」
あまりの可愛さ、可憐さに思わずどきどきしてしまった正司。それにしても若い。大学生ぐらいか?
「あ、あの、これ。クッキーを焼いたんです。良かったら、その、食べてください……」
花凛はそう言うと青いリボンがついた可愛らしい袋を正司に手渡した。正司が頭を下げてそれを受け取る。
「あ、ありがとう。頂くね」
「さっき焼いたんです! 食べてくださいね……」
花凛はそう目を大きくして言った。
(マジ可愛い……)
正司は何度も頷いてそれに応えた。
(渡辺、花凛ちゃんか……)
部屋に戻った正司は、その可憐で可愛らしい女の子を思い浮かべてひとりにやにやした。自分はもうおっさんだし彼女とどうかなるとは決して思わないけど、時々ごみ捨て等で会えるんじゃないかと思い喜んだ。
「さて……」
そしてテーブルに置かれた彼女の手作りクッキーを見つめる。
(可愛らしんだけど可愛らしんだけど、でもやっぱりこれはな……)
正直そのまま捨てようかと思った。
もちろんクッキーも何度か食べたことはあるが、そのどれもがすべて吐き出すほど不味かった。
「でも、お隣さんなんだし……」
正司は流石にそれは悪いと思い、袋を開け中から茶色のクッキーを取り出す。
「うーん……」
いつもながらどう見たって不味そうにしか見えない。何を食べても美味しくない正司には食べものすべてが不味く見える。
「まあ、食べて見るか……」
正司は左手に水を入れたグラスを持ち、右手でそのクッキーを口に入れる。
サクッ、むしゃむしゃむしゃ……
(えっ!?)
クッキーを食べていた正司が固まる。
「え、何これ……、違う、これ、違うよ……」
震える体。混乱する脳。正司が思う。
(食べられる、食べられる!! 舌が、脳が喜んでいる。……これは、一体何なんだ!?)
生まれて来て初めて感じるその心地良い味覚。初めて知るクッキーの甘い味。食べることを楽しいと思わせ、幸せな気持ちにさせてくれる感情。
――まさか、これが『美味しい』って味覚なのか!?
みこが作ってくれたたまご焼きでも、食べられるだけで決して美味しくはなかった。でもこれは違う。
「美味しい、美味しい、美味しいいいいいい!!!!」
正司は生まれて初めて目の前の食べ物を無我夢中で食べた。
「美味しいよ……、本当に、美味しい……」
知らぬ間に目からは大粒の涙が溢れていた。
食べものへの感謝。生きているという実感。美味しさを知った幸福感。
正司はあっと言う間に袋に入ったクッキーを食べ尽くした。そして幸せを感じながら思った。
(もっと食べたい。このクッキー、もっと食べたいよ……)
正司は流れ落ちる涙を拭いながら空になった袋を見つめた。
正司と花凛の運命的な出会い。
始まりは彼女が焼いた小さなクッキーであった。
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