第86話 泥団子破壊少女

「健きゅん表情硬いわよ!」


「あっ、はい!」


 いざ撮影が始まると、下着姿の女性との絡みに僕の表情は硬くなる。顔は見えないようにするとは言っていたが、表情が硬くなると自然と体も硬くなるらしい。


 ちなみに股間は緊張しすぎてふにゃふにゃだ。ここで女性経験の無さが身に染みる。


 そもそも女性の下着姿を見たことあるのは、母親と幼い頃の香里奈ぐらいだ。


 いくらなんでも体が密着している状況で、困らない童貞はいないだろう。


「くっ、くくく」


「迷惑かけてすみません」


 そんな僕を見て女性が笑っている。


初めて・・・なら仕方ないわ」


 初めてとは撮影についてなのか、女性との絡みについてなのか、どちらのことを言っているのだろうか。


 女性は僕の手を掴むと自然に体に沿わせて、反対の手を握ってきた。


「昔と変わらなくてよかった」


「昔ですか?」


「ええ、斉藤・・健くん」


「えっ……」


 斉藤は母親の旧姓だ。僕の旧姓を知っているのは、香里奈達家族か親戚。そして、再婚する前の過去を知っている人物しかいない。


「もう、まだ誰か思いつかないのね。あなた、私の彼氏・・になりなさいよ!」


 突然の言葉に頭が真っ白になる。彼氏ってあの彼氏だろうか。


「ちょ、お兄ちゃんは私のお兄ちゃんだよ!」


 それに対抗するように香里奈も文句を言っているが耳に入らない。どこかで聞いたことあるセリフに僕の記憶が当時を思い出させる。


 まさかここにあの子がいるとは思いもしないだろう。


「えっ……ひょっとして杏奈さんってあの泥団子破壊の――」


「思い出すところはそこじゃないわよ。もう……本当に変わらないわね」


 さっきまでキリッとしていたモデルとしての杏奈は消え、知っている人物の顔をしていた。幼少期に引越しするまで仲良く遊んでいた幼馴染とも言える 可憐な少女だ。


 杏奈とは両親が再婚する前に、よく遊んでいた少女だった。いつも一人で公園におり、そんな彼女に僕は声をかけたが、見事に泥団子を踏まれて逃げられた。


 数日して今日みたいに"あなた、私の友達になりなさいよ"と声をかけてきたのが、不器用幼少期の杏奈だった。


 僕の記憶の中では"泥団子破壊少女"としての印象が強い。


 毎日泥団子に砂をかけて、頑丈でツルツルな泥団子を作ることにハマっていた当時の僕にとって、一瞬にして壊れた時の儚い記憶は消えることない。


「大事な泥団子を――」


「あの後一緒に作ってあげたからいいでしょ!」


「ははは、そうだったね。懐かしいね」


 僕達は二人で声を上げながら笑った。引っ越しをしたため、幼少期に住んでいた町は今住んでいるところからかなり離れている。


 その時の友達と会えることなんて滅多にないだろう。


「これでも少しずつ有名になってきているから、私に会った時に全く気づかないなんてショックよ」


「ははは。テレビも見ないし、ネットも気にしないからね」


「ひょっとして今も泥団子を極めて――」


「それはない!」


 この年齢で公園で泥団子を作っている高校生がいたら心配されるレベルだろう。流石にそんなことはしていない。


 知り合いだとわかると肩の力がすぐに抜けていく。僕達はどこか幼いあの日に戻ったような気がした。


「二人とももういいわよ」


「えっ?」


 僕は杏奈と話していて撮影だったことを忘れていた。それは杏奈も同じだった。


 僕達は急いで謝るが師匠は笑っていた。撮影を忘れて話したことで中断したのかと思ったが、実際は違った。


「じゃあ、確認するから二人ともこっちにおいで」


 申し訳ない気持ちでいっぱいになった僕は撮ったばかりの写真を見返す。


 そこには屈託のない笑顔で笑う僕と杏奈の姿が映っていた。


「あなた達本当にカップルみたいね」


 その言葉に僕の鼓動はさらに早くなる。今まで生きてきた中でカップルみたいと言われたことがなかった。


 それに誰かと付き合うなんて考えたこともない。


「どう? 本当に私の彼氏にならないかしら?」


 杏奈は僕の手を掴み、真剣な顔でこっちをみていた。


「もう、すぐに誘惑されるんだから。お兄ちゃんは私のなんで渡しませんよ」


 なぜか香里奈と杏奈は歪みあっていた。一方、巻き込まれたくない僕はそのまま師匠に頼み、本来の目的であった撮影をすることにした。

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