『ジェームズ、俺の分まで生きてくれ』
亜未田久志
第1話 デザイナーチャイルド
その死体が見つかったのは何とホワイトハウスの前だった。
聞くところによれば、火災跡を隠すために白く塗られたというらしい我らが政府機関施設の前にて。
その男は死んでいた。白いシャツの胸には血で大きく「7th」と書かれていた。
そして男はあのジェシカ・ローズの護衛だった。それは、そう、つまるところ、俺の前任者だったというわけだ。
*
就任後初の仕事は当人のお迎えだった。
車を走らせる。つい三十分前に支給された車でタイヤもハンドルも全く俺に馴染まない、まぁ、ハッキリ言って使いにくいこの車は、しかし外面だけはとても立派だった。如何にも政府が使っていますよ、といういでたちで、自分のことを特別な存在か何かだと思っているような顔だった。俺の私用車は一週間無傷で過ごせれば運転しなくても教会に行って祈りを捧げるような車なのだが、このお高い車はそんな車の持ち主が運転席に座っているだなんて夢にも思っていないようだった。
政府の顔だから、ということで俺は非常にゆっくりと……ハチさんとお友達になれるんじゃないかってくらい……タイヤを転がして彼女の事務所の前に行った。最年少女性アメリカ上院議員にして人類史上初の「成功例」。デザイナーチャイルド世界一号。ジェシカ・ローズの事務所へ。
まぁ、この話をする前にデザイナーチャイルドっていうのが何かを説明しないといけないよな。
遺伝子工学の技術はこの数十年で驚くべき発展を見せた。その一端に、指数対数的に発展していった人工知能というメカニカルな存在があったことは有名ではあるが、まぁそんなことはどうでもいい。要するに「機械か?」「生体か?」で生体をとった学者たちが必死になって開発した結果がジェシカだった。受精卵になる前、もっと言えば親父の金玉に入っている段階から必要な操作、計測をされて、「なるべくしてなる」子として誕生する。生きたロボット。フラスコの中の子供。それがデザイナーチャイルド。作られた命。
ジェシカは初号機……本当にこんな言われ方するんだぜ……として、まず基礎的な能力の強化が行われた。すなわち体力、知力、精神力、それぞれが一般的な人間の持つそれを僅かに上回るように設計され生まれた。
まぁ、多くの人は俺と同じようなことを考えるだろう。「弄られた生まれた命は不安定だ」。そういう側面は確かにありそうだよな。実際彼女より先に作られたデザイナーチャイルドたちはみんなおふくろの子宮で腐って死んだらしいし、人工生命不安定論はある程度は支持される。そう、ある程度は。
ただジェシカは例外だった。ジェシカは天に恵まれていた。
年齢十に発育するまでおよそ病気というものをやったことがない。人生で初めての病気は教育施設を出た後になった適応障害、それもちょっと腹を下す程度のことだ。知能もずば抜けていた。五歳でMENSAの連中も笑って自分を恥じるような才能を見せつけた。そしてそう、ジェシカの特筆すべき事項はその精神力だった。才能に恵まれても、苦労をしたことがなくても、人を思いやることができる。人の立場に立つことができる。そして自分を苦難から守れる。ストレス耐性がずば抜けている。心の知能指数も高い。そう、平たく言えばジェシカは優しかった。
以降のデザイナーチャイルドたちは皆ジェシカをモデルに作られた。パターンはいくつかあり、ジェシカより生命力を強くするもの、ジェシカより知能を高くするもの、ジェシカより精神面を重要視するもの、色々あった。
そして、そう、俺も何を隠そう……デザイナーチャイルドだった。俺はジェシカより生命力を強くする設計で作られた。
七歳で一般人の二十歳レベルにまで発育する。生殖可能年齢は五歳。数字だけ言うとよちよち歩きだが実際の体は音がするくらいの早さで成長するらしい。そして俺は、年齢十七。一応、「失敗作」で「発育不良」だから少年のような見た目のままだが……中身はえらく歳を取っている。検査を受けたことがあるが一般人で言うところの四十代相当らしい。
ある時期を境に、デザイナーチャイルドたちが量産できる時代が来た。特異点と呼ばれた。俺はその特異点以降の子供だった。まず初めに七人の子供が作られた。映画『荒野の七人』にちなんでそいつらは「7th」と呼ばれた。俺のバージョン1に当たる初号機、「ヴィン」はどんな傷も十二時間以内に治癒するとんでもない個体だったらしい。俺にそこまでの回復力はないが……一応、俺は数値の上では弾丸を二十発受けても死なないことになっている。逆に言うと二十発までしか受けられないのだが、とりあえず一般的な銃のマガジンを空にするくらいは受けきれる(らしい)。
俺の話はいい。ジェシカだ。ジェシカは年齢十二まで育てられ以降はコールドスリープ。そして「7th」が生まれた特異点でようやく目覚めさせられ、人間として生きることを許された。ジェシカはそんなひどい目に遭わされながらもしかし自分のためではなく人のために生きることを決意した。公正な選挙を受け、無事上院議員になると……デザイナーチャイルド保護するための法律を作るべく動き出した。俺が今、こうして定職に就いて人間らしく生活を営めているのも彼女のおかげというわけだ。
話が散らかったな。要するにジェシカは俺たちの始祖にして俺たちの太陽。つまり俺が命を懸けてでも守るべき存在で、俺はそうするべく合衆国政府から送り込まれた人間だった。俺が夕食後のスコッチを我慢して今日の朝に備えたのも、全ては彼女の存在が尊いから。俺はハンドルを回しながら舌打ちをした。雨が降ってきやがった。
雨、と言えば思い出す。
俺は十代に差し掛かった時にフランスに派遣されたことがある。任務で、なのだが、思いのほか仕事が早く終わり、レストランで食事をしようとした。それが雨の日だった。
その時の俺は持ち合わせに不安があったので献立から適当に品を選んで出してもらったのだが……あっちではそういうのをアラカルトと言うらしい。
アラカルト。しかしその言葉はこの合衆国で使うと別の意味になる。
反政府組織アラカルト。これまで何人もの政府要人を暗殺している危険思想集団。俺のいるサービスでも何度もその下っ端どもを検挙したことがある。そしてその、アラカルトが。
犯行声明を出した。冒頭の、ジェシカの護衛を殺した件について。以下だ。
〈不幸はそいつから生まれた。我々は悪魔を許さない〉
「そいつ」がおそらくジェシカを指すであろうことは容易に想像できた。ジェシカはデザイナーチャイルドの始祖にして母、全ての源だ。そしてアラカルトが政府の方針、つまりデザイナーチャイルド保護法案に対しても反抗的であることは間違いない。
かくして俺は、アラカルトからジェシカを守る命を仰せつかった。俺は車を走らせた。雨の中、ただタイヤを転がした。
それはそんな憂鬱な運転の最中に入った連絡だった。俺の担当司令官、モニークからの一方だった。
「ハーバード。もう護衛任務に就いたの?」
「まだだが」
俺が短く答えると、モニークは声を潜めた。
「じゃあ、急いで」
「慌てるなよ」
「急ぎなさい」
「何だってんだよ」
「あなたの隊員番号を使ってジェシカのセキュリティゲートが開けられたわ」
腰の辺りを嫌なものが這った。俺は返した。
「急ぐ」
通信を切った。俺はさっきまでのとろい運転をやめて、目が覚めるようなスピードで車を転がした。
ジェシカの事務所まで、後少しのところだった。
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