第拾陸話 おなまえなあに-弐

「——よし! 皆、書けたかな〜?」


 教室の机の列の間を歩きながら生徒たちの様子を見ていた担任は、そろそろ大丈夫だろうとタイミングを見計らって教壇に戻り、声をかけた。


 生徒たちの手元にある用紙では、鉛筆の文字が並んでいる。

 濃く大きな字で書き、行を全て埋めている子。細く小さい字でぎゅっと詰めて書き、数行空白を残している子。字から少しだけ性格が窺えるようだった。


 はぁ〜い!


 担任の問いかけに生徒たちは元気よく答えた。


「じゃあ、出席番号順に発表して貰おうかな! 最初は…………」


 一方その頃。

 同じ地域内の違う小学校でも、同じように作文の発表の時間が設けられていた。


「窓側の1番前の席の人から、順番にお願いします!」


 どちらの学校も同じく、発表する番になると黒板の前に立ち、後ろの席まで届くように大きな声で作文を読み上げる。



「——次は、学くん!」

「はい!」


 順番が来た少年は席を立って黒板前まで移動し、作文用紙を顔の少し下に持って読み始めた。


「ぼくの名前は、田宮学です」


 少年の父親は、難関大学である○○大学への合格者を毎年何人も輩出する、高い偏差値を誇る進学校の教師をしている。

 父親自身も同大学を卒業したという経歴があった。そこで幅広い学問を学び、「勉強することの素晴らしさを色々な人に教えたい」と考えるようになり、教師を志したという。


『学び続けることで、自分の世界は広がり続ける』


 父親は少年にそう教えた。

 世界が広がると、色々な人と出会えることもある。

 だから私はお前の母さんと出会うことが出来、お前が生まれたんだ。

 

『学。お前の名前は、学ぶことをやめない人間に育つようにと願いを込めたんだ』


「…………ぼくの名前には、お父さんのそういうねがいがこめられているのです!」


 少年はそう締めくくり、一礼して自分の席に戻った。椅子に座るまで、ぱちぱちと皆の小さな手で鳴らされる拍手は止まらなかった。

 担任はにこにこと目を細め、


「素晴らしいですね……! だから、学くんはとっても頭が良いんですね!」


 そう褒め称えた。

 それに続き、教室のあちこちから「学くん、すごいよね!」「いつもテストのてんいいもん〜」と声が上がる。

 少年は照れ臭そうに俯いた。



 ………………だけど、この話には事実とは異なる点がある。少年本人も知らない、彼の両親しか知らない真実が。



 父親の職業、学歴は作文に書かれている通りで間違いはない。

 違うのは、学という名前に込められた願いという重要な部分。本当の願いは、『頭の良い人間になるように』というものだ。

 少年の両親は、彼を高学歴の人間にすることしか考えていない。

 それは何故か。少年が将来進学校、難関大学へと進めば、父親が周りの人間に「自分の教育方法は間違っていない」と証明出来るからである。

 そのようなことはつゆ知らず。少年はテストで良い点を取れば両親に褒められるからと、毎日一生懸命勉強しているのだった。


「…………じゃあ次は心春ちゃん、お願いします!」

「はい」


 前に出てきて、恥ずかしそうにもじもじと視線を泳がせた後、大きく深呼吸をしてから発表を始める。


「わたしの名前は、藤島心春です」


 少女は桜が舞う春に生まれた。

 春。色とりどりの花が視界を彩る、空気が温かくて柔らかい季節。別れと新たな出会いの時期。

 少女の母親は、四季の中で最も春が好きだった。だから、自分の子どもには、『春のように心が温かい子になってほしい』という願いを込めた。


「……そうして、わたしは心春という名前をもらったのです」


 ぱちぱちぱち。

 拍手を背に受けながら少女は席まで戻った。


「確かに、心春ちゃんはすごく優しい子だからね……! そういう意味があったんですねぇ」


 少女は願い通り心が温かく優しい人間となった。

 嫌なことがあっても、嫌と言えないくらいに。


「次は明華ちゃん!」

「はぁい!」


 一際大きく返事をした少女は、背筋を伸ばして堂々と前に出た。


「わたしの名前は、古屋明華です!」


 母親は、少女を妊娠して父親しか知っている人間がいない環境に来ることとなった。

 やはり知り合いがいないのは寂しい。不安に蝕まれる母親を救ったのが父親と、お腹の中にいた少女だったという。

 自分はこの子がいたから頑張ることが出来た。

 自分のように、誰かの寂しさを晴らすことが出来る明るい子になってほしい。

 『その場を明るく出来るような子になりますように』。


「そうおねがいして、わたしは明華というお名前をもらいました!」


 ぱちぱちぱちぱち……。

 生徒たちと一緒に拍手をして、担任がうんうんと頷きながら、


「明華ちゃんがいると、その場がパッと明るくなりますよね。お話も上手だから皆気づいたら笑顔になっていることが多いんじゃないかな?」


 確かに、少女は家でも家族相手に話していると、両親が笑顔になっていることが多い。

 夫婦の間に流れる空気が険悪なものであるために、娘に気を使わせてしまっているということに気がついて、作り笑顔を浮かべるからだ。



「…………じゃあ次、お願いします!」

「はい!」


 少女は用紙を持って黒板の前に立ち、スッと背筋を伸ばして口を開いた。



「わたしの名前は、“ミコト様”につけてもらってないです」



 その言葉に、教室がざわめく。なんで? なんで? と疑問の声が上がった。

 担任は慌てて、「ごく稀にだけど、“ミコト様”に名前を頂かない人もいる」と説明したことで教室は静かになり、皆の前に立つ少女は発表を再開した。


 少女が生まれてから、“ミコト様”のところには顔を出した彼女の両親。しかしそれは“名賜の儀”のためではなく、自分たちで子どもに名前を付けたことを報告するためだった。


「おかあさんとおとうさんがわたしの名前をかんがえてくれているとき、とってもきれいなピンクのお花が目にはいったそうです。——だから、わたしの名前は桃花というそうです」


 少女は両親に、どうして“ミコト様”から名前を頂いていないのかを教えてもらっていない。



『それは、あなたがもう少し大きくなってから』



『名前に「絶対に叶ってしまう願いの重みが込められることの意味」がわかるようになってから、だね』

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