第八話 きっと

 目を覚まして、スマートフォンを手探りで探す。

 

 今日も目覚ましが鳴った気がしなかった。これで3回目くらいな気がするが、やっぱり前日にかけ忘れているのだろうか。何回もやってしまうなんてボケているのか……? と自分自身を疑ってしまう。


 見つけると画面を点けた。薄暗い部屋だから急にパッと明るいものを見ると眩しくて仕方がなく、僕はぎゅっと目を細めた。


 テンテケテントン テンテケテントン


「うわっ……!? …………ったぁ」


 僕が目を開ける前にアラーム音が鳴り、それに驚いてスマートフォンから手を離してしまった。すると、脛の辺りに落ちて小さくゴンという音がした。割と重く頑丈なカバーを付けているので中々に攻撃能力が高い。


 痛がる僕を無視して鳴り続けるアラームをタップして止める。目覚ましよりは、若干早く起きられたらしい。

 

 今日が、だからだろうか。


 夏休みの前日。

 桃花の誕生日。

 今まで通りだったら彼女が自殺してしまう日。

 そして、また前日に巻き戻ってしまう日……。


 そこまで考えて、僕は強く頭を横に振った。

 今度は、きっと大丈夫だ。

 

 学校に行ったら桃花はもう自分の席に着いていて、いつも通り藤島と古屋とお喋りをしている。

 チャイムが鳴るギリギリに学が教室に入って、それに続くように担任も入ってきて朝のホームルーム。

 体育館まで移動して終業式が行われ、校長や教頭、あとは生徒指導係の先生から、夏休みだからといって気を抜いてどうのこうの……という話がされて。

 それで全部終わったら放課後になって、僕と桃花、藤島、古屋、学の5人でカラオケに行って……。


 大丈夫、大丈夫だ。

 放課後に行くって約束したのだから。


 大丈夫だ、と何度も言い聞かせたが、暗い考えがよぎってしまう。


 前だって、そうだった。

 お菓子パーティーをすると約束したのに。

 僕はそこに含まれていないけれど、藤島と古屋とカフェに行くって約束したのに。

 放課後に。

 でも、彼女は朝、飛び降りてしまった。


 冷や汗が背中に滲む。

 手汗も。 

 指先が微かに震えている。

 怖い、また彼女が飛び降りるところを目の前で見るのが。


 僕はなんだか落ち着かなくて、いつもより早く準備を終えて家を出た。

 

 あわよくば、途中で桃花に会わないかと期待をしながら歩く。そうしたら一緒に教室まで行って、藤島たちが来ていたら放課後の予定について話して。チャイムが鳴るまで彼女の側にいられたら、きっともう大丈夫、のはずだ。


 そんなことを考えながら歩いていると、丁度頭に思い描いていた人物の家の前まで来た。

 もう出ているのだろうか。それともまだ準備をしている時間か。彼女がタイミング良く扉を開けて出てくるということはなかった。

 少し待ってみようかな……とも思ったが、周りには同じクラスの生徒が何人か歩いていたし、同じ学校の生徒だけではなくサラリーマンや犬の散歩をしている女性などもいて、足を止めて人の家をじっと見つめている、なんていう状況は中々マズい。そう考えた僕は早足で学校まで向かった。


 汗を拭い、下駄箱で靴を履き替える。

 周りに人がいなかったので桃花のところを確認したが、上履きが置かれていた。つまりまだ来ていないということか。

 

 あれ、と僕は記憶を手繰り寄せる。

 2回目、3回目くらいの今日は、上履きがまだ下駄箱に置かれていたのに彼女は学校にいた。だからまだ登校していないか、休みかと勘違いしていたのだ。

 あのとき、彼女は靴をどうしていたのだったか。

 逆さまになって落ちてきたときは。

 屋上で相対したときは。


 屋上。

 燃える参考書。

 フェンスを登っていく桃花。

 何かに絶望して叫ぶ、その悲痛な声。

 飛び降りてしまう彼女。


 ぞわりと汗が冷えていくような感覚がした。まず教室を、そして屋上を確認してみるしかない。

 僕はまず教室の扉を開けた。何人かクラスメイトがもう来ているからエアコンがついていて、ひんやりとした空気が僕を包んだ。

 自分の席へ向かいながら桃花の席を確認したが、彼女はいない。鞄も置いていないようだった。

 僕は席に荷物を置いて教室を出て、屋上へ行く。


 前と同じように1段飛ばしで階段を上ったから、屋上の扉の前に立ったときには息が切れていた。通学路も早足で来たし、教室に行くまでも階段を1段飛ばししていたから、その疲れが攻撃してきているのだろう。


 ドアノブをひねって重い扉を押して開ける。ひょう、という音がして風が髪を乱した。


 そこには誰もいなかった。

 少しつるつるとした床を踏み締めるキュッ、キュッという音がよく響く。

 キュッ、キュッ、となんだか気の抜ける足音を立ててフェンスの方まで歩いた。向こうには、朝練をしている野球部、サッカー部がいるグラウンドが見える。下校するときによくグラウンドの近くを通るが、そのときに見る彼らはとても迫力がある。しかし今はちょこちょこと小人がたくさん動いているように見えて新鮮だ。


 桃花がこの場所にいないことに一先ず安心し、僕は教室に戻ることにした。

 ポケットに入れていたスマートフォンで時間を確認する。いつの間にかホームルームの10分前になっていた。この時間だと、遅刻しがちな人以外は大体来ているので桃花もきっといるだろう。


 教室の前まで来ると、扉を隔ててややくぐもった話し声がする。女子数人の笑い声、男子が何やら騒ぐ声はわかるが、桃花たちの声は聞こえなかった。


 ガラッと扉を開けると再びひんやりとした空気に包まれる。

 

「……!」


 桃花は、席に座っていた。藤島たちと一緒に喋っている。

 チャイムが鳴っても、担任が入ってきても彼女が立ってどこかへ行く気配はない。終業式のために廊下に列を作っても、人混みに紛れていなくなるということはなかった。


 今までとは、違う。


 僕は心の中で小さくガッツポーズをした。


 今度は、きっと大丈夫だ。

 だから純粋に、放課後のカラオケを楽しもう!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る