第四話 わたしの

 テスト返しが終わった。教室はその結果に賑わっている……、と言うべきか、阿鼻叫喚と言うべきか。とにかくガヤガヤとしている。


「やっべぇ〜俺赤点の」


 以下略。

 彼についてはもういい。


「お前、順位何位だった?」


 そうしつこく聞いてくる学を適当にあしらい、僕は桃花の席に向かった。

 彼女は自分の席で解答用紙と順位表をファイルにしまっているところだった。藤島と古屋は今は一緒にいない。


「桃花」


 そう声を掛けると、彼女はぱっと顔を上げて僕を見た。どうだった? と、目で問いかけてくるのがわかったので無言でVサインを出してみせた。途端に、力が抜けてほっとしたような表情になる。

 テスト期間中、僕たちはほぼ毎日放課後一緒に勉強していた。時には藤島や古屋も一緒になって、桃花にわからないところを教えてもらっていたのだ。ちなみに学は塾に通っているため一緒に勉強したことはない。


「本当にありがとう」

「ううん、私も教えながら頭に入ったし」


 なんでもないことのように桃花は言う。

 こういうとき、例えば学とかに教えてもらったら「もっと俺に感謝した方が良いよ? なんか奢れよ」みたいな反応をされるんだろうな、なんて順位表を見つめながらぶつぶつと何かを呟いている彼を見て思う。いや、逆にその反応が普通で、桃花の方が異端なのだろうか。つまり彼女は聖人、ということか?


「あ、玉置くんも結果良くなってた?」


 2人で軽くテストの振り返りをしていたところに、藤島と古屋がやってきた。

 も、ということは。


「古屋も良くなってたの?」

「私だけじゃなくて、心春も良くなってたよー!」


 桃花先生のおかげだね!

 そう元気良く良い、古屋はえっへんと胸を張った。その様子を後ろから藤島がにこにこと眺めている。


「……でも俺よりは低いよな?」


 どこから湧いてきたのか、いつの間にか学もすぐ近くに立っていた。

 今の発言は桃花以外に向けられたもの。つまり彼は一瞬で3人を敵に回した。本当にそろそろ顰蹙を買うからやめた方が良いと思う。


「なになにー、田宮も桃花ちゃんに勉強教えてほしいって?」

「いやっ、別に俺は……」


 古屋はイラッとするどころか、ニヤニヤして学をからかった。図星なのかどうかはわからないが、彼は途端に目を泳がせてあたふたし始める。


「田宮くんも、……今度、テスト前一緒に勉強会する?」


 桃花がそう聞くと、学はうぐっと喉に何かを詰まらせたような声を出し、「か、考えておく……」と言い残して自分の席へ戻っていった。心なしかさっき現れたときよりも猫背になっている。一体何をしに来たんだ。

 そして学はいそいそと帰る準備を始めた。その様子を見て、僕たちも帰ろうか、と桃花と顔を見合わせた。


 藤島と古屋は部活、学は委員会がある。帰宅部の僕たち2人は彼女たちに「頑張って」と声を掛けて教室を出た。


 エアコンの効いた室内、ぎらぎらと暑い外。その温度差に、少し歩いただけでも汗がぶわっと噴き出す。

 梅雨のじめじめとした絡まりついてくる暑さよりはマシだけれど、夏の暑さはなんだか鋭く肌を刺してくる気がして少し痛い。


 校門の少し手前まで来たところで、活動を開始した吹奏楽部の練習の音が聞こえてきた。まだ合奏とか皆で合わせる時間ではないようで、色々な楽器の音が各々を主張している。藤島と古屋の音もこの中のどこかにいるのだろう。

 

「コンクール、全国行ってほしいなあ」


 桃花がそう呟いた。

 僕たちの学校の吹奏楽部はここ数年、県大会で次の大会には進めない金賞、いわゆるダメ金が続いていた。

 そういえば、と僕はふと思い出した疑問を彼女にぶつけた。


「桃花、中学生のとき吹奏楽部じゃなかったっけ? 高校で入らなかったのって理由あるの?」

「………………。……んー」


 彼女は視線を下に落とし、言葉になりきらない、だけどなんだか意味のある声だけを発して黙った。

 みーんみーんみん

 じわじわじわ

 僕たちの間を埋めるような蝉の鳴き声。


 聞いちゃいけないことを、聞いてしまったのだろうか。


 僕は話を逸らす。


「……あのさ、すごい今更な気がするんだけど……。桃花って、進路どうするの?」


 学と藤島は大学進学。古屋は就職。それは知っている。だけど桃花の進路については聞いたことがなかった。

 彼女は僕の問いに、視線を落としたまま小さく「大学受験する」と言った。


「どこの大学、かって聞いても良い?」

「……○○大学」


 桃花は有名な難関大学の名前を口にした。この辺りから電車で1時間ほどの通学距離だ。


「すごいな……。でも、桃花ならきっと大丈夫だよ。応援してる」


 僕がそう言うと、桃花は勢い良く顔を上げて僕の目を食い入るように見つめてきた。


「本当? 応援してくれる?」


 応援。

 おうえん。お、う、え、ん。

 その言葉だけ、じっくりと確認するように発せられた気がした。


「うん、もちろん」


 本当に決まってる。

 大切な人のことなんだから。


「約束だからね……!」


 まるで懇願するような口調。

 眉根を寄せた困り眉。

 潤んだ瞳の奥に見える、零れ落ちそうな透明。


 切なさそうな声と泣きそうな顔が、焼き付いて離れなかった。

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