第146話 思い巡らす始祖のお姉さま



 シンと静まり返る空間。

 見開かれた瞳には私を映し込み、アイシャは口を開けば閉じてを繰り返す。


 誰もが一言も喋らず、ただ足を付けた大地から振動だけが伝わってくる。

 それは少し離れたところ、障壁越しに見えるアイリスと英雄たちの破壊の衝撃。



 見上げれば首が痛くなるような巨人が島を叩き割り、亀裂の入った大地を怒涛の勢いで海水が呑みこんでいく。すると瞬く間にそれらは凍り付き、一拍も置けば飛び交う鮮血と魔力塊によって砕け散らせた。


 立ち籠る冷気と砂煙の景色の中、アイリスと和服を着た英雄が縦横無尽に駆け回る。



 以前のアイリスであれば、相性の問題も考慮して一人を相手どるのが手一杯だった筈だ。

 しかし、今の彼女を見る限りその表情に苦悶や苦戦の色は見えてこない、どころか真祖に至った自分の限界が見えず笑みすら浮かべている。



(ふふ、楽しそうなアイリスも可愛い~! 思わず私まで嬉しくなっちゃうわ! でもあの様子ならまだ大丈夫そうかな? というより、限界が来るとしたら間違いなくこの島が先ね。……それにしても、よくもまぁこれだけ荒らしたもんだわ。もう少し静かに戦えないのかしら? 英雄は)



 押し黙る二人を前にして、周囲を見渡し呆れるリア。


 斜面などなかった大地が凸凹な地面へと変貌し、焼け焦げた炭は一帯を黒へと染め上げている。

 所々に刻まれた斬撃は島に深い爪痕を残し、数分前に腰かけていた大岩も跡形もなくその姿を消し去っていた。



 始めから"原初の覇気"を使っていれば、ここまで荒れ果てることもなかっただろう。

 しかし、今回に限ってで言うと『使わなかった』のではなく『使えなかった』のである。



 ニヤルトの館でスキルは進化を果たし、ヘスティナ曰くシステムに頼る必要がなくなったリアの一定以上のスキルや固有能力アーツ群。


 使い慣れてるものなら問題はない。

 問題なのは進化したスキルで、まだ制御が完璧じゃないものである。


 "原初の覇気"で言えば、撒き散らしたり一人を除くくらいの制御は簡単だ。

 けれど、二人以上を対象から除こうとすると思った以上に難しかった。



(なりたての練習台としてはこれ以上にない二人だもの。そこに私の覇気が邪魔しちゃったら、アイリスは練習なしで戦場へ立つことになるわ。あの子ならそれでも行けるかもしれない、でも私が心配なのよね。……はぁ、どこかで時間を見つけて馴染ませないと)



 そんな決意を固めたリアの耳に、修祓しゅうふつの巫女の声が聴こえてきた。



「星位六大賢者の灼熱のケイマド、そして百剣のオーレアン。私達四人を同時に相手取って無傷なアンタは、……一体何者なんだい? こんなの、ただの吸血鬼には到底――あ、あんたまさか」


「真祖、じゃないわよ? 真祖はあっちの子、私は違うわ」



 未だ激しい戦闘に身を投じているアイリスを指さし、リアは呆気らかんと答える。

 事実を答えただけに対し、巫女は唖然とした顔で目を点にした。



「……は? え、あの子が真祖の吸血鬼? なっなら、あんたは……あんたは一体なんなんだい!? 真祖を付き従わせる吸血鬼なんてそんなの、そんなのまるでッ!!」



 リアは人差し指をそっと口元に置いて、妖艶に笑う。



「ふふ……貴女、いい勘してるわ♪」


「「っ!?」」



 こんな状況でもなければ、間違いなく誰しもが見惚れてしまうリアの絶世の微笑み。


 しかし、それを至近距離で見た筈の二人は「見惚れる」などというピンク色の感情からは、遠く離れた反応を示した。


 顔色をみるみるうちに蒼白とさせ、まるで信じられないものを見たかのように首を弱々しく左右に振るい始める。 その反応だけ見れば、大人しくて可愛らしい、とてもあの女の駒とは思えない素振りについ許してしまいたくもなった。けれど。



「取り合えず、余計なことはやめましょうか」


「……ぇ」



 巫女が認知する前にその首を刎ね飛ばし、数秒して残った体はゆっくりと地面へ倒れ伏す。

 その瞬間、リアの目に映っていた淡い魔力通路は完全に途絶える。


 巧妙に隠された魔力通路、そしてノーモーションからの遠隔スキル。



(何をしようとしたのか知らないけど、まさかこの状況であっちに強化効果バフをかけるなんてね。アイリスの様子は……うん、大丈夫そうかな?)



 砂煙と冷気が立ち籠り、うっすらとしか見えない障壁越しの景色。

 すると一瞬だけ銀色が通り過ぎ、一拍置いて巨人をノックバックさせてみせた。


 近くで衣類の擦れる音が聴こえ、見れば力の抜けたように地面へ尻餅をついたアイシャ。

 地面へと向けられた目には力がなく、生気のなくした顔でぽつぽつと話し始める。



「……最古の、いえ、真祖オリヴィアを……助けるつもりですか?」


「ええ、本当はもう少し余裕を持ってから、会いに行くつもりだったんだけどね。……アウロディーネが下らない癇癪を起してくれたおかげで、そうもいかなくなったわ」



 ここ数日のことを思い出し、少し皮肉交じりに笑うリア。

 すると数秒前の姿が嘘だったかのように、顔を上げたアイシャがその目に怒気を含ませる。



「か、癇癪など! それに下らなくなどありません! これは全て人類の、ひいては世界の為なんです!! それを貴女がめちゃくちゃにッ」


「世界の為? 果たして本当にそうかしら」


「な、何を言って……」


「魔王という統率者を失ってから、魔族はあっという間に活動領域を狭められたでしょう? 今や世界の端へと追いやられ、人間の中途半端な攻めに手一杯な様子じゃない。そんな彼らが一体どうやって世界を脅かすの?」



 加護持ちや聖神教の連中はことある毎に「人類種の為」と言葉にしていた。

 ならばこの丁度いい機会に、比較的話が通じそうな加護持ちのアイシャに聞いてみたくなった。



「それは……そんなの、魔族があの大陸だけに居るなんて限りません! 現に今もこうして貴女は、ここに立っているじゃないですか! だから完全に根絶やしにしないと、奴らは必ず」


「報復はあるでしょうね。でもそれって何時になるの? そもそも仮に魔族を滅ぼせたところで、世界が良くなる保証なんて何処にもないじゃない。人間同士でも争いは起こるでしょう?」


「そんなこと……、そんなの詭弁です! 我々にはあの御方が、アウロディーネ様が付いてらっしゃいます!! 恩寵を授かる事のできない、創造主に見捨てられたような貴方たち魔族とは違うんですよッ!!!」



 興奮した様子で、絶叫にも近いアイシャの声が響き渡る。

 肩で息を繰り返し、睨みつけるように見上げてくるその瞳。



「っ!?」



 目があった瞬間、アイシャはまるで我に返ったように肩をビクリと跳ねさせ、徐々にその視線を地面へと逸らしていく。

 遠く離れた所から爆音が鳴り響き、そこそこに煩いはずの空間ではやけにアイシャの小さな吐息が聴こえてくる。



(創造主に見捨てられた、ね。……私は十分にその恩寵とやらを授かってるから構わないけど、魔族アイリス獣人セレネ達がそう言われてると思うと不愉快ね)



 地面へ座り込むアイシャの前でこれ見よがしに炎剣を解き、その炎を徐々に消失させていく。

 すると無意識にか、見るからに肩を落とし安堵し始めるアイシャ。


 リアはもう片方に持った血剣で認識する暇もなく、その首を無造作に斬り飛ばした。

 鮮血が頬に飛び散り、冷めた目で首のない体が倒れ行く様を見下ろす。



「会話が出来たからもしかしたら、なんて思ったけど。……加護持ちは加護持ちね」



 二つの死体を一瞥するとリアは踵を返して何事もなく、障壁へと歩いて行くのだった。




 そうして荒れ狂う景色が見える障壁前で、リアは血の椅子に腰掛けて頬杖をついていた。

 眼前ではアイリスが血の鎖と氷結を巧みに操り、牧師と和服を着た男と渡り合っている。


 その愉快そうな妹の様子に無意識に頬を緩めるが、リアの思考は別のところにあった。



 ――創造主に見捨てられた



 アイシャの放った言葉がこびり付いたように妙に頭から離れない。


 実際にヘスティナと出会い、二度も会ってキスまでしたリアからすれば失笑ものの戯言。

 けれど、それが彼女達ならどうだろうと思い巡らせてしまう。


 例え元が人間だったとしても、その生の大半を吸血鬼として過ごしてきたアイリスやレーテ。

 彼女達もヘスティナの存在を知るまでは一度くらい、アイシャの口にした事を脳裏に過らせたこともあるんじゃないだろうか?



 『自分達は創造主に見捨てられ、選ばれた人類種に淘汰されていくだけの存在』だと。



 これは勝手な私の想像に過ぎない。

 けれど一度そう考えてしまうと、何ともやるせない気持ちが胸の底から湧き上がってくる。



 私は前世リアルの両親を思い出せない。それはヘスティナが記憶に蓋をしているから。

 でも、それに困ったことはないし、今も思い出せなくて構わないとすら思っている。



 何故ならそれは、私の傍には愛する恋人達が居て、待ち望んでいたクラメンとももう直ぐ再会できると知っているから。それに創造主のヘスティナとも出会い、あの心地良さに触れ、母のような安心感で心は十分に満たされている。


 もちろん全部が全部そうではない。吸血鬼になったことで感性が変わったのもあるかもしれない。

 あの出会いが無ければ、いつかは自分の記憶が気になりだし、歯痒さに悩まされた可能性もある。



(私の思い過ごしなら別に良いの。でも今は、無性にあの子達を抱き締めたいわ。それにオリヴィアちゃん。……顔も姿も、ましてや会ったことすらない彼女だけど、少し心配ね)



 世界に唯一知られている創造主が、自分を殺す為に神託を下して英雄を集めたと知ったら。

 孤軍奮闘している彼女はどう感じるだろうか。……笑う? 怒る? それとも心を躍らせるかしら?


 彼女が吸血鬼らしく傲慢で豪胆、まさに戦闘狂のような性格なら無用な心配だろう。

 けれど、聞いた限りの彼女はどうもそういう人物には思えなかった。


 どちらかと言えばアイリスが口にした通り、"変わり者"。


 出会ったばかりの格下の吸血鬼アイリスが自身の吸血を拒んだというのに、その行動に叱咤するばかりが、オリヴィアは自身の血を分け与え、尚且つその道まで指し示した。


 魔王が討たれた後の行動もそう。

 力はあるんだから自分だけ逃げるなり隠れるなりして好きに生きればよかったのに、わざわざ大勢の弱者を率いて何年も世界に抗い続けている。



(本当に知れば知るほど魅力的な子ね。……だからこそ、この戦いが終わったら直ぐに――って、そうよ! 今はアイリスが真祖になって記念すべき一戦目じゃない! 私ったら何を呆けて……)



 思いに耽りながらも、視界には収めていたのだ。

 灰銀の髪を宙に靡かせ、荒れ狂う大地に美しく舞うアイリスの姿。


 障壁の先は島が半壊しているんじゃないかと思える程に地面は砕かれ、海水は凍り、血の奔流と岩の巨人が今も激しくせめぎ合っている。


 そんな光景を、まるで無心で垂れ流した映像を見るかのように、姉としてあるまじき行為をしてしまったリア。立てた頬杖はすぐに仕舞う――ことはせず、姿勢を正すだけ正して、その目に焼き付けるかの如く刮目して見ることにした。


 ヘスティナやアイシャの言葉から、まだ時間に余裕はあれど有り余ってる訳ではない。

 それに彼女のいる場所が戦場である以上、何が起こってもおかしくないのもまた事実。



「十分ね。あと十分で勝敗が付かなければ、私も参戦するわ」


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