第63話 始祖、弟と妹ができる
侯爵家の使用人らしき老人と路地裏で出会い、アイリス達の待っているお店へと戻ってきたリア。
そんなリアの目の前で繰り広げられた光景。
(どうしてこうなったの?)
「フーッ、フーッ……!」
ルゥは興奮して鼻息を荒げてイスから立ち上がり、威嚇されている本人は然して気にした様子を見せず、爪の手入れを行っている。
数分で事を終わらせたからか、幸いにして料理はまだ来ていないようだった。
もしかしたら、レーテが調整して気を利かせてくれたのかもしれない、と考えたリア。
本来のアイリスであれば、自分に楯突いたルゥを殺していても可笑しくないこの状況。
それでもそうならなかったのは、彼女がリアとの約束を守ってくれているとからだろう。
あまり心配はしていなかったが実際に見てみるとこんな状況でも、嬉しい気持ちが湧き起こり、思わず口元を緩めそうになってしまう。
だってそれは、アイリスが本来の自分を曲げてまでリアとの約束に重きを置いている、ということなのだから。
「レーテ」
「はい、リア様」
視線と名前だけでレーテは席を立ち上がり、リアへと自然な動きで寄ってくる。
事の経緯を聞くだけの筈が、気のせいでなければレーテとの距離が異様に近く感じたリア。
表面上、通常通りに見えなくもないが、何処か妖艶な雰囲気を漂わせ、切れ長の瞳は微かに憂いを帯びているようにも見える。
(ん? 私が居ない間に何が……、でも可愛いからヨシ)
あまり見せないレーテのさり気ない甘え方に、内心で可愛いが溢れ出し頬を緩めそうになる。
「リア様が席を立たれ、少しのことです」
耳元で囁かれるくぐもった生々しい声音。
そして、肩や腕に押し当てられた胸や体の心地の良い感触と暖かい体温。
今すぐに食べたいという欲求が湧いてくるも事態が事態だけに、軽く抱き寄せるだけに留めて耳を傾けたのだった。
アイリスが最も敬愛するリアが席を外し、今では自分とお姉さまの二人のモノであるレーテが注文を済ませるのが横目に見える。
そうして手持ち無沙汰になってしまったアイリスは何となく、目の前の獣人の子供へと視線を向けた。
"みすぼらしい"
それが体を洗い、敬愛するリアお姉さまが口元を負傷させながらも治療してみせた、目の前の兄妹へ抱いたアイリスの率直な感想。
お姉さまは目の前の兄妹に対して、「見定めて欲しい」と仰られた。
それが何を意味するのか。
有益な情報を持っているわけでも、伝手やコネがわるわけでもない。
ましてや実力は明らかに虫レベルで、とてもじゃないが何かの役に立ちそうには見えなかった。
アイリスから言わせれば脆弱な生命体であり、始末しようと思えばいつでも実行できるそんな存在。
未だ観察は続けているが、これといって特別なものは何も感じれない。
(まぁ、見てくれは確かにお姉さま好みではありそうだけど、……それだけ)
そう思いながらリアが可愛がる少女へと、赤い瞳で無遠慮に視線を向け続けたアイリス。
そんな彼女の視線に気づいたのか、確かセレネといった少女はわかりやすく身体を跳ねさせ、肩を縮めるようにして視線を逸らした。
(可愛い、ね。 見ただけでああも震えて、……お姉さまはこういった、脆弱な少女が好みなのかしら?)
ジッと見詰めるアイリスは内心で微かに、ちりちりと胸の内を焼き続けるような嫉妬と羨望の感情を感じながらも、努めて冷静に見定めようと燻ぶる炎を抑え込む。
すると煩いもう一人の虫が生意気にも割って入り、騒ぎ始めた。
「おいっ! セレネを虐めるな!!」
この虫は何を言っているのかしら。 虐める?
虐めるというのは圧倒的強者が格下を弄び、飽きるまで何時までも、泣いて懇願しようが慈悲を請うが、飼い殺し続けることを指す言葉。
だからこれは、虐めではないわ。
「虐めてない」
「でも、セレネは怖がってるッ!」
怖がってるから何だというの? 手は出していないし、私はただ見詰めているだけ。
本来であればすぐさま黙らせるのだけど、お姉さまとの約束ですもの。
いや、虫如きに真面目に取り合う必要もないですわね。
「観察してるわけですわ。 貴方、本当の虐めるというのをご存じない?」
「っ、……し、知ってるぞ。 だ、だからッ、怖がらせるな!!」
「……勝手に怖がってるだけじゃない?」
本当に知ってるのかしら?
知ってたら『虐める』なんて言葉、出る筈ないのだけど……。
「もし、何かしたら……許さないぞ」
精一杯に虚勢を張る姿。
少し叩けば命を散らす脆弱な虫の分際で分不相応にも、この上位吸血鬼である
許さない? 許さなければどうなるのか、是非聞かせて頂きたいですわ。
「許さない、ね。 どうするんですの?」
「っ……」
殺気すら込めていない視線に煩い虫は黙り込み、歯を食いしばって一瞬見えた悔しがった顔を落とす。
その姿勢と今の状況が、本来の虫と私の立ち位置。
(っとと、
「貴方、早死にしそうですわね」
あろうことか、敬愛して止まないリアとの約束を忘れかけ、慌ててこれまでの思考と感情を打ち切るアイリス。
つい熱くなってしまった感情を冷ますように吐息を漏らし、やりすぎてしまってないか不安になったアイリスは彼女なりの謝罪を込めて、助言を口にしてあげた。
「……なんだとっ!」
またも大声で喚き散らす存在に再び眉を顰めるアイリス。
どうやら、目の前の子供にはその意味は通じなかったようだ。
そう思い、まともに相手をするだけ無駄だと感じたアイリスは、早々にリアが戻ってくるまで黙ってることに決めたのだった。
レーテの身体を堪能しながら事の顛末を聞いたリア。
(なるほど、アイリスの目にルゥが敏感に反応しちゃったのか。 確かにセレネが怯えちゃったのは彼女が悪いと言えなくはないけど、見てただけって話だしなぁ。 ルゥはルゥで妹の為とはいえ、無茶しすぎよ……)
取りあえずはルゥを落ち着かせ、今も視線を落として震えるセレネに、怯える必要はないと言い聞かせながら優しく抱き締めて介抱する。
「どう、わかりそう?」
セレネを撫でながらバツの悪そうな表情を浮かべ、まるで叱られた犬のような瞳を向けてくるアイリス。
「まだ、よくわかりませんわ」
「そう……私も推測の域を出ないから、一緒ね。 私が感じたもの、それを抜きにしても、出会った頃の貴方に近しいのを感じたから。 答えは、そう難しいものじゃないのかもしれないわ」
何かしらの
そんなことを考えているとテーブルの仕切り越しに、女性店員の控えめな声が聴こえてきた。
注文した物が届き、長方形の広いテーブルを料理が埋め尽くす。
食しながら今一度、リアが先導して自己紹介することにした。
先日は何処からかセレネが寝てしまい、レーテも不在だったからだ。
以降は、二人を拾ってここまで連れてきた経緯を、子供でもわかるよう噛み砕いて説明した。
リアとしてはセレネは言わずもがな、母性が溢れ護ってあげたくなる程に気に入っており、ルゥに関しても生意気ながらに評価できる部分は確かにあると思っている。
それに何より、引き寄せられる
何が言いたいのか。
それはつまり、今後も二人の面倒を見てあげたいと思っているということ。
しかしこれはリアの意見であり、一応は二人の意見も聞くべきだろうと考えた。
「貴方たちの故郷、家族や親が居るなら送るぐらいはするけど。 どうしたい?」
成り行きで連れてきてしまったが、親元や故郷があるなら送り届けるくらいは責任を果たすつもりでいたリア。
しかし、リアが『親』という単語を口にした瞬間、反応を示したセレネ。
次いで身体をビクつかせたルゥは、やがてぽつぽつと口を開いていった。
「俺たちの村は……もうない。 人間達に、燃やされたんだ。 ……っ、父ちゃんと、母ちゃんもッ」
食べる手を止め、俯きながら話すルゥは記憶を辿っていく内に両親の顔を思い浮かべたのだろう。
言葉を発する毎に悔しさとやるせなさ露わにしていき、やがてぽたぽたと料理に涙をこぼし始めた。
場が静まりかえった空間で、平然とお嬢様然とした様子で上品に食を進めているアイリス。
そんな子を他所に、途端に
LFOでは獣人と人間は不仲ではなく、例外的な種族は居たが、全種族がそれなりの関係を保っていた。
しかしこの世界の人間は聖王国も含め、リアが言えたことでもないが思考や価値観が偏り過ぎている。
「では、同行された方がよろしいのではないでしょうか?」
「レーテ?」
感情の読めない表情でルゥとセレネを見詰め、最後に確認するようにリアへとその美貌を向けてくるレーテ。
突然の言葉に黙々と食べていたアイリスがその手を止め、その表情に疑問を浮かべていた。
「お二人の現状。 ここでリア様の庇護下を抜けた場合、確実に明るい未来はないでしょう。 他国に比べて比較的獣人が過ごしやすいこの国であっても、何の後ろ盾もない子供が過ごせるほど、今のこの世界は優しくありません」
「……そうね」
連れてきた以上面倒は見るつもりだったし、既に手放すつもりはない程に二人を気に入っているのもまた事実。
それでも、突然のレーテの言葉には内心で驚きながらも、彼女の過去から何かしら感じるものがあるのかと納得するリア。
「ルゥ、セレネ、貴方たちはどうしたい?」
リアは隣の、すっかり食べる手が止まってしまった二人へと問いかける。
「……え」
「……っ、ぁ」
突然の質問に表情どころか、体まで硬直させてしまったルゥとセレネ。
セレネには少し難しいかもしれないが、リアはなぁなぁで済ませるより、自分の意志で選ばせて来て貰った方が心置きなく自分のモノに出来ると考えていた。
「私には力とお金、そして二人の頼りになる同族がいる。 ……種族上、敵は絶えない程いるわけだけど、それでも一緒に来たい? それとも、二人だけで生きていく?」
少しズルい言い方だが、リアだって連れていきたいのだ。
選択肢なんてあってない様なものだが、これも教育の一環だと都合のいい考えで内心結論づけたリア。
これからの人生の決断であり、少しくらい考えるかな、なんて思っていたがそうでもないらしい。
「……たい、っ、……行きたい、お姉ちゃんとっ」
「お、俺も行きたい! 俺、弱いけど……強くなるからっ! ちゃんと鍛錬して、誰にもセレネを虐めさせないよう強くなるからっ、だから」
始めて、はっきりとしたセレネの言葉に思わず目を見張ってしまうリア。
そして続くルゥの意志に満足すると、思い出したように口元を緩め妖艶な微笑みを向ける。
「私が鍛えてあげるわ、ルゥ」
「リア姉が……?」
(リア姉? 一人っ子だった筈だから、なんだか呼ばれ慣れない言葉ね。 でもセレネが妹ならルゥは弟……ふふ、悪くないわ)
ルゥはまだ状況が呑み込めていない様だったが、リアの提案にぽかんと口を開け、徐々にその意味を理解していくと満面の笑みを浮かべだす。
「こう見えて、剣はそれなりに得意なのよ?」
リアは自信ありげに胸を張って手を当てると、
(ふふっ、装備やスキルの性能はあれど、
「幾重にも強化効果が重ねられた剣聖を軽くいなし、聖王国を崩壊一歩手前まで壊したリア様が"それなり"なら、この世界に剣を扱える者は居ません」
「それって、……凄いのか?」
「少なくとも、この世界でそれを行える可能性がある者は片手で数える程も居ませんよ」
ルゥはいまいちレーテの話しがわからなかった様だが、"世界"という大きな規模で例えた瞬間、その目を輝かせる。
目の前で手放しに褒められると流石に恥ずかしくなってくるリアは、努めてスルーして何故かルゥの様に瞳をキラキラと輝かせているアイリスへと目を向けた。
「アイリス、セレネに魔法を教えてあげれないかしら?」
「私が……ですの?」
その反応と表情から、「何故自分が?」とありありと見て取れるが、リアから言わせればアイリス以上に適任を知らない。
(この世界の魔法の習得、というよりスキルや固有能力の習得方法ってよくわからないし。 正直あまり興味なかったわけだけど、教えるとなれば最高の師が居た方がセレネの将来にも役立つはず)
しかしこれらはリアだけの話しであり、その事を知らないアイリスは疑問の表情を浮かべて口を開いた。
「ですがお姉さまの魔法に比べれば、私の魔法など……」
「そうでもないわ。 私が扱える属性魔法は火系統のみ。 普段使いは血統魔法だから貴方にお願いしたのだけど、……ダメかしら?」
少しズルくはあるが、自分の顔でどう魅せれば相手が了承してくれるかを、私は自然と熟知している。
リアは儚げな表情を浮かべ、首を絶妙な角度で傾げると瞳を潤ませてアイリスへと視線を向け続けた。
(アイリスが断るわけない、私の妹はとっても良い子だから受けてくれる筈! 可愛い妹が可愛い妹に手取り足取り指導する光景……うん、とても良い!)
欲望ダダ漏れのお願いではあったが、妹の為というのもまた事実。
幸いにして、可愛い妹は頬を赤らめて視線をリアへと釘付けにしながら、何度も頷いてくれた。
「っ、……お姉さまがそう仰られるのであれば、このアイリス・グラキエス・ノーラ。 彼女を、
アイリスの了承に、内心で胸を撫でおろす。
「吸血鬼は光系統と火系統魔法の習得は、不可能な筈」
近くでレーテの呟く声が聴こえた気がしたが、今はアイリスがセレネの師になってくれることに夢中で嬉しくなり、あまり聞いていなかった。
「ええ、期待してる。 それとセレネだけど多分、面白いもの持ってると思うから。 そこもよろしくね?」
リアの意味深な言葉に、再びその表情に疑問を浮かべるアイリス。
しかしリアとて確信はなく、拾った時やそれ以降のスキンシップで、もしやと思っただけのこと。
その部分も含めてアイリスにはセレネと仲良くなって欲しいものである。
二人の今後がとんとん拍子で決まっていき、未来の安全が何となく感じ取った兄妹は止めていた食事を再開し出す。
そうして店を出る時も変わらず注目を浴びるリア。
帰りは闇ギルドへと寄っていくか悩んだが、そんな気分になれなかった為、代わりに道中の正規ギルドへと寄ってから帰ってきた。
クラメンの情報は何も得られなかった。
そうして眠りについた翌朝。
夕方ごろに目が覚めたリアはレーテを連れて、ヴァーミリオン侯爵とやらに指定された建物へと来ていた。
建物は普通の家よりも何倍も大きく、縦にも横にも広がっていることから屋敷かと思われたが、レーテ曰くここは違うらしい。
正面にはセレブの豪邸にありそうな鉄の扉が堂々とその姿を見せ、建物の外周を大きく囲うようにして純白の巨壁が立ち並んでいる。
門兵は2人居り、リアとレーテの姿を見ると何やら話し合い、事前の情報が共有されているのか「少々お待ちください」とだけ伝えられ片方が中へと入っていく。
そうして1分に満たない時間。
先日の路地裏で見た、黒い執事服を着た老人が正門らしき場所から姿を現した。
「お待ちしておりました。 当主様がお待ちでござます、どうぞ中へ」
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