第24話 可愛いと美しい、それは尊い


 大穴から夜の光景を眺めていると、後方から小さな物音が聞こえてくる。



 視線だけを動かし振り向くとアーノルドは唖然とした表情を浮かべ、その見開かれた瞳はリアの全容を見るかのようにジッと定められている。


 視線はそのまま下へと下げられていき、やがて手に持った血剣でピタリッとその目線を止める。



 何か言いたげな表情を浮かべるアーノルド。



 だが、リアからすればある程度実力の知れた、既に興味のない男。


 感謝はしているが、殺さないであげることで借りはチャラだ。

 話すことはないし、話したいこともない。



 そう結論つけリアは大穴から身を投げ出し、地面に着地する間に、遠目に破壊された屋根や本邸の一部が視界に映り込む。


 (あの時の音はあれらかな? ふふ、二人とも頑張ってくれたのね)


 リアは豚の部屋にいた時のけたたましい音を思い出し、それらを引き起こした者たちの奮闘を想像し思わず笑いが溢れてしまう。



 音もなく地面は着地すると早速、アイリスとレーテを探しはじめようとするリア。


 そんな矢先、少し離れた先からアイリスがこちらに向かってくるのが見えた。



 「お姉さま! おかえりなさいませ!」



 駆け寄りながら満面の笑みを浮かべ、リアが聞きたかった言葉を口にしてくれるアイリス。


 その言葉によって、リアの疲弊していた心はまるで浄化されるように重みを消していくのを感じた。



 手を伸ばせば届く距離になってもその走りをやめる気配が見えないアイリス。


 その意図を察し両腕を広げると、やがてぱふっと乾いた音が鳴り、全身に暖かい体温とどこか安心できるいい匂いに包み込まれた。



 「あ、ふふっ。 情報は得られましたの?」


 「ただいま、アイリス。 残念だけど、今回は外れだったわ」



 胸元に顔を埋めるアイリスの腰に手を回し、包み込んで伝わってくる確かな存在を感じながら、耳元で囁く。


 「んっ、……そうですか。 で、ですがまだまだチャンスはありますわ。 わたくしも微力ながら、お手伝いさせていただきます」


 (あら、耳に近づけすぎちゃったかしら)


 アイリスはビクンッと体を跳ねさせ、胸の中でもぞもぞと体を動かすとリアを元気づけようと労いの言葉を口にしながら可愛い笑みを浮かべた。



 (あぁぁぁ、癒されるぅぅ。 これだよこれ。 あのオークは――もう忘れよう。 やっぱり可愛い子しか勝たん! もっとイチャイチャしたいけど、先に面倒なことを終わらせてからかな。 はぁ……すんすん、いい匂い~)



 アイリスと抱き合い、その存在を堪能していると見知った気配に首元に埋めていた顔を上げる。



 「貴方もおつかれさま。 今の今までやっててくれたの?」


 「はい、Aランク冒険者PTに加え、BランクPTが2つ、それとソロの高ランク冒険者を数名と。 どうやらかなりの数、警備と護衛を雇っていたようです」



 レーテは淡々と答えると、その視線を微かに主人であるアイリスへと向ける。


 (冒険者? 正規のギルドのことかしら? ああ、でも確かSランクがどうたらとか言ってたわね。 あれ、でも来なかったわよね。 二人がやってくれたのかしら、見てみたかったわSランク)



 会話しながらもアイリスを抱きしめ、可愛い成分を補給していたが、綺麗成分も補給しときたい。



 リアは胸元で鼻をクンクンとし続けているアイリスに「ごめんなさい、また後で」と呟き、今度はレーテに向けて両腕を広げた。



 レーテは変わらず無表情。

 だが、そんなリアの待つ姿勢に足を一歩二歩と進めていき、やがてぽすっと小さな音を鳴らす。


 その体はアイリスとは違って抱きこむ、というよりは抱き合うといった感じで、ほぼ同じ身長であることからも目線や口元は同じラインにくることになる。



 超ド至近距離での美人フェイス。


 切れ長の赤い瞳に形の良い鼻元、月明りに照らされたピンクの唇は光沢を出し、とても美味しそうだ。



 表情も気のせいでなければ先程より和らいでいるように思える――といより、思いたい。


 背中と腰に手を回し、抱き寄せると肩に顎を置くようにして頬をすり合わせる。



 「後処理も任せちゃってごめんね、ありがとう。 腕、どうしたの?」


 アイリスが早く会えて、レーテが遅くに合流できたわけ。


 それは片腕の裾が綺麗に斬れてることや、僅かにメイド服の丈が解れてることから今の今まで頑張っていてくれていたのだろう。



 顔が近く、ほぼ0距離で囁いたことでピクッと極小な体の震えを感知したが、リアはニマニマとした笑みをつくるだけで指摘はしなかった。


 「い、いえ、リア様ほど動いたわけでもありませんので。 腕は、私が未熟なばかりに受けてしまったものですので、お気にならないでください」


 (可愛すぎか? え、どうしたらいいのこの子。 健気だし謙虚だし、私どうしたらいい? 美味しい血たくさんあげるべきかな。 いや、抱き枕にするべきかもしれない。 待てよ、私が抱き枕になるのもありね)



 どれほどの雇われ冒険者が居たかは知らないが、彼女の性格からして恐らく間違いのない報告はしてるだろう。

 だが、同時に要らない情報は省いてるようにも思える。


 それにリアも辛い戦いを強いられはしたが、特段忙しかったかと問われれば、廊下を歩いて、ソファに寛いだりしてるだけでそんなことはなかった。


 だから、そんな謙虚で可愛いレーテを全力で労うことに決めたリア。



 「気にするわ……大事な貴方が、汚れて怪我をした跡を残して帰ってくるんだもん。 本当にありがとう、これからも期待してるわ」



 抱きしめながら額と額をコツンッと合わせるともっと深くまで彼女と繋がりたいと、目を閉じる。


 暗闇の中、彼女の暖かな体温と表情には出さないが微かな疲労、体から漏れ出す魔力は間違いなく減っており、そんなレーテの体温を感じながら頭を優しくなでる。



 「私のことなど、リア様が気にされることでは――いえ、……ありがとうございます」



 少し間そうしていると、わざとらしくもアイリスが不満の唸り声を上げ始めた為、名残惜しくもレーテの体を放すことにした。


 (嫉妬してるアイリスももっと見たいけど、やりすぎちゃうのもそれはそれで可愛そうよね。 板挟みにあっちゃうレーテも大変だろうし)



 それからは気づけば屋敷の門の前にはそれなりの衛兵が溜まっており、深夜の都市内で多少煩くしてしまったことを今更になって気づいたリア。


 辺りを見渡し、人の気配が少ない非正規ルートを使い屋敷を出るとそのまま闇ギルドに向かうことにした。







 「いくらなんでも早すぎる……」



 そう言って頭を抱えながら、俯き気味に呟くグレイ。


 闇ギルドに着くとそれなりに噂になっていたのか、以前のような絡みは一切なく、真っすぐにグレイの執務室へとたどり着くことができた。


 ノックをせずに部屋を入るとラフな恰好をしたグレイがおり、これから就寝に入るとこだったそうだ。


 まあ、そんなこと知らないけど。



 そうして以前に座ったソファにて、今度は左右にアイリスとレーテを座らせ、横並びになった状態で向かい合って報告してる最中だった。



 「商会長の豚と屋敷の人間、見つけた範囲で全員始末したと思うけど失敗かしら」



 そう言いながら足を組み膝に手を置いて、俯き何かを思考するグレイに問うた。

 するとグレイは顔を上げ、「いえ、」と口にすると。



 「どおりで外が騒がしかったわけです。 貴方がそういうのであれば、商会もおよそ回復不可能なレベルでダメージを受けたのでしょう。 情報はまだ出回っていませんが明日にでも、市場の流れは急激に変化が起こるはず」



 膝に肘を置き、口元で指を交差させて話すグレイ。


 正直、市場がどうとかはどっちでもいいし、私からすれば関係のないことだ。

 この国や街がどうなろうと、あくまで一時的に利用してるだけで、これからも点々と移り行くことになる。



 「どれだけ早くても、2,3日は考えていたのですが……報酬は明後日以降でもかまいませんか」


 申し訳なさそうな表情を浮かべ、隠しきれない疲労がありありと見えるグレイ。



 「私が受け取りにきます」

 


 まるでそう言われることがわかっていたかのように、瞬時に名乗りだすレーテ。

 そんな彼女の行動の速さに感心しながら、笑みを向ける。



 「ありがとう、お願いするわ」



 別に自分が取りに来てもいいのだが、レーテがそういうなら任せることにしよう。


 お金は十分にある上、別にお金が欲しくて依頼を受けたんじゃない。 全ては情報のためである。



 「2つ目以降の依頼は近いうちにやっておくわ。 期限とかないわよね?」


 渡された依頼書はあまり覚えてはないが、恐らくなかった筈。


 「ええ、今のところは全て1か月以内にしていただければ問題ありません」



 ギルドマスターグレイがそう言うのだからそうなのだろう。


 そうして早めに報告を終えたリア達は闇ギルド支部を何事もなく出ると帰路についたのだった。



 今の時刻が何時かは知らないが、闇ギルド支部は豚の屋敷からもそれなりに都市内で離れていることから、大通りや広場にも衛兵は一人も見えない。


 見えるのは家がない住民か、よくわからない怪しげな連中だけ。


 そんな目に映る連中を何気なく見ていると突然、腕に柔らかい感触が纏わりついてきたので振り向くリア。



 「えへへっ、お姉さまぁ……」



 天使が居ました。



 そこには可愛らしい表情を浮かべたアイリスが腕を絡ませ、とろんとした赤い瞳を上目遣いで向けてくる姿が映り込む。



 「あら、この可愛い子は誰かしら? あまりそうされると思わず食べちゃいたくなっちゃうわ」


 (可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い……)



 理性を総動員して内と外で急ピッチな絶対的な防波堤を築くリア。


 このままだと可愛いの波に飲まれ、この場で襲ってしまうことになる。

 そうするとわけのわからない辛気臭い連中にアイリスの可愛い姿を晒してしまうことになってしまう。



 (可愛い、けどそれだけはダメ。 可愛い、どうしよう、可愛いわ。 早く宿にいかないと可愛い……)



 せめて、せめて宿までは萎えなければと鋼の理性と精神で、平然を装いながら周囲を見渡し解決案を模索する。



 そして、――見つけた。



 狙いを定めるように視線を向けるは、常に移動をする際は後方に付き従うレーテ。


 彼女は黙って主人とリアの様子を見つめており、その瞳には一見感情が乗ってないようにも見えるが、よく見ると微かに感情や表情が動いていることに気付くことができる。


 ちょいちょい、と付き従うレーテを手招きする。

 そんなリアに不思議そうな雰囲気を醸し出し、それでも素直に近づいて来てくるレーテ。


 そんなレーテの手をそっと取ると徐々に指を絡ませ、腕を組むようにして並んで歩きだすことにするリア。


 これがリアの解決策。


 (可愛いを分散すれば耐えれる筈よ! ……ん、待って? え、ちょっと、そのくすっと嬉しそうに笑うのは反則よレーテ。  ちょ、駄目、そんな……可愛いが溢れてるわ)


 だが、それがいけなかったのかもしれない。


 帰路に入り、高級宿に付くまで何故か甘えモードに入ったアイリスは腕を執拗に絡ませ続けた。


 その姿は、夜の一族でありながら太陽以上に輝いた満面の微笑みを浮かべ、向けてくる瞳はまるで神を見るような、キラキラとした信者を彷彿とさせる目をしているのだった。


 この子はどうしてしまったの?



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