第9話 逢瀬

 その喧騒けんそうを背に、怪盗ソルシエは南口へと降り立った。

 いつもそうするように、お気に入りの物陰に隠れると、長い長いため息をついて呼吸を整えた。


「捕まえた!」

 ソルシエは、突然 ぐいと腕を引っ張られた。


 探偵ちゃんだ。彼女は間髪入れずに、彼の腕を後ろ手にひねると、うつ伏せ向きに地面に押し倒す。


「あなたみたいなおごった自信家は、なかなか自らの行動を変えられないのよ。やっぱり、同じ場所に現れたわね」


「……あーあ。捕まっちゃった」


 その声がしっかり地面に押し付けている目の前の人物からではなく背後から聞こえたので、探偵、新見玲はバッと振り返る。


「なぁんちゃって。忍法、変わり身の術〜」


 玲がつか拘束こうそくしているモノは、いつのまにか燕尾服を着た案山子カカシに変わっていた。ふざけた調子の彼に怒りを覚えながら、玲は立ち上がって怪盗に対峙たいじする。

 すぐに逃げ出すのかと思いきや、怪盗はおとなしくみらみつけられていた。その余裕がまた 玲をイライラさせる。

 さらさらと風になびく金髪、闇夜にあやしく浮かび上がる紅い瞳。それから口元のホクロ。玲は彼の顔をしっかり目に焼き付けようとジッと見つめる。


「君にも、誰にも、俺様を捕まえることはできないよ」

「こうやって会話できるほどには捕まっているんだから、怪盗としてはあなたの負けよ。観念して盗んだものを出しなさい」

「もし仮に『わかった』って言ったら、本当に今、受け取ってくれるの? 雨森くん」

「え、あ、そうか。今日盗んだの雨森くんか。う……うーん……」

「そうそう。女一人で運べないもの渡されても困るだろ?」

「男だからって簡単に運べるものでも……って……! そうじゃなくて!

 誤魔化されるところだったけど、そういう問題じゃないわ! とにかくあなたはまず、逮捕されるべきなのよ。それから、今まで盗んだものを全て持ち主に返してもらう」

「そうだねぇ。考えとくよ」

「そもそも、あなたはどうして盗みを働くの?」

「宝石や美術品には人をきつける魔力がある。俺様も、その魔力に魅了みりょうされてとりこになった一人 というだけのことだよ」

「つまり、やっぱりただのコソ泥ということね?」

「生きるためさ」

人様ひとさまの財産をうばう言い訳にはならないわ」


 玲は、ジリと一歩、慎重に怪盗に近づいた。もう不意はつけないから、真正面から捕まえに行くしかない。


「ところでね。こうやって君とお話ししてるのはすっごく楽しいんだけど……。そろそろ俺様、時間切れなんだよね」

「は? 時間切れ?」

「シンデレラの魔法が夜中の十二時に終わってしまうように、怪盗の魔法も永遠じゃない」

「ただここから逃れたいだけのことに、そんなキザったらしいセリフ……」

「ひそやかな逢瀬おうせは楽しんでもらえたかな? じゃあね。可愛い探偵さん」


 怪盗は臆面もなく玲に近づくと、そっと包み込むように彼女の手を握る。その手が離れると玲の手のひらに残ったのは雨森くんのキーホルダー。

 それに気を取られているうちに ひらひらと手を振りながら、歩き去っていく怪盗。ほんの少し駆ければ簡単に手が届きそうなのに、なぜか足が動かない。


「完全にバカにされてる」


 一度は捕まったフリをして、いつでも逃れられる状況での のらりくらりとした会話。全ては手のひらの上だったのかと思うと、玲は悔しくてたまらなかった。



「──それで、なんでまた裏口からウチに入り込んでるんです? 緑林さん」

 疲れ果てて床で伸びている昴に、喫茶・時間旅行のマスターがため息混じりにたずねる。


「探偵ちゃんとお話しするためにちょっと無理しちゃったからさぁ。駅からギャラリーまで遠いんだよ。徒歩十五分! そりゃあお客もなかなか来ないよね! だから、プレゼントした絵画の分だけ、ちょっとだけかくまって?」

「やはり……あれは受け取ってはいけないものでしたかね?」

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