第9話コモンセンスオブ"ノーマル"ワールド

「いえ、その日は建国記念日の前日ですから、王家は全員別邸にいますよ。戦争が近いので旗主たちの出席は見送られましたし、絶好の日です」


「この4名と国王を殺って、後はテキトーにか。コイツらはを一体何をやらかした?お前にちょっかいでもかけたのか?」


「いえ、腐敗です。もう腐っているので、早めに取り除かないと、国がダメになると思いまして」


「……他人行儀は相変わらず、か。もっとフランクでいいんだぞ?弟だろ」


「そう言ってもらえるのはありがたいです。でも、これが貴族であり領主ですから」


「ふーん、まあいいさ。ちなみに、ティモシーもうちに依頼しているが、そっちを受けた体でいいんだよな?」


「ええ、それがいいでしょう。私は表に出たくないので」


「分かった、あとは任せろ」


「あ、そういえばアリアさんがお会いしたいと言ってましたよ。なんでも、婦人公社にやたら絡んでくる団体がいるとかで」


「俺はケツ持ちじゃねえっての。金払うなら会うって言っといてくれ」


「言いましたよ。それでも伝えといてって煩くて。分かるでしょう?」


「簡単に想像できるよ。気が向いたら行くわ、イヤ、ていうかアイツが俺のとこに来ればいいじゃねえか」


「いつも通り忙しいそうですよ」


「チッ、まあいいや。じゃあ、報告を楽しみにしといてくれ」


「ええ、お待ちしてます」


 マークネイト州にある領主邸の執務室から『変位』したエーは雑木林の中に姿を表した。ガサゴソと斜面を下り見えてきたのは茶色い道を隔ててある、森。

 その中にあっても目立つ邸宅を見てエーはポツリと呟いた。


「ったく、さみいな」




 東部指揮所からやってきたアズガー・テープルは一目散に王の間へと参上した。こういう機微が権力者に好まれる一因だと自覚している彼は、王の間で片膝をついた。


「アズガー・テープル参上いたしました」


「うむ。東部の動きは」


「変わりなく。近頃増えてきた越境者への対策として魔法の網を張り巡らせております」


「よろしい。ああ、テープルよ、一つ頼まれてくれないか」


「何なりと陛下」


「西部の戦力が明らかに不足している。総帥自ら謝罪と具申があってな、落ち着いている東部から激戦となる西部へと所属を変えるが、異論はあるか?」


「ありません陛下。要請があるかと思い、荷物は全て持って参りました」


「そうか、ならば良し。アズガー・テープルよ、西部戦線の騎士団長に任ずる。この戦、必ず勝て」


「ハッ。蹂躙されし我らの領土も取り返してみせましょう」


「良く言った。下がって良い」


 戦事、その中で勝ち気な騎士には特に顔をほころばせる国王は、アズガー・テープルの気持ちの良い返事に心地よくなっていた。戦争の才覚と武の才覚が評判の戦争王イマヌエル・デ・マルカーヴァは、かつて削り取られた領地の奪還に執念を燃やしていた。唯一の黒星となった戦争を自らの代で必ずや取り戻さんと、金と技術を存分に蓄えた末の戦争だけあって、アズガー・テープルの言葉に、更なる期待を見せていた。


 金の英雄アズガー・テープルが下がり、謁見予定のティモシーを待つ頃、場内では異変が起きていた。


「陛下、ティモシー殿下とデズモンド殿下がご一緒に登城されるそうです」


「ティモシーとデスモンドが?ふむ、槍でも降りそうなほど不吉だな」


「は、はあ」


「予定ではティモシーのみの謁見であろう?」


「はい陛下。デズモンド様は如何いたします?」


「警備の問題でどうせ帰されるのだろう。放っておけ。文句を言うようなら私が一筆書く」


「畏まりまして陛下」


 言うやいなや、重たい扉の間をつっかえながらも通り抜け、騎士が駆け足でやってきた。

 宰相の問い掛けに、すぐさま片膝を付き頭を垂れると、半信半疑ながらも事の次第を述べた。


「別邸が襲撃され、リュードル殿下薨去との報告が御座いました」


「何!?」


 騎士が手に持っていた紙切れを掴み取ると、宰相はその場で中身を確認し、青ざめた顔で国王に視線を移した。


「持って参れ」


 宰相から手渡された紙片に目を落としその中身を確認する。


「第5歓会門落つ。封城されたし、か。上げたのは誰だ」


「第5歓会門衛視長に御座います」


「再度確認させよ。宰相よ、皆を集めろ」


 2人は首肯すると走り出した。継承権第5位の王太子が死に、非常時が故に、血族達を城へ集め万全の体制を取れという指示だからだ。





 ティモシーの別邸である、第4歓会門では賓客を持てなす為、侍従たちが忙しなく動いていた。


「アメリさん、今日はどんな方がいらっしゃるのですか?ここに来るなんて相当な変わり者」


「こら、そんなこと言うものじゃありませんよ」


 メイド長アメリは若いメイドの軽口を叱責すると、仕事へ戻るよう促した。

 いつにも増して賑やかなのは、主であるティモシー殿下のご友人がいらっしゃるからである。一部の侍従には伝えてあるが、ただの友人ではない。学友や交友のある貴族などではなく、秘密を共有する暗い友たちである。

 その秘密までは聞かされていないが、エムやエヌ、シーやディー、ティーなどというフザけた仮名かめいと、粗相をすれば簡単に首が飛ぶぞとの脅しが、何よりもいい証拠だろう。そして、とにかく丁重にと強く念を押すお達しがあった。


 貴賓室のロウソクには久しぶりに、明かりが灯り、厨房では料理人がやいのやいのと、総出で準備を行っていた。


 階段から軽い足音が聞こえ、皆が頭を下げたのは、ティモシーの一人息子ロッシーニだった。


「ロッシーニ様、ティモシー殿下の大切なお客様ですから、粗相のないようにお願いします」


 ロッシーニの後ろで、シワを深くする執事の言葉にガクガクと頷き、エントランスホールで久々の来客を心待ちにしていた。


 一通りの支度を整え、後は時間までお客様を待つだけとなった。遅れるのは想定内。ホールで侍従とロッシーニが静かに時をやり過ごしていると、玄関の前に突然6人の人影が姿を現した。


 アメリは驚きのあまり喉から飛び出しそうな声を押し殺し、すぐさま頭を下げた。始めて見た魔法だが、貴族ならば古い魔法をよく知っている。恐らくその類だろうと納得していた。


「おお、何もないところからい、き、なり」


 まずは挨拶からでしょう!そんな思いもつかの間、萎んでいく言葉の勢いに違和感を覚えアメリは顔を少しだけ上げた。

 目の前には学者のような白衣の坊主と、平民の装いをした青年。それから変わった服装の2人に、執事が着るようなシャツとボウタイを締めた青年。

 とにかく変わった集団に目を引かれたのは確かだが、それよりもある人物の有様にアメリは思わず声を漏らした。


「えっ?」


 別邸の主ティモシー殿下の母であるキャサリン公が、精気を失った顔で引きずられていたのだ。


「あー、会長の言ってたボンボンか。ほれ、寝かせてやれ」


 騎士でもみない体格の大男が、キャサリン公の手を無造作に投げ出した。震えながら、視線を彷徨わせる彼女は、庇うこともせず顔から床へとの突っ伏した。


「お、おばあ様、何があったのですか?護衛はどこへ行ったのです、まさかこの者たちが?」


 怒りはない。キャサリン公のことはよく知らないからだ。たまに別邸にやってくるが、殆どはリュードル殿下の別邸で過ごしている。ロッシーニ様には伝えられない、いや伝えても意味がわからないだろう、醜い事を平然と行う人物に持ち合わせる感情はなかった。

 しかし、先程まで嬉しそうにしていたロッシーニ様の心痛を思うと胸が苦しくなる。キャサリン公を医者に見せてやり早くロッシーニ様を安堵させてあげたかった。


「エム様、旅ではまともな食事も無かったことでしょう。王都の食事をご用意しておりますので、ご案内致します」


 執事がすかさず声を掛け、場を収めようと動きだした。ティモシー殿下の客人とロッシーニ様が不和を残すのはよろしくないと考えたからだ。ただでさえ親子の関係は希薄なのに、これ以上のわだかまりを作りたくなかった。


「王都の食事かー。楽しみだなー」


 ロッシーニには目もくれず自分の話に食いついた事に安堵した執事は、会話を続けようと努力をみせる。


「王都は初めてなので?」


「うん、外州の方には仕事で行ったことがあるけど、その一回きり。王都に入るのは初めてだねー」


「一流の料理人が腕によりをかけております。ささ、参りましょう」



 この者たちが常なる人ではない事を知っているのは執事、メイド長、そして古参の侍従のみ。平民を食い物にすると悪評高いティモシーの裏の顔、つまり悪評よりもドス黒い一面を知っている彼らは、冷静に対処していた。

 しかし、若い侍従たちには困惑が表れている。早めに事態を収集しようと少しばかりの焦りがにじむ執事に追い打ちをかけたのはロッシーニだった。


「待て!」


「お前たちはおばあ様に何をした!父上の友人だと聞いていたが本当なのか?ジャズ、お前もなにか知っているのだろう!」


 止まってはいけない。若様の不興を買っているのは百も承知しているが、何事もなかったようにこの方達を案内しなければ、なにか良くない事が起きる。漠然とした不安はティモシーの苛虐嗜好を知っているからだ。その御方の友人、しかも無惨な姿となった母君を悪びれもせず連れてきたのだから、ますます不安は高まっていた。

 だからこそ、緊張が高まったこの場から奥の部屋へと送り出したかった。


 コツコツと歩いていた執事のジャズは、足音が止まった事に気づき顔を歪ませた。


「なーんで教えてくれなかったのかなー会長は。めんどくさい事になりそーだなー」


 背中越しの言葉の意味するところは分からない。しかし、めんどくさい事、という抽象的な表現が自分たちにとって良くない未来を示しているだろうことは直感的に理解できた。


「ロッシーニ様、今はお止めください。ご説明いたしますから、まずは客人を」


 なんとか察してほしかった。しかし、投げかけた言葉は状況の打開には及ばず、ネクタイに白いシャツの青年が指を鳴らした。


 何も起きなかったと錯覚したのは、派手な演出や、大きな悲鳴、そういった非日常な分かりやすいものが無かったからだ。だがそれも騎士の驚きの声でやっと認識できた。


「なっ!?」


 柄に手を伸ばすが先か、再びパチン!と音が鳴る。


 突然視界が暗転し、目の奥、頭の中で激痛が走った。


「うっ、ぐあああ」


 鋭い痛みが脳みそを焼き、執事は床を転げ回った。動かずにはいられなかったのだ。


 アメリは取り繕おうとしていた執事が、床で転げ回る様を見て背筋が凍った。何が起きているのか分からなかったからだ。指を鳴らしただけで、人が入れ代わり、次は、痛みでキャサリン公と執事が絶叫している。

 こうなっては、もてなしをする段を過ぎているだろう。恭しく頭を垂れる必要を見いだせなくなった彼女は、執事の元へと駆け出した。

 転がる執事を押さえつけ、まず口をついたのは大丈夫かという言葉だった。大丈夫なはずがない、しかし、思わず出てしまった。

 その言葉すらも届かず、出産したあの時の自分のように呻き叫び続けている執事の傍らで、手を添えるしかできなかった。


「シー、その辺にしておきなよ。ここはティモシーさんの家なんだよ?さすがにマズイよ」


 ウールのジャケットを着込みマフラーを首に巻く大人しそうな青年が、惨劇の指揮者を静止した。そのとおりだ、頼むからやめてくれ。彼らは仲間だと分かっていたが、望みをかけずにはいられなかった。


「どうかな?エヌもティーも我慢できない、そうでしょ?」


「無理だな」

「おーーーッス」


 跳ねるような返事がこだました。叫び声すらも掻き消すほど、明るい色の返答だった。


「たぶん会長はこうなることを望んでいるんだよ。俺たちの趣味を知らない人じゃない。つまりこれはご褒美、最近は禁欲的だったから、きっとそうだ」


「はあ、僕は知らないからね」


 これから何が起きるのだろう。アメリの溢れた涙と共に、パチン!と絶叫が屋敷に広がった。


 アメリは呆然と眺めるしかなかった。

 そこは阿鼻叫喚。

 騎士の剣を生身の体で受け止め笑う大男。

 ロッシーニは派手な男に頭を撫でられ、口から泡を吹いて痙攣している。

 ここへ来てつまらなそうにしていた青年は、溢れる笑顔で指を鳴らしたメイドや侍従達へと何かを語りかけている。

 学者のような坊主は指先から血を垂らし、ブツブツと何かを唱え、大人しそうな青年は嬉しさを隠すように、わざとらしくため息をついている。


 その中でも、冷静に生き延びようとしている者もいた。しかし、裏口から逃げ出そうとした者は、ドアの前で立ち止まると、自らの首を捻り折り、糸の切れた操り人形のように倒れこんだ。


 アメリは、傍らで呻く執事のことなどこれっぽっちも頭になかった。ただ無心で、生きて帰ることを神に願い、もし受け入れてくれないのなら子供の健やかな成長だけでも叶えてくれと、ひたすらに願っていた。


「やりすぎ、だよねー」


 目を閉じて祈っていると、声が聞こえてきた。残念だが神ではない。さっき聞いたあの声だ。


「顔をよく見せてくれないかなー」


 ああ、死んだなと思いながらも、抵抗して惨たらしく死ぬよりはと思い、アメリは見上げた。


「……あー、やっぱり。奇遇だね。本当に奇遇だねー。私の事覚えてる?」


 ブルブルと頭を振る。


「そっかー覚えてないんだね」



 辺りで燦然と散る命の様子を眺めたエムは、再びアメリに視線を落とし少しばかり感傷に耽っていた。

 あの時は、家族の為に怒っていた。しかし今は怯えた様子で祈りを捧げていた。何を祈っていたのか、なんとなく見当はついていたが、それを確かめたくなった。


「家まで送ってあげよーか?」


 それはつまり救命の提案なのだが、子供の健やかな成長を願っていた母親にすれば、神を呪いたくなるものだった。


「そ、それはやめてください」


「どーして?まさか死にたいの?」


「違います。い、家には自分で帰ります、だから」


「だめだよー。私も家に行きたいんだもん」


「……そ、それは、お願いします!助けてください」


 初めて自分の能力を開花させたあの老婆。それは忘れない。その時に怒り猛っていた女性も忘れられない思い出になっていた。

 祈りは恐らく、救われることだろう。命はもちろん、でも祈ったのはまた別の者の為だろう。

 それをどうしても確かめたかった。


「3、2、1『変位』」


 目に映るのは正しく記憶に残る部屋だった。


 扉を叩き開けた先にはテーブルとイスがあった。その奥には竈があり、あの時は老婆が何かを作っているところだった。夜も深くなろうかという時分。そんな折の訪問者である自分たちを怪訝そうに見ていた男性は、ここで死んだ。会長が覚えたての魔法で喉を潰し、首の骨を折ったのだ。それを見て固まった老婆にお話をした。自分たちも転生者で、仲間にならないかと。

 会長は建前とか方便を嫌うから率直に聞いていた。「殺人、強姦、拷問、誘拐に免疫ある?」と。

 確かに彼女は逡巡していたけど、隣の部屋を少しの間見つめたあと、こう言った。「犯罪には加担しません。でも、ここで殺されるぐらいならついていきます」と。

 私達はどうしても転生者の仲間が必要だった。ただ生きるとしても、差別が酷くてまともに仕事なんかできないし、この世界の常識を持っていない事が致命傷にすらなりえる。だから、理解し合える仲間たちが必要だった。能力という持て余す力の指導者と家が必要だった。当時、会長のいう良い世界を本当に腹へ落とし込めていたのはビーぐらいのものだった。他のみんなは、このまま野垂れ死ぬよりはとか、犯罪大好きの異常者とか、性癖が歪み切っていたりとか、寂しかったからとか、くだらない理由から集まった連中だった。

 だから、彼女がどんな理由で仲間になろうと、こちらとしては何の問題も無かった、はずだった。

「やーっぱなし」と会長が言うまでは。どうやら老婆の能力が面白いものだったらしく、どうしても欲しくなったらしい。そして、私の能力が芽吹きそうなところだったのも決断の一因だったらしい。

 近づく会長の前で『呪縛』を使っていたけど、手順を踏むのに時間が掛かって、首をへし折られた。


「ギャッ!はあーびっくりした、なんだい、いたのかい?仕事はどうしたの?」


 そう、ちょうどおばさんが出てきたところから、妊婦時代の彼女が眠そうに出てきた。死んでしまった旦那さんと母親の元に駆け寄って、心拍と呼吸音を確認していた。この世界の市民にもその程度の知識はあるのかと、感心したのを覚えている。


「ああ、待って!ダメよ!今出て来ては、お願い今すぐ逃げて」


「ママー」


 この子が、そうなんだ。可愛いな。正解だったね。私も自分が死ぬときは子供の事を思ったもん。1万回のごめんと10万回のありがとうと、100万年の幸せを祈ったもん。


「アメリ、どうしたっていうの?この方は誰なんだい?」


「アメリ、さんてゆーんだ。この子の名前は?」


「エ、エムさんでしたよね、エムさん。お願いします、この子だけはやめてください。何でもしますからお願いします」



 一人の赤子を抱き、ハナタレ小僧と手を繋ぐ御婦人は、アメリの異常な怯えに少しずつ事態を飲み込んでいた。自分の背中へと子供を隠し、母の元へ手を伸ばす男児をきつく抱きしめ、少しずつベッドのある部屋へと後ずさっていた。


「じゃー名前教えてよ」


「ジョンです。まだ2歳なんです、お願いします!」


「ねー、私をアイツらと一緒にしないでよ。アメリさんもジョン君も殺さないよ。ぜーったいに、約束する」


「ほ、本当ですか」


「ほんとーにホント。でも、1つだけ約束を守ってほしいなー、そこのおばさんも、その子供も」


「必ず守ります、どんな約束ですか」


「私との思い出はぜーったいに口外しちゃだめ。いい?もし破ったら死んじゃうからね、全員」


「分かりました、絶対に話しません。大丈夫です、ね!?そうよね!?」


 御婦人は様子を窺いながらもぎこちなく頷いた。


「よーーし、ありがとう。なんだか故郷に帰った気分だなー。それじゃあ元気でねジョン君、アメリさん。3、2、1『変位』」


 ティモシー邸の貴賓室からは、楽しそうな会話が漏れていた。エムは温かい笑みを携えながら、死体の間を縫って奥の部屋へと向かっていった。





「もう良い!何度も何度も口上を聞かされる身にもなってみろ」


「は、ははっ。申し訳ありません」


 侍従は宰相へと助けを求める視線を送るが、どこ吹く風。玉座から聞こえるため息は、静かな王の間でよく響く。


「下がれ!ゼベルタ悪いな、座ってくれ」


 王の間にはマルカーヴァ王家の背骨ともいえる王位継承権を持つ王太子たちが集まり始めていた。クーデターが起きた場合は、直ちに王城へ参集し王都を死守するのが王家の務めだからである。だが、王都が侵攻されたことは王国始まって以来一度もない。それは2年前の戦争でも同じだった。その為か、いつしか王城へ集まるのは王家の護衛をしやすくする為だと錯覚されるようになっていた。もともとその側面があったのも事実だが、今日ほど強調されていた訳ではなかった。

 過去に数度、王城への参集が掛かったこともあったが、それらは直接的に王家への危険が迫るような事態ではなかった。久々の兄弟水入らずだと浮かれていたのは遠い昔の様に、王の間は静まり返っていた。

 仲のいい家族ではないが、よその王家ほどギスギスした関係ではない。先代王妃の仲が良好で、権力的な軋轢を教育に反映させることも無かった。それもあって、兄弟同士の交流も盛んであったし、現在でも仲は比較的いい。ある3名を除けばだが。


「止まれ!」


 扉の向こうから聞こえた声に、空気が張り詰めた。王の間で控える騎士たちは柄に手をかけ、じりじりと扉へ近づいていく。侍従は正面入り口以外の逃げ道であるドアの前で、瞬きひとつせず、動向を見つめていた。重々しく開く扉の隙間を潜り抜けて来たのは、三本の剣が扇状に象られた紋章の近衛騎士だった。


「ご報告いたします!第6王太子殿下、薨去なされました」


 第4ティモシー、第5リュードル、第6ドロシーの三名は特別に嫌われていた。彼らに共通していたのは、権力に溺れ性根が腐っていた事ではなく、最悪な教育係がついていた事だった。それが故に傲慢になり、兄弟を政敵としか見なくなっていたのだ。つまり、いちいち突っかかってくる厄介な人間がこの三名だった。


 だが、国王が顔を伏せたことで、誰もが実感していた。自分の心の内には爽快などという感情ではなく、憐憫と寂寥があり、血を分けた兄弟を嫌うことは出来ても、兄弟ではないと断言できなかった関係であったことに。


「もう1つご報告が御座います。第1王太子デズモンド殿下と第4王太子ティモシー殿下が揃っていらっしゃいます。テープル公がティモシー殿下をお止めしたのですが、デズモンド殿下と一緒ならば問題ないだろうと仰せでして」


 正統会議とは、今ここにある集まりのことである。王家の危機は国の危機。つまり、正統な支配者によって今後の行末を諮る会議という事になっている。

 だが、件の3名は幾度もこの会議を欠席し、勅命すらも無視したため、止む無く会議から排斥されていた。


 しかし、事ここにあって、ティモシーの出席を咎めることはできなかった。


「構わん、そのまま通して良い。それから旗主たちへ伝えよ。国境の守りを万全にせよと」


 高貴な血を持つ者達は、向かい合って座る中、無言で時が過ぎ、嵐が過ぎ去るのを待っていた。




「マンスール、誰だと思う」


 王のそばに仕えていた、この国で最も格の高い騎士、王国近衛騎士筆頭マンスールは重々しく口を開いた。


「ブルッファーヴァかと」


「説明せよ」


「防諜室長一家は妻を王都に残し、オーランド市にて惨殺。室長は行方不明ですが、死んでいると考えて良いでしょう。彼らがあのような田舎に行くタイミングなどそうそうありません。我が国の弱体化を狙ったのでしょうな。そして、このクーデター。国民がこの時期に思いつく策とは思えませんし、それぞれの事件が独立したものだとも思えません」


「そう思わせた、国内の勢力の仕業かもしれんぞ」


「……大変言いにくいですが、リュードル殿下とドロシー殿下を目標にすることで敵に利があるとは思えません。それをすると寧ろ」


「統治がよりスムーズになるだろうな。邪魔が減るのだから」


「ええ、まあ」


 かなり現実的な可能性であった。そして、この会話が真ならば、敵にまんまとやられたわけである。敵国の情報を掠め取り、我が国の情報を守ってきた防諜室長は行方知れず、十中八九暗殺され、その子供までも見せしめのように殺された。

 更には王家の者までもその毒牙に掛かってしまい、戦争が近いというのに、王城に閉じこもっているしかできないのだ。更に、この後を考えれば悲惨なのは明らかだろう。仮に国内勢力の仕業だとすれば、目的は売国に他ならない。この時勢に混乱させれば、戦争の結果に大きく影響する。だからこそ、是が非でも捕らえなければ、大きく情勢を混乱させる因子となってしまう。つまり、戦争という一大危機を前に、国内外へ目を光らせなければならないのだ。


「大兄様」


「どうした」


「我が国にもブルッファーヴァにも与しない唯一の勢力がこの国にいるではありませんか」


「それは、誰だ」


「転生者です」


「リリアーネ、こんな時に」


「大兄様、私情ではありません。我が国がぬるい防衛網や国境を持っていないと仮定すれば、あり得るのは国内勢力の線でしょう。先程マンスール様も仰ったではありませんか。そんな国民などおりません。だとすれば、転生者ということになりましょう?」


「動機はなんだ?まさか差別を受けたからとでも?しかも数人で?あり得まい。転生者の数は少ない。そう簡単にまとまる事など出来ず、いくら強いと言っても数には勝てないのだ。数名で大逆など起こさぬだろう」


「地獄の沙汰も金次第ですわよ、大兄様」


「どこの守銭奴が引き受けるのか、神の存在の方が信じられるぞ」


「頭の片隅にでも置いていてくださいな」


「……分かった」



 またもや止まれの号令が外から聞こえ、国王イマヌエルは、空席を数えた。ティモシーとデズモンドは場内にいる。残るはミアーセのみ。イマヌエルにとって同じ母を持つ初めての妹だった。静かに目を瞑り、疑ったばかりの神に少しだけ、ほんの少しだけこころの中で祈りを捧げた。


 先程もやってきた近衛騎士は、肩で息をしながら、片膝をついた。


「ご報告!第1王太子デズモンド殿下、薨去なされました。第一歓会門も落ちました」


 一時の静寂が王の間を包み、誰もが頭を捻った。そしてざわりとし始め口を開いたのは国王だった。


「デズモンド、で間違いないのか?」


「はい陛下。魔力識別を行いましたので、絶対に間違いはありません」


「それはつまり、城内に偽物のデズモンドがいると、そういうことか」


「仰る通りに御座います。つきましては、直ちに避難を始めていただきたく存じます」


「待て、捕らえたのか?」


「いえ、ティモシー殿下も御一緒ですので、なるべく時間を掛けて安全にと」


「よし泳がせろ。避難はしない」


「……陛下、何卒」


「しない」


 この決定に驚かなかった者は二人だけだった。戦友であるマンスールと第9王太子リリアーネ。武闘派であり自らの力を疑わない王ならばと得心していた。

 しかし、胸中穏やかではない。3名の兄弟を殺し、挙げ句その皮を被り堂々と登城しているのだ。いくら王といえども、今回ばかりは不味いのではないかと。


「マモンよ、そなたやけに大人しいな」


 王に最も近い席、第1王太子の席向かいに座っていた装飾過多な男へと国王は声をかけた。


「オイラの出る幕はなさそうだからね」


「召喚主である私を守ってくれぬのか」


「君との契りは、戦争に参加するだけのはずだよ?護衛は範囲外さ」


「つれないな、まあいい。ところで、もし仮にリリアーネの言が正しい場合、それはつまり、転生者の場合だが、この人数で勝てるか?」


 王の間にはざっと20名の騎士がおり、更に扉の向こうから規則正しい足音が聞こえてきた。


「人によるよ」


「お前が知る強い者とここの騎士達が戦えばどうなる?」


「オイラが知ってる、ね。それなら騎士が勝つよ」


「ほう、その心は」


「相性、人数、能力、どれをとってもオイラの知る最強の転生者はここにいる騎士に勝てない。その心はと言われても、弱いから勝てないとしか言えないや」


「私は、お前の知る強い者と言ったのだぞ?」


「強いさ。まだ発展途上というだけでね」


「ふん、参考にならんな。おい、外の兵は下がらせろ、賊に余計な心配をさせて逃げ出されてもかなわん。それに、外にいては刃よりも素早くここに入ることなどできまい」


 伝令係からの指示が伝わり、王の間に至るまでの廊下は静かになった。そして、彼らはやってきた。


「第1王太子、デズモンド・デ・マルカーヴァ殿下、第4王太子、ティモシー・デ・マルカーヴァ殿下、ご入場!」





 アイの『恐慌』は彼女の周囲を対象範囲とする。ある特定の範囲内ならば自由に対象を選択することができる。しかしその範囲を超えると無差別に恐怖を与える。全範囲は無限であり全世界へ恐怖を齎すこともできるが、かなりの日数が必要となり、能力発動の条件もあって、実際には運用できない。


 王城程度ならば、完全にアイのコントロール下であった。王の間が絶叫で満ちた頃、場内でまともに立っている者はいなかった。それは、第一歓会門から通じる廓にいた、英雄アズガー・テープルも例外ではない。

 勘だけでティモシーとデズモンドの車列を止め、一悶着あった後、謎の恐怖が襲っていた。これも王家に急迫の危機が迫っているからだろうと初めこそ考えていた。自分の勘にかなりの自信を持つアズガー・テープルはこの恐怖心を予兆だと考えた。王位継承権を持つ者たちが消えていくだけで、この恐怖は訪れないはずだ。何故なら、自分を最も寵愛し厚遇してくれるのは現国王イマヌエルただ一人だから。その御方が崩れれば、権力を愛する自分の地位が揺らいでしまう。本能的に気配を察知したのだと解釈し、テープルは一目散に王の間へと駆けた。


 城内に通ずる門の番兵は走ってきた、この国の英雄アズガー・テープルへ槍を突き出すほど、恐怖の色は濃くなっていた。


 説明する間も惜しかったテープルは子供をあしらうように、槍を払いのけ城内へ入った。しかし、そこからは一歩も動けなかった。背中に氷点下の水を垂らされ、四方八方から誰かに見られているような不安を抱き、動くことが愚策だと思わせるように、足の筋肉が強張り始めた。

 頭皮から鎧の隙間に当たる空気まで、全てに恐怖を覚えるほど、感覚は研ぎ澄まされていた。だからこそ、彼は壁際に背中をつけ、小さく座り込んだ。


 少し先にある王の間から聞こえた悲鳴も、剣の音も乾いた破裂音も全てが恐ろしく、震えていたテープルだった。だがある時から、顔に掛かる生暖かい自分の息が、むさ苦しく感じ始めた。冷や汗でべったりと皮膚にくっついた肌着に不快感を覚え、あれ程暗く見えた廊下は嫌に明るく映る。

 まだ気怠い体を起こしたテープルは、自分の再起と共に悲鳴が消えたことに気づいた。嫌な想像が膨らみ、信じ切っていた自分の勘を何度も否定した。

 しかし、王の間の惨劇は彼の勘がやはり正しいと裏付けたに過ぎなかった。


 廊下を駆けてきた騎士達はほんの数名だった。王の間から聞こえた悲鳴や剣戟の音、乾いた破裂音を聞いても、動けたものは両手で数えられるほどだったことに、テープルは絶句した。もはや犯人に抗うすべは無いのではないかと絶望しかけたが、彼は自分の勘を頼りに動き出した。

 呆然とする近衛騎士たちを押しのけ、城内を出ると暴れ狂う馬を目にした。その中でも一頭、冷静に仲間たちから距離を取る馬の手綱を取り跨ると、自分が来た道を全速力で駆け抜けた。


 普通、第1王太子別邸を抜けて来たならば、真っ直ぐに伸びる目の前の道を通るはずである。しかし、頻繁に王城へ顔を出すデズモンドの馬車を知っていたテープルは、あの馬車が第1王太子別邸から出たものではないと知っていた。

 つまりティモシーの馬車であり、撹乱させるためなのか、第1王太子別邸から伸びる道を通ってきたように見せていた。


 だからこそテープルは、第4王太子別邸へと駆けていた。この時テープルはティモシーの死を知らなかった。王の間で見たのは玉座に腰掛けた首のない王の遺体だけだった。周囲で流れていた血の量や死体達は風景でしかなかったのだ。


 ティモシーが黒幕だと信じて疑わないテープルは、第4王太子別邸に辿り着くと、開きっぱなしの門をくぐり抜け、扉を開いた。


「な?だから早くしろって言ったのに」


 ボサボサ頭の男が振り返り、二人の視線が交錯した。彼の周りには使用人達の死体が転がり、その中で笑みを浮かべている複数の者たちを眺め、確信した。


「王を殺したのはお前たちだな」


 剣を抜くと、剣身を撫で『恋慕』を発動させた。

 一心を寄せる声援と、憧れの眼差しを剣身に宿せば、海を断ち、蟻を断ち、霧も音も断つ一振りとなる。


『俺について来い!』


 エーの返事を待たず『引率』を使うと、一気に距離を詰め喉へと剣を突き刺した。

 あまりにもあっけない感触に違和感を覚えながらも、崩れ落ちたボサボサ頭の男から周囲に残る賊へと視線を移す。


「3、2、1」


 カウントを始めだした女に、脳内でブザーが鳴った。次はコイツかと、頭頂部に剣を振り下ろしたその時。


「なんだ?強そうじゃん」


 眼前にするりと割り込んできた大男。構わず剣を振り下ろした。


「ちっ」


 脳天にぶつかった剣は、岩にでも当たったかのように跳ね返された。

『恋慕』はテープルファンの気持ちが反映される。たくさんの応援があれば、その分だけ力に変えられるのだ。肉体でも武器でも自分が使うモノならば応援から変換した力を与えることができる。


『やれ!』


 エントランスに横たわっていた死体が突然飛び上がり、大男や近くにいた彼の仲間へと襲いかかった。幸いにも四肢の残る死体が多く、テープルが有効に利用できる環境だった。

『引率』生者には自分の意思を伝える能力となり、戦場で大きな力となる。死者には傀儡使いとなり、意思なき体を動かす力となる。


「ぎゃーーー!ちょっと!離れ」


 ふくよかな中年の女性に群がる死体達は、髪や服を掴み、もみくちゃに雪崩れて圧殺する。


「エー!これヤバイわよ!早く起きなさい!」


 絶世の美女は追いかけてくる亡者から逃げ惑いながらも、誰かに呼びかけた。


 死体の数は賊の倍ほど。混乱させることはできたものの大男や老紳士、小さな少年の奮闘があり仕留めるまではいかなかった。だが、それは想定内。誰もが目の前の屍兵を相手に余力がない状況が欲しかったのだ。


 屍兵の背後に素早く移動すると、屍兵が敵に掴みかかろうと腕を伸ばした瞬間、剣を思い切り振り抜いた。屍兵ごと敵を両断した。はずだった。


 パチン!

「新人君から殺ろうなんて、キモいね」


 屍兵の背後に隠れていたはずが、いつの間にか大男の目の前にいた。しかも、大男の手が首にかかりそうな状況で。

 この場で1番強いであろうこの男と今戦うのは得策ではないと考えていたテープルは、後方に下がり逃げようとした。しかし、後ろに飛び跳ねると何かにぶつかり逃げられない。


「はっ、ざんねーん。お前の部下がいるぜ」


 屍兵に退路を阻まれ、逃げ場を失った。首には手が掛かり、怪力で締め付けられたテープルは、出し惜しみをしていた自分に呆れていた。

 戦争に備え全力は出したくなかったのだ。


 声援はいつ何時も熱烈であるわけではない。道を歩けば黄色い声援が飛び交い、武を誇る男どもからは称賛と尊敬の眼差しが突き刺さる。それは滅多に見られない、希少性を帯びていればこそ熱を帯びると知っているからこそ、テープルはいたのだ。

 憧れ慕う恋心は想像が膨らめばこそ、最大限まで糖度を高められる。だから、時折外出し眼差しに浴し、能力に力を溜め込んでいた。


 体が浮き上がり、意識が遠のきそうになった今、抑えるなどとバカなことは考えず全力を剣に注ぎ込んだ。


「会長、早く起きないと殺しちゃうって」


 ニヤニヤした薄気味悪い顔を見ながら、狭まる視界の中で、柄を握る手を動かした。

 すると体は重力に従い重くなり、足には床の硬さを感じる。思い切り咳き込み、目の前にある切断された手を見て勝てると確信した。


「ちっ、痛え、マジで痛え。最高に生きてるわ!」


 下から迫った蹴りを間一髪で避けると、後ろにいた屍兵達を自分との間に割り込ませた。

 そして剣を容赦なく突く。確実に死に至らしめるため、何度も突いた。間違いなく、手には感触があった。だからこそ、彼は勝ちを確信し油断していた。


『動くな』


 背後から聞こえた声に驚き、振り返ろうとした。

 しかし、コンクリートで固められたかのように、体が動かない。


凍てつく生命アイスドライフ


 ピキピキと氷の隆起する音が鳴り、広いエントランスは一気に銀へと色味を変えた。目の前の屍兵は氷河時代の生物かのように氷漬けになり、場は静まり返る。


「誰か死んだか?」


「エイチさんとエスさんがお亡くなりになりました」


 視界の端からやってきた大人しそうな青年は、動けなくなった自分の足元を見て悲しそうにそう伝えた。


「エス?分身じゃねえか?エス!出てこい」


「正解。分身だよ」


「おいエス!てめえ、俺のやり方知ってんだろ!邪魔すんじゃねえよ!」


「死にそうだったじゃん。ありがとうは?」


 視界に映った光景に目を疑った。殺したと思っていた大男が氷の彫像の後ろから姿を表したのだ。


「……会長の女だからって調子こくなよ?マジで殺すぞ」


「本体と分身、見分けられるの?そもそも、私を見つけられる?」


「殺るなら今ってことだなクソが」


「『ストップ!』やめろエヌ。社員同士で喧嘩はなしだろ。エスも止めろ、煽るんじゃねえよ」


 血管が破裂しそうなほど顔を真っ赤にして、ギシギシと歯を食いしばる大男は、奇妙な格好で固まった。ちょうど陸上選手のクラウチングスタートのような格好で。自分が掛けられた能力と同じものを使用されたのだろう。


「分かったよ」


「ぐふっ、クソが、ぐがあああ、マジでふざけんじゃねえぞ、クソアマ!絶対に殺す!」


 はぁというため息が漏れると、コツコツと足音が近づいてきた。


『落ち着きなさい』


 すると、怒り狂っていた表情が少しばかり和らいだように、顔の赤みが引いていく。血走った目も幾分か白さが戻った。


「……ちっ、次はないからな。会長、悪いが次は我慢しない」


「だそうだ!みんな死にたくなかったら、エヌの喧嘩に手を出すなよー」


 フッと体の力が抜けたように、立ち上がると、大男の視線が刺さる。


「仲間になれよ。そうすりゃ死なずに済むし俺とも遊べる」


 残った片腕を振り抜き、容易く氷像を破壊すると、うまい具合にできた下半身の椅子に腰かけた。


「俺たちみんな転生者だ。悪いようにはしないし、金ももらえる。なんだって好きなことをしていい。断る理由あるか?」


『話していい』


 テープルには善悪も道徳も倫理も常識も何もかもが些細なものだった。何よりも偉大なものは権力。それさえあれば、何もかもを手に入れられる。


「お前達は王位を狙っているのか?」


「は?なわけ。これは仕事、依頼されただけだ」


「なら、僕には合わないかもね。僕は権力が大好きだから」


「権力か。だったらなおさらうちに来いよ。会長!いいだろ?」


 視界の左端からやってきたのはボサボサ頭の男だった。


「やっぱり、生きていたんだね。まったく能力ってのは厄介だね」


「お前のも大概だけどな。ウチは弱肉強食の世界を作る集団なんだ。強ければ何をしてもいい、弱ければ食われる世界。俺たちのところに来れば、権力は間違いなく手に入るぞ。お前、そこそこ強いしな」


「君がボスなんだね。このまま行くと僕は殺されるのかな」


「もちろん。生かすより殺したほうがメリット盛りだくさんだし」


 死ねば元も子もない権力者の夢。この国で高い地位にあったのは事実だが、たかが知れていた。転生者という枷は貴族に受け入れられなかった。唯一の庇護者であった国王はもういない。小さな国の小さな権力はとっくに霧消している。


「世界と言ったよね。国ではなく世界と」


「ああ、世界だ」


 満足しかけていた小さな権力の座よりも大きなビジョンにテープルは死んだ国王を重ねていた。

 2年前の戦争の随分前。両国の関係が決定づけられたのはある村の出来事からだった。

 ブルッファーヴァとマルカーヴァのかつての国境には川があった。細く水深の浅い川の為、よく氾濫したが村では大切にされていた。


 ある日ブルッファーヴァ側の川岸に捨てられた小さな赤子を見つけた村民は、近くに親がいるのだろうと、洗濯をするついでにしばらく様子を見ていた。


 洗濯物をかごにしまい終えたが、親の姿は一向に見えない。そして、赤子の挙動にも違和感を感じていた。川から跳ね返るひんやりとした風と明るい日向で気持ちよく寝ているのかと思っていたが、これまで微動だにしなかった。


 まさかと思い、川を越え赤子に触れると川の水よりも冷たくなっていた。驚いた村民は大きな声で助けを呼んだ。そしてやってきたのは、マルカーヴァ側の村民達だった。ブルッファーヴァからは一人も姿を見せず、仕方なく村で葬ってやることになった。


 そしてその夜、体を清めていると赤子の心臓が動き出し、産声を上げたのだ。ウェーブの掛かった金色の髪に川のように流麗な青い瞳の男の子が息を吹き返したのだ。

 転生者という存在すら伝わっていない田舎の村では、神が遣わしたのだろうとか、悪魔の子だとか色々と言われたが、どちらにしても大切に育てるという意見に反対は出なかった。赤子の命を奪うほどの畜生はこの村にいなかったのだ。


 ある日、ブルッファーヴァから来たのは高貴そうな身なりの一行と騎士達だった。どうやら、領主の落とし子がブルッファーヴァの国境の村にいて、その子を殺すため村は壊滅させられたらしく、領主と関係を持った女は拷問をしても子供の居場所を吐かなかったらしい。そこで、この村に女が来て子供を渡してはいないかと調べに来たのだ。


「女から子供を渡されなかったか?」村民達は今の状況と問いかけに、なんとなくだがこの子の出生を理解した。


 あの時、村で葬儀を行おうと考えたのは、赤子のくるまれた布が洗い立てで綺麗なものだったから。貧しい村にとって布は貴重だ。たとえ赤子の物でも使い道はあるのだから、捨てるならば身ぐるみを剥いでいただろう。しかし現実は母親の愛が残っていた。傷ひとつない赤子とその布を見て村民たちは、他国の見ず知らずの子供の為に葬儀を行おうとしたのだ。


 我が子を助けるために、一縷の望みをかけて川の畔に寝かせたのだろう。川を渡って来なかったのは時間がなかったのか、細かいことは分からなかったが、母の心痛と願いはしっかりと汲み取ることができた。


 この村には2歳になったテープルの他にも子供はいたが、金髪と薄青の目はブルッファーヴァ側の領主の特徴と酷似していると、すぐに見つかってしまった。

 しかし、村民は抵抗した。男たちは農具片手に団結し、女達も包丁や石を持ち見事に彼らを追い返した。


 しかし、しっぺ返しはその日に来た。10もいなかった騎士が50名に膨れ、夜中にやってきたのだ。当然勝てるはずもなく、村民たちは無惨に殺され家々は死体と共に燃やされた。

 だが、目的の子供は見つけられなかった。それどころか、残っていたのは老人や病人ばかりで、子供や働き手となる若い者がいなかった。


 彼らはその日、村から逃げろと言われたのだ。正しい事をしたのだから、誰のせいでもない。だが、ここで朽ち果てるには若すぎる。だから、逃げろと。愛着が湧いてしまった老人と動けない病人は置いて、隣町へと逃げなさいと、そう言われて、故郷を捨てたのだった。


 隣町へやってきた村民たちは、家も仕事もない、いわば浮浪者たち。村はどうなっているのか心配だったが、それよりもこれからどうして生きていこうかと不安になっていた。そこにたまたまやって来ていたのは、イマヌエル・デ・マルカーヴァ、当時の王太子であった。


 兼ねてより国境の守りが脆弱であると指摘していたイマヌエルは、その中でも目立ってひ弱なこの土地の辺境の村へと向かう途中だったのだ。


 元村人だということで町の人間が仲介し、イマヌエルは現状をありのまま聞いた。そして、国境の守りについて説いてきた自分の行いが、正しかったのだと確信を深めた。


 村人達が村の惨状を聞いたのは、イマヌエルが出した斥候からの情報だった。

 やはりそうなったかと悲嘆にくれていた村民たちは、イマヌエルに懇願した。我々では子どもたちを育てることができないだろう。まずは生活を建て直さなければ、諸共死んでしまう。だから、子供だけでもお力添えを頂きたいと。

 イマヌエルはそれを了承し、多額の支度金と、この地に家と仕事を与えてくれた。それは慈善ではなく、国を守るという王家の仕事のつけを払わせた代価としてだった。


 そうして健やかに育ったテープルは、村民に聞かされていたイマヌエルの温情と、噂に聞こえる歴戦っぷりに心を打たれ、憧れるようになった。


「僕が仕えた頃の王太子殿下は野望も大きかったよ。ちょうど君のように」


「王太子?」


「ああ、君たちが殺した亡き国王さ。民を想って武を振るい、国を想って武を振るい、時には葛藤しながらも、世界を見据えていた」


「……あ、そう」


「感傷に付き合うぐらいいいだろう?君たちが殺したんだからさ」


「まあ、どうぞ」


「僕は憧れて士官したんだ。小さな頃の僕を覚えてくれていると知ったときは感動したよ。そして、王座についた時は涙を流して喜んだ。でも、結局彼も人間だったんだ。権力は人を歪ませるみたいで、あれ程真っ直ぐだった彼の考えが分からなくなっていったんだ」


「はい」


「要するに、権力は人を魅了するってことだよ。恋は盲目って言うだろ?権力もそうなのさ。ん?権力に恋をしていたのかな?いや、細かいことは分かんないけど、権力は人の形を変えるほど魅惑的で悪魔的なんだ」


「それがほしいんだろ?今んとこ、ディスってるようにしか聞こえねえけど」


「ほしいよ。剛毅な彼が骨抜きにされた権力に溺れてみたい。それでも僕が変わらなければ、僕の勘が間違っていたことになるね」


「間違っててほしいのか?」


「間違っててほしいね。僕の勘ってよく当たるんだ。だから、こういう大きな決断は勘に頼ってきたんだけど、こうなっちゃった。だから早めに否定したいんだ。僕の勘も外れるって風にさ」


「俺に着いていくべきか、勘は何と言ってる」


「無反応。止めとけってことだね」


「なら来いよ。お前の勘が役立たずだって証明してやるよ。権力も手に入るし、お前にとっていい事尽くしだろ」


「うわー、キュンとしちゃったよ。そうだね、このまま死にたくはないし、着いていくよ。あ、ちなみに、いつもは何をするの?思想は分かったけど具体的に何してるのかな」


「犯罪」


「……」


「やりたくなきゃやらなくていい。金は出来高制だからそこは分かっといてくれ。ただし、俺の指示は絶対に聞いてもらう。まあ、殆ど指示は出さねえけどな」


「絶対に、か。自信ないな」


「分かってる。お前にガキ殺しやらレイプやらをさせたりなんかしねえよ。俺だってそこんところは考えてる」


「理解ある上司でありがたいよ。分かった、よろしく頼むよ」


「よっしゃーーーー!俺はエヌだ。これから飲み会だからよ、あ、お前酒は大丈夫だよな?」


 突然鎖が千切れたように、体の硬直が解け少しだけよろめいた。テープルは器用にバランスを取り、足を地につけると辺りを見渡した。氷漬けになった死体達の間には様々な人間がいる。

 この世界の者には転生者を人間と思わない者が多いが、眼の前にいる彼らも自分もこの世界に住む者も同じ人間だ。

 だからこそ、にこやかにこちらを見る少年や、コソコソと話し込む青年たちや、死体となった仲間をつつく美女に畏怖を持っていた。

 自分と違う人間と分かるだけで心に壁ができてしまうことに驚きを覚え、そしてこの世界の差別主義者への理解へと一歩近づいた。


「ん、ああ、お酒は少しなら大丈夫だよ」


 片腕を切られたのに、怒るどころか友達のように話しかける大男に、真っ白な歯でハニカミながら答えた。





 髪を引き抜かれ、頬を噛みちぎられ、数体の屍兵に押しつぶされ、胸はべっこりと沈んでしまったエイチ。

 見るも無惨な死体をつついていたエフはどうやって蘇生するのか、こちらは期待に胸を膨らませていた。


 まずは呼吸と心拍が戻った。ゼーゼーと嫌な音を立てながら徐々にリズムを平常へと戻していく。それと同時に、折れた胸骨が丸みを帯びるよう形成され、胸は膨らみを取り戻す。そして頬の肉は少しずつだが厚みを取り戻し、皮膚が周囲の無事なところから伸びて塞いだ。頭皮から毟られた髪の毛は、かさぶたとなって塞がり頭皮からじんわりと産毛が生え、みるみるうちに元の長さまで成長した。


「なに?」


「うわー、気持ちわるーい」


「失礼ねまったく。はあ、怖かったー」


「痛かった?」


「痛いに決まってるでしょ。死ぬほど苦しいし」


「フフ、死んでたけどね」



 テープルも仲間になり、もはやここに用はないのだが、皆が皆ここに留まっているのには訳があった。それはとある人物のを待っていたのだ。


「フゥー悪いね、お待たせ」


「長えよ!どんなクソしてたんだ。てか、悪魔ってクソすんのか」


「なっ!じゃあ聞くけどアイドルは用を足さないと本気で思っているのかい?」


「誰と比べてんだよ。まあいいや、行くぞ」


「いつの間にか戦場になってるじゃないか。何があったん、だい?あれ、なぜ君がここに」


 マモンはハンカチで手を拭きながら、金髪の輝く男を見て固まった。


「……あなたもグルだったのですか、マモン様」


「グル?いや違うよ。これはこの子たちが勝手にやったことさ。オイラは知らないよ」


「随分と仲が良さそうですが」


「えーとそれは理由があって、ていうか、捕まえなくていいのかい?」


「ああ、はい。負けました。なので、皆様のグループに入ることになりました」


「……え」


「よしっ!マモンも来たし、飲みに行くぞ!3、2、1『変位』」


 絶句するマモンに説明する者などなく、彼らはCSOUへと転移した。


 日差しが少し強くなるも、肌寒さを隠せない秋の終わり10時頃。

 秩序の変革を目論む転生者達とそれに協力する悪魔一匹は、寂しい道を【軒下の都】へ向け歩き出した。

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