第1話コモンセンスオブアンダーワールド

「ユウ君」


「ん?」


「誘ってくれてありがとう。とっても楽しかったよ」


「だろ?」


「うん……また誘ってくれる?」


「ふっ、当たり前だろ」


「ありがと」


「ったく、何回も言うなよ」


「あれ?照れてる?」


「うるせえな、さっさと帰るぞ。時間やべえだろ」


「大丈夫だよ、今日は会食だって言ってたから」


「ふーん」


「なにー?ふーんって」


「それなら俺ん家来るか?」


「……え、えーっと」


「……」


「また今度でもいいかな」


「っははは、そんな顔すんなよ。いいよ、また今度な」


「うん」


 松明で照らし出された道を逸れて、暗い路地に入る。ここを抜ければ家まで一直線の大きな通りだ。

 いつもなら絶対に通らないような道だけど、ユウ君がいるから全然怖くない。それよりも、いい大人なのに恥ずかしいぐらいワクワクしている。

 大人になったと思っていたけど、まだ子供なのかな。


「怖くないか?」


「大丈夫だよ。あれ、もしかして怖いの?」


「は?なわけねえだろ」


「エーほんとかな?」


 ザッザッザッザ。

 向かう先から靴をするような音が聞こえ、思わずユウ君の腕に抱き着いてしまった。友達が見ていたらあざとすぎると言われそうだけど、身体が動いてしまったのだ。不可抗力というやつ。

 それにしてもこんな時間に、こんな道を通るなんて酔っぱらいかな。


「大丈夫だ。離すなよ」


 ユウ君が頼もしく見える。照れ屋で意地っ張りだけど、2人になるととびっきり優しくしてれる。私よりも年上だけど、いつもは可愛い男の子。

 でも、たまに見せる男らしいところも堪らない。ギャップ萌えってやつかな。


 目の前の影が大きくなってきた。この道に街灯は無い。でも月明かりでくっきりと見えてくる。

 ユウ君よりも頭一つ分ぐらい大きい男の人が、鳴らない口笛を吹きながらポケットに手を突っ込んで歩いている。


 あまりじろじろ見て絡まれたら嫌だから、私は目を逸らし前だけを見ていた。さっきよりもギュッとユウ君にくっつきながら、すれ違うはずだった。


 あと三歩で通り過ぎる、そんな時、視線のような威圧感を感じて、ふとその男の人をちらりと見た。

 すると大男の視線がぐるんとこちらに動く。そして目を見開きしっかりと私の顔を確認するように見下ろしていた。

 私は思わず小さな悲鳴を漏らし、顔を背けてしまった。


 ドスッ。


「え」


「ちっ。おい!」


 何で?今わざとぶつかったんじゃ。


「心配すんな。俺があの変態をシメてやるから」


「う、うん」


 腕を解かれ、振り返ると大男は気にした様子も無く歩き続けていた。


「おい!シカトこいてんじゃねえぞ!」


 こんなに自信があるって事は勝てるって事かな?ユウ君は前に、私が通う高等学舎の先輩を素手でボコボコにしたみたいだし。

 自慢する事じゃないってなかなか話してくれなかったけど、学舎内でも強い先輩がやられたって噂はすぐに広まってたなー。

 ていう事はひょっとして、勝てる?


 大男は立ち止まった。どんな気持ちなんだろうか。こんな暗い場所で絡まれたら、大の男でもきっと怖いよね。

 緊張しているのか、ゆっくりと振り返った大男は、あの見開いた目を向けて来た。気持ちの悪い目。暗さも相まって、焦点が定まっていない様に見えるのが余計に不気味さを引き立てている。


「ぶつかっといてなんも無しか?」


 その言葉の何が面白いのか、フッと笑うと、道に落ちていた木の枝を拾った。

 そして、ザッザッザッザとあの歩き方でこちらへ近づいてくる。相変わらずあの気持ち悪い目でこちらを見ながら。真っ黒な、月明かりすらも全て吸い尽くす程黒い瞳で私達を見ながら。


「なんだてめえ、やんのか!?」


 ユウ君は私を腕で庇うように後ろに押しやり、前へと進み出た。でも、大男に胸の当たりを軽く押され、よろけながら私の側へと戻ってきてしまった。


「やったな?覚悟できてんだろうな!」


 威勢のいい言葉で威嚇した瞬間、大男はユウ君には目もくれず、ぬうっと私の前へ顔を突き出し、こう言った。


「ばあっ!」


 私は思わず目を瞑り、隣にいるユウ君がどうにかしてと思い、固まってしまった。人はいざという時に固まってしまうというけど、本当みたいだ。私は学舎でもエリートなのに、魔法も使えずに、こうして彼氏の助けを待っているのだから。


 シュッパ!ボトリ


 殴りつけたにしては奇妙な音が聞こえた。


「目を開けろ」


 その声はユウ君じゃなかった。優しい声だけど、何処か嘲りを含んだ、聞き馴染みのない声。


「ごめんなさい許してください。私はこの人に、この」


 私は怖くなった。あれだけ楽しかったのに、こんな道もワクワクしながら歩ける程、ユウ君と二人なら怖くなかったのに。急に怖くなった。そして、私の悪い癖、嫌いな部分が出てしまう。家族と同じように、自分を庇う事しか考えられない、金と権力のない人を足蹴にできる小さな私が出てきてしまった。


 ハッとして隣を見た。今のは違うの。咄嗟に出てしまっただけで、本心なんかじゃない。私を庇おうとしてくれただけなのに、ごめんなさい。どんな目で私を見ているのだろうか。


 バタン。


 そこにはもうユウ君はいなかった。

 切り離された首無しの体が倒れ、頭は地面に転がっていた。


 うそでしょ。ユウ君。なんで、どうしたの?うそだ。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。まだ死にたくないよ。こんな風に死ぬなんて嫌だ。


「スゲーな。情緒がメチャクチャじゃん」


 お願いします殺さないで。私まだ死にたくない。何もしてないんです。これから、これからなのに、こんな死に方したくない。


「お前きっしょいなー。生きるためなら豚とも交尾しそうじゃん。豚、連れてきたらやってくれる?」


 ……殺されないという保証は無いけど、このまま殺されるぐらいなら。だってまだ、死にたくない。


「ブハッ、まじかよ。冗談だよジョーダン。いや悪いな、余計な希望与えちゃって」


 なんで笑ってるの?何が面白いの?生きたいと思うのがそんなに可笑しな事なの?


 イカれてる。


 自分のした事を理解できていないんだ。何をしでかしたか考えられないんだ。考える頭が無いから、人を殺したら駄目だって常識が分からないんだ。だからこうして笑っていられるんだ。

 逃げないと。交渉なんて出来ない。早く逃げないと。


「おいおい、お前の彼氏がぶつかって来たんだろ?それとも何か?チンピラみたいな真似するのがお前の常識か?さすがにそりゃやべえって。俺でも分かるぞ」


 何で。さっきから私は一言も話してないのに。


「なんで私の考えてることが分かるの?ハハハ。うんうんそれは当然の疑問だわ」


 この人何なの。何者なのよ。こんな魔法知らないわ。高等学舎に行っている私でも知らない魔法を使うなんて、一体何なのよ。


「高等学舎?大学みたいなものか?まあいいや。質問があるから答えろ」


 質問?


「いくつ?」


 ……17、今年18になるわ。


「はあ。若いね。若いと刺激が欲しいね。成る程ね。だからこんなチンピラとつるんでるのか」


 ……


「生きたい?」


 もちろん、まだ死にたくない。


「いやちゃうちゃう。生きたいかって」


 ……生きたい。


「なら足掻いてみろよ。死にたくないじゃなく、生きたいなら、俺を殺してみろ。必死になって、ほら」


 ……何を、言ってるの。


「良いのか?このまま殺すよ?この木の枝がお前の頭蓋骨貫通するよ?スカルバージン奪っちゃうよ?」


 ……殺るしか、無い。私は死なない、いえ生きるのよ。絶対にこんなやつに殺されない。必ず、必ず生きて、絶対に生きてやる。


鉄の雨アイアンレイン


 無数の鉄杭よ、絶対に避けきれない。これで、これで勝てる。


 ドスドスドス。


 ……


「な、なんで」


「フッハハハハ。はい、お疲れさん」



 ダーツの様に放った木の枝は、女性の頭部を貫通し路地の奥にある壁へと突き刺さった。額に空いた穴からは、甘く切なくほろ苦い、赤い血潮が溢れた。

 光を失いかけ崩れ落ちそうになる女性の脇を抱え目を覗き込む。まだ微かに感じる呼吸、その中からはアルコールの香り。肺に残った最後の空気を吐き切ると、女性の眼は真っ黒な闇に変わった。男は満足そうに頷き口元にはやわらかい笑みを浮かべる。


 興味を失ったのか、どさりと女性を突き放すと、2本の指を喉奥に突っ込みその場で嘔吐する。2体の死体などお構いなしに、先ほど食べたと思われる胃の中身をぶちまけ、口の中に残るものを取り去ろうと、何度も唾を吐く。


「うえ、気持ちわる。コイツの息吸っちゃったよ。キモ過ぎでしょ。ボエェェェ」


 男の体には傷一つ無かった。

 吐瀉物を撒き散らすその後ろには、最期の足掻きである鉄杭が、卒塔婆のように立ち並んでいた。





 場末の路地裏には、年若いカップルの死体が並んでおり、その上には誰かの吐瀉物がまき散らされ、狂気的な犯罪を予感させる現場だと評判になったのは言うまでもない。





 大柄の男は繁華街を歩いていた。

 喧騒に包まれ、爽やかな香りと、甘ったるい媚びた香りが混じり合う。


「つまんねぇー--------!!!」


 松明が通りを照らし、ポン引きが持つランタンは男の欲望を照らし出す。飾り立てられた女性がそれを見つけると、猫のようにしなやかな身のこなしで懐へと入り込み、気の済むまで搾り取る。

 男は満足し、女も満足する。女は満足し、男も満足する。

 熱を帯びた濃密な空間の中で飢餓感を満たしてやろうと、誰もが努めて自分を隠す。そうすれば現実から離れひと時の幻想郷を堪能できるからだ。自分がいない場所。ただ享楽だけを求める動物園。


 そんな場所で叫べば、白い目が集まるのは必然だろう。

 その視線が集まると大柄の男はにやりと笑い、また歩き出す。


 こいつらも人間だな。よしよし。面白い事が起きそうだぜ。




 色めき立つ街の一角に、簡素で質素で無機質な2階建ての社屋がある。一見すれば古民家だが、この街の雰囲気にあてられ、見る者には艶事を愉しむ個室に写る。


 CSOU Co., Ltdの看板が雑草の生えた地面に突き刺さる。風情を感じるのはところどころ剥げた文字に、傾斜をつけた刺し方だからだろう。


 請負殺人、復讐代行、密輸入、人身売買。バラエティーに富んだサービスを提供する、創立2年目の新興企業。方々の裏社会関係者からは手痛い歓迎を受けいていたが、表立って組織同士の対立とはなっていない。


「お疲れ様でーす」


 引き戸をガラガラと開けると、正面には無人の受付があり、その奥は間仕切りで見えない。


「おいーっす」


 奥からは花柄の半袖シャツに身を包み、短いズボンとサンダルの涼しげな男がやってくる。


「新聞になってましたか?」


 大柄の男は一礼すると、昨日の一件がニュースになっていたかを尋ねた。


「そりゃもう。最高!クライアント様も大喜びよ。んじゃ残りの精算するから後ろ来てよ」


「ういー」


 L字型のカウンターの奥、間仕切りの先には、黒い2人掛けソファーと低いガラステーブル。

 南国感漂う男は、1人掛けのソファーに腰掛け、胸元から折り畳まれた札束を取り出す。


「ふぅー暑いね。さあさあ、座って」


 季節は秋。近頃急激に冷え込み、コートが欠かせない時候となった。それに合わせて大柄の男はコートを羽織っている。


「そっすね」


 ツッコむ気は無い。何の身にもならない会話で金が貰える訳でも無く、目の前の男と仲良くなりたい訳でもない。テキトーに返事をしてどっかと腰掛けた。


「150万円ね。ほい」


 大柄の男は札束を受け取ると、顔を顰めた。


「1万足りないです」


「え?マジで?ピッタリ持ってきたはずなんだけど」


 うーんと首を傾げ胸ポケットを触ったり机の下を覗いたりと足りない一万円を忙しなく探し出し、ついには立ち上がり部屋全体を歩き始めた。


「失礼な事しますね。嫌われたいんですか?」


「あはは、バレた?いやーホントなんだね。あの噂」


「どの噂ですか?」


 部屋を一周し終え、大柄な男の後ろへ回ると耳元へ囁いた。


「頭ん中読めるんでしょ?」


「会長っすか?」


「読んでみなよ」


 潮の匂い、海面に反射する陽光、白い砂浜、ヤドカリ。


「バレてると、読めないんですよねー」


「ハハハ。対処は簡単だなー。渡すよ1万円」


 半ズボンのポケットから1万円を抜き出すと、座っている大柄な男の頭上からテーブルの上へと放った。


「何で1万抜いてるって分かったの?君に読まれないように最初から気を付けていたんだけど」


「触れると分かるんすよ」


「それも何かの能力?」


「はああああああ、メンドイ」


「えーごめんごめん。で、何がメンドイの?」


「お前の質問がだよ」


「じゃあどうする?」


 ズイッと立ち上がると、身長差は25センチ程。視線をぶつけ合い空気が張り詰める。


「社員間のもめ事はご法度って会長のお達しだからな」


「殴れないよねー。さあどうする?君、短気で有名だもんね。我慢できるー?」


 心底楽しそうに笑う南国風の男。大柄の男は壁に掛かった時計を確認する。午前2時。


 通りで歩いてた奴らは今頃楽しんでるのかなー。俺は何でこんな思いをしなきゃなんねぇの?だるいなー。もういっそのこと殺っちゃおうかな。


 暫しの睨み合い。すると引き戸を開く音が聞こえてくる。


「す、すいませーん」


 受付前でおどおどと声を出すのは8歳ぐらいの少年。治安が比較的悪いこの辺りで、子供が1人でうろつくなどあってはならないのだが、この社屋にやってくるのも同じくあってはならない。ここはカタギの人間が来る場所では無い。来ていいのは、人生をドブに捨てる覚悟がある者だけなのだ。


「ん?声的に子供だよね」


「……まあ、そうだと思う」


「応対するべきかな?」


「知らねぇよ。お前がここの受付だろ」


「あのー、聞こえてます。用があってきました。お話だけでも聞いてくれませんか?」


 2人の男は見つめ合う。クソガキが。黙って消えれば見逃してやったのに。お互いにそんな事を考えており、どちらも明らかに渋い顔をしている。


「ちっ。趣味じゃないんだよなー」


 サンダルをポスポス鳴らしながら受付の方へと消えていく。それを見送った大柄の男は耳に神経を集中させた。呼吸の音を聞き、衣擦れの音を聞き、心音を聞く。早い呼吸音にせわしなく擦れる服の音。心臓は早鐘のように脈を打つ。


「こんばんは。どういった用件かな?」


「こ、こ、ここちらで、その、引き受けてくれるんですよね」


「……何をかな?ボク?見逃してあげるから何も言わずに帰んなー?」


 気圧されたのか、ごくりと生唾を飲む音が聞こえ、隠すことの出来ない動揺が呼吸に表れる。


「ど、どうせこのままだと死んじゃうんだ!こ、恐くない」


 恐くない恐くないと念仏の様に唱え始めると、徐々に呼吸は落ち着いていき、心臓は安穏とリズムを刻む。

 打って変わって、イライラし始めたのか、南国風の男からは怒気が聞こえてくる。


「この国の王様を殺してください。いくらでも払います」


「……は?」


「はあ?」


 大柄の男もつられて声が出てしまう。


 国王を殺す?平民のガキ如きが依頼するのがどれだけ異常かというのは置いといて、そんな依頼いったい誰がいくらで受けるのか。あーあ死んだな。


 間仕切りの奥で1人目を瞑り、頭を振る。とんだ大馬鹿野郎だ。だが、安らかに眠れと心では合掌していた。


「忠告した時に帰ってればよかったのに。はあ。へ―ビさーんおーいで。手の鳴る方へ」


 手拍子を合図に、何も居なかった筈の少年の後ろから大蛇が現れ、彼を囲う様に周回する。


「ひと思いにイッちゃって」


 シュルシュルと舌を出しながら、怯え切った少年の眼を覗き込む大蛇は、身体を脚順にから上へと巻き付けていき、ギチギチに締め上げる。苦しそうな音が漏れ、潰れかかった肺では空気を取り込めず、空気が虚しく口内で循環する。


「ルカ、まって、だ」


 ポロリと落ちる一粒の涙と共に、まっさらな命は地上から消え去った。


「ふうー------。最悪だ」


 どさりと少年が崩れ落ちると、大蛇はシュルシュルと舌を出し睥睨する。


「服を脱がせろってことだよね。はいはい」


 南国風の男はてきぱきと、横たわった少年の服を脱がせていくと、手を広げ大蛇に微笑んだ。


「ご賞味あれ」


 蛇は少年へと近づくと、首を横に傾け器用に頭部を口に収めた。体内へ食事を流し込もうと首をうねうねと動かすと、少年の足は力なく左右に揺れ動く。


 大柄の男は下唇を尖らせ、蛇の食事音を鑑賞していた。なかなか聞けない咀嚼音。これは生で見るべきだ!と大股で受付へと歩いていく。さっきの無礼は蛇の生態観賞で許してやるかと自分を納得させ、南国風の男の傍で腕組みし眺める。うむ。これは凄い。


「この蛇さんはよく人間を食べるんですか?」


「敬語に戻したね。どうしたー?」


「CSOU創設メンバーっすから。大先輩にため口はマズいっすよ」


「まあ、悪い気はしないからいいや。人間はあんまり食べないよ。僕の専業は金集めだからね」


「なるほど。金集めで失敗したらこの蛇に排除させる訳ですね。そりゃ、腹も減るでしょ。ビーさん凄腕っすからね」


「じゃ、帰っていいよ。エヌ君とは馬が合わないからさ」


「奇遇ですね!俺も思ってました。いつからですか?」


「君と会った時からかなー」


「おおおおおおお。全く同じタイミングです。いやー意外と気が合うんじゃないっすか?」


「無いでしょ」


「無いっすねー」


「「ハハハハハハ」」




 ヒュン!


 風切り音が響くと、エヌと呼ばれた大柄の男は吹っ飛び、受付とその奥の間仕切りを突き抜け、窓ガラスにぶち当たる。


 ビーと呼ばれた南国風の男はエヌを気にすることも無く、食事中の蛇に注目した。

 バチバチと尻尾が床を叩き、全身を捩り暴れている。いや、藻掻いている。まさか少年が原因か?蛇の口元を見ると、先ほどの様に足が揺れている。


「は?生きてる?」


 足が揺れているのではなく、動いている。バタバタと両足を動かし身動きの取れない上半身をどうにか解放しようとしているのが分かる。


 蛇の苦しみ方は尋常では無く、あちらこちらにぶつかりながら、どうにか少年を吐き出そうとしている。


「よっしゃ!あんたのペットが攻撃してきたから正当防衛だな」


 エヌはバキバキに割れたガラステーブルの破片を一枚掴み取り、軽く投げた。先ほどの風切り音よりも鋭利な音を置き去りに、ガラス片はビーの喉元へと迫る。


「これは事故、って言っても遅いか」


 視覚外からやってきた攻撃を、一歩下がるだけで躱し、チラリとエヌの方へと視線を向ける。短気、頑丈な体、思考を読み、触れたものの何かを理解?している。彼の能力は概ね把握しているビーだが、勝てる確信は持っていなかった。

 ビー最大の武器である蛇が未だに苦しみ悶えているからだ。


 だが長年裏社会で生きてきた男が、この程度のハプニングで動じる訳は無く、淡々と一手を打つ。


「エヌ君、攻撃は止めようね」


 やっと発散できると満面の笑みでビーに近づいていたエヌだったが、その言葉で立ち止まった。


「君は若いから、今回は多めに見るよ。帰りなさい」


 エヌの顔から表情が消え目元をピクピクと引きつらせている。


「お前、俺の身体に何した?動かん!クソ!」


 そう叫び必死に睨むが、ビーは蛇を見つめている、なかなか出てこない少年の対処に頭を使っているのだ。

 エヌはビーに触れる事すらできず、蛇が暴れる玄関の方へと歩いていく。


 蛇は相変わらずのたうち回り少年を早く外へ出そうとしているが、全く出てくる気配がない。寧ろ、少年は蛇の体内に潜り込んでいるのだ。先ほどは太ももまで見えていたはずが、今では膝下までしか見えなくなっている。


「転生したか。すごいね少年。でもその蛇さんを渡す訳にはいかないなー」


 ビーは少年の足を掴もうとするが、蛇が暴れてうまくいかない。


「ごめんよヘビさん。動かずに我慢して」


 その言葉を聞くと、ピタリと蛇の動きが止まった。

 すぐさま少年の足首を掴んだビーは少しの間動きを止めた。何かを確かめるように両足首を掴むが、期待外れだったのか頭を横に振った。


「少年、出ておいで!うちで面倒を見てあげるよ!」


 エヌは動かなくなった蛇の隣を素通りし、何度も蛇の身体が打ち付けられていたはずの、無傷の引き戸を開けた。


「ビー覚えてろよ!勝手に俺の!俺の身体を!俺の身体を動かしやがって!」


 ピシャリと引き戸が閉まると同時に、ビーは男の子を蛇の口から引っ張り出した。粘液にまみれた少年が床の上にゴロンと転がる。


「さっきぶりだね」


「ペッ!生臭!」


「僕の事覚えてる?」


「俺を殺した奴」


「おー。君は誰?」


「……忘れた。いや、この近くに住んでて、あれ?」


「混乱してるんだね。ゆっくり思い出してみよう」


「ルカ」


「ん?」


「ルカ。妹だ。あいつを助けたい。だから何かをしないといけないのに」


 ぎゅっと目を瞑り、拳で頭を打ち付け必死に思い出そうとする少年。


「君はさっき王様を殺したいと言っていたよ」


「王様を?ルカを助ける?意味が分からない」


 ビーは首を傾げ、興味深そうに少年を見つめる。自分の場合は転生してすぐに記憶が収束し、人格も統合された。それがスムーズだった為に生き残ることが出来たのだ。さて、この少年はどのくらいかかるかな。


「あー、ルカは死んでる。奴隷か。なるほどな。あー---、お前の怒りはもっともだ」


 ブツブツと自分の中にいる誰かと会話する少年。どうやら記憶の収束は終わったらしい。二つの人格で記憶を共有できているようだ。次は人格だ。統合するか、排除するのか。


「で?だから、王様を殺したいのか。それは難しいぞ?いやいや協力する。でもまずは、妹をこんな目に合わせたお前の親からじゃないか?そして、奴隷として買ったやつ、この地方の貴族、そして、王様。どうだ?ん?妹をヤッたやつが誰だか分からないんだろ?だったら殺しながら聞いていけばいいさ。そうだろ?よし。ありがとうお兄ちゃん。ってあれ、おれ、って僕か?」


 ビーは優しく少年を見守る。これは期待できる。この子こそCSOUを変える力を持つかもしれない。だから焦ってはダメだ。じっくりと彼の歩幅に合わせなければ。


「少年。自分の名前は憶えてるかな?」


「んー名前ねー。んー」


「大丈夫心配しないで。最初は名前を思い出せないんだ。どうだろう、今空いているのはヴィーなん」


「そういや、お前が殺したんだよな」


「ごめんね。ホントはしたくなかったんだけど、情報漏洩を防ぐために殺っちゃった」


「ふーん」


「名前なんだけどね」


「お前ビーって言うんだろ?さっきの兄ちゃんが叫んでた」


「そうだよビーです。宜しくね。君は」


「黙れ」


 話の腰を何度も折られ少し苛立っていたビーだったが、おくびにも出さず優し気な顔で話し続けていた。だが、黙れの一言で彼の顔から笑みが消えた。


「ね?やっぱりできるでしょ?ああこれ便利だわ。ありがとな」


 ビーはパクパクと口を動かすが声が出ない。目を剥き叫ぼうとするが息が漏れるだけ。


「蛇さん。腹減ってるんでしょ?こいつ食えよ」


 ビーの命令により微動だにしなかった蛇が動き出し、顔をビーへと近づける。必死に命令を下そうと口を動かすが、声が出ない。


「声が出ないと能力が使えない訳だ。なるへそなるへそ」


 ヘビを見上げるビーの目には涙が溜まり、表情の無い蛇の顔もどことなく悲し気であった。


 ビーはこの世界に転生してから今まで、ヘビさんに対してはほとんど能力を使ったことが無かった。例外として、ヘビさんが危険な時にのみ使う事はあっても日常で使う事は無かった。たとえ自分が危険な状況にあってもである。

 彼らの関係は家族のようであり、さらに、一般的に言われる動物と人間の共同体を指す家族とも違う、濃密なパートナーであった。人間で言えば夫婦に近しいものだろう。


 ビーは食べられる寸前、ハッキリ大きく、出ない声を補う様に口を動かした。


「ごめんね、愛してる。…ペットだけ残していくのは確かに可愛そうだな。うん、ちょっとかわいそうだね。後でお前も殺してやるよ安心しろ。ただし、それ食ってからな」


 そう言うと少年はこの社屋の天井を見上げた。そういえばここ二階建てだったな。


「ちょっくら探検でもしてみよう。うんいいね」





 ヘビさんは階段を上っていく少年の後ろ姿を見ながら、必死に首を動かした。少年を食べたときよりも何倍も必死にビーを体内に取り込もうと。それはもう必死に。

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