新幹線の車窓から見える風景に、無機質な人工物が増えていく。夢や欲望やいろいろなもので築かれた都市。この灰色の景色のもとへ戻ってくると、身の引き締まる思いがする。気を張っていないと押し潰されてしまいそうな圧力がある。

 新幹線を降りて路線を乗り換える。グルっと回る路線、それから東西へと伸びる路線へ。

 複数の商店街が密集する子供の玩具箱みたいなごちゃごちゃっとした街へ着いた。

 紅音はぼたんと一緒に駅の改札から出た。このまま『セント・BAR・ナード』へ行く予定だ。先ほどまで見えていた日は既に沈んでいる。

 駅前のバスロータリーの先の広場に、なにやら人だかりができていた。この街は路上ライブをする人間もよくいるが、それにしては集まっている人の数が多い。何かのイベントだろうか。少し興味の惹かれた紅音は人の合間を縫って覗いてみた。

 石畳の地面の上に、かなりの面積を誇る長方形の白い紙が広がっている。横に寝る人間三人分×五人分ぐらいの面積だ。とにかくでかい紙。

 その紙の周りに集まっている人間たちの姿を見て、なんとなくやろうとしていることの察しがついた。十数名いるそのパフォーマーたちはみな弓道で着るような袴姿だった。巨大和紙の傍にある巨大な筆からしても、想像がつく。彼らは今から書道パフォーマンスをしようとしているのだ。

 しかし、一つおかしなことがある。袴姿のパフォーマーたちは全員白塗りの不気味な仮面をつけていた。妙な連中である。ただこの街は他の街に比べて妙な連中の比率が高い。ある意味この街らしい格好である。

「何かやってるの?」

 紅音の横までやってきたぼたんが訊いた。

「なんか変な連中がいる」

「オホホ、紅音ちゃんに変と言わせるとは相当ね」

 曲が鳴り始めた。スピーカーからシンセの音やドラム音が響く。それとは別に、仮面をつけた袴姿の女性らしき人間がキーボードを弾いていた。

 妙な連中が曲に合わせゆっくりと踊り始めた。

 そのうち一人が、墨汁を滴らせた巨大な筆を持ち、和紙の上に豪快に打ちつけた。衣装に墨が飛び散るのも構わず、筆を一閃させた。続いてやってきた人間に筆を渡す。

 和紙に初めの一画を描いた人間は、他の人間から受け取ったバイオリンを手に持ち、曲に合わせすぐに弾き始めた。少し切なげでメロディアスな音色。紅音はその人間の動作を穴が開くほどに凝視した。予感は確信に変わった。

 紅音は両の拳を握り締めた。

 胸が熱くなった。

 筆は一人一人バトンのように繋がれていく。少しずつ、描かれる文字が明確になっていく。

 サビに向け、曲調が加速した。

 ララーララーララー

   ラララーラー

 ララララーララララー

   ララララー

 バイオリンの高音が突き抜けるように鋭く響く。

 ダンサーたちの踊りも激しさを増した。

「うおおおりゃああああ!」

 巨大筆の重さに弄ばれ気味だった小さな女の子らしきパフォーマーが、大声を上げて勢いよく筆を振り抜いた。墨汁の飛び散りが明らかに度を越えた気がする。……まったく。

 曲の合間に、キーボードを弾いていた女性も筆を持った。彼女らしいしっかりとした筆跡。

 紅音は無意識のうちに他の観客たちより一歩前へ進み出ていた。

 二回目のサビへ。

 ララーララーララー

   ラララーラー

 ララララーララララー

   ララララー

 袖から見えるしなやかな筋肉を持つ男性が最後の一画を描き切った。

 曲が一時的に静まり、ダンサーたちも動きを止めた。

 巨大和紙に描かれた文字は、『翼』だ。少しばかり不格好ではあるけれど。

 最後に筆を持った仮面の男が、紅音に向かって「来い」と挑戦的に手招きした。紅音と対等に渡り合えるのは彼だけだ。いいだろう。紅音は男のほうへ歩み寄った。

 紅音が男から巨大筆を受け取ったところで、パフォーマーたちが一斉に仮面を宙へ放り投げた。

 最後のサビが始まる。

 ララーララーララー

   ラララーラー

 ララララーララララー

   ララララー

 紅音は繋がれた想いを手に、それを描いた。まずは左。

 鬼気迫るようなバイオリンの音色が響く。

 紅音を囲むダンサーたちの熱が伝わってくる。

 次は右。

 大サビへ。

 ララーララーララー

   ララララーララーララー

 ララララーララーララー

    ラララーラー

 ララーララーララー

   ラララララーララーララー

 ララララーララーララー

   ラララーラー

 私服や、顔にまで墨が飛び散ったが、そんなことはどうでもよかった。

 紅音は『翼』の両端に、鳥の羽を描いた。

 とびかたをしらなかったとりたちが。

 ここから飛び立てるように。

 絆という翼で。

 見知った顔が紅音の周りに集まってくる。

 みんなで協力して巨大和紙を持ち上げて、完成した合作を集まっている観客たちへ向けた。

 拍手が起こる。観客に紛れたぼたんのほうを見ると、彼女(彼?)は満足げな笑みを浮かべていた。きっと初めから知っていたのだ。

 紅音は解散したはずの墨だらけの『とびとり』メンバーたちと順にハイタッチを交わしていった。

 聡一が頭上に掲げた手を、紅音は力いっぱい叩いてやった。

「いてえな」

 聡一は苛立たしげに呻いた。

「イエーイ!」

 七菜とはジャンピングハイタッチを交わす。

 咲来とはソフトに、品良く。

 他のメンバーたちとも視線を交わし手を合わせた。

 残るは一人だ。

 バイオリンを置いた賢二が、俯き加減で紅音のほうを向いている。

 紅音は彼に近づいていった。

「ケンケン」

「はい」

「おかえり」

 賢二が顔を上げて紅音を見た。震える声で言葉を紡ぐ。

「ただいま戻りました」

 彼のまぶたから涙がこぼれる前に、紅音は賢二に抱きついた。

 力強く。

 近くで七菜がビービー泣いていた。

 聡一は興味なさそうにそっぽを向いている。

 咲来は微笑みを浮かべていた。

 紅音は両親に伝えたかった。

 こんな素敵な仲間たちと出会えたことを。

 今日は新しい記念日だ。

 翼で繋がった、『とびとり』の新たな一歩。

 想いが空へ羽ばたいていった。

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