第十九章 今川義元と竹千代(徳川家康)
1552年 諏訪原城内
「駿府城へ?」更科
「そうじゃ、御屋形様の使いじゃ。義元殿に会いに行く」森之助
「おひとりで?」
「いや、勘助殿と落ち合う予定じゃ」
「勘助殿と。信虎様にはお会いになりまするか?」
「勘助殿が、信虎殿を駿府城へお連れしたのじゃ。それ故、勘助殿はお会いになるであろうな。わしは面識が無いため、信虎殿には会わぬ予定じゃ。」
「左様ですか、では森之助殿は何用で?」
「尾張と三河の動きが気になる。今川勢と武田勢の動きの確認じゃ」
「それは、良き事と存じます。信濃が一旦落ち着きましたが、三河の松平をめぐって、今川、織田勢とのやり取りが気になります」
「左様じゃな。松平が亡くなり、その子、竹千代の人質を奪い合っておる」
「私も連れて行っていただけませんか?」
「……何を考えておる?」
「何も…ただ、大国の間に挟まれた三河の国から、僅か8歳で人質に出され、親に裏切られてもう一方の国へ身柄を渡されるという、森之助殿と同じ境遇の方を放ってはおけません。何か少しでもお役に立ちとうございます」
「そうじゃの。だが、わしよりも酷い状況じゃ。まだ10歳との事じゃ。しかも父親は殺された」
「酷い事ですね。だが、そのような辛い環境を乗り越える事が出来たなら、痛みを知っている故、良い殿になれましょうな?」
「わしもそう思う。その時は三河は強くなるであろうな」
「ここは、その三河と目の鼻の先の地じゃ。いずれ戦う時が来るやもしれぬ」
駿府城にて
森之助と更科は勘助に伴い今川義元と接見した。
今川の重臣たちと、織田に対する会議を行った。
信長が攻めて来ぬ限り、今川もしばらくは様子を見る事になった。
「あれが、竹千代じゃ」義元
中庭にて侍女や家臣達と、楽しそうに遊んでいる。
「左様でございますか?」森之助
「人質には思えません。まるで、若殿のよう」更科
「竹千代の言うことは何でも叶えさせるように家臣には申しつけておる」義元
「・・・それは、どのような意図がおありでしょうか?」森之助
「ほう? 晴信殿が遣しただけの事はあるようじゃの」
義元の策であった。竹千代に道楽をさせ、立派な武将にさせないように甘えさせて育てる方針であった。いずれ、三河の城主となったおりには、今川に頼わざる得ないようにと。
遊びが終わって、竹千代が腰かけた際に、更科が横に座って話かけていた。
先ほどまで、楽しそうに遊んでいた竹千代が更科を真っすぐ見つめ涙を流した。
ただ、その涙は、悲しみの涙では無く、嬉し涙のように見えた。
更科には、一瞬にして人を引き付ける、美しさと深い優しさがあった。それはまだ10歳の竹千代にもわかるのであろう。このお方は、味方なのだと。
森之助、更科、竹千代(徳川家康)の出会いであった。いずれ戦う運命とはまだ知らずにいた。
それから8年の歳月が流れた。
1560年
ついに、今川義元は尾張に向かった。桶狭間の戦いである。この時、竹千代(十八歳)も松平元康と名を改め今川勢の先鋒として向かった。
竹千代は義元と部隊を分けており、桶狭間には居なかった。
信長は織田軍との戦いに勝ち進む今川軍の油断を付き、義元は討ち取られた。
義元を失った今川軍の混乱状態の中、竹千代は岡崎城へ戻った。
そして竹千代は苦渋の末、信長と同盟を結んだのである。
義元亡き後、衰退する今川家の遠州が戦場の場となり始めた。
一方、信濃でも
村上義清が上杉を頼り、上杉謙信と武田信玄の長きに渡る戦いが始まっていた。
いわゆる、川中島戦いである。
※一次合戦から第五次まで十一年間の長き戦いとなった。
第十九章 完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます