第二部 信濃統一 ~善光寺と市兵衛~ 第十五章 諏訪原城へ
天文10年(1541年)
森之助、更科一行は、楽巌寺城を後にし、諏訪原城へ向かった。
※諏訪原城 静岡県島田市金谷町 現城跡は激化する織田・徳川軍との争いで天正元年・武田勝頼の命により再築城されたとされ、武田家滅亡後は、徳川の手によって牧野城として改修されたとされる。
この地は今川領と徳川領との堺にあり東海の要所として位置図けられており、今川と同盟を結んでいた信虎の時代にも築城していたと思われる。諏訪原の名は、勝頼の母諏訪御前から付けられたとされる。
森之助は教来石信房の名代として城をまかされたと伝承されている。
この時、長坂左之助も森之助の家臣として加わった。
「父上に許しを得て参りました。家臣として使えさせて頂きとうございます」
「良いのか、長坂の跡目は左衛門殿が亡き後、お主が継ぐのでは無いか」森之助
「はい。姉上がおります故、婿を迎え入れて頂くようお願いしてまいりました」
「まあ、姉君様の運命も変えてしまいましたね」更科
「あの日、皆さまにお命助けて頂きました。この命、この先、皆さまをお救いする為に使いたいと思います」
「たわけ。嬉しいが、お主の命もわしらの命も一緒じゃ。いや、お主の方が若い故、この先、生き永らえるとしたら、お主の方じゃ。お主の自らの命を守るために戦え。わしらもお主を守るために戦おうぞ」
「……」
「どうした? 何故泣く」森之助
左之助は泣いた。次男としていつも兄が優遇されていた。そしてその実の兄上にでさえ斬られようとした身。この乱世に自分をこのように思ってくれる人がいるのだと嬉しかった。
「改めて今、我は生涯を通じての主君を得たと、嬉し泣きでござる」
「あの日、いつか一緒に戦って見たいものと言った事は誠じゃ。そして、わしも罪人としての護送途中と躑躅が城館にて身を呈してわしを救おうとしてくれた、お主のその恩も生涯忘れはせぬぞ」
更科、結、琴、おまつ、晴介、孝之進、圭二郎、直次郎、明石たちは、手柄ほしさや、保身の為に家臣につくこの乱世にて、決してそうでは無い、真に絆で結ばれた仲間がまた、一人増えたと感じた。
「この城は、徳川方とは目と鼻の先じゃ。いずれ戦う時がくるやも知れぬ」森之助
「武田・今川の同盟が崩れぬ限り、徳川も攻めては来ぬじゃろう」晴介
「織田と徳川が争うておる。徳川が織田、今川のどちらにつくかでこの城の役割も大きく変わってくるであろうな。」明石
「そうじゃな。いずれにせよ、この地で直ぐに戦は始まらぬであろう」森之助
「御屋形様(信虎)も今は、小県を攻める段取りで、こちらは義元様にお任せの様子ですね」更科
「しかし、このところ、武田から今川へ頻繁に使者が訪れているようだ」晴介
「武田と今川に何か、あるのでしょうか?」左之助
「……」森之助
「森之助殿?」更科
こいつ何か隠しておるな。孝之進と圭二郎が気付いた。幼き頃より一緒に過ごした仲だ。
森之助の表情で直ぐにわかる間柄だ。
話をそらした。
「それにしても、森之助。人質の次は楽巌寺城の若殿、その次は罪人、そして諏訪原城の名代か? 浮き沈みもこれ程激しい人生を送る者もそうはおらぬじゃろうな」孝之進
「そうじゃ。でも最悪の状況から、覆す何かを持っておるな。森之助は」圭二郎
「何かを持っておるとすれば、それは、ここにおるお主らじゃ。一緒に戦ってくれる皆のおかげじゃ」森之助
森之助はすぐ傍にいたまだ幼さが残る長坂左之助を片手で抱き寄せ言った。
「森之助殿・・・」
左之助はこの森之助と更科そして、その仲間達を見た。自らの命を顧みず、森之助を助けるべく、僅かな人数で躑躅が城館に乗り込んで来た者たちを。どの様な絆で結ばれているのか?
そして、この先、どの様な歴史を作っていくのか?
それを一緒に見てみたいと思い、森之助について来た。
森之助の言葉、その一挙手一投足が、若き、武士の左之助には心に刺さった。
天文10年(1541年)5月
知らせが来た。
「殿(教来石信房)からじゃ」森之助
「何と書かれておりますか?」更科
「小県への向かうとの事じゃ」森之助
「いよいよか」晴介
「わしらは行かぬで良いのか?」お結
「武田・諏訪・村上の三国同盟軍じゃ。結果は見えておる」森之助
※海野平の戦いである。これにより滋野の一族は総崩れとなり海野(真田)は上杉を頼った。
「幸隆殿が逃げ延びれば良いのだが」森之助
「海野は相木とは同族であったと聞くが」直次郎
「そうじゃ。わしも何度かお会いした事がある」森之助
「市兵衛殿の事じゃ、きっとお考えあっての此度の戦じゃ」圭二郎
「そうであれば良いのじゃが」孝之進
「殿(右馬之助)も出向かれますか?」おまつ
「そうであろうな。怪我をせねば良いが」更科
決着は早期についた。信虎・晴信は早々に引き上げて来た。小県の領地は三国で分けた。
そして、ついにその時が来た。
6月14日 武田信虎が晴信により駿河へ追放され武田の家督を晴信が継いだのである.
これは、晴信初陣の海ノ口の戦いの時より計画されていた。
残虐非道の信虎より古今無双の武士と言われた晴信を武田の当主として、家臣達が担ぎあげたのである。
市兵衛が武田に降りたのも、この事を山本勘助から聞いていたからである。
晴信の元であれば、信濃は一つになれると思ったからである。
しかし、翌年、この武田家の内紛を機に、三国同盟を裏切り諏訪頼重が勝手に上杉と和議を結び小県の領地を奪った。これにより、三国同盟は決裂した。
信濃は以前にまして、上杉、村上、諏訪、武田による勢力争いの中に巻き込まれた。
躑躅が城館
「諏訪頼重が裏切ったと?」晴信
「はっ。上杉と和議を結び、小県の領地を奪っております」勘助
「早くも、動いて来たか?」甘利
「して、村上方はどうじゃ。動きはあるか?」板垣
「今のところ、村上の動きはありませぬが、いずれ我々の出方を見据え動くやもしれませぬ」勘助
「いずれにせよ、同盟を勝手に破棄した頼重を許すわけにはいかぬ」晴信
「そのとおり。御屋形様(晴信)を侮っての事。決してこれを許しては、諸国にもなめられましょう」板垣
「これより、諏訪頼重討伐に向かう。皆、支度をせい」晴信
「お待ち下さい。向こうには禰々様(晴信の妹・頼重の正室)がおられます」勘助
「助けだせばよかろう」甘利
「諏訪御前様(諏訪頼重の娘であり、晴信の側室)には何と申し上げますか?」勘助
※このように、武田信虎と諏訪頼重は互いの娘を嫁がせ、同盟を図っていたが、それでも頼重は同盟を無視した。その真相はわからない。
「致し方あるまい。裏切り行為をしたのは頼重殿のほうじゃ」板垣
「御前にはわしから話をしておく」晴信
「ははっ」勘助
「市兵衛殿は、村上と佐久衆の動きを抑えておいてくれるか?」晴信
「ははっ」市兵衛
晴信は諏訪分家の高遠頼継や諏訪下社の金刺氏を調略し、諏訪頼重を孤立させた。
1542年7月 諏訪頼重は助命を条件に降伏した。
しかし、甲府におくられた頼重は自決させられ、諏訪惣領家はここに滅亡した。
禰々は晴信の元に戻ったが、翌年病死している。わずか18歳であった。
父、諏訪頼重を自害させられた諏訪御前は、悲しみの中、1546年 四郎勝頼を生む。
諏訪と武田の遺恨も、この四郎勝頼が諏訪を継承することでなくなったのである。
そして、1543年 晴信は再び、信濃に侵攻した。
村上と武田が同盟を結んだのは、わずか二年間であった。
更科・森之助は、村上と父・楽巌寺右馬之助とついに戦う事になったのである。
第十五章 完
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