第一部 第一章 出会い

天文五年(1536年)、信州地方では、諸国での勢力争いが続いていた。

その中でも佐久さくの勢力と同盟を結んだ村上義清の勢力が台頭してきていた。

(※武田信玄を二度破った男として信濃の豪傑と称されている戦国大名である。)


 十一月中旬 信州では初冬を迎えていた。


 村上家の領地、長野県埴科郡坂城村内。(現・坂城町)

家臣の一人、武術師範でもある、井上忠清(通称・九郎)の道場内 中庭にて。

元服間近の若い少年達(一般に元服は十三歳~十六歳遅くとも十八歳まで)

同様の年頃の少女達が稽古の為に中庭に集められていた。

本来であれば、男女別々に稽古を行う為、一同に揃う事は滅多に無い。

いくさが間近に迫っていた。


「よいか。皆よく聞け。まもなく武田勢が攻めて来るとの知らせが入った」九郎

ざわざわ。少年少女達がざわついた。

「本日は実践のつもりで稽古致せ」九郎

「はい」

男子から木刀での一対一の仕合形式の稽古が始まった。

 えい。やー。いささか頼りない掛け声と、カン、カンと小さな木刀音が響いていた。

 九郎と師範代の者たちが声をかけて指導していた。

 それを見ていた少女達の中に飛びぬけて美しい娘がいた。

村上家・筆頭家臣・楽巌寺雅方(通称・右馬之助)の一人娘、更科(十七歳)である。

幼き頃より文武両道に優れ、容姿端麗。その美貌ゆえ、縁談の話が絶えず来ていた。しかし、更科のお目にかかる男子はいなかった。

(※生まれ故郷とされる坂城町では更科の幼き頃の武勇伝が今なお伝承されている)


「おい、おゆい。頼りないの子ばかりじゃのう。あの体たらくで戦に勝てるのか?」更科が横にいたお結に嘆いた。更科と同い年である。

「あっし一人で皆倒せるで、やんす」

その横にいたお結の二つ下の妹、おことが答えた。

この二人は数年前に戸隠村より戦火の中、母のおまつと三人で坂城町まで逃げ延びて来たところを更科が見つけ、助けた者達である。


今では三人で更科の世話役として楽巌寺城で寝食を共にしている。幼き頃に母を亡くした一人娘の更科にとって、家族同様の存在であった。


男子達の稽古が続く。

「どいつもこいつも似たり寄ったりじゃの」 更科が呟いた。 

「次、森之助と晴介はるすけ」師範の九郎が名指した。


「またおまえとか。少しは仕掛けて来いよ」晴介が言った。晴介の後ろから森之助が立って出て来た。

南佐久郡・相木城主・相木市兵衛昌頼あいきいちべえまさともの次男・相木森之助である。十八歳。

(※真田幸隆から幸村までの真田家の実記録・真田三代記では森之助は勇者として記載されている。)


かつては敵国であったが、同盟を結び、相木より人質として四年前よりこの地に預けられている。

 その立ち姿は凛々しく、背も他の者たちより頭ひとつ抜き出ていた。精悍な顔つきであるが、未だ少し幼さが残る美少年である。(村内では眉目秀麗にして質実剛健と称されていた。)


相木家は依田一族であり、その祖は清和天皇・源氏の血筋を引く正当な家系ゆえ、幼き頃よりそれなりの教育を受けており品格が漂っていた。

依田一族が相木村を収めるようになって相木の姓を名乗るようになった。

村上義清の居城・ 葛尾城内及びその城下では若い娘たちからは憧れの存在である。


「ほう。あれは誰じゃ?」 更科がお結に聞いた。

「更科は初めてか?更科のお目にかかったようじゃな。あれが相木森之助じゃ」お結が答えた。

「あれが、森之助か?」更科

 森之助は人質の身。日中多くを葛尾城にて過ごして居たため、稽古の時か、たまにしか城外に出ない。外に出るときは常に見張りが付いていた。楽巌寺城とは少し距離があった為、更科は噂には聞いてはいたが今まで会ったことが無かった。


「確かに領地でも一番の男前ではあるが、あれはならぬぞ。更科。隣国の人質じゃ。それに前の稽古を覗いた事があるが、よう攻めこめぬ腰抜けのようであったぞ」お結。


「せいやー」晴介が打って出た。森之助がひらりとかわす。 

「どりゃー、ええーい」晴介の声は立派だが、何度もかわされ続けた。

カン、カン、カンと他の者達よりは素早く重い太刀もかるく森之助に受け流されていた。

「晴介、もっと気合をいれんかぁ。」お結とお琴が笑いながら茶化して声援を送る。

 世良伝衛門晴介。 この男は二年前までは、更科のお見付け番であった。但し、それは表向きであり、実際はお結達の見張り番である。戸隠からの流れ者との事であったが、他国の間者の恐れがあった。それ故、晴介を見張りとして付けていたのである。晴介とは顔なじみであった。

 数年が過ぎ、今ではその疑いも晴れ、晴介はお役御免となったが、人質の森之助が成人に近づいて来たため、今度は森之助の見張り役となった。森之助と同い年である。

 この晴介という男、誰とでも直ぐに親しくなる性格をしていた。それゆえ情報収集に長けており、役に立つ男だ。だがお調子者の代表格でもあった。

            

残念ながら剣術の腕前は左程でもない。森之助にかすりも、汗をかかせることすら出来ない。

「逃げてばかりの男じゃの」お琴が言った。

「いや。琴、更科。あの受け方はかなりな手練れのようじゃぞ」お結。

「そのようじゃな。いつでも打って出られる体勢で受けている」更科が答えた。 

そこに屋敷奥から、村上義清と楽巌寺右馬之助が稽古場に現れた。

「これは、御屋形様」九郎が片膝を付いて二人を迎えた。

森之助も気づき、身体を向け片膝を付いた。その際、晴介の木刀が森之助の頭に向かった。森之助は避けずに片手にて木刀で受け止めた。  

ばきっ。大きな音と共に晴介の木刀が折れた。

右馬之助が九郎に尋ねた。

「その者は誰ぞ」

「相木森之助に御座います」九郎

「相木市兵衛の倅じゃ」義清が答えた

「おお。あの森之助殿か? しばらく見ぬうちに大きくなられたな。来られた時は未だ幼き風貌であったので見違え申した」右馬之助。

「しかし何故、受けてばかりおる?打たぬは何故じゃ?」右馬之助が続けて問うた。

「良いではないか。大事な身体じゃ。戦には出てもらっては困る。市兵衛殿に申し訳がたたぬからな」義清が少し微笑んで答えた。

 人質。同盟国との仲を取り持つ役目であり、大事な身体である。その扱い次第では戦になる為、大切に扱いを受けている。

但し、同盟国の裏切りが発覚すれば、即、死が待っている身だ。

「これ更科。父上の右馬之助殿がお見えじゃ。稽古をご覧頂け」九郎が言った。

「はい。」更科と同時に お結とお琴も立ち上がった。

 少年達がざわついた。「更科だぞ。更科達が出て来た」少年達にとっては、更科を筆頭に・結・琴はあこがれの美人三人娘だ。

 そばでその立ち姿を眺めているだけで幸せであった。さらに女子達の稽古は滅多にみられない。

貴重な時間だ。

「二人がけか?」右馬之助。

「はい。一人ではもう誰も更科殿には、かないませんゆえ」九郎が答えた。

「なれど、あの者二人も幼き頃から忍びの術を得ており、かなりな手練れぞ。わしの館で稽古を見ており良く知っておる」右馬之助。

 さらに右馬之助「長刀ではないのか?」

「はい」九郎

お琴だけ長刀で更科とお結は木刀であった。 

「始め」九郎


「せいやーー!」更科の大きな掛け声と同時にどーん。と地面が震えた。

更科の木刀が地面にたたきつけられた。お結が受けずに紙一重で避けた。


 皆、唖然となった。


これにはお結もお琴も冷や汗が出た。更科の太刀の速さが増していた。

すぐさま、がしっ。がん。がん。がーん。


その響きが重い太刀筋で有ることがわかる。お琴の長刀とお結の木刀が交互に、そして時には同時に、すさまじい速さで更科に打ち込まれた。

それを更科は平然と受け続ける。

少年達も唖然とその風景を見つめた。


更科の美しい顔が、真剣な鋭い目つきと食いしばった口元でさらに際立って見えた。

更科の口元が少し微笑んだ。

 ぞぞっ。少年少女達が震えた。

 その太刀裁きの速さと威力。大人の稽古であれば納得がいくが、か細い少女が恐ろしい程の太刀裁きを繰り返していた。

この世の少女には到底見えなかった。

まさに鬼女が乗り移ったか?

そう少年たちは感じていた。

 古より信州の北方に位置する戸隠地方には鬼女の伝説が伝わる。お結達が戸隠から流れて来て今、一緒に過ごして居ることも、その噂に拍車をかけていた。       

噂には聞いていたが、更科がこれ程とは、少年達は初めて見た。また、お結、お琴の腕も尋常では無いことを悟った。

 ガン。ガン。「どりゃ」がキーン。

「せいっ」

 凄まじい音と声が続いた。

 義清も右馬之助も驚きを隠せなかった。

「こりゃ。更科、結、琴。稽古じゃぞ。怪我をしてはならん。少しは手掛けんせんかあ」

ようやく九郎が叫んだ。

「もう良い。やめい。やめい」九郎が止めに入った。

一太刀でも体に受ければ骨が折れるであろう早さと重き太刀筋であった。

「ぬしらは、手加減というものを知らぬか?」九郎

 森之助も微笑んで見ていた。

「これ。森之助。嬉しそうじゃの。」九郎

「いえ。お噂通りの更科殿のお手前。お見事と存じます」森之助


その言葉で更科の頬が少し紅潮した。

その更科の仕草に、お結とお琴が目を合わせた。


そこへ足早に使者が来た。

村上義清おやかたさまに申し上げます。武田方、昨日に甲州を出立し、佐久に向かったとの知らせが入りました。その数八千」

「何? ついに来たか。八千とな。……信虎め」義清

「勢力を集め、海ノ口城にてせき止めよ。一歩も佐久に入れるな」右馬之助へ向かって義清が言った。

「はっ。佐久の相木、大井に海ノ口城の平賀に援軍するよう伝えております」右馬之助。

「武田信虎が嫡男晴信(後の信玄)を引き連れている模様です」連絡係

「ほう。晴信をのう。まだ十五、六歳と聞いておるが、初陣を飾らせるつもりかも知れぬが、返り討ちにしてやるわ」義清

「諏訪方面からの守りはいかほどにいたしましょう」右馬之助

「諏訪頼重の動きが気になるが、まずは、佐久の侵入を食い止める事が大事じゃ。二手に兵力を分けて来ることはあるまい。が、念の為二百と少しで葛尾城と楽巌寺城のまもりを固めておけ」義清

「承知」右馬之助

※この油断が更科達を境地に追い込む事になった。

この 戦の直前になって。信虎は諏訪頼重と和睦を結んでいた。信虎は信州を落とすには敵対する諏訪との同盟が必要と考えていたのである。信虎が海ノ口城へ攻めると同時に諏訪方面からも武田・諏訪連合軍が5百出ていたのである。


武田信虎は居城の躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたから佐久郡の入り口にある海ノ口城へ向かった。ここを落とせば佐久攻めの拠点となるのである。


※時代背景

佐久は信州でも指折りの作物が豊富に育つ肥えた土地柄である。天候により凶作や不作が長く続く土地柄では無かった。それ故、村上や武田が是が非でも欲しがったのである。佐久を長く守って来たのは依田(相木)一族と大井一族である。

その佐久を最初に狙って来たのが、村上義清である。勢力を強めて来ていた為、戦になれば、多くの犠牲を払う事になる。相木市兵衛は村と、村人を守る為、村上に下ることを選択したのである。未だ十四歳の森之助を人質に出すことを条件に。

 佐久を配下に入れた義清は、相木の領地である海ノ口(南佐久郡南牧村)に、自身の家臣である 平賀源心を城主にした海ノ口城を築城したいたのである


 そのような経緯が海ノ口城にはあった。


海ノ口城内


 続々と兵が山を登って集まってきていた。

「相木勢・大井勢各々一千援軍に駆けつけました」相木市兵衛と大井行頼が片膝をついて報告した。

「うむ。ご苦労である」 平賀源心

 平賀源心・五十人力と言われた豪傑である。


「平賀殿、我が兵は五百。後は楽巌寺城と葛尾城の守りに分け就いております」右馬之助 

※村上方は三千の兵で迎え撃つ作戦である。

海ノ口城は山城で小城であった為、三千しか籠城出来なかった。

しかし、海ノ口城からわずかな距離の後方にある海尻城にあと三千の兵が集められていた。

「左様でござるか。でも、ここから先は一兵たりとも通さぬつもりでござる。心配ご無用である」平賀


 一方、楽巌寺城内


 更科の居城である。更科含め城内の侍女達も戦仕立ての姿をしていた。兵士が百余り詰めかけていた。

「おまつ殿。よく似あっておりますな。恰好が良い。強そうですぞ」と更科

母様かかさまは戸隠では一番の女傑と言われておった。何人も切り倒したぞ」お琴が言った。

 おまつの顔が少し歪んだ。

「あの様な戦にならねば良いが……」

 お結。お琴。よいな。更科様のおそばからけっして離れるな。我らでお守りするのじゃ」

「わかっております。母様は心配性じゃな」お結

 お結とお琴は、ここ数年の平和な暮らしで戦で命からがら逃げて来た記憶が薄れかけていた。


「……おまつ殿が何人も切った?」更科

 更科には、いつも美しく笑顔のやさしいおまつからは想像がつかなかった。


 その他に、井上九郎及び元服前の稽古場にいた若い男子たちも居た。もしここで戦いになればこの者たちの初陣となる。


 もう一方、葛尾城内の様子

 村上義清の居城である。

 兵が城内に三百。楽巌寺兵が百。守りを固めた。 一応、森之助と晴介も甲冑を着て待機していた。いざとなった時は戦わず森之助をつれて逃げよと晴介は義清に言われていた。


 天文五年十一月 海ノ口城の戦い


 武田晴信(後の信玄)初陣の戦いと言われている。

武田勢は甘利虎泰・板垣信方・教来石景政等の重臣達が顔を揃えていた。

武田方から法螺貝の音が鳴り響いた。

戦いの合図である。


「おおー!」

「いけぇー」

「城を落とせー」

 武田信虎が八千の兵で、小高い山をのぼり海ノ口城を攻めて来た。城内で迎え撃つのは、城主平賀源内、始め、楽巌寺右馬之助等、村上家重臣及び同盟国である佐久の相木、大井等総勢三千の兵で応戦した。

城壁の上から矢が無数に武田方に放たれた。

簡単には塀を乗り越える事が出来ない。

 小さい城であるが、山城であり、地の利を生かして城壁が作られていた。簡単には塀を乗り越える事が出来ない。ようやく乗り越えられると思いきや、城内から岩や木材が落とされ、武田兵が体制を崩したと見るやいなや、屈強な相木の兵が飛び出して来て切りつけられた。

 それが繰り返された。

相木の兵は深い藍色の甲冑で揃えられており、青備えの軍団と恐れられた。

 しかし兵力で上回る武田方も引かずに対抗していたが、これと言った打開策もなく、時が過ぎていった。


一ケ月が経とうとしていた。

十二月の中旬になった。寒さが増して、信州の寒さにされていない武田兵はみるからに弱まって来ていた。


「ははっ。信虎も大した事はないの。もう兵士は戦う事も出来ず。寒さに震えておるわ」平賀源心

「左様でござるな。平賀殿」右馬之助

「それにしても相木殿、ご活躍であるな。この地の利を生かしての戦い方。見事でござる。大岩や巨木を次々にあのように落とされては武田もよう近づく事が出来ぬ」右馬之助。

「小山なれど坂が急な故、それを生かした戦い方でござる」市兵衛

「もともとは相木殿の収めていた領地故、この地で相木殿にかなうものはおりますまい」大井が答えた。

 平賀源心がおもしろくない顔をした。

「右馬之助殿。これも、平賀殿の戦略の賜物。戦略無くしては戦えません」平賀の顔色を察して市兵衛が答えた

「おお。その通りじゃな。平賀殿の作戦じゃったな」右馬之助も市兵衛の返答の主旨を理解し平賀に華を持たせた。

「そうであろう。そうであろう。全て戦略あればこそじゃ。はっはぁ」平賀源心。

 これも軍略会議で相木が申し出た策であった。

海ノ口城では村上勢が有利に戦っていた。


 一方、楽巌寺城内では、進展が無いまま時が過ぎていた。

「結。このところ更科様の様子がおかしいと思うのだが、何かありましたか?」おまつ

「母様もそう思われますか?」お結

「森之助じゃ」お琴

「相木の人質じゃ」お結

「……なんと。左様ですか。あのお方でしたか」おまつが困った顔をした。

「叶わぬ思いじゃな」お結

「どうにかならぬものかの?」お琴


 数日がさらに過ぎた十二月中旬 予想出来なかった展開が起きた。


 楽巌寺城に諏訪経由で侵入してきた武田・諏訪の連合軍が五百で攻めて来たのである。


 どかーん。と大きな音と共に城門が破られ、敵兵がなだれ込んで来た。

  

                        第一章 完

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