第9話 魔神さん、うどんをたべる

 そんなわけで、ヴァルディスはサ飯とやらを御馳走になることになった。ベイル曰く、これまで食べたことのない最高の料理だそうだ。


 まあ、敗者に拒否権などない。

 素直に従うことにする。


 ラングリオン内には、広々とした大食堂がある。座敷席は生憎と満席。というわけで、ヴァルディスたちはテーブル席へ。


 ここは、カウンターで注文し、料金を支払うと『鳴動石』なるアイテムを手渡される。これを持って席で待っていると、この鳴動石がピピピという音を鳴らしながら振動して、料理の完成を報せてくれる。


 しばらくして、注文した料理ができて、ベイルが取りに行ってくれる。


 ――なんともフランクな勇者もいたものだ。


 奴の能力ならば、もっと重宝されてもいい。権力を持ってもいい。しかし、彼にはそんなそぶりは見られず、庶民のような態度を保っている。なんとも理解しがたいが、人間界では、そういう人物こそ大物なのだろう。


 事実、ヴァルディスも彼に惹かれるものがある。そんなベイルが最高と称する至高の料理。果たしていったいどれほどのものかと、ヴァルディスは期待せずにはいられなかった。


「ほらよ。待たせたな」


 ベイルが、どんぶりふたつをお盆にのせて戻ってくる。そして、ヴァルディスの前に『それ』を置いた。


「ちょっと待て、ベイル。これは――」


「なんだ、知っているのか?」


「知っているもなにも、これは『うどん』だろう!?」


 ヴァルディスとて、食事はするのだ。人間の定番料理料ぐらい知っている。小麦を練ってつくった太麺に、ダシの効いたスープ。アレンジとして具が乗せられる。


 ちなみに、これは肉うどんか。ゆでキャベツ。ゴボウと肉を煮たようなものもトッピングされていた。


 ヴァルディスは、テーブルをバンと叩いた。


「冗談ではない! おまえはとびっきりの御馳走を食わせると言ったのだぞ! このうどんとやらは庶民の食べ物であろうッ! この五大魔将のヴァルディスを愚弄する気かぁッ!」


「ヴァルディス。おまえの目は節穴か?」


「なんだと?」


「おまえには、このうどんが庶民の食べ物に見えるってのか?」


「……どういう意味だ」


「文句があるなら、食ってから言え。――断言してやろう。おまえはこれ以上に美味いモノを食べたことがない……」


 ベイルの瞳に殺気が宿る。どうやら、冗談で言っているわけではないらしい。


 うどん如きが、どれほどのポテンシャルを孕んでいるのか知らないが、所詮は小麦を練っただけの低俗な食べ物。


 原価数十ゴールドの激安料理で、このヴァルディスを唸らせることなどできるはずがない。


 ――ああ、こいつは魔人を侮っているのだ。


 魔人なら、うどんでも食わせておけば満足するだろう。そんな浅はかな動機で、大衆食堂の安料理を振る舞っているに違いない。


 ――いいだろう。どうせ、俺は敗者だ。言われたとおりに食してやる。食した上で、貴様の料理論とやらを喝破してくれ――。


「うんまぁあぁぁぁぁあぁぁぁいッ!」


 ――ちょっと待て。落ち着け。なんだこれはッ! 出汁を一口すすっただけで、衝撃が延髄まで突き抜けたぞ。


 まるで鰹の大群が、口の中を派手に暴れまくっている感覚だ。昆布の味もしみ出してくる。まるで、全身の血液が昆布味に変わってしまいそうだ!


「だろ?」


「まだスープしか飲んでおらんッ! 大事なのは麺だ!」


 ズ、ズズッ――。

 麺をすすり上げる。


 ――小麦は小麦だ。それ以上でも、それ以下でもない。


 たしかに、小麦というのは産地によって若干の差はある。だが、どこの農家も、一生懸命育てているのだ。


 流通している小麦は『総じて美味しく高品質』なのである。庶民レベルの舌で、その差を明確に理解するのは難しい。せいぜいゆで加減とか、コシの強さぐらいの違いでしか感想を言えないだろう。


 そう、コシ――。


「ぬがッ――」


 なんだ、この麺は。硬すぎるッ!


 ヴァルディスの驚愕の表情を、にやにやと眺めているベイル。


「ジフラルタ山の麓のうどんは、コシが強いことで有名だ……。店を仕切ってるおばちゃんが、そこの出身でな。ラングリードでは唯一、ここでしか食べられないんだが……これがなかなかイケるんだ」


 通常のうどんなら唇で千切ることができる。だが、これはしかと歯を食い込ませねばならない。魔人の顎を駆使し、ブチリと噛みしめる。口の中で味わうように噛む。


 その瞬間、意識が飛んだ。

 大食堂の景色が、麦畑へと変貌を遂げた。


「ようこそ。うどんの世界へ――」


 麦畑に佇むのは、勇者ベイル。

 彼は、軽く両手を広げて御覧あれといった調子で言った。


「うどんの世界……?」


「うどんってのはシンプルな料理だ。シンプルすぎるがゆえに、大衆食として雑に扱われてしまう。――だが、それは間違いだ」


「うどんを……間違えている?」


「うどんを料理として捉えるな。『素材』として捉えるんだ。いまのおまえなら理解できるはずだ」


 少し、わかる気がする。ヴァルディスが味わっているのはうどんではない。小麦だ。噛みしめることによって、湧き出る小麦の甘さ。これこそがうどんの本質。


 ――まるで、これまで食べていたうどんとは別物だ。


 だが、これはうどんが美味いからではないだろう――。


「これも『ととのい』の力か?」


 麦畑の中心で、ベイルは小さく頷いた。


「サウナによって五感を研ぎ澄まされたからこそ、料理の向こう側――素材の味にたどり着くことができた。これもまた、サ飯の楽しみ方だ」


「サ飯……」


「もう、大衆食とは呼ばせないぜ?」


 たしかに、これは新たな感覚。

 これまだにない体験。


 人知を超えたネクストステージ。なるほど、小麦の美味さを知らずして、料理のなんたるかを語るなど言語道断ということか。


「理解したら、あとはただただ本能の赴くままに、料理を楽しむだけだ。さあ、溺れろ」


「これが……サ飯か……」


 麦の世界から生還を果たしたヴァルディス。再び、うどんを食らう。ゆでたキャベツの青々しい甘さ。甘辛く煮たゴボウは歯切れの良い食感。濃縮した味わいの肉――。


「これは馬肉か?」


「ああ、なかなか味のわかる魔人じゃねえか――」


     ☆


 その日。


 旅館に一泊するよう言われたヴァルディスだったが、さすがに魔人が人間界で宿泊するわけにもいかないだろうと、ラングリードの町をあとにした。


 夜には、森の中にある自身の砦へと戻ってくる。


 側近の魔人たちが、浴衣姿のヴァルディスに驚くも、成果を問うた。


「ヴァルディス様! 勇者ベイルは仕留めたのですかッ?」


「……もうよい」


 そう吐き捨て、ヴァルディスは土産の乾燥うどんを投げ捨てるように渡し、玉座へと腰掛ける。


「も、もうよい、とは?」


「俺は負けた。しばらく旅に出る。貴様らも自由にするがいい」


 玉座の間にいた部下たちが、一斉に動揺する。


「そんなッ! ラングリードでいったいなにがッ?」


「もうよい、と言ったであろう。俺は敗軍の将だ――」


 その日を境に、魔王軍はラングリード地方から撤退。ヴァルディス自身も、消息を絶ったのだった。


     ☆


 イエンサード国。魔王軍支部。


 城内の謁見の間で、五大魔将のひとり、プリメーラが報せを受ける。


「……ヴァルディスが敗北したか」


 ヴァルディスは五大魔将の中でも最強といえる力を持っていた。それは、プリメーラも認めていた。


 だが、奴は脳筋である。戦いを楽しむ傾向もある。おそらく、真面目で愚直な性格が災いしたのだろう。


「奴は将として不向き。所詮は獣のように暴れているのが、お似合いだった」


 ただ、それだけのことである。


「しかし、ラングリードは警戒せねばなるまいな」


 勇者ベイルの力量は侮れない。実力もさることながら、マジックサウナストーンシステムや、マジックサウナスチームシステムとやらを開発し、城の守りをより一層強化したと聞いている。


 自身の能力を発現できる条件を着々と構築しているところから、知略も相当なものだと窺える。


 ――そう。知略こそ、戦の本質だ。


「私はヴァルディスとは違う。知略を持って、勇者ベイルを討ち滅ぼして見せよう」


 ――魔王軍幹部の筆頭になるのは、この暗略のプリメーラ。


「ラングリードに進軍する。勇者ベイルの首を魔王様に捧げるのだ――」


 勇者ベイルの知らぬところで、新たな将が動き出す。

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