第7話 ばるでぃすくんの初めてのサウナ

 そうだな。最初は『なぜ?』と、思った。ああ、疑問だらけだった。


 どう考えても可笑しいだろう? 人間の快適温度は18度~25度前後といわれている。なのに、サウナーの連中は、あえて100度近い灼熱空間に身を預けるのだ。


 理解しがたい。だが、そこに理解を超えた快楽があるらしい。


 ヴァルディスは、その境地を知りたかった。理解と理屈を超えた超反応。世界を救うとまでいわれたととのいの力。数々の文献を読んで、知り得た情報を、いま――勇者と共に体験する。


 ――熱い。


 控えめに言っても、砂漠よりも暑い。人工的につくられた熱というのは、かくも恐ろしいものか。この魔人ヴァルディスですら怯むレベルだった。しかも、息苦しい。酸素が薄いというわけではないのだろう。


「……苦しいか?」


「ふん……この程度、バルガ火山の火口に比べたら、たいしたことないわ」


「強がるな。サウナの中では正直になっていい。こいつは我慢比べじゃないんだからな」


「強がってなどおらん」


 と言いつつも、実際は苦しい。魔人の肉体は屈強。本来はドラゴンの炎をも払いのけられるほどなのである。しかしこれは、慣れない環境のせいなのか。あるいは勇者が隣にいるという戦慄した状況のせいなのか、うん、熱い。


「自分がどういう状況かわからなくなったら、脈を測ってみろ」


 サウナを出るタイミングは『あちーな、そろそろ出ようかな』ぐらいの感覚で楽しめばいいのだが、より正確に把握するのなら『脈の回数』を意識するといいらしい。


 人間の場合、通常時の脈拍が60ぐらいで、興奮時は120とのこと。(年齢、個人差があります)つまりそれぐらいに達していれば、出てもいいということになる。


 ヴァルディスは、軽く手首を握ってみる。


 魔人の平常時がどの程度なのかわからないが、いつもよりも脈が胎動している。熱によって、肉体が興奮しているようだ。


「うむ……頃合いか」


「……よし、出るか」


 サウナを出る。浴場の湿気ある空気が身体にまとわりついた。だが、温度差のせいか涼しく感じた。ベイルの真似をして、桶を使って水風呂から冷水を汲み上げる。そして、それを頭から豪快に浴び、一気に汗を流す。


「ぐッ!」


 ヴァルディスは堪えたが、心の中では叫んでいた。


 ――冷てぇええぁああぁぁぁぁッ!


 まさに拷問。セルフ拷問。なにゆえ、このような苦行をせねばならないのだろうか。いや、高尚な仙人などは、冬場でも滝に打たれて精神修行をすると言われている。これも、その類いのモノなのだろう。


 ざぶーんと、冷水に浸かっていくベイル。ヴァルディスも水へと身体を沈める。


 ――冷たい。だが、これは――。


 気持ちいい。

 いや、心地よい。


 全身の邪気が溶けていくようであった。包括された熱が、気高く清らかな聖水によって浄化されていく。目に見えない身体の老廃物が、熱と一緒に放出されていくような感覚。それでいて――。


 ――全身が安らいでいく。


 身体の熱が、自分を中心としてほのかに冷水の温度を上昇。次第に、冷たくなくなっていく。極寒の地で、聖母に抱擁されているかのような感覚を覚える。


 時間にして約30秒。ベイルが冷水から上がる。湯船ならぬ水船が激しく揺れる。浴槽内で水が動き、全身がひやりとした。そのタイミングで、ヴァルディスも上がることにした。


 ベイルとヴァルディスは、身体をタオルで拭きながら露天コーナーへと足を運ぶ。そこには、いくつものサマーベッドが用意されていた。身体を預けて空を仰ぐ。


 心地よい風が、全身を撫でた。

 かすかな陽光が身体をほのかに温める。

 とろけるような感覚だった。


 ――なんだ、この気持ちよさは。


 これまで、美味いモノを食い、美味い酒を飲んで、大好きな戦闘も飽きるほど繰り返した。将の立場を利用し、贅の限りは尽くしたつもりでいた。


『極楽』という感情は幾度となく味わった。だが、それはあまりにも浅慮であった。


 ――これこそが真の極楽だ。


 温と冷。双方を味わったあとの外気浴。眠りについてしまいそうな感覚。このまま死んでしまっても構わないぐらい心地よかった。時よ止まれと思った。この時間が永遠に続けとさえ思ってしまったのだ。


「これが……ととのい……?」


 溶けそうな意識の中、ヴァルディスは瞳を閉ざしたまま口を動かした。


「違う。まだ、準備段階だ」


「なん……だと……?」


 まだ、この先があるというのか? 


 数分後。ヴァルディスたちはサウナへと入る。再び、先刻と同じように水風呂に入って外気浴へと繋げる。二度目も最高だった。


 だが、それは三度目にやってきた。


 三度目の外気浴の最中。まったく同じようにサマーベッドへと寝転がり、快楽を貪っていると――。


 ――なんだ、この感覚は――。


 ほのかに開いていた瞳の先。視界がぼやけ始めた。そして、脳の奥からじわりと汁が漏れ出るような感覚。それが次第に全身へと広がっていった。えもいえぬ開放感。


 ――否、多幸感。


 これまでの外気浴とは違う。1回目、2回目がさざ波だとしたら、これは津波だ。気持ちの良い感覚がうねり始め、全身を駆け巡る。


 ――お? おっおっ、おああぁぁぁぁぁぁあぁぁッ!


 心の中で声を上げる。まるで空気と――世界と一体になったような感覚。世界と繋がった。細胞がじわりじわりと喜び始め、やがて大歓喜の渦となる。


 なにかが満ちる。

 なにかわからない謎の感情。


 アルコールや煙草、三大欲求とはまた違う気持ちの良さ。『最高』という言葉が、五臓六腑から四肢にまで到達する。


 ――あぁああぁあぁぁぁぁぁあッ!


「おぁぁ……」


 魔人が、気持ちの悪い吐息をこぼす。


 その時だった。胸の奥からズズと、柄もいえぬ熱を感じた。


 ――これはッ?


 全身に魔力が満ちあふれてきているッ?


 カッと目を見開くヴァルディス。サマーベッドから跳ね起きると、空中をクルクルと豪快に回転してスタリと着地。


「な、なんだ……この魔力の胎動はッ?」


 全身から魔力がみなぎってくる。確かめるように拳を握ってみると、抑えきれない魔力がオーラのようにまとわりつく。筋肉もパンプしている。


「どうやら、おまえも『ととのった』ようだな」


 やれやれと言わんばかりに、サマーベッドから身体を起こすベイル。そのツラはどこか嬉しそうで――余裕に満ちあふれていた。


「これが……ととのう、という奴なのか?」


「個人差はあるが、生物がととのうと秘めたる魔力が解放される。……見る限り、おまえも相当な力を秘めていたようだ」


 ――秘めたる魔力。そうか、俺には、これほどまでの可能性が残されていたというのか。


 ヴァルディスの感覚だと通常の三倍――いや、それ以上だろう。ありえないほどの向上。初めての感覚に、ヴァルディスは喜びを隠せないでいた。


「ク……ククッ……。ズルいな、人間は。これほどの儀式を隠し持っていたとは」


「隠してねえよ。事実、おまえにも教えてやったろ?」


「ああ、そうか。そうだな」


「やる、か?」


「ああ、準備は整った。勇者ベイルよ。――否、真のサウナーよ。思う存分殺し合おうではないか――」


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