第2話 サ飯
大都市ラングリード。
温泉という類を見ない娯楽のおかげで、繁栄の一途をたどった大都市だ。治安も良く、永住するには最適。世界中の旅人が、こぞって集まってきているおかげで爆発的な経済成長を遂げた。
観光都市と銘打ってはいるが、実際には商業、農業も凄まじく発展しているし、潤沢な資金を投じての騎士団も揃えられている。
俺の親父、勇者ヘルキスがラングリードの出身なので、俺の存在も一目置かれていた。国からの要望で、現在ではラングリードの騎士団員として所属している。
まあ、立場は『サウナ騎士』という謎の役職。ただただサウナを極め、有事の際にはサウナ勇者としての力を遺憾なく発揮し、町を守ることを命じられている。
だが、先の戦いを見てわかるとおり、この国の防衛力の要は、俺――ベイル・アーキテクスタである。
俺がサウナに入ってととのうことに全振りの防衛。これこそ、我らがラングリード騎士団の必勝パターンとなっていた。
この世界は、魔王ゲルギオラスの脅威にさらされている。その昔、親父が封印したらしいのだが、長き時を経て復活。多くの魔物を集め、組織的に人間を脅かしているのだ。
親父である勇者ヘルキスは隠居し放浪の旅に出ている。実質、勇者の称号は俺が引き継いだ。
そんなわけで、俺はめちゃくちゃ重宝されていた。俺がサウナに入ることは、例え国王であっても邪魔することは許されない。
おそらく、俺のサウナを邪魔しようとした大臣は、いまごろ異端審問会にかけられていることだろう。
さすがにかわいそうなので、あとで情状酌量を与えるよう陳情しておこう。
――しかし、いまはサ飯が先だ。
サ飯とは、サウナ後の食事のこと。気持ちよくサウナに入ったあとは、至高の料理に舌鼓。サウナの王道であろう。
俺は城下町の定食屋『ドゥドゥ・カリー』へとやってきていた。
この店は、温泉客がくつろぎやすいよう『タタミ』と呼ばれる草で編んだ床へ、直接座るようになっている。この国では座敷席と呼ばれている。若干硬いので、座布団と呼ばれるクッションを敷いて、その上へどっかりあぐらを掻く。
「お疲れ様でした、ベイルくん。たんと食べてくださいね」
メリアは、うきうきとメニューを俺に見やすいように向けてくる。
「メニューはいいよ。決まってるから。大盛りカツカリー。ルゥ増し、キャベツ大盛りで」
こだわりを含めたオーダーを要求。メリアが、自分のぶんも含めて注文してくれた。
ほどなくして、料理が提供される。
銀色の皿に盛り付けられた白亜のライスに、漆黒のカリールゥが包み込むようにまとわりついている。食欲をそそるスパイスのソースが、炭水化物と仲良くコラボレーションしていた。
だが、それらを尻目に主張するのは特大のロースカツ。まるで、主役はこの私だと言わんばかりに鎮座しているではないか。
しかも、ウスターソースというなの化粧を纏っている。そして、そんな争いとは無縁だと、せせら笑っているのは雲のように白くふわりと、しかし自然の翠をほのかに忘れることのできなかったキャベツの千切り。
究極の一皿が俺の前へと登場したのだ。
「庶民的ですねぇ。ベイルくんほどの立場なら、このような店ではなく、高級レストランでワインを傾けながら、フルコースを楽しむことができるでしょう?」
第二騎士団長のメリアの役目は俺のサポート。戦になれば、全力で俺を守る。平常時は、俺が生活をしやすいようプライベートのアフターケアまでしてくれる。
幼馴染みなので、気疲れしない。
というか、子供の頃は家が隣同士。
というか、家も隣同士だ。
というか、こいつの母親も、伝説の勇者パーティの一員である。俺とコイツの両親が、魔王討伐に行っている間、一緒に暮らしていたという経緯もある。
「わかってないな。サ飯にフルコースは似合わない。それに、コスパも大事だ」
一流シェフの料理は美味いが、サウナ後の食事には相応しくない。ととのったあとは、身も心も緩んでいる。そんな状態で、マナーやドレスコードに厳しい高級店へ赴いても窮屈なだけだ。
そういう意味では、このドゥドゥカリーは気軽に食すことができる。
「んじゃ、いただきます――っと」
まずは、キャベツを一口。爽やかな食感と水分で、口の中を清めることから始まる。
そして次はカリーライスだ。黒と白の渾然一体となった炭水化物の塊が、俺の口の中へと運ばれた。最初に襲い来るのは、白米のズシンとくる存在感だ。
――これだ。人類が追い求めていた穀物の最高峰こそ、この白米だ。
少なめの水で炊いた米は、一粒一粒がしっかりと主張している。噛めば噛むほど、デンプン質の甘さを感じる。人間は、白米という存在を口にせずにはいられない生物。まるで依存しているかの如く、人々はそれを求める。
「はふん!」とならずにはいられない。
そして、カリーのルゥ。5時間もの時間をかけて煮込まれたそれは、野菜の旨味を内在させており、口に入れた瞬間、そのポテンシャルを爆発させる。スパイスの香ばしさが脳を突き抜け、意識を持っていかれそうになる。
玉葱の甘みが、舌の上でダンスを踊り、さならる食欲を誘惑してくる。口の中がからっぽになったあとも、余韻が続く。その余韻が、次の一口を喚ぶ。
「ふはっ、……最高……だ……」
適当で、チープな感想だった。ああ、自覚はあった。なにかしゃべらないといけないと思ったから、そんなチープな感想を挟んだ。
なぜなら、このまま食べ続けていたら、ほんの数分で平らげてしまう。ゆえに、こういう会話で、少しでも意識をカリーの外へと向ける必要があった。
――これぞサ飯。
ととのったおかげで、視神経はクリア。今の俺なら、暗闇の中でアリを見つけることができるだろう。嗅覚も犬を凌駕しているに違いない。聴覚は千里先の小銭の落ちる音すら逃さず、肌は極限まで敏感、ノミが触れただけでも反応する。
当然、味覚もソムリエを凌駕している。俺の前にあるのはカレーではなくスパイスの集合体だ。ガラムマサラにクミンシード、ターメリック、炒め玉葱など――ん、これはケチャップに……ココナッツミルクだと?
ああ、ととのいすぎるのも考え物だ。カレーの味どころか、素材の味まで襲ってきやがる。
――はあ、はあ。
心の中で息を切らせる。まるで、痛覚神経を剥き出しにした状態で、鞭を打たれているような感覚だ。それほどまでに、ととのったあとのサ飯は強烈。このままでは味の濁流に揉まれて昇天してしまうだろう。
ツゥと汗が頬をなぞる。
小休止だ。
――水。
水を飲んで身体を落ち着けよう。
チープなガラスコップを手に取ったその時だった。
――キンッキンに冷えてやがるッ!
ゴクリと一口。水が喉を通り、胃の中へと流れ込む。体内を駆け巡る水の移動を『冷』が教えてくれる。そして、胃へとたどり着いた冷水が、爆散するように全身へと広がっていく。
なんだこれは……身体の中でサウナが起こっているのか?
砂漠の中心で水を飲むような感覚。
犯罪的だ。マジで、この水のために犯罪すら起こしかねない。
――待て、待て待て待て待てッ!
まだ、カツが残っているんだぞ?
ああ、わかっている。トッピングというのは、あくまで脇役だ。このプレートにおいてのメインは、カレー&ライスである。ロースカツは添え物。食通としては、そう捉えるのが普通。ベター。そこに異論の余地はないだろう。
――だが、本能には抗えない。
人間は古来より『動物の肉』を食べたがる生物なのである。
子供の頃を思い出して欲しい。
くたびれるまで家の手伝いをした結果、スクールで体術訓練をした結果、その日の晩御飯に魚が出てきた時のガッカリ感を。
なぜ、魚なのだ! どうして淡泊な魚なのだ! 猛る身体を抑えつけるには動物の肉が欲しいのだ! 肉だ! 肉を寄越せ! と、子供の時は思っていただろう?
もはや理屈ではない。
このロースカツには、人間の本能を引きずり出す魔法がかかっている。ととのった俺が、このロースカツを食したらどうなってしまうのだろうか。
――
「ん~、美味し~」
メリアも、ロースカツで頬を膨らませて、とろけるような微笑み。ととのっていない彼女であれば『美味しい』程度の感想で済むだろう。
けど、俺は――。
緊張か、あるいは食欲がそうさせたのか、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
フォークでカツを突き刺す。ああ、言い忘れていたが、この店では、スプーンではなくフォークを使って食べるのだ。
いざ――。
衣がザグン心地良い効果音を奏でる。
――これはッ!?
衣の上部をウスターソースが、下部をカレールゥが纏っている。まさに前門の虎、後門の狼。上下から襲いくる怒濤のダブルパンチ。ルゥの濃厚さに、ウスターの濃厚さが加わった、隙を与えぬ二段構え。
――ああッ! ああぁあぁぁあぁッ!
なぜ、神はこんなジャンクな食べ物をこの世に生み出したのだッ!
熱ッ! うまッ! はふッ! ほふッ! ファッ!? おまッ! マジッ? にやけるな俺ッ! 勇者だろうッ? ふにゃけたアヘ顔をさらすな!
勇者の鉄の意志すら揉みほぐすドゥドゥカレー、恐るべし。
結果的に、俺の表情は恍惚のアヘ顔を露出させてしまう。店員も客も、メリアも、それを微笑ましく眺めるのだった――。
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