第25話 SOS
※ケネス=ユミゴール視点
ウィリアンヌの元婚約者――アーロン=メフィストスから奪い返した小箱を渡す直前、彼女は涙を流した。
初めて見る泣き顔。
彼女の大きなアメジストの瞳からあふれて頬を伝う雫が床を濡らす。
こんな時に不謹慎だが、泣いてる顔も美しいと思ってしまった。
黙っていればお淑やかな美女で、口を開けば俺を翻弄する悪女で。
涙を流している姿でも俺を虜にするなんて、もうどうやったって太刀打ちできないじゃないか。
俺はどうしようもなく、ウィリアンヌに心酔している。
初めて会った時からずっと変わらない恋がやっと実りそうで、これ以上に嬉しいことがこの世にあるはずがない。
一部ヒビが入っている小箱をウィリアンヌに渡すと彼女は上目遣いで混乱しながら問いかけた。
「これをどこで……。侯爵邸って。え? まさか――」
「アーロン=メフィストスだ」
その男の名前を言うべきか悩んだ。
聡明なウィリアンヌは自力で黒幕の正体に辿り着くかもしれない。
髪留めが盗まれた時も「すでに特定しております」と毅然な態度を取っていた。
今回も犯人が誰で、動機が何で、どのように計画を立案して実行したのか。それらを全て推察していることだろう。
一睡もすることなく、自分を追い込みながら頭がショートするくらいに思考を重ねるに違いない
そんなのはダメだ。ウィリアンヌに負担をかけたくない。
という建前しか語れない自分が情けなかった。
本当はウィリアンヌには誰のことも考えて欲しくない。
ウィリアンヌの頭の中にも、心の中にも俺以外の男を入れないで欲しい。
俺以外のことを考える時間を作らないで欲しい。
1日の全ての時間を俺に与えて欲しい。
そんな気持ちをひた隠し、俺はこんな時であったとしても無表情で、なんでもないように指先でウィリアンヌの涙を拭う。
「安心しろ。二度とウィリアンヌに近づくことはない」
褒めて欲しいなんて思わない。
ウィリアンヌが安らかに過ごせるならそれだけでいい。
その一端に俺を置いてくれると尚良い。
だから、ウィリアンヌから平穏な日常を奪おうとする奴は誰であっても許さない。
「ケネス様、ありがとうございます」
思考を切り替える。
せっかく、目の前にウィリアンヌがいるのに虚空ばかり見ているなんて失礼だ。
恥ずかしくて直視はできないから眉間や腕の辺りを見ておいた。
「ですが、こちらはケネス様がお持ちください」
ウィリアンヌは俺が渡したばかりの小箱を突き返してきた。
「これの名前はラジオといって、わたしはマジックアイテムの一種と考えています」
こんな小さな物が
魔法具といえば、暖炉のような大きな物体でなければ、魔法を付与できないと聞くが……。
しかしながら、ウィリアンヌが言うのなら間違いないだろう。
たとえ魔法が使えない貴族令嬢でもウィリアンヌが言うのならこれは間違いなく魔法具だ。
「深夜、お部屋で一人の時にこれの声を聞いてください」
「声?」
「驚かれるでしょうが、壊したり、部屋を飛び出したりしないでください。この
ウィリアンヌの中の俺は相当、怖がりらしい。
心外だが、あまり男らしい所を見せられていないから当然の結果か。
「分かった」
俺はウィリアンヌを疑うことなく、深夜を待った。
◇◆◇◆◇◆
時間というのは待っているとなかなかやってこないものだ。
普段なら山積みの書類に目を通していれば、あっという間に日付が変わる時刻だというのに今日ばかりは時計の針の進みがやけに遅い。
「そろそろウィリアンヌの言う時刻か? いや、まだか」
ジジ……ジジジジ……ジーー
小箱から視線を逸らした瞬間。
突然、それは話し始めた。
『ケネス様は起きているかしら』
「ウィリアンヌ!?」
思わず、ラジオと呼ばれた小箱を持ち上げた。
無数に空いた小さな穴からは確かにウィリアンヌの声がする。しかし、いつもの清涼感のある心地よい声ではなく、雑音混じりの耳障りな音だった。
いや、誤解しないで欲しい。
耳障りと言ったのは語弊がある。俺はウィリアンヌの声とは似ても似つかないと言ったんだ。
決してウィリアンヌの声を貶したわけではない。こんな小さな箱にウィリアンヌの声を真似られるはずがないのだ。
聞こえるはずがないのにウィリアンヌへの弁解を早口で捲し立て、再び小箱へ視線を落とす。
気が動転して気づかなかったが、右側の文字盤には【ウィリアンヌ=キャスミュット】と記されていた。
「ウィリアンヌで間違いないのか。それにしても何だこれは。こんな不思議な物、見たことも聞いたこともないぞ」
ここは俺の私室で、一人きりで、今は深夜だから不安を口に出していいんだ。
普段は絶対に口にしない想いをぶちまけていい時間なんだ。
『ケネス様が御心を語ってくださるのに、わたしだけが隠しているのは不公平だわ』
分かるぞ。
ウィリアンヌの覚悟を決めた時の低い声色だ。
つまり、この箱はウィリアンヌの言葉を代弁している?
いや、ウィリアンヌの言葉そのものを俺に伝えているのか。
『単刀直入に言いましょう。わたしはケネス様に嫌われたくないと思っていました。……これでいいのかしら。ちゃんと聞こえていると良いのだけれど』
「あぁ! 聞こえているぞ、ウィリアンヌ。なんて嬉しいことを言ってくれるんだ」
『でも今はそうは思っていません』
「死んだ方がいいってことか? 飛び降りようか?」
『好かれたいのです。どうしようもなく。この気持ちを抑えきれなくなってしまったのです』
「ウィリアンヌ!」
『あの頃と違って、わたしは自分の気持ちを伝えるのが苦手な女へと成長してしまいました。ケネス様には弱音を吐くな、なんて偉そうなことを言っておきながら、わたしは情けない女に成り下がったのです』
「そんなことはない! ウィリアンヌはちゃんと伝えてくれるじゃないか。時に目で訴え、時には言葉で。俺を立てるためにあれこれと思案してくれていることを知っている!」
『公爵邸に来たばかりの頃はケネス様を避けていました。無理矢理、わたしと婚約させられたケネス様に不用意に近づかないことが夫婦円満の秘訣だと考えたのです。でも、ラジオを手に入れてから景色がガラリと変わりました』
一瞬の沈黙。
ウィリアンヌが悩んでいるのは手に取るように分かった。
『わたしはラジオを使って、ケネス様の胸中を盗み聞きすることで、ケネス様のお気持ちをあたかも見抜いているかのように演出したのです』
そういうことだったのか。
やはりこの魔法具は他者の心を遠方にいる者へ伝えることができるものだ。
種明かしされなければ、簡単に気づくことはできない。
しかし、ウィリアンヌの演技力がずば抜けていなければ、俺はもっと不審がっていただろう。
そういう意味ではウィリアンヌは魔法具の適性を見極め、最大限の効力を発揮させていたと言える。
「
『だから、ラジオがなくなった時は怖くて顔を合わせることができませんでした。夜になれば聞こえていたケネス様の心が聞こえないからです。こんなにも恐ろしいことはありません』
ウィリアンヌの声がおどろおどろしく揺れた。
『あの時はどうだったかしら。不審に思われていないかしら。嫌われていないかしら。と、余計なことばかり考えて、行動できなくなってしまうのです。魔法具は人を堕とすから生成が禁じられた、と本で読みました。わたしは身をもって思い知ったのです。これはわたしをダメにする不思議アイテム。この世に存在してはいけない代物です』
「……ウィリアンヌ」
『申し訳ありません、ケネス様。今のわたしはケネス様が何とおっしゃってもこれを手放せません。だからどうか、どうか――
わたしを助けてください』
俺はラジオと呼ばれた魔法具を鷲掴みにして駆け出していた。
目的地は言うまでもない。
暗闇の廊下を走り、ウィリアンヌの部屋の扉を乱暴に叩きつけた。
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