第26話 異世界
外の世界を遮断するような白壁の中には、見知った世の中からかけ離れた世界が広がっていた。
初めて砂糖菓子を見たとき、初めてダイヤモンドに触れたとき、似たような感動のようで、うまい表現が難しい。とにかく圧倒的だった。
中世の城のような建物の回りには巨大な噴水や、観る人によっては悪趣味なほど、香りの強い花が咲き乱れている。ルカは少し苦手に感じた。
「帰りは親族の方が家まで送ってくれるそうです。では、私はこれで」
「ありがとうございます」
車が見えなくなるまで見送ると、急に心細くなる。
あらためて広すぎる庭を見回してみると、迷いの森に入った感覚だ。毒々しい色の花には蝶が舞っていて、毒は生物を惑わす。今もこうしてルカはその場を離れられないでいる。
「ルカ様でいらっしゃいますか」
城の中から出てきたのは、毒気がない笑みを零す老人だった。
「はい、ルカ・アストリーと申します」
「お待ちしておりました。どうぞ中へ」
蝶から目を離すと、老人はすでに城の中へ入っていく。ゆったりとした口調とは違い、彼は足が速かった。
城の中も期待に応えてくれて、赤いカーペットと巨大なシャンデリアがお出迎えだ。
「落ちてきたらひとたまりもないですね……」
失礼なことを言ってしまったとあとの祭りだが、老人は声を上げて笑った。
「ミステリー小説でもありますね。繋いでいる金具が劣化により落ちたものか、意図的に外されたものか……。ですが心配無用です。昨夜、業者にしっかりと確認をしてもらいましたから」
階段を上がり、奥の部屋へ案内された。
長い廊下にはこれまた真っ赤なカーペットが続き、囲むように中世を思わせるような甲冑が並んでいる。
「これもミステリー小説でよくありがちなパターンですね。中に死体が入っているだの、犯人が隠れているだの。空想世界の出来事ですので、どうぞ楽しんで下さいませ」
言いたいことを言われてしまい、口を噤んだ。
実際に起こり得ないことでも、目の前は異世界だ。
エドワードが言っていたように、楽しまなくては損だ。
「こちらの部屋に、着替えをご用意しております」
奥から一つ前の部屋で立ち止まり、扉を開けた。
大人が二人横になっても広々と使えそうなベッドと、見たこともないような巨大なクローゼットがある。
おそるおそる開けると、数着のタキシードがかけられてあった。
鏡の前で合わせてみて、一番サイズの小さなものを手に取る。
自分が自分ではないみたいで、何度も回っては鏡を見る。
しばらく待っていると、先ほどとは違う若い男性が迎えにきた。
「とてもお似合いですよ」
「そうでしょうか……衣装にすべて持っていかれている気がするんですが……。ちゃんと聞いていなかったんですが、何をお祝いするパーティーなんですか?」
「ロバート様の婚約相手を選ぶパーティーです」
「そ、そんな重大なパーティーに僕を招待したんですか?」
「気軽なものです。定期的に開かれているものですので、ご安心下さい。エドワード様が会いたがっているのです」
「エドワード様?」
「ルカ様が助けて下さったご子息です。ロバート様は、エドワード様の兄にあたります」
同じ名前で縁があったのかもしれない。
エドの名前を呼ぶたびに不思議そうな顔をしていた理由も判明した。
パーティー会場へ出向くと、すでにパーティーは始まっていた。
白いテーブルクロスの上にはたくさんの料理が並べられていて、ボーイがシャンパンを運んでいる。
一角に人だかりができていた。高身長で、頭一つ分突き出ている。長く伸びたストレートヘアーを一つにまとめ、囲む女性たちと談笑していた。
男性と目が合った。彼から逸らすだろうと見つめていると、一向に視線が離れない。まるで恋に落ちたみたいに、べっとりと張りついたままだ。
「シャンパンはいかがですか?」
ボーイに声をかけられ、ルカはようやく魔法が解けた。
小柄な男性がにこやかに首を傾げている。
遠慮がちなルカは手を出しづらく、グラスも断ろうとした。
「アルコールは飲める?」
横から手伸ばしてきたのは、目が合った人形のような男性だった。
「ロバート様!」
ロバートと聞き、ルカははっと顔を上げた。
今宵は彼が主役のパーティーだ。ルカは一歩後ろに引いた。
「お酒はあまり得意じゃなくて……」
「ならエディと一緒でジュースでいいかな」
「エディ?」
彼は違うボーイを呼んだ。すると耳元で何か話すと、ボーイは会場の外へ出ていった。
「私の弟のエドワードのことだ。昨日は我が弟を助けてくれて、とても世話になった。愛らしい男性だと聞いていたから、一度お目にかかりたいと思っていたんだ」
「あ、愛らしい?」
「思っていた以上だ。私の名はロバートという。聞いていると思うが、今日は私の婚約相手を選ぶパーティーでね。少し疲れていたんだ。よければ君に話し相手になってもらいたい」
「そっそれは……構いませんが……でも女性たちを待たせるのは……」
先ほどロバートと一緒にいた彼女らは、ルカを睨んでいる。良いところを邪魔されたのだから当然だ。
「彼女たちと結婚するつもりはないから、君が気にする必要はない。どうせ財産が目的なんだ」
「……たくさんお持ちだから、立場が判らないのでしょう」
ルカがぽつりと呟くと、ロバートは片眉を上げる。
「髪を上でまとめている女性ですが、ドレスに継ぎ接ぎの跡がありました。多分、あまりお家が裕福ではないのかなあと察します。ロバートさんはお金では買えないものを求めていても、彼女たちは違う。育った環境が違うので、理解できなくて当然です」
「君は、お金と愛とどっちが大事だと思う?」
「お兄さま!」
少年が扉を開けて走ってきたかと思うと、ロバートに抱きついた。
「こら、エディ。私はアルコールを持っているんだ。君やルカにかかるところだったんだぞ」
「ごめんなさい。……ルカ、会いたかった」
小さなエドワードはルカに抱きつき、頬擦りをする。
「昨日は怖い思いをしたね。よく眠れた?」
「はい。眠れました。ルカは?」
「僕もしっかり寝たよ。あとは警察に任せておけば大丈夫だからね」
後からきたボーイは、トレーに炭酸ジュースを二つ持っている。
「アルコールが苦手だと聞いて、持ってこさせたよ」
「ありがとうございます。二人で飲もうか」
「はいっ」
エドワードは元気よく返事をして、椅子に座った。
「私も同席していいかな」
「兄さまも一緒がいいです!」
エドワードは兄の腕を引っ張った。
ルカとしては、子供のエドワードと二人きりがよかった。ロバートと一緒にいると、なぜか胸の当たりがざわつく。居場所を求めて身体が嫌な汗を垂れ流し、落ち着かなくなった。
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