第20話 父の罪と愛情

 マーサが父親らしき人と密会しているのを目撃して二日経つが、彼女は大学へ来なくなった。

 マーサの存在などなかったかのように、ときは変わらずに刻んでいく。当たり前の日常で、不気味に感じた。

──今日は帰りが遅くなるかもしれない。

 昨日あれだけ愛し合ったのに、エドワードからのメールは冷たく感じた。もちろん彼はそのようなつもりで送ってきたわけではない。会えない寂しさがそういう感情を生み出している。

 都合がつかなければ仕方ないが、マークも予定があり一緒に食事ができないと言われ、空虚感を倍増させてしまっていた。

 とぼとぼと帰り道を歩いていると、見覚えのある後ろ姿を見た。学校に来ていないはずのマーサだった。

 彼女は警戒しているのか、辺りを見回している。ルカは咄嗟に物陰に隠れた。

 彼女は地下への階段を降りていった。看板には『BAR』と書かれている。派手なイルミネーションで着飾った看板より、シンプルなものではある分、入りやすいが、それでも勇気は必要だった。

 恐る恐る中へ入ると、入り口の印象を壊すようにわりと広い。

 観葉植物の陰から男性が顔を出した。

「いらっしゃいませ。お一人ですか?」

「はい。できれば、一人でゆっくりお酒を飲みたいんですが……」

「かしこまりました」

 できるだけ目立たないように、ウェイターの後ろに隠れながら奥の席に座った。

 甘そうなカルーアミルクを注文し、顔を向けないようにしながら目だけを動かす。

 対角の席に、マーサが座っていた。目元が引き締まり、どこか緊張した様子で糸を張り巡らせている。目が合いそうになり、慌ててテーブルに置かれたカクテルを持った。

 カクテルをちびちび口につけていると、数日前に見た男が来て、マーサが座る席へ向かった。

 エドワードに親子ではないかと言われると、恋人というより親子にしか見えない。

 店内のBGMや客の話し声で何を話しているのか聞こえないが、マーサは穏やかな顔をしていた。

 男は何かマーサにプレゼントを渡している。

「え?」

 向こうから見知った顔がやってくる。エドワードだった。

 驚愕して固まるルカに気づいていないのか、エドワードは横を通りすぎていく。他の男たちもエドワードに続いて、男の前で止まった。

「警察です。お話があるので、外へ出てもらえますか?」

 有無を言わせない優しい口調だった。

「ちょっと! なんなの!」

 マーサは声を荒げ、立ち上がった。

「落ち着いて下さい。少しだけ話を聞きたいのです。この意味は判りますね?」

 エドワードはマーサではなく、うなだれる男に問いかける。

「はい……」

「待ってよ、お父さんは何もしていない!」

「いいんだ、マーサ。大丈夫だから」

 父と呼ばれた男は穏やかに微笑む。娘を思う、父親の顔そのものだった。

「外ですべてを話します」

 警察はマーサたちがここに来ることを知っていて、あらかじめ張っていたのだ。

 エドワードを見ると、目が合うが一瞬で逸らされる。彼の目には驚きの色はなかった。すでに気づいていて、知らないふりを通していた。

 ならばルカも、客人の一人として野次馬のふりをした。

 マーサが父と呼ぶ男は、穏和で人好きのするような顔立ちで、人を殺めるようには見えなかった。だが見た目では判断できないと、ルカ自身は知っている。ヴィクター教授に裏切られた過去がある。

「ルカ?」

 マーサがこちらに気づいた。ルカは何も言わず、片手を上げた。

 マーサはなぜここにいるの、と探る目を向けてくる。何を言っても言い訳にしかからないので、特に返すこともしなかった。

 マーサはこちらの席に移動してきて、ふたりで飲みかけのカクテルを飲んでいた。一難が過ぎ去って、回りもマーサを気にかけなくなったとき「ここから出たい」と彼女は呟いた。

 二人で地上に立つと、生温い風が身体を覆う。普段は汗でシャツが張りついてあまりいい気分にはならないが、アルコールのせいで火照っているため気持ちが良かった。

「久しぶりにお酒飲んだ」

「今だと飲む暇もないでしょ」

「そうね。ありがと。一人で飲むにはちょっとつらかった」

「どういたしまして」

まだ時間あるなら、どこかカフェにでも行かない?」

「なら夕飯一緒にでもどう?」

「賛成」

 チェーン店のファミリーレストランへ入った。

 平日だからか、あまり混み合ってはいない。

 メニューを見て注文をすると、また無言の空気となるが、居心地が悪いわけではない。

「お父さんね、人は殺してないの。でも悪いことをしたから間違いなく捕まる。私と会ったら、警察に行くって話してた」

「そっか。何をしたの?」

「お母さんのネックレスを盗んだ。盗みに入ったら、すでに男が──私の義理の父親が死んでたんだって。通報すればなぜ無関係の人間が家にいるのか問いただされるから、怖くなって逃げたって。私には嘘を行ってるようには思えなかった」

「きっとすぐに出てこられるよ」

「うん。盗んだネックレスも、ちゃんとお母さんに返すって言ってる。お母さんが男と結婚したことを小耳に挟んだみたいで、あげたネックレスを返してもらいたかったらしいの。随分と思い入れのあるものみたい」

「二人にしか判らないこともあるからね。想い出のつまったものなのかも。お父さんとはどこで知り合ったの?」

「大学の前に立っている人がいたのよ。目が合ったら、あっお父さんだって思った。記憶もないしずっと会ってなかったのに、本能が父だと訴えてた。私の顔を見たとたんに『マーサ?』って言って泣き出すんだもん。私も泣いちゃった」

「ネックレスを取り戻したかったってのは本物だと思うけど、もう一つは娘に会いたかったんじゃないかな? 悪いことをしても、こうして大学まで訪ねにきてまで会いたかったんだから」

「うん…………」

 無表情を貫き通していたマーサの目から、涙が零れた。頼んだパスタに落ちそうになり、ルカはハンカチを渡した。

「ルカは、心理学の先生に向いているよ」

「嬉しいけど、僕は弁護士になりたいんだ」

「それもいいかもね」

 マーサは人を怖がりながらも寂しがり屋であり、誰よりも愛情を求めている人だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る