第4話 さらなる案件

 付箋だらけのノートを開くが、何もかも手につけられなかった。

 教授の授業も耳に入らず、昨日のことが頭から離れない。

 任意聴取と聞いていたが、あれではまるで容疑者だ。すでに被疑者として扱われているといっても過言ではない。

 こちらの情報を流したのはマークで、まさか親友が容疑者扱いされているとは微塵も思わず、根ほり葉ほり聞かれることをすべて話してしまったようだ。これで細かな情報が知られているのは納得できた。

 いつの間にか授業は終わっていて、ルカはノートをしまう。

 影が覆い被さり顔を上げると、教授が笑いながら見下ろしていた。

 教授の笑顔に愛想笑いを浮かべる。

 時折鋭い目になるのは、犯罪心理学を担当するだけあり、心眼が秀でているからだ、と結論づけている。

「やあ、今日は何か眠そうだね」

「すみません、あくびばかりしてしまいました」

「悩みか何か? 話を聞こうか?」

 教授のヴィクターは、人懐っこい笑みを浮かべる。

「悩みってほどじゃないんですが……いろんな人に会って、疲れてしまって」

「気疲れ起こしたときは甘いものでも食べて、ひとりになる時間を設けた方がいいね。いろいろ事件が起こって、警察も出入りしているみたいだし」

「僕も聞かれました。初めての経験でしたから、やっぱり疲れているみたいです」

「執務室においで。君の好きなミルクティーでも淹れてあげよう」

 ミルクティーに惹かれたわけではないが、甘いものを欲しているのは事実だった。決してミルクティーに惹かれたわけではない。

 インスタントではなく、ヴィクターは茶葉からミルクティーを作ってくれた。

「ロイヤルミルクティー、大好物なんです」

「寮でも作るの?」

「いえ、ほとんどグリーンティーが多いですね。ミルクティーは日本メーカーが作っている缶をたまに飲む程度で……」

「授業中にもたまに飲んでいるもんね。さて、どちらが美味しいかな」

 茶目っ気たっぷりに出してくれたミルクティーは、茶葉の香りも失われてはおらず、ミルクもほんのりと香る。

「美味しい……甘くて落ち着きます」

「落ち着いたところで、悩みがあったら聞くよ」

「悩みってほどじゃないんですが……警察とのやりとりで気疲れしたのは本当です。それと、親しかった人と久しぶりに再会して……」

「それは素敵な話だね……って言えたらいいけど、それが原因?」

「どうしたらいいか判らなくて。頭の中がぐちゃぐちゃなんです。自分でも整理ができない。何に悩んでいるのかも理解してないんです」

「いろんなことが一気に起こると、何から手をつけていいのか判らなくなるよね。そういうときは、考えるのを止めてみてもいい」

「考えるのを止める?」

「甘いものを食べて、寝て過ごす。すると自然と解決策が見えてくるときもある。君はちょっと心配性なところがあるからね」

「なるほど……」

「眠そうだ。ここで少し寝てから寮に帰ったら?」

「ええ?」

「俺はパソコンを使って仕事をするだけだ」

 抑揚の少ない、優しい声が眠気を誘う。

 目を開けようにも開けられない。ルカは重くなった瞼を閉じるしかなかった。


「おかえり! 心配してたんだぞ!」

 寮に戻ると、マークが抱きついてきた。

 勢い余って転げ落ちないように、しっかりと受け止める。

「ごめんごめん、教授のところで寝ちゃってさ」

「教授? なんで? なにかされてないか?」

「されてないって。いろいろ話を聞いてもらってたら、眠くなって。ミルクティーごちそうしてもらっちゃった」

「ご飯食べてないなら食堂に行こう。俺、腹減っちゃってさ。宿題も手につかないよ」

「いつもじゃん」

 マークの心配そうな顔を見たとたん、いくらか気持ちが安らいだ。執務室で寝ていたおかげもあるが、寝起きなためか少しの頭痛がし、身体がふわふわしている。

 トレーに乗ったポテトが喉を通らず、時間が経つたびにまずす萎びていく。ごめんなさいと謝罪しているかのように、ふにゃりと曲がる。

「そういや、ルカ宛に手紙が届いてたけど」

「誰から?」

「わかんない。ドアの隙間に挟まってたんだ。ルカの机に置いてきたから」

「うん。ありがとう」

「早く食べようぜ。それとも何か持ってこようか?」

「プリンが食べたいかな。ヨーグルトでもいいけど」

 マークは合計四つ持ってきて、自分のトレーにも置いた。

 気を使ってくれたのだろうと、ありありとわかる。

 ポテトや肉は口にできなかったが、喉を通るプリンとヨーグルトはするすると胃の中へ入った。

 寮に戻って机を見ると、マークの言っていた通り手紙がある。

 真っ白な手紙に、手書きではなく印字された『ルカへ』と書いてある。裏には何も書かれておらず、誰からのものか判らなかった。

「いたっ…………」

 鋭い痛みが親指に走り、手紙を落としてしまった。

 白い紙には赤い液体が滲み、ルカは親指を恐る恐る見る。

 封筒からはみ出る鈍く光る銀色の切っ先に、愕然とするしかない。

「どうした?」

「マーク……」

「手紙って誰から?」

「っ……触っちゃだめだ!」

 拾おうとするマークの手のひらを強く掴んだ。

「え? ちょっと……指……なんで?」

 滴る血を見て、マークは青ざめている。

 すぐにティッシュを箱から抜き取り、ルカの指をくるんだ。

「手紙に……カミソリの刃が仕込んであった。送り主も判らない」

「なんで? どうしてルカに?」

 マークの目がみるみるうちに滲んでいく。

 ドアの隙間に挟まっていたのを見つけたのはマークだ。責任を感じているのだろう。

「ごめんっ……送り主がないのはラブレターかなとか思って渡したんだ」

「大丈夫。マークは何も悪くない。僕もマーク宛の手紙があったら、そのまま渡すし。普通のことだよ。たまたまカミソリの刃が入ってただけだ」

「それにしても、誰がこんなことを……」

「判らない。自分で言うのもおかしな話だけど、友人付き合いも多いわけじゃないし、人から怨まれるようなことはしてるつもりはない。でも判らないよね……ほんとに」

 警察には爆破事件の容疑者扱い、手紙にはカミソリの刃だ。ここ数日間で踏んだり蹴ったりな日々を送っている。

「これ、警察に言った方がいいと思う」

「それがいいかな……」

「ルカ、もしかしたら手首切ってたのかもしれないよ。指先だったのは不幸中の幸いだ」

「うん……明日は授業もないし、朝一で行ってくるよ」

「俺も付き合う。ルカひとりにほっとけないし。もしかしたら、ストーカーかも。ルカ可愛いし」

「可愛くはないけど、用心するよ」

 頼るべきはプロである警察だが、今のルカには不信感しかなかった。

 状況証拠があるとはいえ、ルカの指紋つきの紅茶缶が爆発物として浮かび上がっても、ルカにとっては寝耳に水だ。

 今は頼れるマークに感謝するしかない。

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