第3話容疑者のひとり

 事件の一報が届き、その後すぐに警察署が震撼した。

 建物が揺れるほど足音がひっきりなしに廊下を響かせていた。一日経った今も変わらず、相変わらず慌ただしい。

ロスは事件が多いといえど、ここまで大きな事件は初めてだった。

「こりゃあまたすげえな」

 相棒のロベルト・ブラックは、イタリア系のアメリカ人だ。

 見た目は強面の黒人だが、陽気でよく歌を口ずさんでいる。まだ組んで数か月だが、彼の手腕は誰もが買っていた。

 手に持つコーヒーは飲み忘れ、すでに湯気がほとんど出なくなっている。

 麻薬捜査課に所属するエドワード・コーウェンは、モニターの画面を観て顔をしかめた。テレビ局は録画された昨日の映像を繰り返し流している。

 映画館は半壊していて、瓦礫の隙間には人が挟まっている。身体はぴくりとも動かない。命の重みがのしかかり、同時に警官として動けない腹立たしさから歯が軋んだ。

「動けないとなると辛いものがあるな」

「課が違うから仕方ない。俺たちだっていつ呼ばれるか判らないさ。案外、この事件も繋がってたりしてな」

 マスコミにはまだ嗅ぎつけられていない事件がある。

 海外から見たこともない覚せい剤が輸入され、ここロサンゼルスで発見された。

 その後はカリフォルニア州全土に広がり、一番初めに発見されたロスに業者がいるのではないかと話が持ち上がっている。

 エドワードもコーヒーを入れ、椅子に腰掛けてパソコンを開いた。

 気にはなるが映画館の爆破事件は自分の担当ではない。

 覚せい剤を取り扱う輩は、どの連中も雲隠れがうまい。尻尾を見せつけては本人は隠れ、掴んだと思えばただの玩具だ。隠れ蓑にしている仮宿を転々とし、影すら残さない。

「あいつらどこにいるんだろうねえ。子供の頃、絶対にかくれんぼがうまかったタイプだ」

「だろうな。俺は昔から身体が大きかったから、すぐに見つかった」

 エドワードは年の離れた弟を思い出していた。

 正義のヒーローだと慕っていた子供は、今はLS大学に通っている。

 爆破事件の件で心配していたところ、弟のマークから電話がかかってきた。幼なじみのルカも一緒に映画を観に行ったと言われ、気が気でなかった。

「お前ら、残念なお知らせがある」

 厳つい顔のフランク・ファーノンは、麻薬捜査課を取り仕切る上司だ。

「どうしました?」

「例の爆破事件に関することだ」

「俺たちの担当じゃないでしょう?」

「ああ、その通りだロベルト。本来なら担当じゃなかった。あぶり出された容疑者がまさか大学生で、麻薬の売人にも関わっている可能性があるんだからな」

「大学生?」

 麻薬の売人よりも、大学生というワードが気になった。

 つい昨日に電話をした弟を思い出した。寮暮らしの彼は元気にしているだろうか、と大人びた表情が脳裏に浮かぶ。

「名前はルカ・アストリー。LS大学の犯罪心理学を専攻する学生だ」

 思わず声が出そうになり、唇を強く閉じた。

 まさか弟の親友の名前が出るとは思わず、心臓がおかしな音を鳴らす。

 白い肌に大きな黒目が印象的な、愛らしい少年だ。

 少年だというのは、幼少期の頃に会って以来で、成長が分からないのだ。

 心臓に集まった血液が身体中を駆け巡り、肌が熱くなる。

 弟曰く「全然変わってない」だそうだが、毎日見ている者と数年間会っていない者は違う。

「それで? 麻薬に関わってるってどういうことですか?」

 ロベルトは一気にコーヒーを飲み、カップを机に置いた。

「爆発した缶から少量のヤクが見つかった。それも例の海外から輸入してきたものだ」

「なんだって? 容疑者は大学生でしょう?」

「そうだ。俺たちが追っても尻尾を残さなかった奴がようやく顔を見せた」

 エドワードは何も答えなかった。

 あのルカがそんなことをするはずがない、と声を大にして言いたかったが、犯罪に身内も友人も初恋も通用しない。

 信じたいからこそ、徹底的に彼の回りを洗わなければならないのだ。

「俺たちも現場に向かえとお達しだ。行ってどうこうなる問題でもないがな」

「珍しくやる気がなさそうですけど」

 麻薬捜査課の連中は、揃いもそろって行動力がある。上司であるフランクも相棒のロベルトも、事件と嗅ぎつけばすぐに椅子から立つ。

「容疑者の顔写真を見たが、麻薬の売人って面じゃない。勉強を真面目にこなす、お坊ちゃまタイプだ」

 幼い頃のルカを思い出すと、だろうなという感想しか出てこない。

「こいつだって直感が働かないんだよ」

 フランクは顎を撫でながらモニターを観る。

「フランクの勘は当たりますからね」

 ロベルトも賛同し、残りのコーヒーを飲みきった。

 本署の廊下を歩いていると、横から来る青年とぶつかった。

「すまない、大丈夫か?」

 やせ細った感触に申し訳ないと思いつつ、ふらつく彼の肩を支えた。

「……………………」

 黒縁眼鏡の奥で、黒い瞳が驚きの色を隠せないでいる。

 空気が固まり、この場だけ時間が止まったような感覚に襲われた。

「ケガはないか?」

「…………、はぃ…………」

 ルカ・アストリーだ。もう被疑者として固められているのか。

 おそらく、ルカは気づいている。大柄な男にぶつかっただけの反応とは思えない。

 ルカはエドワードの手を払い、小声で「大丈夫です」と答えた。

 痛々しいほどの拒絶反応だ。こうなってしまったのも、自分のせいだとエドワードは痛感した。

 あのとき、異なる選択肢を用意していたら、また違った道を選べただろうか。

 今は同僚にも悟られたくはなく、気づかないふりをして外へ出た。

「よお、コーウェン。さっきのお坊ちゃんが容疑者のアストリーらしいぜ」

「そのようだな」

 同僚がエドワードの肩を叩き、口笛を吹く。

「あんなボウズが大量殺人ねえ……テロ対策課のおっしゃることは判らんな。あんな可愛いお坊ちゃん相手なら、爆弾の作り方より夜のお相手を頼みたいもんだ」

「夜のお相手?」

「仕入れた情報によると、あっちの方もお盛んらしいぜ。夜の街に出歩いて、そういう店に行ってるって話だ」

「人は見かけによらないってことだな」

 不愉快極まりなかったが、今の彼を何も知らない。エドワードが否定する理由もなかった。

「へっへ、線が細いのにどうやってデカブツを食い込ませてるんだろうな」

「不謹慎だぞ」

 エドワードはたしなめるが、同僚の暴走は止まらない。

「俺の腰使いで天国を見せてやりたいぜ」

「見せんでいいから、さっさと車に乗れ」

 上司のフランクはどつき、エドワードを先に乗らせた。

「ったく。いい加減にしてほしいものだ」

「缶から指紋、違法薬物の検出……か。それだけでは弱い」

「気持ちは判るが、俺たちの仕事は違法薬物の方だ」

「ああ」

 フランクはエドワードの肩を叩いた。

 ルカ・アストリーが数々の犯罪行為を行ったとして、動機はなんだと勘案する。

 どう考えても、あのルカに犯罪を行えるとは思えなかった。

 

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