【怖い商店街の話】 煮込み屋

真山おーすけ

煮込み屋

同期の勝又は美味い物にやたら執着心があって、誰かにどこの何々が美味いと聞けば、例え海外だろうが足を運び、例え何時間だろうが行列に並ぶという変わった男だった。ある日、勝又と取引先に行った帰り道、美味いと評判のそば屋に連れていかれた。人気と昼時が相まって、店にはかなりの行列が出来ていた。


「早く会社に戻った方がいいんじゃないか?」


と心配した俺に、「課長が、契約が無事に取れたからゆっくり昼飯食って来いってよ」と勝又がいい、それを信じてそば屋に並んだ。


五十分ほど待って店に入り、注文してまた三十分ほど経ってそばが来た。


確かにそばは美味かった。俺の人生の中のそばランキング三位以内に入るかもしれない。


だが勝又の表情は硬く、顔に『不満』という文字が浮き上がっていた。


そんな時、隣の席に座っていた二人組の男がある噂をしていて、話が耳に入ってきた。


それは、ある商店街の居酒屋の脇に小さな屋台のような店がある。いつも椅子とテーブルだけが放置され、キッチンカウンターには誰もおらず廃業したように見えるのだが、ごくごく稀に開店するという。


大将はかなり気まぐれで、営業日も時間も決まっていないが、その大将が作るという煮込みがこの世のものとは思えないほど美味いらしい。中毒になるほどだ、と片方の男が言った。


それを聞いていた勝又は、興奮した様子で隣の男に場所を尋ねた。あまりの気迫に二人組は若干戸惑っていたが、親切にもその場所を教えてくれた。


「あくまで噂ですから。そんな店自体ないかも」


と片方の男は恐縮していた。


「大丈夫です!行ってみます」


張りきる勝又に、何が大丈夫なのだと俺は心の中でつっこんだ。


次の瞬間、嫌な予感がした。


勝又の顔を見たくない。


だが熱い視線を感じ、つい勝又を見てしまった。奴は少年のように目を輝かせながら、「行ってみようぜ!」と言った。どうせ断ったところで、しつこく誘ってくるのだろう。俺じゃなくても、別の社員が犠牲になるだけ。仕方なく、俺は承諾した。


男の話によれば、その店が開くとしたら夜だろうと。だから、俺たちは、一度会社に戻ることにした。


会社に戻ると、勝又の話は嘘だった。昼食にどれだけ時間がかかっているんだと、上司に怒られた。


仕事の合間に時間ができ、その商店街のある駅を調べると、会社からは電車で三つほどの町にあることがわかった。


仕事が終わった後、俺と勝又は地図を頼りに商店街に向かった。駅は特急も止まらない小さな駅。駅前には小さなコンビニと居酒屋があったが、ネオンはなく静まり返っていた。


そこから少し歩いたところに、商店街のアーケードの入り口が見えた。アーケードの中は、すでに営業時間を終えたのかシャッターが並んでいた。しばらく歩くと、電気が煌々と灯った居酒屋があった。あれが目印の居酒屋だろうか。俺と勝又は顔を合わせた。


その角を曲がると、あの男性が言っていたとおり、屋台のような囲いのない店があった。屋根はカウンターまでしかなく、カウンターテーブルと椅子、テーブルが一つだけ置いてあり、カウンターの向こう側にガスコンロと、その奥には古いブラウン管テレビと引き戸があった。


「ここの事だよな?」


「誰もいないな」


店には電気もついておらず、誰もいない。


「すみませーん」


勝又が試しに声をかけた。だが、見た感じもう随分と営業していないように思えた。それほど、椅子もテーブルも廃れていた。残念がる勝又をなだめ、腹も減っていた俺たちはどこか飯屋がないかと商店街を歩いた。


しかし、どこも飯屋らしき看板はあるが、すでにシャッターが閉まっていた。


その中で、一軒のラーメン屋が営業していた。


のれんをくぐると、中年の厳つい大将がカウンターに腰かけて新聞を読んでいた。店内に客の姿はない。


「いらっしゃい」


予想に反して大将は愛想よく俺たちを迎えてくれた。俺と勝又はテーブルに座り、ラーメンとビールを頼むとすぐにビールが来て、大将はラーメンを作り始めた。俺たちは待っている間、ビールを飲みながらあの屋台の話をした。


「あー、食べてみたかったな。煮込み」


「もう営業してないんじゃないか?」


「噂してた奴も言ってたろ。開店するは稀だって。そういう店って、期待大だよな」


「そんなの、タイミング的に無理だろ」


勝又は大将に、居酒屋の脇にある小さな屋台の事を尋ねた。同じ商店街なら、何か知ってるだろうと。小さな屋台の事を聞いた途端、麺をかきまわす大将の箸が一瞬止まった。


「あんたたち、あの店の客かい?」


大将は背中を向けたままそう聞いてきた。


「いえ、この商店街自体、来るのが初めてなんです。誰もいないように見えたんですけど、潰れたんですかね?」


店の中でしばし沈黙が流れた。


「やってるよ。あそこの店主は気まぐれで、しかも商店街の人間との人付き合いが悪い。だが、確かに店は営業しているし、キッチンから白い湯気を出している。営業している時は、いつもテーブルで何か食ってる客の姿を見かける」


「なんか、噂では煮込みがすっげー美味いらしくて。俺たちそれを目当てでわざわざ電車乗って来たんですけど、開いてなくてちょーショックです。大将も食べたことあります?」


勝又の言葉に怒ってしまったのか、大将は黙ったまま麺をゆで続け、店内には変な沈黙が流れた。


少ししてラーメンが完成し、俺たちのテーブルに運ばれてきた。大将は沈黙したままで、俺たちも黙ってそれを食べた。ラーメンの味は普通だった。会計を済ませて店から出ようとした時、大将に呼び止められた。大将は食器を片付けながら、


「やめときな。あそこは中毒になる」


俺たちのことを見ることなく、そう言った。


「中毒になるほど美味いってことかよ!」


店を出た勝又は酒が入ったことで、さらに暑苦しい奴になった。俺は大将の言葉を忠告と受け取り、店が閉まっていたことを安堵した。


「食いてぇーな。また来てみような」


「今度は一人で来いよ」


「そんなこと言うなよ」


シャッターの閉まった商店街を、俺たちは駅に向かって歩いていた。


すると、あの目印だった居酒屋の脇道から、ぼんやりと明かりが漏れているのが見えた。


脇道を覗くと、さっき通った時には暗かった店の明かりが煌々とつき、キッチンコンロに置かれた大きな鍋からは白い湯気が立ち上っていた。その湯気が、俺たちの方に漂って来た。口の奥から唾液が込み上げてくるほど、美味そうなにおいだった。


店の前に立つと、カウンターの向こうにグレーのフード付トレーナーにニット帽を深くかぶった背の低い年老いた店主の男が、「美味し~い煮込みはいかがかな~」とニッタリと笑いながら言った。


勝又は興奮気味に椅子に座った。俺はラーメン屋の大将の言葉が気がかりだったが、仕方なく勝又の隣に座った。店の壁には大きく「煮込み」と書かれているだけだった。


他にメニューがないのか尋ねると、男はしばらく沈黙した後でニッタリと笑い首を横に振った。酒を尋ねると、男は鍋を混ぜる手を止めて何も書かれていない瓶を俺たちの前に出した。ビールかと思いグラスに注いでみると、日本酒のようで透明だった。


「何という酒ですか?」


尋ねたが、男はニッタリと笑うだけで何も教えてくれなかった。


勝又は待ちきれない様子で「煮込み」を注文した。男はまたニッタリと笑い、鍋の中の具を大き目なお椀によそって俺たちの前に出した。見た目は、もつ煮込みのようだ。大きなお椀なせいもあって、具が汁の中に沈んでいる。


「さぁ、食おうぜ!」


勝又は興奮気味に箸でお椀の中の具を掴んだ。勝又が掴んだものは、モツだろうか。モツ独特のシワのような表面にプルプルと弾力性があった。それを口に入れた瞬間、勝又が驚いた表情でこちらを見た。


「やっば! ちょー美味い!! お前も食えよ」


箸を渡されたが、正直俺はラーメンで腹がいっぱいだった。俺はお椀の中に箸を入れ、モツを口に入れて噛みしめた。確かに美味しかった。噂になるだけの事はある。だが、俺はそれ以上食べることはしなかった。


「なんで食わないんだよ」


勝又は俺に怒ったが、「ラーメン食って腹いっぱいだ」と言うと勝又は渋々納得した。


勝又は美味い、美味いと言いながら、ペロリとすべて平らげた。酒もかなり飲み、勝又はべろべろになっていた。値段はかなり安かった。俺は勝又を抱きかかえるように立ち上がった。


暗い脇道の向こうから、酔っ払いらしき男がフラフラと体を揺らしながら、こちらに向かってくるのが見えた。


「ありがと~う、ございま~した。また、お待ちして~ます」


独特なしゃべり方で、男は片手で鍋をかき回しながらニッタリと笑って手を振った。またお待ちしてます。まるで俺たちがまた来ることがわかっているような言い方だった。


結局、泥酔した勝又を電車で帰すことはできず、駅からタクシーで帰ったのだった。


翌日、会社に出社してきた勝又はさっそく俺のところにやってきて、昨日の店の事を話してきた。勝又はあの味がかなり気にいり、今日も寄ると言い出した。俺は予定があるからと断ると、不満げな顔をしながら一人で行ってくると言った。誰かを誘えばいいと言ったが、勝又曰くあまり知られたくないらしい。穴場のままにしたいようだ。そもそも今夜はやっているかわからないというのに、電車に乗ってわざわざ行くなんてご苦労なことだと思った。ただ、確かにあの煮込みは美味かった。


それから勝又は毎日仕事が終わると、あの店に行っているようだった。会社に出社するたびに、勝又から同じ言葉を聞く。


「あの店の煮込みはマジ最高」


さすがに食べすぎだろうと忠告しても、勝又は聞く耳を持たなかった。俺は、ラーメン屋の大将の言葉を思い出していた。


ある日、勝又が仕事でミスをした。請求書の額を一桁間違えたり、先方への連絡を忘れたり、書類の誤字が目立った。今まではそんなことはなく、どうしたんだ、と尋ねると、勝又は目の調子が悪いと言いながら目薬を差していた。そう話す勝又の顔に、俺は少し違和感を覚えた。よく見れば、勝又の目が白く濁っていたのだ。


「お前、目が白くなってるぞ。眼科へ行って来いよ」


だが、勝又はそれを拒んだ。代わりに、またあの店に行こうと誘って来た。ならば、付き合う代わりに病院へ行けと交換条件を出すと、勝又は渋々頷いた。


あの店は、噂では営業するのは稀だと聞いていたのに、こんなにも毎日営業しているものなのだろうか。噂はただの噂ということか。そう思いながら、仕事終わりにまたあの商店街に向かった。


商店街に着くと、すでに他の店はシャッターが閉まっていた。あの目印の居酒屋は、よく見ると『閉店』の貼り紙があり、店の中は真っ暗だった。その角から、今夜も明かりが漏れていた。


近づくほどに白い湯気が現れ、美味そうなにおいが漂ってくる。店は、今夜も営業しているようだった。


店主は相変わらず深い帽子をかぶり、大きな鍋をかき混ぜている。勝又はもう顔なじみになったようで、店主の男に手で挨拶をしながら椅子に座った。


「いらっしゃ~い」


ニタリと笑う店主の男。


「いつもの煮込み二人前、よろしく」


勝又がそう言うと、店主の男は返事をしながらお椀に鍋の煮込みをたっぷりと入れた。


「酒はどうする?」


勝又が俺に聞いた。


「いや、今日はいいわ」


俺は断った。またこの間みたいに酔いつぶれられると、めんどくさいからだ。


「そうか」


残念そうに勝又は言った。


店主が、俺たちの前に煮込みの入ったお椀を置いた。立ち上る湯気のにおいがたまらなく、俺もよだれが出て来た。


隣を見ると、すでに勝又は夢中になって食べていた。まるで何日も食事をしていなかったかのような勢いで、俺は呆気にとられていた。すると、勝又は俺の事を見て「早く食えよ」と言った。だが、その目はさらに白く濁り、見開いていた。こんな勝又の表情を見るのは初めてで、俺は戸惑っていた。


「そうそう。温か~いうちに食べて~よ」


店主の男が、俺の方を向いてそう言った。俺は箸を割り、お椀の中の汁に箸を入れた。掴んだ具を持ち上げると、それはまたモツのようだった。そして、それを口の中に運び、ゆっくりと噛みしめた。


「美味いな」


思わず口に出た言葉。勝又はニタリと笑いながら、「そうだろう?」と言った。勝又のお椀は早くも空になり、おかわりをしていた。お椀にまた煮込みが入れられ、テーブルに出されると勝又は夢中になって食べ始めた。


俺は勝又に気を取られながら、汁の中から何かの具を箸で掴み、そのまま口の中に入れた。そして、その具を咀嚼しようとした時、それはゴムのような感触でまるで噛み切ることができなかった。こんなにも弾力のあるものなんてあるのかと、俺は手に平にその具を吐き出した。何だろうか。湾曲した薄い肌色の何か。軟骨のようにも見えた。よくわからず、俺はお椀の脇に捨てた。


その間に、勝又はもう空になったお椀を店主に差し出し、おかわりを要求していた。さすがに食べすぎだろうと思った俺は、勝又に注意した。すると、「そんなことねぇーよ」と言って振り向いた勝又の白濁した目は視点が合わず錯乱し、血走っていた。


「ほら、早く食べろよ」


ニタリと笑う勝又に、俺は目を反らしてお椀の中に箸を入れた。勝又は、じっと俺のお椀の中の煮込みを見つめている。箸が触れた具を持ち上げた。


それはゼラチンに包まれた丸い形の具だった。


なんだこれ?


その具が何かを確認していると、勝又が突然鼻息を荒くして俺の箸に顔を寄せた。


「いいなー。お前、それちょー美味いんだぜ」「いいなー。俺んのとこには入ってなかったんだ」「いいなー。食いてぇなー」


勝又はよだれを垂らしながら見つめていた。その様子に驚き、箸からそのゼラチンの丸い具が零れ落ちた。テーブルの上にそれが転がると、まとっていたゼラチンが剥がれ、現れたのは充血した大きな目玉だった。


人の目玉!?


とっさに俺は椅子から転げ落ちた。


「食わねぇのか? なぁ、食わねぇんだろ?」


勝又はテーブルの上の目玉を見ながらよだれをダラダラと垂らし、目玉に箸を伸ばした。


「やめろ!」


俺が叫んだと同時に、勝又は掴んだ目玉を口に入れた。クチャグチャクチャと音を立てながら、勝又は満足そうに食べていた。


「今のって、まさか人の目玉じゃないですよね!」


店主は俺の顔を見ながら、ニタニタと笑うだけだった。待てよ。もしかして、さっきに噛み砕こうとしていたものって。テーブルの上に捨てた具をよく見ると、それは半分に切られた耳のように見えた。


その瞬間、胃の中から酸っぱいものがこみ上げ、俺は近くの電柱に吐き出した。地面にぶちまけたブツが歪んで見えた。


「もったいないことするなよー」


勝又は白濁した目で、俺を哀れむように見ていた。店主はただただ不気味に笑いながら、大きな鍋をかき混ぜていた。


あの中に、一体何が入っているんだ。


そう考えただけでさらに気分が悪くなり、俺は勝又に先に帰ると言って店から立ち去った。


もちろん、お代はテーブルの上に置いて。


もう二度と行かない。俺はそう決意したが、勝又は違った。ほぼ毎日通っているらしい。同時に勝又の体調は日に日に悪くなっているようだった。目は白く濁ったまま、視点が定まっておらず、仕事をしていても突然に電池が切れたように動きが止まる。瞬きもしない。上司に注意されていても、よだれを垂らしながら立っているだけだった。


そのうち、会社にも来なくなった。上司が勝又の携帯にかけても繋がらす、音信不通になった。俺もかけてみたが、繋がらなかった。


行きたくはなかったが、俺はあの店に行ってみることにした。仕事の帰り道、あの商店街に向かった。シャッターが閉まった商店街を歩き、居酒屋の脇道に立つと、そこは電気が消えた無人の屋台があった。


そこで、勝又はよだれを垂らしながら立ち尽くしていた。その向こう側では、数人の男が同じように、壁にもたれながら店の開店を待っているようだった。俺は勝又に声をかけたが、反応はなかった。まるで廃人だった。


俺はそっと、その場から立ち去った。


それからしばらくして、勝又は行方不明になった。

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