第15話 妹さまがおじさんに貞操を
「もしもしお条ちゃん?」
「ふらむさーん! お昼はごめんねー」
「いいのよー!」
条は体調のあまり優れない楓を早めに寝かせて――きっと疲れたのだ――一人電話を待っているところだった。
「でねー、歌は予定通り、まあ予算は五万円オーバーしたけど、それで話はついたよ」
「ありがとね。そっちの交渉とか全部任せちゃった」
シナリオはもう完成しているので、この役割分担は自然であったとはいえ申し訳なく思っていた。
「いいのいいの。それより――」
「それより?」
少し声色が翳った。
「まどろみさんに未読無視されるのー」
「やっぱりDMにも返信はないの?」
ふらむはやや深刻そうに頷いた。
まどろみは、二人と仲の良いイラストレーターだ。実際に会ったことはないが、条とは同人活動や絵画でつながりがあり、ふらむは彼のよきクライアントであった。
頻繁に更新していたSNS類も止まっているらしい。
「お世話になった人だから心配だなあ」
「色々あったものね!」
「その云い方悪意あるよね」
にへへ、とふらむが笑った。
「条の操の命の恩人だものね!」
「やめてっ!」
思わず叫んだ。まどろみの誕生日にさるR18アクリル画を製作し、贈ろうとしたことに端を発する、黒歴史である。
「あはっ、ごめんって。でも、あれは仕方なかったと思うよ」
そう。あれで勝ち取ったものも大きかったのだ。
「でもあの人にしては珍しいというだけで、せいぜい数日じゃん。きっと体調でも悪いんだよ」
「それはそれで心配だけどねー」
――ふらむとの通話を終えると、待ち構えたように姉が入って来る。もともと姉の部屋だ。遠慮する必要などないのに、と条は内心呟く。
「面白い話を聞いたぞ」
「で、でで電話聞いてたのお姉ちゃん!」
「いやいや、どエロい自作誕生日プレゼントが露見して母さんが激怒し、それに逆切れした妹さまがおじさんに貞操を押し売りしようとして拒否された件なら、何も知らない」
「――!」
条の認識では、姉はこの件について家出くらいにしか思っていないはずだった。そして冷静に考えてこの姉が知らないわけもなかった。電話を盗み聞くまでもなく!
「誰から――」
「も聞いてないよ」
「……! だって、だってあの頃は何にだって恋してしまうじゃん!」
「いや惚れていたのかよ。おじさんエロ絵師に。僕の妹はどれだけお幸せな脳をしているのか……」
条は新しい情報を自ら開示した。
「ああああああぁぁぁ!」
「僕が聞いたのは妹の珍エピソードの数々ではないしな! 楓の話だ!」
「ぬああああぁぁぁあぁぁ!」
ひとしきり身悶えたあと、最終的に条は伊智那の膝に顔をうずめるポーズのまま動かなくなった。姉は正座のままシャンパンとナッツとドライフルーツを口に運ぶ。嫌そうな表情ではない。むしろご機嫌そうに、ふふんと笑う。
子守歌のように、伊智那は聞いた話を繰り返す。楓のために同席できなかったから、よりも条がうっかり隠し事まで話してしまうのを危惧してのことだった。危惧したのは本人だ。
曰く、母さんと山王楓が二年に進級する直前あたりから山王楓と筒井靖が学校にあまり来なくなったと。二人とも入谷礼華と仲が良く、先生は二人の相談によく応じていたという。だから、彼女らが問題を抱えていたということは容易に察せられた。当時校内では様々な憶測が飛び交ったが、そんな生徒たちを入谷先生は厳しく注意した。
「憶測と噂に人は殺される」
さすがに重みの違う発言だった。
「母さんは『銃口よりも冷ややかな言葉』なんて表現していたよ」
内心期待されていた退学騒動などというものは起きず、停学処分もないことから、生徒たちの興味もすぐに薄れたそうだ。
「カップルの痴話喧嘩程度だったのかな」
「ところがだ」
伊智那は突如語気を強めた。
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