第2話 「フォークの方がいい」などと云いだして

 車窓の変化は東京よりも早い。千葉駅まで大した距離はないくせに、目を向けるたび、全く新しい景色に感じられた。人が増えて窓を覗けなくなると空いている場所はロングシートのどこにもなく、例外的にプライベート・スペースが公然と侵害される。条は、見知らぬ男性が若き乙女と密着して座り、それに対して違和感のない状況を不思議に思っていた。母などは昔から目をつむって耐えている風であったから、当然の感性として受け継ぎ、満員電車は不快と思う質に育っていったが、異性を強く意識してしまう時期に入ると、年頃の少年の横に座るのにむしろ嬉しく感じる一面を驚愕とともに発見した。特に彼女自身の特性として同性に強く惹かれるものがあったから、性別に拘わらず、すぐ隣に少年少女が座っているというのが慣れてしまえば背徳感のある遊戯であるとすら今は思っている。満員電車はこのような論理で許容されているわけではないだろうと思いつつ、辛そうな母の横で条は幸せそうであった。母は条のこのような一面をある事件の後知り、大いなる葛藤と喧騒の後受け入れたのだったが、さすがに現在まさに満喫している気味の悪い趣味までは知る由もない話である。

――千葉駅に着いた。

 暖色よりの小奇麗な人工灯に照らされてきらきらと光るそこかしこのガラス、行き交う人々の首飾り、時計、革靴、その間を縫うように歩いて、エスカレーターを上った。書店やカフェが手招くのを横目に進むと、駅ビルにつながる専用の改札口がある。母は娘を誘うようにビルに入った。

「珍しくはないのかもしれないけど、やっぱり不思議だね」

「そうね。年甲斐もなくこういうの好きよ」

 しばらく歩くと、モダン・ジャパニーズとでもいうべき、洗練された日本的な何かがある。要するに店なのだが、専門は箸であった。ここが目的地で間違いないようで、三十代と見受けられるお姉さんの店員に用向きを問われた。扉などで仕切られていない、フロアの一区画として地続きの場所だし、狭いけれどもよくまとまっていて掃除も行き届いている。寡黙な老婆とお姉さんをみると如何にも伝統職の端くれだと云わんばかりの自信が伺えた。この都会の現代的な人たちであるから、実際のところそんなことはないのかもしれない。そも、箸をつくっているのはお姉さんでも老婆でもないだろう。彼女らは売り子なのだから。

 それでもこの魅力的な女性二名の顔つきが精悍なことは、例えばここに外国人が訪れた様などを妄想するに誇らしい。斯様に条が特に意味のない空想に遊んでいる間にも母とお姉さんとで話はとんとん拍子に進んでいるらしく、この箸の煌めきは新技術で貝の云々、日本独自の形状云々としきりに喋っている。条は早々に一目惚れした黒の箸に決め込んでぼんやりと会話を聞きかじっていたが、パスタ専用の箸の単語には驚いて飛散していた意識をかき集めた。お姉さんが終いには「フォークの方がいい」などと云いだしてしまうのには笑ったが、拘りが強いからこそなのだろう。彼女は鉄の箸を認めがたく思っているとも聞いていた。条は焼肉の席で暖色の光に染まる箸が気に入っていたので、美的感性は人それぞれである。


 箱をわしわしと紙に包む音が肌に触れるようでくすぐったかった。姉のものも同じ黒のものだと云ったら心配そうに「つまらなかった?」と訊いた母だったが、条が老婆の皺や、向かいの店のイヤリングの群れがいくつもの照明を反射して綺麗なことを話すと「あなたは美しいものを探すのが得意ね」と安心した様子だった。実際のところ条は周りを見渡して、次にアクリル画にしてしまう景色を探しているだけで幸せである。

「近くにあるお墓に参ろうと思うのだけれど、付き合ってくれる?」

 条はそのお墓に覚えがないので首を傾げた。つまりは、血縁関係の墓ではないのだ。

「いいけど、どなたのお墓?」

「お母さんの高校時代の同級生よ」

 母は形容し難い複雑な表情をしていたものだから詳細を訊きそびれた。

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