文字がない物語
meria
君の瞳に惹かれて
どうして世界は、こんなにも、悲しいことでいっぱいなんだろう
どうしてひとは、こんなにも、傷つけ合ってしまうんだろう
大切なものはいつも奪うくせに、償えないほどの罪はいとも簡単に背負わせる
それでも生きていかないといけなくて
苦しいと泣き叫んでも
胸をかきむしるほど悲しくても
それでも、前を向いて生きていかないといけないといけなくて
そんな世界がすごく嫌になって、諦めたいと何度も思った
そんな時、彼の優しさが、彼女の温かさが、君の心が私に教えてくれた
***
暖かい春の日差しが眩しくて、ガラス越しに空を見上げた。
綺麗な青空が見える。気持ちいいくらい晴れてるな、そう思いながら空を眺めいた。
周りが騒がしく感じるのは、入学当初よりも新入生たちの人間関係が豊かになったからだろう。そんなこと思っている
「萌果ー!」
明るい声で私を呼ぶ声がした。振り返ると笑顔で走ってきたのは、仲良くなった茜だった。
「なにー?
笑顔の彼女は、隣に来るとトンッと軽く私の肩を叩いた。
「次って生物の小テストだよねー…」
「そうだよ、生物は苦手って言ってたよね?大丈夫なの?」
そう聞くと、茜はあはは…と苦笑いを零した。
「全然大丈夫じゃないよーもうー」
膨れた顔でそう言っているが、それくらいなら早く生物室に行って勉強すればいいのに…そんなことを思ってしまうから茜に「萌果は真面目すぎ!」だなんて言われてしまうんだろう。
そう考えつつ笑いが絶えない賑やかな廊下を歩いていく。男子生徒も女子生徒も先生も、まだまだ知らない顔ばかりで、廊下を歩く時は緊張してしまう。けれど、確かに新しい出会いに期待している自分がいた。
*
朝一の授業が移動教室のため、ようやくどこに繋がっているかを覚えてきた廊下を茜と歩いていた。眠たいなぁ、そうぼんやり考えながら足を動かす。
気を抜くと出てしまいそうな欠伸《あくび》を我慢しながら、人通りの少ない廊下に差し掛かった。
その時、前方の壁をつたいながらこちらに歩いてくる男子生徒が目に映った。人気の少ない場所だったのでよく目立ち、思わず目が彼を追う。
「…あの人、具合悪いのかな?」
壁をつたっているし、心なしかフラフラしているようにも見える。貧血だろうか。
「ほんとだ、でも歩けてるなら放っておいても大丈夫じゃない?」
茜はそう言った。けれど、彼は、今にも倒れてしまいそうなほどヨタヨタと危なげに歩いていた。
衝動的に駆け寄りたくなるが、知り合いでもないのに声を掛けるのは迷惑だろうか。悶々と考えているうちに、彼を追い越した。
……けれど、数歩進んだところで、気になってしまって、諦めて茜に自分の教科書を渡した。
「〜っ!ごめん茜、授業遅れるって先生に言っておいてくれない?」
そう言うと、茜はしょうがないな、といわんばかりに笑った。
「先生には上手く言っといてあげるから!いってらっしゃい!」
そう言って笑顔で送り出してくれた。諸々任せてしまう茜には悪いけれど、私の事をよく理解してくれる、いい友達を持ったな、としみじみと思う。
「…あの」
壁をつたって歩いてた男子生徒に声を掛けた。ちらりと上靴の色を盗み見ると、どうやら同じ一年生のようだ。
少し待ったけれど、返事がない。聞こえなかったのかな、と思って肩を叩きながらもう一度声を掛けた。
「あのっ!」
「…僕に声を掛けたのかい?」
その男子生徒はさすがに気が付いたようで、こちらを見た。その時、不思議な違和感を覚えた。
「体調が悪いのかと思って、声を掛けたのですが…」
ちらりと彼の顔を見ると、優しげで、整った顔立ちをしていた。これは女子が放っておかないだろう。女子のそういう類の噂に興味がない私の耳には届かないと思うけれど。
「…ああ、大丈夫だよ。ありがとう」
そう微笑みながら何ともなさそうに返された。ひとまずほっとする。けれど、先程からなぜか違和感が拭えない。
「そう…ですか」
どうしてだろうと思って失礼にならない程度にじっと彼を見つめてみる。するとすぐに違和感の正体がわかった。
「…視線が合わない……?」
無意識に思ったことをぽつりと零してしまった。しまった、と思ったけれど、言ってしまった言葉はもう戻すことが出来ない。
「あぁ…分かっちゃった?」
彼は苦笑いをしながらそう言った。そう言いながらも目が1度も合わない。ちゃんとこちらの方を見てはいる。けれど、何となく視線が合っていない気がした。
「目が見えないんだ」
その一言でストンと腑に落ちた。壁をつたっていたのも、目が合わないのも、目が見えていなかったから。
「そう……なんですね」
どういうリアクションをしたらいいか分からなくて戸惑った。私の周りに目が見えない人、さらに言えば障害のある人でさえいなかったから。
「ごめん、困らせちゃったね…大丈夫だから気にしないで」
こういう反応に慣れているのか、彼は気にした様子もなく笑った。
「あ、そろそろ授業が始まる時間じゃない?早く行かないと君も遅れてしまうよ」
周りを見ると授業に遅れまいと必死に廊下を走る生徒が見えた。
「…でも……」
目が見えない状態で、この広い校舎を歩くのは危険だ、と知識のない私でも分かる。少しでも手伝わせて欲しい、そう思った。
しばらくの間、沈黙が流れた。
「………じゃあ、視聴覚室まで一緒に行ってくれるかな?」
先に沈黙を破ったのは、彼だった。名前も知らない彼は、少し困った顔でそう提案してくれた。きっと私が頑なに動かないことを悟ったからだろう。
「ありがとうございます...!」
「ありがとうはこっちの台詞だよ」
そう言った直後に鐘が鳴った。彼はとても申し訳なさそうな顔をした。
*
彼の肘を持ちながら普段よりもゆっくりと歩く。勿論私が先で、障害物や小さな段差、階段がある所は声を掛けるように注意した。
けれど、目が見えない人の引導は初めてで、上手く引導ができず、物にぶつかったり、転んでしまいそうになったことが何度もあった。
その度に謝る私を、彼は朗らかに笑って許してくれた。
*
彼は、私が上手く引導出来なくて落ち込んでいるのを見抜いてか、話し掛けてくれた。
「ねえ、君は盲目の人の補助をしたことある?」
「ない…ですね」
廊下にはこつこつとゆっくりと歩く音が2つ響いている。
「そうなの?上手だからてっきり補助の経験があるかと思ってたんだけど」
「いえ…何度も物にぶつけさせてしまったじゃないですか」
いざ自分の口で言ってみると本当に申し訳なくなる。自分から助けると豪語したのに、全然役に立てていない。
「え?それくらいなら全然良いほうじゃないかい?」
キョトンとした顔で彼は言った。
「え…?」
どこが“良いほう”なのか分からなくて、思わず聞き返してしまった。
「僕がこの病気になってから介助が必要になってさ、家族とか友達と介助の練習をしたんだけど…」
彼はその時の状況を思い出したのか苦笑した。
「まあ、結果は散々でね。特に友達なんかは案内するのが下手くそで、一緒に何度も盛大に転んでね」
「い、一緒にですか…?」
一緒に転ぶなんて…しかも何度も。痛い思いをしたはずの彼は、面白そうに笑っている。
「そう、なんだか可笑しくなって2人で笑っちゃって」
彼がその話をしている時、すごく優しい顔をしていた。
「…仲がいいんですね」
たとえ沢山転んで、痛い思いをしたとしても、それは彼にとって、“痛い思いをした思い出”ではなくて、“友人と笑える楽しかった思い出”として、とても大切な思い出になっている。それがとても素敵だと思った。
「あ…そういえば君の名前聞いてなかったね」
そう言われて気付く。私も彼の名前が分からない。
けれど、何故か初めて会った人とは思えないほど、気軽に話をしていた。彼が穏やかで優しい性格だからだろうか。
「…私の名前は、雨宮萌果です。」
「雨宮ちゃんだね。了解」
“ 雨宮ちゃん”だなんて呼ばれたことなかったから少しだけ驚いた。けれど、何故かそう彼に呼ばれるのが妙にしっくりきた。
「あなたの名前は――…」
「
“なんて言うんですか?”そう聞こうと思っていた声は、大きな男の人の声で掻き消された。
「
“斗哉”と呼ばれた彼は笑顔になった。
「ばか野郎っ!一人で校舎を
“隼”と呼ばれた人は、私の隣にいる彼の背中を思いっきり叩いた。
バシンッ!
良く響いた音を聞く限り…とても痛そうだった。
「いったー…思いっきり叩きすぎでしょ…」
「約束を守らないお前が悪い」
「一人でもいけそうだと思ったんだよ」
「知るか!!心配するだろーが!」
目の前でギャーギャーと言い合いを始めた2人を前に、どうすればいいか分からなくて固まっていると、“隼”と呼ばれた人が私を見た。
「あれ?この子は?」
「この子?誰のことって…あ!雨宮ちゃんごめん忘れてた…」
良かった。存在に気づいてもらえた。
「隼、この子が俺をここまで連れてきてくれたの」
「なっ!?それを先に言えよ!!」
彼はそう叫ぶとバッと私に深々と頭を下げた。
「斗哉をわざわざ連れてきて下さりありがとうございます…っ!そんで、手間かけてすんません!」
「い、いえ。私はただ一緒に歩いただけなので…」
私はただゆっくりと彼の前を歩いただけ。案内だなんてそんな大層なこと…できていなかったから。
「ううん。ありがとう、雨宮ちゃん」
…拙くて、“引導”だなんて到底呼べないくらいの案内だったのに、彼は真っ直ぐと優しい声音でお礼を言ってくれる。
「僕一人だったら絶対無事に辿り着けなかったと思うから」
そう言って、彼はふわりと笑った。私はその笑顔につられて思わず笑った。彼の笑顔にはどこか人を笑顔にしてしまう力があるようだ。
「…なんかいい雰囲気になってるとこに割り込むけど、今授業中だぞ?」
「「あ…」」
言われて思い出した。小テストのことを。
「ごめんなさいっ…こんなに引き止めてしまって」
「いや、こちらこそわざわざ授業に遅れてまで案内してくれてありがとう」
「ほら、斗哉も行くぞ!ってか本当にありがとうございましたーっ!」
私が走り出した時、彼が思い出したように言った。
「
急に言われたから驚いて振り向く。振り向いた先には、腕を引っ張られながらも変わらず微笑む彼の笑顔があった。
「俺の名前!次会った時は好きなように呼んで!」
そう言って、彼は引っ張られながら去っていった。
1人廊下に残された私は、突然舞い込んできた悩みに茫然とした。
「…なんて呼ぼう……」
ぽつりと零れた本音。好きなように、だなんて言われても困ってしまう…しかも、男の子に。
『―だからこの式は――……』
通りかかった教室から響いた先生の声にはっと思考が引き上げられた。
やばい…小テスト…!!
そう思って悩みを振り切るように駆け出した。
**
あの日以来、彼を見つけると声を掛けようか迷うようになった。
でも、勇気が出なくて…結局、迷惑だろうな、なんて結論づけて声を掛けられないままでいた。
「…ねえ、萌果ー」
「な、なに?茜」
どうしても気になってしまって、彼の方を眺めていると、茜が声をかけてきた。思わずビクッと肩が跳ねる。見ると茜が悪戯をする前の子供のような顔をしていた。
「そんなに気になるんだったら私が声掛けてあげる!」
そう言うと同時に茜は彼の方へ
「え!?ちょ、茜!」
そう呼んだ時にはもう時既に遅く、彼女は彼に声を掛けてしまっていた。
「こんにちは!」
「…?こんにちは」
彼は少し驚いたように、でもきちんと返事をした。
「ちょっと!茜!」
私は慌てて追いかけた。
「萌果が
てへぺろと聞こえてきそうなノリでそう言われても…
「…雨宮ちゃん?」
「!」
急に名前を呼ばれてビクリと肩が上下する。私をそう呼ぶのは彼しかいない。
「…はい」
いたたまれなくなって小さな声で返事をする。それでも、私のその小さな声を聞き取ったのかふわりと笑った。
「雨宮ちゃんだ!久しぶり」
以前と同じ優しい笑顔にほっとする。ついさっきまで声を掛けようかすら迷っていたのに、彼の笑顔一つで、嘘だったかのように不安な気持ちが晴れた。
「こ、こちらこそお久しぶりです」
「元気にしてた?」
前に会った日から2日しか経っていないのに元気にしてたかとか久しぶりとか言われて驚いた。けれど、その少しズレた感じがなんだか彼らしいと思ってしまった。
「はい、ええと……及川さん…はどうですか?」
呼び方はすごく迷ったけれど、急にあまり馴れ馴れしくするのもな、と思って苗字呼びにした。
「僕も元気だよ、って“及川さん”ってなんか変じゃない?」
「えっ…そう、ですか?じゃあ、どう呼べば…?」
苗字呼びで呼ばれ慣れていないのかな。確かに“隼”さんも名前呼びだった。
「うーん?じゃあ、斗哉で」
「!?無理です!無理!」
ただでさえ男の子の名前なんて呼び慣れていないのに、急に名前を呼び捨てはハードルが高すぎる。
「ええー」
私の反応が面白かったのか、可笑しそうに笑った。
「じゃあ、及川くんでどう?それも嫌なら斗哉くん呼びでもいいけど」
「ぜひ及川くんで!お願いします!」
「ふっ、りょーかい」
私がそう勢いよく言うと、彼はくすりと笑った。これは、意図的にやっている…意外と意地悪だ。
「あ…そろそろ授業が始まるかな。またね」
彼はそう言って、ちゃんとこちらに向かって手を振って教室へ向かって行った。確かに時計を見ると、あと数分で授業が始まる頃だった。
目が見えていないのに時間が分かるなんて凄い、と感心した。
…それと同時に、少ししか話せなかったことに僅かに寂しさを感じた。
「……」
「私って良い友達じゃない?」
ひょこりと私の背後から茜がでてきた。
「…あーかーねーちゃん?」
笑顔ですごむと、怯えたように彼女は元々小さい体をさらに小さくした。
「ひぇっ…だって!萌果、あのままだったら絶対、遠くから見てるだけになりそうだったんだもん!」
…何も言い返せない
「そうかもしれないけど…」
「ね!?だから怒りを収めて!」
「…怒ってないよ」
そんな訳無い、みたいな目で見ないで。茜は感情が顔に出やすい。良いのか悪いのかは時と場合によるけれど。
確かに少し怒っていた…かもしれないけれど。
キーンコーンカーンコーン
鐘の音が廊下に鳴り響いた。
「あっ!やばいよ!行こ萌果!」
そう言って2人で駆け出した。これは遅れるの確定かな。
「……ありがとう、茜」
走りながらそうぼそりと呟いた。その小さな声は届いたようで、彼女はニカッと笑った。
*
茜が無理やり及川くんと話させてくれたおかげで、彼を見る度、声を掛けれる程の関係になれた。彼と話す度、何気ない話で笑い合えるこの関係が私はとても好きだった。
**
午後の授業中、延々と続く先生の話に飽きてしまって窓の外を眺めていた時のこと。遠くで赤く輝く光が見えた。そして、甲高く鳴り響く音がした。
それは、人の命を救わまいと懸命にけたたましく奏でている音。それが無性に私を責めているような気がして。
そんな音が私は嫌いだった
他の人はそんな音が聞こえてないように授業を受けている。気付かれないようにそっと耳を塞いだ。
**
「萌果ちゃん呼んでるよー!」
いつも通りの賑わいを見せるクラスの中、突然私の名前が呼ばれた。見ると、クラスの人が、ドアのところから手招きしていた。どうしたのかと思って駆け寄ってみると予想してなかった人がいた。
「急にすんません、雨宮さんって数Ⅱの教科書とか持ってたりしないですか?」
鵜飼 隼くん、もとい、鵜飼くんが申し訳なさそうな顔をしながら私の教室を訪れてきた。及川くんと話す中で、彼ともそれなりに仲良くなった。けれど、彼が私の所へ来るなんて珍しい。
「数Ⅱですか?持ってますよ」
「ほんと!?貸してくれない?」
時々とれてしまう敬語が少し面白くて、指摘しないでいる。
「全然良いですよ」
はい、と教科書を渡した。
「ほんっとにありがとうございます!まじで助かります!!このお礼は必ず…って弁当1人で食べてるんですか?」
彼は驚いた顔で私のいた席を見た。
「うん、いつも一緒にいる友達は放課中にお弁当食べて部活の昼練に行っちゃってるから」
「なるほど……あ!じゃあ――…」
*
…どうしてこうなった。
「雨宮ちゃん、今日のお弁当の具何だった?」
あれよあれよという間にここに来て、なぜか及川くんとこうしてお昼ご飯を食べている。もう一度問おう。どうしてこうなった。
「ええと、卵焼きとハンバーグと――…」
「へえ、好きなの?」
「そうなんです。卵焼きが特に好きで」
いつものように会話してしまっているけど、急に一緒に食べることになっちゃって迷惑じゃないかな。
「あ、あの…私本当に一緒に食べていいんですか?」
「ん?全然いいよ、っていうかむしろ大歓迎だよ」
ちらりと彼の顔を見てみるけれど、言葉通り楽しそうにご飯を食べているから、鵜飼くんの言っていたとおり、人と一緒に食べるのが好きなんだろう。
「そうですか…良かったです。」
「というか、こちらこそごめんね…絶対隼が無理やり連れてきたよね?」
「いえ、全然!及川くんと食べるの楽しそうだなと思ったので!」
これは本心だ。だって、彼と話をするのはとても楽しいから。
「ほんと?そっか」
嬉しそうに微笑んで、彼はご飯を頬張った。話すことはいつものように、何気ないこと。なのに、彼は話し上手でしかも聞き上手だから、普段あまり自分から話さない家族のことなど色々話してしまう。
何気ない会話が楽しくて、夢中になって話していたらお昼の予鈴が鳴った。
「あっ……そろそろ戻りますね」
こんなに長く話すのは初めてだったが、無理に話題を探す訳でも無く自然体で話が盛り上がって、とても楽しかった。名残惜しさもあるが、席を立つ。
「今日は一緒に食べてくれてありがとう」
「こちらこそ!楽しい時間をありがとうございました」
そう言ってぺこりとお辞儀して教室を出ようとドアノブに手をかけた時だった。
「…ねえ、もし良ければ明日も一緒に食べない?」
思いもよらない提案に数秒固まる。でも、私の答えは既に決まっていた。
その日から、彼と昼食を一緒にとるのが私の日常になった。
*
「萌果ー!買い物行こ!」
「今日…?いいよ」
茜が唐突にそう言ったから少し驚いたが、彼女はいつもこんな感じだから最近は慣れてきた。
「よしっ!じゃあ鵜飼くん達を誘お!」
「えっ…どうして?」
なんで急にそこで鵜飼くんの名前が出るのだろう。そして“達”ということは…
「え?及川くんがいるから」
理由になっていない理由を、いい笑顔で言われても…
「さあ!思いついたが吉日!レッツゴー!」
「ちょ、ちょっと待って!?てか速い!待って茜!」
文化部の私が運動部の茜に勝てるはずもなく、私が及川くん達の所へ行った時には茜が彼らを誘った後だった。
「あ!萌果!ちょうどOK貰ったよー!」
「ちょっと…まっ…息が……」
一気に走りすぎて息が切れた。茜め…教室が遠いのも恨めしい。
「雨宮ちゃん大丈夫?」
彼の心配そうな優しげな声音が響いた。
「ふぅ…大丈夫です、息が上がっていただけなので」
「じゃあ、今日の放課後集まってショッピングということで!」
私の事なんか目に入っていないかのようにサラリと決めてしまう茜をジト目で見た。
けれど、そんな茜は私のそんな視線に気づかず鵜飼くんの方を見てガッツポーズした。鵜飼くんもぐっと親指を立てた。
いつの間にあんなに仲良くなったんだろうか…?
*
そして放課後――…
「よーし!皆集まったね!」
茜がそう張り切って言った。面子を見渡すと、茜、及川くん、鵜飼くん、そして私の4人が集まった。
「ねえ、茜。何を買いに行くの?」
そういえば何を買いに行くか聞いていない。
「え?えーっと…」
「ボールペン!ボールペンのインクが無くなったって言ってたよね!?」
茜に聞いたのに何故か鵜飼くんが答えた。
「そう!それだよそれ!ついでに4人集まったから遊ぼうと思って!」
…なにか怪しい。
*
最初に行ったのはゲームセンターだった。
「さあ!遊ぶぞー!!」
「茜、ボールペンは?」
ボールペンを買うために集まったのに。遊ぶ気満々な茜に少し呆れてしまう。
「え?えぇと…私ゲーセンで遊びたいから萌果が買ってきて!可愛いの!」
「ええ!?」
「あ!それならゲーセンうるさいだろうから斗哉も連れてってくれないかな?」
息ぴったしの2人。私もゲームセンターは音が大きくて苦手だったからいいけれど。
「私はいいけど…及川くんは?」
「俺もいいよ。」
「じゃ、そーゆーことで!」
そう言ってバビュンと茜がゲームセンターの方へ走っていってしまった。そんな茜の後を鵜飼くんが苦笑いしながら追いかけていった。
「じゃあ、私達もボールペン買いに行きましょうか」
そう言って、声をかけながら彼の肘を下から持つ。最近は介助に慣れてきて、つまづいたり、転ばせてしまったりということが少なくなってきた。
急ぐ用事でもないので話しながらゆっくりと目的地に向かって歩き始めた。
*
「ここ、ですね」
高校近くの書店には初めて来たが、ここは本当に書店なのだろうか不安になるほど可愛らしいぬいぐるみが店頭に綺麗に並んでいる。
「…ここってもしかして大きいクマのぬいぐるみが置いてあるとこ…?」
「!!そうです。」
たしかに店の1番目立つところに大きな可愛らしいクマのぬいぐるみが飾ってある。どうして目の見えない彼がくまのぬいぐるみがわかったのだろうか。その疑問の答えはすぐにわかった。
「昔よく来たなぁ」
…彼が言う“昔”はきっと目が見えてた時のことだろう。
「本、好きだったんですか?」
しまった、と言ったあとに気づいた。彼の目が見えなくなったのは、中学の時だったらしいが、「好きだった」なんて過去形で聞くなんて失礼すぎる。今は本なんて見れないでしょ、と断定してしまっているような気がして。
「うん。……父の影響で…ね」
私の失態には気付かなかったらしい。懐かしそうに笑う彼の顔には、隠しきれない寂しさが見えたような気がした。けれど、次の瞬間にはいつもの穏やかな表情になった。
「あ…ごめんお店に入ろうか」
カランコロン
ドアを開けると付いていた鈴が可愛らしく鳴る。中は外の可愛らしい雰囲気とは異なり、アンティーク調の古風でおしゃれな書店だった。広い店内を見回すと、近くにペンが置いてあるコーナーを見つけた。
「あ…パパっとボールペン選んできちゃいますね」
「…うん、行ってらっしゃい」
少し、彼の様子がいつもと違ったような気はしたが、そのままボールペンを見に行った。
あまり待たせないように、とすぐに買ったけれど、別れた場所に戻っても、彼は居なかった。あれ、と思って周りを見渡してもそれらしい人は見えない。慌てて彼を探し出した。
彼は、1階を探してもいなかった。でも、盲目の彼が2階に行くとは思えなくて、しばらく1階を探し続けた。が、彼が昔ここに来たことがあること話していたことを思い出して、螺旋状の階段を勢いよく上がった。
上がるとそこには彼がいた。
棚の前で、静かに佇んでいる彼が
驚かせないようにゆっくりと近付いていく。だんだん距離が近くなるにつれ、見慣れた綺麗な横顔が見えた。彼はただぼんやりと佇んでいる。
彼は、この本屋特有の古風でお洒落な雰囲気に馴染んで、窓から差し込む朧気な光に照らされている姿は、今にも消えてしまいな儚さがあった。そしてその光景は綿密に描かれた1枚の絵画のようで。
美しい光景に思わず足を止めた。このまま眺めていたい。けれど、もっと近くで見たいと欲望が
欲望のまま魅入られたように、さらに近付くと―――――…
息を呑むほど美しい瞳が、そこにあった
息をするのも忘れて、瞳に見入る。惹き込まれて、吸い寄せられて、透き通ったその瞳に、ただ、見惚れた。
顔の造形の美しさなど頭から吹き飛んでしまうほどの力がその瞳にはあった。
見る力無き瞳にも関わらず、彼の強い意思、彼の覚悟が、その瞳には宿っているように見えた。
それと同時にどこか冷たく、苦しい複雑な感情が入り交じったような瞳でもあった。
あまりにも切ない瞳に、胸が締め付けられ、言葉が詰まった。
どうしたらこんな瞳になるのか、私には分からないほど、深い、深い瞳だった。
「…及川くん、お待たせしました。」
声が少し、震えた。このまま彼が消え去ってしまうのではないかと心配になるほど、今の彼の姿は……
「………雨宮ちゃん?」
私の名を呼ぶ彼の瞳に、光が戻る。
「そんな待ってないから、大丈夫」
そういつも通りに微笑む彼は、ほんの少し元気がないような気がする。私の見間違いかもしれないけれど。気付かないふりをした。
「じゃあ、茜たちの所へ戻りましょうか」
茜たちと合流して、美味しいものを食べて、そのまま解散となった。別れ際、彼の方をちらりと伺い見るが、いつも通りただ穏やかに笑っていた。
*
何事もなく、穏やかな日々が終わる。その繰り返し。短調だけど穏やかで、楽しい日々が続いていた。
こんな平和な日々が続けばいいのに、そう願ってしまうほどに
だからかもしれない
忘れられるかもしれない、って。そんな事、あるはずないのに。
――――…私の罪は、変わらないのに
自分がやってしまったことは変わらない
負わせてしまった傷を忘れてはならない
悲しみを、苦しみを、痛みを、
ずっと背負って生きていなければならないものなのだから
何をやったかを忘れるなんて都合のいいこと許されるわけが無いのだ
そんな事実を突きつけるかのようにその電話は唐突に響いた。
*
プルルルル
業後、教室で茜と話していた時だった。その電話がかかってきたのは。
誰だろうと不思議に思ってスマホを見ると、中学のころ比較的仲の良かった子からだった。茜に一言断って、電話に出た。
《…もしもし、萌果ちゃん?》
「もしもし、久しぶりだね。どうかしたの?」
久しぶりに聞く声に自然と自分も柔らかい口調になってゆく。彼女と話したのは、中学卒業以来だろうか。かなり話していなかったからか、他愛ない話に花が咲く。ひとしきり話が盛り上がった時に、彼女は本題を切り出した。
《あのね、もうすぐ
その
「し、おり…?」
心が一気に重苦しくなり、呼吸することさえ難しくなる。けれど、そんなことお構いなしに同級生は話し続けている。まるで、私が当たり前のように行く、とでも思っているように。
《○○日とかいいんじゃないかなっておもってるんだけど、どうかな?》
「……ごめん、最近忙しいから行けないかも」
震える声を振り絞って何とかそう返した。
《…そう》
仕方ないね、と言いつつ彼女は別れの言葉を言って電話を切った。冷や汗の流れる首元に気付かないまま乱れた息を整え、暴れる心臓を掴んだ。
そんな中、無邪気に茜は興味津々そうに問いかけてきた。
「ねえ、萌果今の“しおりちゃん”って――」
「やめてっ!!」
叫ぶように拒絶した。茜が驚いたような顔をする。自分でも驚いた。こんなに過剰に反応してしまうなんて。
「…っごめん」
…茜を傷付けてまでこんな反応することなんてないのに―――…
*
茜に勝手に怒って帰ってしまった翌日、どうにも学校に行けなくて、仮病を使って休んだ。ずっと布団にくるまったまま目を閉じる。スマホの通知音がしたが、見る気になれず、うるさくて通知を切った。
たぶん夕方頃、お母さんが友達が来たと言っていたが、帰ってもらった。きっと茜だろうなと思いつつ、真っ暗な部屋の中、布団にうずくまった。部屋が静寂に包まれる。
その次の日も全然学校に行ける気がしなくて、休んでしまった。自分で思っていたよりもショックだったのだろう。
静寂は自ずとあの時の記憶を引き寄せる。考えれば考えるほど胸が苦しくなって、息が詰まる。けれど、涙は出てこなかった。考えるのに疲れ果ててそのまま眠った。眠ると、悪い夢がずっとずっとどこまでも…私の後を追いかけてくる。どこにも心休まる場所なんてない、とでも言っているかのよう。
コンコン
そんな循環に疲れていた時、控えめなノックで目を覚ました。またお母さんだと思って返事をしなかった。
「…雨宮ちゃん?」
声を聞くだけでわかった。驚いて息がつまった。
「……はぃ」
思わず変な声が出てしまった。
「良かった。返事してくれた」
柔らかく穏やかな、まるで春のような声。
「返事、しますよ。及川くんですから」
…気付かないうちに茜みたいに“及川くんだから”と理由をつけてる。一緒にいるうちに移ってしまったのかな。
「扉開けないから、気楽にしていいよ」
正直ほっとした。いくら目が不自由な及川くんとパジャマで、しかも頭ボサボサの状態で話すなんてしたくない。せめて髪だけはしっかりしておこうと思って髪を結んだ。
「…雨宮ちゃん、今日ね体育サッカーだったんだ」
真っ先にどうして学校を休んだのか、と聞かれるかと思っていた。けれど、彼はいつもと変わらず他愛ない話をしてくれた。無理に理由を聞かず、“言いたくなければ言わなくていい”と言ってくれているかのような、そんな彼らしい優しさに涙が零れそうになった。
そんな彼だからだろうか。今まで誰にも、家族にも言えなかったことさえ言えるような気がした。
「あと――…「私の話聞いてくれますか…?」
彼の話を遮って聞いてみた。彼はなんと言ってくれるだろうか。
「もちろん」
当たり前かのようにそう言ってくれた。彼の優しさに甘えて、わななく唇で、私は昔話をし始めた。
**
それは私が中学生だった時のこと。中学で最初に仲良くなった友達。それが、詩織でした。詩織はいつも笑顔で優しくて、でも強くて、包み込んでくれるような子でした。同じ仲良しグループにもなって、それぞれ他にも仲いい子はできたけれど、仲良しグループの中でも仲のいい部類には入るくらいの関係でした。
けれど
それは突然のことでした。
2年生になった春、クラスが変わって初めての行事だった遠足の時です。仲良しグループの誰1人欠けることなく同じクラスになれたことに浮かれていたのでしょう。
珍しく、詩織と川沿いを話しながら歩いていた時でした。
詩織が突然、視界から消えた。本当に一瞬のことでした。
ボチャンッッ!!
そう大きな音を立てて何かが川へ落ちました。どこからか悲鳴が上がった。どくどくとやけに大きな音で心臓が鳴り響いたのを覚えています。
バシャバシャと鳴る水の音がやけに遠くに聞こえました。けれど、目が合った。その瞬間、彼女の手が私に向けて伸ばされました。私に助けてと言うかのように。
そして口が動いた。
"たすけ...て..."
*
かつて聞いた言葉が、全身が総毛立つほどの鮮明に蘇る。必死に手を伸ばす彼女が見えているのに。私は
決して泣くまいと強く閉ざした唇の奥で、込み上げた嗚咽が喉を痙攣させた。
「……それなのに私は…私は、動けなかったんです。大切な友達が、すぐ近くで溺れているのに、助けを求めているのに、体がすくんで動かなかったんですっ…」
今までこんなことを言っても、"あなたのせいじゃないよ"とか"大丈夫だよ"とか言ってくれたけれど、違うのそうじゃないの。あの時、私が行動したからといって詩織が助かったとは思わない。ただ……
「……ただっ…っ詩織が私に助けを求めたのにっ…応えられなかったのがっ…」
いつまでも頭から離れないことがある。どうしてあの日、体が動かなかったんだろう。あの時、私が手を伸ばせば
詩織を 救うことができたかも しれないのに
決してやり直せないのに何度も考えてしまう。どうしても……
あの瞬間から抜け出せない
そこから助けが来るのはそう時間はかからなかった。けれど、元々持病があった詩織はかなり危ない状態だった。
「…そこから、詩織に会うのが怖くて。クラスメイト達がお見舞いに行っているのに、仲が良かった私が行けなかったんです。」
クラスメイト達が心配そうな顔をして、お見舞いに行っているのが羨ましく思っていた。私はこんなに罪悪感に苛まれているのにって。彼は静かに耳を傾けてくれた。
「…詩織は生死を彷徨うほど危ない状態で、その日から卒業するまで学校には来れませんでした。」
そう自分で言っていて、最低だなと思う。自分が傷つくのを恐れて、お見舞いにも行かず、謝罪の言葉も言えなかった自分がほんとにどうしようもなく嫌いだ。決して忘れてはいけないのに、忘れてしまいたいほど痛くて、苦しくて覚えてないふりをした。
「君は優しいね」
ううん。違う。
「絶対そんなことっ…!」
「でも、ずっと気にしていたんでしょう?しおりちゃんのこと。」
優しく彼が言う。
「誰でもできます、そんなこと」
「そんなことない。本当に酷い人は自分は悪くないと割り切ってしまうから」
きっぱりと、彼はそう言ってくれた。
「君は優しい人だよ、雨宮ちゃん」
…彼は優しすぎる。私は彼のように優しい人じゃないの。彼の言葉は真っ直ぐで、心から思っているのがわかる分、痛いほど胸に刺さる。
「ちがう、ちがうのっ!私はひどいっ!心が冷たい…っ!!」
ついに零れた。ぽろぽろと手に当たって砕ける。私の心みたい。ぼやけた視界の中、沈黙が落ちた。
この溢れる涙の理由さえ分からないごちゃごちゃの感情の中で私は、どうすればいいの
「…君は意地っ張りだね」
そう仕方なさそうに言った彼の、優しく笑った顔が、扉越しに見えた気がした。
そう思っていた時、急に扉が開き、誰かが私を抱き締めた。びっくりして見ると、茜だった。私以上に泣きながら、抱きついてきていた。
「ぇ……茜!?」
「もかぁっ!!」
茜がぼろぼろと大粒の涙を流しながら子供のように泣いていた。驚いて呆然と彼女を見つめる。彼女は、痛いほど強く私を抱き締めた。
「も…かが、萌果が苦しんでるのに…気づいてあげられな、かった…っ!」
言葉が出なくなった。茜があまりにも苦しそうに泣くから。及川くんがあまりに優しいから。
苦しんでた、確かにそうかもしれない。素直にそう思えた。胸が引き裂かれそうなほど、苦しかった。息もできないほど、苦しかったんだ。
そして、思った。
ずっと泣いてたのかもしれないって
あの日、詩織を助けられなかった日からずっと。水の中で声を押し殺して泣いていた。息ができなかった。苦しかった。自分でも気付かないふりしてた。でも――…
貴方は気付いてくれた
私自身にもひた隠しにしていた弱い私を。真っ直ぐと向き合うことで、優しく寄り添うことで、私自身が否定していた"私”を否定しないでくれた。
茜につられて、大粒の涙が溢れる。堪えきれずに嗚咽が零れる。こんなにも……心が軽くなるなんて思ってもいなかった。
大声で泣いている茜に、感謝の気持ちを込めて強く抱き締め返した。すると、茜がさらに強く抱き締め返してきた。正直、凄く痛い。でも、その痛さが、生きている実感なのだと感じた。
“ありがとう”
その言葉だけでは足りないけれど、優しく笑っているであろう彼に向かって負けないように精一杯笑いかけた。
*
「及川くん」
教室に入った時、彼の後ろ姿が見えて声を掛けた。
「雨宮ちゃん?」
こつこつと音を鳴らしながら彼の横の席に座る。
「元気、ですか?」
いつも彼が私に言う言葉。今度は私が言ってみたくて、言ってみた。
「?元気だよ」
彼は少し不思議そうな顔をしながらそう答えた。優しくて、穏やかで、光のような人。そんな人に私は――…
「ありがとう」
「……それは何に対してのお礼?」
目をぱちぱちしながら彼はそう言った。
「んー…秘密?」
「なんだそれ」
くつくつ音をたてながら笑った。その変わらない笑顔を見た途端、急に心臓が暴れだした。私は“ここにいるよ”とでも叫びたそうな心臓の音は彼にまで聞こえてしまいそうで、ぎゅっと胸を掴んだ。
「雨宮ちゃん?」
彼の声を聞くともっと暴れ出し、甘酸っぱく疼く。
「……なんでもないよ」
そう、言ったけれど、心臓は痛いくらいドキドキしていて
これは――…どういう気持ち…?
*
移動教室帰りに鵜飼くんに会った。
「あ!鵜飼くん」
「ん?雨宮さんじゃん。こんにちは」
手を振ると、ひらりと振り返してくれる。こんな関係に少し憧れていた時期があった。
「移動教室?」
ちらりと見えたリコーダーが行き先を示していた。
「うん。音楽室に」
「あー…遠いね。頑張れ!」
「ん、ありがと」
そう言って、別れようと歩き出した時だった。
「…あ」
鵜飼くんが何かを思い出したように声を出した。
「どうしたの?」
「あー…今日も斗哉と一緒に昼、食べる?」
「?うん」
どちらもに用事がないならそうするつもりだった。彼に何か用ができたのだろうか。
「…今日の斗哉ちょっと変だと思うけど気にしないでおいてやって」
「…え?ど「隼人ー!!早くしろー!」」
どういうことか聞こうとしたら彼の友達に声を遮られてしまった。
「会えばわかるから!んじゃ!」
そう言って去ってしまった。そこまで言われたら気になってしまう。音楽の授業中も考えこんでしまって全然頭に入ってこなかった。
*
疑問が残るまま、昼食の時間となった。どきどきしながら扉を開ける。
いつもの席に彼がいた。少しほっとして声をかけようと近づいた。
けれど、彼の横顔を見た瞬間、声が出なくなってしまった。彼の様子がいつもとあまりにも違ったから。
いつも優しげに微笑んでいる瞳が、うつろな目をしていた。
壊れたまま動いているおもちゃのような目。どこも見ていない瞳は行き場の無い感情を追い掛けているような気がして、何故か自分の胸が痛んだ。
「…雨宮ちゃん?」
突然名前を呼ばれた。本当に彼は目が見えていないのかな、と思うほど時々鋭い時がある。
「…はい」
動揺を出さないように答えた。少し硬い声になってしまっただろうか。
「何となく傍に居るような感覚がしたから呼んでみたんだけど、ほんとにいたね」
そう言って淡く笑った。瞬けば消えそうな笑みは、私にでもわかるほど無理やりだった。
「……及川くん」
胸が苦しい。
「…ん?」
「無理して笑わなくていいんだよ」
そんな風に笑わないで
「…どうして?」
どうして?自分でもよく分からない
「何となく…かな」
「何それ」
ほんの少しだけ笑って、また遠くを見つめた。広い教室に、沈黙が落ちる。無性に彼の傍に居たくなって、隣に座る。
「……今日はね」
彼はゆっくりと話し始めた。
「うん」
「父さんの…命日なんだ」
どんな困難な状態でも前を向いていられる、とても強い人だと思っていた。でも、違った。
「…そっか」
彼はそれ以上、何も言わなかった。でも、分かった。彼がどれほどお父さんを愛しているかを。彼の瞳が、全てを物語っていた。
また沈黙に包まれた。たった一言。その一言で、こんなに胸が締め付けられる。彼の苦しみが、悲しみが、痛いくらいに伝わってくる。もう何も言えなかった。
けれど、どうしても何かしてあげたくて、そっと彼の手を握った。彼の悲しみが少しでも和らぎますように、そう願いながら。
彼は私が手を握った時、何も言わなかった。ただ、泣いたように笑って、力強く握り返した。
*
「萌果ー!聞いてっ!」
そう言って私の前の席にどすんと座った。私が聞かない、って言ってもどうせ言うつもりでしょう。それくらいわかってるんだから。
「今度流星群があるんだって!」
茜はドヤ顔でそう言った。
「流星群?」
「そう!何十年に一度だったかは忘れたけど、あるらしいよ!!」
見に行こうよ!そう目が言っている。茜は本当に感情がわかりやすい。
「しょうがない、見に行く?」
彼女には沢山迷惑かけたし、いつもならあまり気が乗らないけれど、今回は特別、かな。
「!!」
彼女は嬉しそうに笑って、飛びついてきた。
「じゃあ、鵜飼くん達誘お!!」
「ん!?」
嫌な予感がした瞬間、茜は廊下の外へ走り出した。いつかと同じ展開ですね。何となく予想いたけれど。ちょっと急すぎるよ、茜!!
前と同じくたどり着いた時にはもう茜が誘ってしまっていた後だった。
「どうしたの萌果そんなに急いで」
しらっとそんなこと言ってもあなたのせいだからね。
「流星群…ね」
及川くんがぼそりと小さく呟いた。少し寂しそうに、懐かしそうに微笑む彼は、流星群を見ることができないのは明確だ。
「いいな流星群、斗哉星好きだったじゃん?」
好きだった過去形なのね。自分が見れないものを見るために時間を費やすのは嫌ではないだろうか。
「…及川くんは、行きたいですか…?」
「……」
及川くんは少し考えこんでいるようだった。
「…行きたい、って言っても迷惑にならない?」
少し、困り顔でそんなことを聞く。彼は何を言っているのだろうか
「「「当たり前(じゃん/です)」」」
タイミングも言ってることも同じで思わず笑ってしまう。
「たとえ目が見えなくても私たちが頑張って言葉で伝えるから大丈夫だよ!!」
「おう、任せとけ!」
頼もしい返事が聞こえる。茜の語彙力はとても心配だけれど。
「頑張って言葉でも表現しますけど、肌で風を感じたりするのもいいと思います」
そう、何も視覚だけが物事を感じるのに必要な訳では無い。
「だから、及川くんも一緒に行こう?」
「…行きたいな」
彼は嬉しそうに笑った。4人で綺麗な景色を見たい。強くそう思った。
*
流星群が降る日。
その景色は言葉に言い表せないほど綺麗で。ただひたすらに美しくて。この景色を四人で見ることが出来て良かった。
及川くんへの気持ちに気づいたあとだからか、柔らかい笑顔がいつにも増して眩しい。
*
ある人に"幸せそうでいいね"と言われたことがある。
詩織への罪悪感に苛まれていた頃、必死に笑っていたから、そう見えたのだろう。本当は「幸せじゃないよ」って言いたかった。どこにいても居場所がない気がして、苦しくて、辛くて罪悪感に押しつぶされてしまいそう、って。でも、自分よりもっと不幸な人はいるから"そうだね"と笑って答えた。自分自身に嘘を付くことがとても苦しかった。
でも、茜が、及川くんが、私のそんな考えを取っ払ってしまって、私もちゃんと痛みを感じる人だってことを伝えてくれた。辛いことがあっても優しく味方となってくれる人達がいるから私は前を向ける。
辛いことが起こると、もう生きたくないと思う事もあるだろう。そんな時、自力で立ち直れる強い人なんてほとんどいない。周りの人達がその人のことを理解し助け、そして笑い合えるような関係を築いてきてくれたから今私は生きていられるのだろう。
頑張れなんて言わないから、ただ、生きて欲しい
笑って、なんて言わないから無理せず泣いて欲しい
我慢して、なんて言わないから黙って
背負い込まないで欲しい
見えない頑張りも知ってるから、辛い時こそ頼って欲しい
頑張るために生きるのはやめよう。笑うために生きよう
"人は一人では生きていけない”
確かにそうだな、と考えながら、彼の手を離さないように握りしめていた。
***
桜舞う卒業式。クラスメイトの泣き声が聞こえる中、彼の姿を遠目に見た。その瞬間ふと思った。
出会わなければよかったのかな
そう思うほど、この激しい感情をなんて言い表せばいいか私には分からない。
でも、一つ分かるのは、もう彼がいなければ、この気持ちは永遠に感じることが出来ないということ。それはとても寂しくて、忘れたいと思っているのに忘れたくない、とも思っている矛盾した感情。
「萌果ちゃん?」
低く、落ち着いた声で私を呼ぶのは、最近やっと名前呼びに慣れた彼の声。振り向くとやはり彼がいた。
「及川くん」
彼はふと私の顔の方へ両手を伸ばした。びっくりしたが、彼の手を取る。
「…どうしたの?」
そう聞くと、彼は少し照れたように言った。
「君に触れさせて」
突然のことに驚いたが、彼の手を私の頬に導く。
「…これでいい?」
「うん」
探るような手触りで彼が私の頬を撫でた。少しくすぐったくて動くと、彼は小さく笑った。
「暖かいね」
「当たり前だよ、生きてるんだもん」
そう、生きているんだ。だからこうやって彼と触れ合うことが出来る。1度だけ、生きることを諦めようとした時期があった。辛くて苦しくて、どうしようもなくもがいていた時。どうやって、まだ生きようと思ったのかは覚えていない。ただ、いま彼と笑い合えてることが何よりも変え難い幸せで。
あの時、生きることを諦めないで良かったと心の底から思えた。
だから言おうと思った。これから後悔しないために。こんな私を彼は受け入れてくれるかは分からないけれど――――…
「及川くん」
私の顔に優しく触れていた彼の手に私の手で重ねる。良かった。振り払われない。
「どうしたの?」
きょとんとした顔をした彼は、優しく私の頬を撫でた。
「…あのね―――…」
背の高い君の耳に届くように背伸びをして呟いた。この声が暗闇にいる貴方に、この想いが届きますように
*
この物語にはまだ名前がない
だって、この
描いていくのは私たちだから――――…
Fin.
文字がない物語 meria @fara-ra
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