異世界ゾンビvsお笑いコンビ

印朱 凜

第1章 若気のイタリアン

第1話 前座デビュー



 

 無意味に広くて殺風景な楽屋の中で、二匹の小ネズミのような存在が震えていた。

 

 一世一代の初ステージを前に、貧乏揺すりが止まらないガリ男こと嶽山ダケヤマは、簡素な机を前にして譫言のようにネタの台詞を繰り返している。


「アホ~! 今更、何ビビッてるねん! しっかりせんかい!」


 口の悪い巨乳の萱谷カヤタニは、そう言いながらも額から滝のように流れてくる冷や汗をハンカチで拭うのだ。


「うるさいわ! 黙っとれい! それにしても、この楽屋何やねん! エアコンも効いてないんかい! めっちゃ暑いわ!」


 ダケヤマの言葉に応えるかのように、カヤタニはTシャツを脱ぐと白いブラジャーを丸出しにしてピンクのステージ衣装に着替えるのだった。


「うわっ! アホはお前じゃ! 何で今頃、着替えてるねん……、っていうか何で堂々と俺の前で裸になってるねん! 楽屋に行けや~、……ってここが楽屋か!?」


「もうとっくにネタ合わせもやったやろ! 大丈夫やから、もっと落ち着かんかい! 私まで緊張するやないかいー!!」



 鹿命館高校のお笑い同好会からずっと一緒にコンビを組んできたダケヤマとカヤタニは、かれこれ三年以上の付き合いで、もはや本物のカップル以上に腐れ縁の仲良しコンビ。

 一時期は若気の至りで恋人関係になりかけたが、プロの芸人を目指すからには恋愛感情が邪魔という理由で、頑なに自分達の夢を追い続けている。


 そんな芸人コンビに転機が訪れたのは、つい最近になってからの事。

 

 事務所に所属して、バイトしながら細々と地方のお笑いイベントの前座として活動を続けていたところ、二人の評判がプロダクション筋から大手TV局のプロデューサーの耳へと届いたのだ。



 青いジャケット姿のダケヤマは覚悟を決めたように台本を机に叩き付けると、力強く立ち上がった。その顔には、もう迷いの色など見られない。


「やっと掴んだTV出演のチャンス! これを逃すような事があったら絶対にアカン!」


「そうや! 今日が私ら『スカンピン』の新しい門出の日になるんやで!」


 ピンクのワンピースから胸の谷間&スラッとした美脚を強調した衣装のカヤタニは、自分の武器をよく理解しているようである。


「それにしても何や?! その派手な衣装は!? どこのキャバクラから迷い出てきたねん?」


「何やねん、アホ~! スタイリストさんから渡されたんじゃあ!」


 コンビが言い争っている間にマネージャーの黒川さんから、ついに本番のステージに移動する指示が下された。


「あなた達、リハーサルの通りにやれば完璧だから……! 変に力んで失敗しないようにね。リラックス、リラックス! 二人の実力が十分に発揮できたら、番組へのレギュラー出演も決して夢じゃないわよ! ……大丈夫だから……ね、ダケヤマさん、カヤタニさん!」


「おお! 任せとけィ!」


「いっちょ、行ってくるわ!」


「ヨシ! 二人の幸運を祈る!」



 夢にまで見た晴れ舞台。


 コミカルなジングルに乗せて舞台袖から飛び出すと、今までに見た事もないようなスタッフの数と機材と照明。黄色い声した観客の拍手。目がくらむような光の大波と異様な熱気。


 思わずダケヤマもカヤタニも一瞬、尻込みしたが、頭の中で何かが吹っ切れた。


『どうも~!! 初めまして~!! スカンピンです~!!』


 二人が大声でハモり、そう叫んだ瞬間である。舞台の照明がチカチカと点滅した後、完全に落ちた。

 ザワつきと共に、恐怖に満ちた悲鳴もポツポツ上がる。


「何や!? この大事な時に……、ドッキリか?」


「んな訳ないやろ! 何かのトラブルちゃうか?」


 声にならない声を上げたコンビの周りに、静電気実験で見るような青白い電光が纏わり付き、ステージを不気味に照らし出したのだ。


「うわ――――――ッ!!」


「きゃああああああっ!!」


 次の瞬間、落とし穴のような暗黒空間が、コンビの足元に渦巻くように出現したかと思うと、ダケヤマとカヤタニをスッポリと掃除機で吸い込むように連れ去っていったのだ。




 しばらくの沈黙の後、何事もなかったかのように照明が生き返り、誰もいなくなったステージを静かに照らし始めた。


「…………………」


「…………何? 一体、何が起こったの?」


 目の前で起こった事が全く理解できず、その場にいた観客、スタッフ一堂が呆気に取られた。


「これってマジックなの? そういう芸風? 凄すぎィ……」


「何なのコレ? 新しすぎるお笑い?」


「ドッキリ、ドッキリー。……あはは……」



 誰もいなくなったステージ上には乾いた笑いが、墓場に吹く風のように虚しく渦巻いた。


 客席の間に主を失ったネタのメモ書きが、木の葉と同じに音もなく舞い落ちる。


 冗談にならない事態は、その場に残された観客とTV収録スタッフを、いつまでも置き去りにしたままだったのだ……!



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