万死と半生 2


 魔法が人の手の中にあり、人を守るものならば。

 呪いは人の傍らに立ち、人を蔑むものである。


 この世界が始まった時から、この世界は呪いに溢れ満ち満ちている。

 それはほとんどの場合。

 まったく救いようのない。

 まったく報われることはない、そんな終わり方をもたらす。


 ……ここまでが。

 俺がこれまで出会った呪いの持ち主の中で、最もつまらない結末を迎えた、とある少女のお話。

 終わらないお伽話を、終わらせるまでに起こった、長かったようで……決してそうではなかった、ヤユ・ヒミサキと俺が出会ってから……そしてまた旅立つまでの、そんな、誰も知らない英雄譚。


 ……………………、

 つまらない結末――、ただし、それは。

 

 呪い……あるいはその根源近くにある、とてつもない、悪意。

 この舞台を用意し、そして観客席で初めからずっとあざ笑っていたような、そんな――悪意にとっての。


 今回は。

 そうではなかった、というだけのこと。

 そうはならなかったし、そうはさせなかった。


 ヤユ・ヒミサキ。

 彼女は普通の少女だった。どこまでも、どこまでも普通の少女だった。

 それを…………

 俺が――

 あるいは彼女自身が。

 救ってみせた、それだけの。


 この世界にはきっとどこかでありがちな――、呪いと、怪物と、少女と……、それに立ち向かった、愚かで弱い呪言遣いの、事の起こりとその顛末までの、そしてそれからのお話。







「――お兄さん、頑張って…………!」

「ああ、任せろ……」


 ――任せろ、なんて威勢のいい事を言いつつも。

 俺はヤユの肩を借りて、ひょっこらひょっこら、おっかなびっくりといった様子で、ゆっくりと森の中を彷徨い歩いて出口を目指していくしかない。

 方角よし。

 天候よし。

 体調あし。

 命に別状は……(とは言っても放っておいたら恐らくあと一週間も経たないうちに危なくなりそうだが)ないとはいえ、ろくに歩くこともできないこの現状、本当に俺の体を支えてくれているヤユだけが今は頼りだ。

 なんとか森を抜けて、ザンクルトの町まで出て……それから馬車でも借りられれば、どうにかフララーガまでは一直線に行ける……はずだ。

 フララーガに行けば、あの大女が相変わらず自由気ままに贅沢な暮らしでもしているだろうから、直接会ってこのかなりまずい大怪我を治してもらうことも叶うだろう。それまでの辛抱だ。


「………………」

「? どうした? ヤユ…………?」


 突然静かになったヤユに俺は声をかける。

 なにやら考え事をしていたようだった。

「あ、うん……えと、ね……ほら、わたし、人がいっぱいいるとこに出るの、すっごく久々だから、ちょっと……えへへ、ドキドキ、してるかも…………」

「………………ああ……」

 ヤユは――

 これまで怪物として虐げられ、時には人のまま殺されてきた、そんな過去がある……だから、それゆえに、そんなフラッシュバックが彼女の心に纏わりついて、未だに重く、今まさに町に向かっているこの途中だからこそ、強くのしかかって思い起こされてしまうのだろう……

 そんな不安さを隠そうと、それでも俺の為に歩みを止める気配のないヤユに向けて、俺が言えることは、果たして何だろうか…………

「…………ヤユ」

「…………?」

 ちょっと考えて、俺はそれを言ってやることにした。

 嘘偽りなく、これから彼女の身に起こるだろうことを。

「ヤユのことを怪物だと認識している人間なんて、もうこの世のどこにもいないと思うぞ。ヤユ……ヤユ・ヒミサキは、どこを取っても、もうただの、普通の、人間だ。『万死の呪い』は消滅して、もう呪い持ちですらない……たった一人の、普通の……な」

「…………」

「それに……」

「…………それに?」

「俺が……俺たちがこれから会いにいく大女しかり、フララーガには俺の古い知り合いがまだ何人か残っていてな……あの街は俺もかなり長いこと住んでいたから、けっこう顔馴染みが多いんだ。ヤユが会いたいっていうなら、そいつら全員と会ってみないか? うまいご飯でも一緒に食って、下らない話でもしてみるといい。ふざけた奴らや変な奴らばっかりだが、それでも基本的には気のいい連中だから――そんなヤユの勘違いや思い違いなんてあっという間に無くなって消えてしまうだろうし、それに――」

 きっと楽しいぞ、と俺は言う。


「え…………」

「ああそういえば、フララーガには観光名所もいっぱいあるんだったなあ。あそこも大概人が多いから……あ、待てよ、確かそろそろ建国祭……生誕祭だっけか? どっちかが開かれる時期に差し掛かるんじゃないか……? だったらいつもよりもっと騒がしくなってるかも……」

「お、お兄さ…………」

「それと、アレだな。丁度いい……ヤユ、やってみたいことがあったら今のうちに頭の中で考えておくといい。あそこの祭りはド派手だから……最近は新しい催し物とかも開かれてて、他に呪言遣いなんかももしかしたらいるだろうから、思ってもみない見世物が見れたり、面白い体験でも出来たりするかも――」

「お兄さん‼」

「……………………?」


 ――立ち止まって、興奮したような。

 しかしそれも驚きによって更に装飾されてしまったかのような、そんな絶妙な表情をするヤユに、俺は首をかしげる。

「なんだ? ヤユ……」

「お、お兄さんは……まだ、わたしと、……?」

「……? ん………………?」

 だって、とヤユが言う。

「わたし、なにもない……お兄さんに、ひどいことをしちゃって……もう怪物にはならない、死ななくてもよくはなったけど……でも、でも……、またいつか、呪いにかかっちゃうかも、わ、分からない……今まで、いっぱい、いっぱい……」

 ふぎ、とヤユが鼻をすする。

「ま、まだ森の中にあの家はあるから……断頭台はもう解体して埋めちゃったけど……だ、だから、わたし、お兄さんをフララーガに送ったら、また、すぐ家に帰って、それで、また……一人で暮らして、そうする、つもりだったから……」

「………………」

「お、お兄さんは……まだ、わたしと、いてくれるの……? こんな……こんなに迷惑をかけちゃった、わたし、なのに…………」

 信じられない、といった様子で俺に同じことを聞いてくるヤユ。

 一朝一夕ではない……ゆっくりと雪のように彼女の心に降り積もった、弱気……というか孤独に近づいてしまう思考は、なかなか振り払うのは難しいもののようだった。

 俺もかつてはそうだったから、その気持ちは、少しだけ、分かる。

 だから俺は。


「ヤユは……どうしたい?」


 と静かに聞いた。

 言葉を重ねて本質を見えにくくする必要はない。ただ、彼女の本当の気持ちが一番大事で、俺はそれをただ聞いて、尊重してやれれば、それが一番この冒険譚にふさわしい答えの一つだと、そう思ったから。

「わ、わたし、は………………」

「……………………」


 ……長い沈黙。


 森の風が、木々がざわめき、辺りからは小鳥の鳴き声が時折思い出したかのように響き渡ってくる。

 長い決戦を終えた今、俺にはそれがやけに心地いいものに聞こえた。

「…………した、い……」

「………………………………?」

「わたし……お兄さんと、一緒に――旅が、してみたい‼ フララーガ……ううん、ウェオン王国だけじゃなくて! もっと、いっぱい! 見た事のないものを見てみたい……! 知りたいんだ! なにもかも、なんだって……だって、わたし、まだまだ全然知らないことだらけで……きっと、なにも、わかってないって、そう思うから…………!」

「………………はは……」

 ――その、彼女が最終的に導き出した答えは――

 俺が、予想したものよりも、もっと大きくて、もう少しだけ、進んだものだった。

「…………」

「あ……う、……だ、ダメ、かな………………?」

 恐る恐る。

 上目遣いで、静かに沈黙を保つ俺の様子を伺ってくるヤユ。

「……………………」

 俺は――、

 俺は、ふ、と息を漏らして、決まりきった答えを、決まりきったように応えてやることが、今この場で出来る。精いっぱいの誠意だった。

「世界は広いぞ、ヤユ…………」

「………………!」

「色んな国があって、色んな人がいて……、色んな呪いの持ち主がいて、魔獣も、魔物もいて……そしてそれすらも、この広い世界の、たったほんの一部の要素に過ぎない」

「……………………」

「危険が、たくさんだ。楽しい事も、そしてそれ以上に、苦しい事も……、これから先、きっとある……いつか、また……それが望んだものであれ、そうでなかったとしても……俺とヤユだけじゃない。旅をして、新たに会った人たちとの、別れの時は、きっと、どこかでまた、訪れる……それは、きっと避けられないいつかの未来だ……」

「…………」

「それでも、俺と一緒に、この国を出て、旅をしてみたいと……そう、まだ言えるか?」

 俺はじっと彼女の黒の瞳を見つめる。

 そして彼女もまた、俺から目を逸らさずに、俺の黒の瞳をじっと見据えた。

「わたし、背負ってるんだ……」

「…………?」

「あ、あのね……この体は、わたしだけじゃない、わたしだけのものじゃない。わたしが、怪物が、死なせちゃった、たくさんの、大事な人の命を、背負ってるんだ…………そういう体なんだよ、わたしは……」

「………………」

「だからね、わたしのこれからの人生は、人の役に立ちたいんだ……」

「………………」

「今のままじゃ、だめ。色んなことを知って、色々勉強して、頭もよくなって……いつか……もっと……わたしのことを助けてくれた、お兄さんみたいに……なりたい……なって、誰かを、今度はわたしが、わたしの手で助けたい…………」

「………………」

「だから、またワガママ言って、ごめんね……でも、お兄さんが許してくれるなら……わたしも、旅に連れていってほしい、それが、わたしの、ほんとのほんとの、気持ちなんだよ……うん」

「………………」

 こくり、と一人頷いて、今一度ヤユが俺に頼み事をしてくる。

「お兄さん、わたしを旅に連れて行って! わたし、もっともっと頑張るから! だから……お願い……お願いします!」

「…………」


 これまでの、彼女の――ヤユ・ヒミサキの、決して短くはなかったその人生。

 頑張りすぎるほどに頑張って。

 それでもまだ、なお頑張りたいと、そう堂々と言いのける彼女の表情に、もはや迷いなんてものは見当たらず。

 ……俺は。

 俺はもう、俺からはもうヤユに言えることなんて、本当に嘘偽りなくなにもなくて――きっとヤユは俺をとても買い被ってくれていて、でもそんな軽口を吹き飛ばすような決意が、彼女の……初めて会った時とは似ても似つかない、強い意志を持った瞳からはひしひしと感じられて。

「――――――」

 俺は。

 俺が、その強い言葉に辛うじて返せるのは、だから、もう、たった一言、これまでの、俺と彼女の最初の冒険を締めくくる、そしてこれからの物語を始めるのに相応しいだろう、そんな、すべてが紡がれてたどり着いたような、真っ直ぐで飾り気のない世間話のような言葉だけなのだった。

「さて――――」

「………………………………」


「海と山、どっちが好きだ? ヤユ」








                              億死の女王 了


                     第二部『剣の果てで君を待つ』に続く
















































































失ったからこそ得るものがある。

だから世界は、こんなにも美しいのよね!


                           Yorureanu Azareleyt


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