第一部 億死の女王

人子

イントロダクション



ばんし【万死】


1 とうてい生命の助かるはずのないこと。九死。

2 自分の一生を顧みずに命を投げ出すこと。

3 何度も死ぬこと。死を強めていう。

                             『日本国語大辞典』









 魔法が人の手の中にあり、人を守るものならば。

 呪いは人の傍らに立ち、人を蔑むものである。


 この世界が始まった時から、この世界は呪いに溢れ満ち満ちている。

 それはほとんどの場合。

 残酷で。

 醜悪で。

 理不尽で。

 冷徹で。

 凄絶で。

 狂的で。

 悪意にまみれ。

 まったく救いようのない。

 まったく報われることはない、そんな終わりをもたらす。


 これから俺が今まで出会った呪いの持ち主の中で、最もつまらない結末を迎えた、とある少女の話をしよう。


 彼女は普通の少女だった。どこまでも、どこまでも普通の少女だった。

 それを。

 俺が。









「うっ……うぐぐ…………」

「……?」


――愉快気な喧噪。

 この日俺がふらりと立ち寄った酒場は、まだ日が高いというのに人々の活気がこだまして、最早うるさいくらいだった。

 何度も訪れている国の、初めて訪れた町。

 流れ者の俺には心地いい、下品で小汚い場所。

 ウェオン王国フララーガ近郊キュロイナ半島西部、ザンクルト。

 カウンターに腰かけていざ度数の低いものを仰ごうとしたところで、俺は突如響いたそのうめき声に、軽く小首を傾げる。

「気のせいか」

そしてグラスに再び口を付けようと――、


「ううううっううううう!」

「……なんだよ」


 今度こそはっきりと聞こえる声。

 無秩序な店内をぐるりと見まわす。

 農夫……、チンピラ……、賭けに高じて大騒ぎする少年たち……、酒を豪快に飲み交わす老体ら……、隅っこの方で交尾する野良犬……、

「ううっ」

そして、そうやって。

一通り目線を動かしたところで、俺はようやく不気味な声の主を見つける。

「うー……」

 酔いつぶれたらしき淑女だ。

 呑み過ぎて酔いどれた淑女が、突っ伏して今にも吐きそうな様子で時々呻いたり体を揺らしたり。

一人で……一人で丸テーブルを占拠して、机の上には大量の酒瓶が転がっていて。

そんな彼女を周囲の人間は誰一人気にも留めない――まるで見慣れすぎて日常の風景と化してしまったかのように、いないモノかのように扱っている。

 呑み過ぎて中毒にでもなってしまったのかと思って、面倒だが俺は話しかけることにした。

「もしもし、お嬢さん……大丈夫か?」

「…………」

 淑女はうつ伏せでピクリとも動かない。そんな彼女にやはり誰しもが興味無さそうなのは、恐らく町の大部分の人間が顔見知り同士で、これはすなわち、何でもないいつも通りの日常ということなのだろう。

「はええ、ううう……喉が、カラッカラ、です……意識が、トぶ……」

「……意識が? それは大変だな……」

「! え…………?」

 淑女はこちらに気づき、少しだけ目を見開いて、しばらくこちらを見つめていたが、もう我慢の限界といった様子で俺に頼みごとをしてくる。

「お、お願いです、後生ですから、お水をカウンターで、もらってきて、下さい……やっぱり酒が苦手なのに、ヤケ酒は、ゼッタイダメなんだなあ……って」

「…………」

「ちょっと、世界がグルングルンしてて、私の足じゃあ、しばらく、辿り着けそうにないです、カウンター……あーもう、記憶がグダグダだ……じぼうじきにも、なっちゃいますよ、こんなの……」

 ……途切れ途切れ、息も絶え絶えといった様子で独りごちる、中肉中背の淑女。長い白髪に灰色のローブを纏って……容姿はかなり良い部類に入るのだろうが、どうにも退廃的で、うつろな雰囲気を身に纏っている気がする。

どうやら複雑な事情を抱えているタイプだ。

 俺が水を持ってきてやると、

「あ、あ、あ、ありがとう、ございますー……ゴクッ、ゴクゴクゴクゴクゴクッッ」

 俺から奪うようにグラスを受け取るや否や、一息に浴びるような勢いで淑女は水を飲み干す。

「ぶ、は~~~~~~~~~~~…………は~~~~~~~~~~は…………」

 そしてやたらと長いため息。

急に起き上がって、意識は混濁から完全に正常を取り戻したようだった。

 彼女に瞳に命の輝きが戻っている。


「え……っと、ありがとうございます、初めて見る顔の人……本当に助かりました……これがいわゆる、命の恩人ってやつですか?」

「いや、数歩ほど歩いて水を貰って来ただけだけどな……」

「いつもは私の友達が水をガボガボくれるんですが、今日はいないみたいで……こうやって羽目を外したらすごく苦しくなって……あー、思い出したいのに思い出せない……古傷がうずくうう……」

 めそめそと、独り言なのか俺に向けて言ってるのか分からない声調で悲しげなことを喋り続ける淑女。

 その背中に「人それぞれ抱えてる事情は違うからなあ」などと陳腐な言葉をかけるか迷うが、その前に唐突に話題は思わぬ方向に切り替わる。

「あ、そうだ! 私、『占い』を実学的にやっているんですが……よかったらですが、あなたを初回無料で丁寧に占ってあげますよ! いつもは友達以外だとちょびっとお金を取るんですが……今回ばかりは恩義に報いたい方向性です! いかがなさいますか?」

「占い? それはどういったものなんだ?」

「まあ、すごく簡単に言えばその人の持つ大局的運命性の診断といいますか……私の出す質問にいくつか答えて頂くだけで、あなたの人間的本質や今後の展望などをちゃちゃっと見通しちゃいますよ、という私が体系化した運命学に基づく確かな未来予測……という、言うなればそんな感じのものです」

「…………」

 淑女の説明は分かるようでよく分からない。しかし少し興味が湧いてきたので、俺は占いを受ける事にした。

 気づくと、いつの間にか机の上に赤い色をした水晶体……のようなものが無造作に置かれている。

「いいですねー、好意を素直に受け取る姿勢は評価されるべきです。これは竜浄石で作られた特別なもので……とにかくすごいですよ? では、コホンコホン……」

 淑女は水晶に手をかざしながら、大仰な動作で占いを開始した。


「では質問1 夜の森を歩いていると二本の分かれ道。片方の道の木々は全てがなぎ倒さていて、もう片方の道の木々は青々と茂っている。あなたはどちらの道を進む?」

 ・全てがなぎ倒さている木々の道

 ・青々と茂った木々の道


「ほお~~~、ふむふむ。なるほど、なるほど……ですねー…………」


「質問2 あなたが理想的だと思う指の数は何本?」

 ・5本

 ・1本

 ・2本

 ・3本


「いやー、なるほど、はいはいそうきましたかー………………これはこれは……ふーむ……」


「質問3 もし今日が人生で最後の日だとしたら、何を一番食べたい?」

 ・動物の肉

 ・魚

 ・人の肉

 ・野菜と果物


「へええー……はあはあはあ…………そういうアレか~…………ふんふんふん……」


「質問4 もし今日が人生で最後の日だとしたら、終わりまでの時間を誰と過ごしたい?」

 ・家族

 ・友人

 ・最愛の人

 ・赤の他人

 ・一人で過ごす


「ははあ……これは、んーなるほどな全貌が読めてきましたねー……こんな形か……ふーん……」


「質問5 心と体、精神と肉体、どっちが人にとってより大事だと思う?」

 ・こころ

 ・からだ


「…………読めました。完全に見切りましたよ初めて会う人。あなたのこれからの展望と本質的人間性…………ふふふふ…………」

「……そうか」


 俺が答えると、いちいち相槌を打ちながら水晶を執拗に撫でる淑女。

 こんな酒場で馬鹿ら……やたら大仰なことをしているのに、やはり周囲の人間は彼女を――俺たちを気にも留めることなくがむしゃらに騒ぎ続けていて、俺としては居心地がいいのか悪いのかも曖昧になってきていたが――、

ともあれ、これで占いは終わったらしい。

「ではでは、ご丁寧にお付き合い頂きありがとうございました。ちゃんと考えて答えてもらえたようで何よりです」

 淑女は額に浮かべた汗をぬぐいながらニッコリとほほ笑む。一仕事やり終えた後のような爽やかな雰囲気を醸し出している。

「まあ、新鮮な体験だったよ。それで結果はどうなるんだ?」

「ふふふふ、そう慌てなくても私が言える事は変わりませんよ。そうですね……まず一言で言うならあなたは――……困難なる道をこれまで歩んできて、そしてこれからもきっと歩み続けるでしょう。天難の相が出ています」

「…………」

「あ、ダメですねこの感じ……頭がボーっとしてきた……」

「…………?」

「あ、いや、時々こうなるんです……占いをした後にものすごい眠気が襲ってきて……次に目が覚めたら、直前の占いで視えた事を全部すっかり忘れている……まずいな、まだ、全然何もお伝え出来ていなんですが……」

「本当だよ」

なんなんだ、一体。

悪口だけ言われて走り去られてる気分だ。

「うーん……こまった……せめて、これだけは。あなたはとても後悔している人間……すべてを失ったことがある人間、ですね?」

「!」

「それゆえに歪んだ心……そんな自分を押し殺し……自分の心に嘘をついて、それでも誰か見知らぬ人を救おうとする……あなたは、そういう人間……」

 うつらうつらと淑女は言う。

 俺の反応などお構いなしに。

「一番肉体的にも精神的にも苦しむ……玉虫色の心。それでもあなたが頑張るのは、生き残ってしまったゆえの罪悪感、ですか?」

「…………」

「……なかなか面倒くさい人ですね。ただ、断言できるのは、あなたみたいなタイプ、私個人としては、まあ、決して嫌いではないって、ことですよ」

 ふふふ、と机に零れた酒をチビチビ舐めながら、淑女は一人納得したように笑う。

「…………あ、もう限界が近いです、私寝ますね……えと、返す返す、さっきのお水ありがとう、ございました…………」

「……なに、気にするな、大したことはしてない」

「あ、一応、忠告になりますが――これは素直に、私の占い師としての善意です。耳かっぽじって聞くと、もしかしたら、最後の最期であなたに、幸運が訪れる、かも、僅かながらに……」

「…………? なんだ?」


「『分からなければ、下を、選べ』」


 最後ににへらと笑って、淑女は崩れ落ちるように机に三度突っ伏した。

 ゴイン、と大きな音を立てるほど強かに頭をぶつけたが、その衝撃で目を覚ます気配も全くない……ので、もうしばらくは起き上がってきそうにない。

「……はっ」

 そうして、ため息とも笑いともつかない声がふっと俺の口を洩れる。

 この淑女、この女……、掴みどころがないというか、よく分からないことも多々あったが……占いの腕……人の本質を見る目だけは、どうやら確かに、疑いようもなく本物のようだった。








**


・フララーガ

世界で三番目に大きな都市だ。

ここウェオン王国における文化、経済、軍事の中心地であり、俺もかつては滞在していたことがある。

美食の都としても有名で、特にフララーガ牛を使った肉料理の数々は国内外を問わず多くの人々を虜にし続ける。


・ザンクルト

自然だらけの小さな町。

「ザンクルト」というのはこの地域の言葉で「白く輝く太陽」を意味するらしい。

確かに気候は悪くないが……


・竜浄石

竜すら己の身を飾るために身に着ける……と言われる美しい石だ。

比較的どこでも採取できる安価な石だが非常に硬度が高く、精密な加工は難しい。そのため装飾品や家具などに転用するにはそれなりの金がかかる。

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