第二十四話:火口に着いたけど、姿を現したものの意味が分からない
第二十四話:火口に着いたけど、姿を現したものの意味が分からない
サラサにある高級宿『竜の懐』の女将と名乗る人物、セリュア・ヤマグチが言い出したのは、意外な一言だった。
「温泉が枯れた?あそこにある温泉は温泉じゃないのか?」
窓の方を親指で差しながら、武富くんが言う。
「正直に言うと、そうです。サラサ火山から引いてきた熱水ではなく、魔法で生み出した水を温めて提供しているんです」
あ、産地偽装してるんだ。まあ、ゼアーストには地球社会みたいなモラルはないか。
「いつもは火山から引いてきてるのができないということは、なにか理由があるってことですね」
「はい。それが竜なんです」
僕が先を促すと、セリュアは竜という単語を口にした。
宿の名前にも入っている『竜』。普通に考えると魔物の竜のことなんだろうけど、なにか特殊なものに対する呼称なのかな。
「そこから教えてくれ。竜ってなんだ?」
「はい。全てお話します」
妙齢の女将は肩の力を抜き、話し始めた。
「まず、昔話をしましょう。ときは三百数十年前、ゼアーストに降臨なさった勇者様方は、当時の魔王を打ち倒しました」
急に昔話が始まった。話が長くなりそうな予感。
というのは置いといて、当時の魔王というのは、当時の魔王だ。そのまんま。
魔王は魔族の中で最も強い者が自称することで誕生する、肩書きみたいなものだ。歴史上、大抵は魔族の都を建都した後に人間を侵略してくるけど、勇者が呼ばれたということは『当時の魔王』もそうだったらしい。
「大いなる目的を果たした勇者様方は、ゼアーストの生活に馴染むため、世界中に散り散りになりました。そして、初代女将のサラサ・ヤマグチ様はこの地にいらっしゃったのです」
なるほど。それで湯都サラサができたのか。
「サラサ様は無類の温泉好きでいらっしゃいました。当時火山が噴火して更地になっていたこの地を、なんとか温泉街にできないかと思案を巡らせたのです」
噴火や噴煙、火山灰などの火山活動が活発に起きる山を活火山と呼ぶ。今の穏やかな山並みからは想像できないけど、数百年前は活火山だったんだ。
「こうして、サラサ様はこの地で得た同胞にまちづくりを託し、竜となったのです」
え?
え、え?なに?僕なにか聞き逃した?
「待ってくれ、温泉街を作りたいから竜になったっていうのか?」
僕と同じく、頭の中が疑問符で埋め尽くされた武富くんが疑問を呈す。
「そちらも説明致します。サラサ様はその身にあふれる魔力を用い、自らを竜へと昇華させたのです。半永久的に体内で魔力を生み出し、莫大な熱と溶岩をコントロールして最高の湯へと還元するために」
竜へと昇華…。それっぽい言葉だけど分からない。
人間が魔物の竜になることなど、不可能だ。少なくとも今の魔法学では。
「竜化、それは古代の禁術です。サラサ様に代表される歴代の勇者の数名が、特殊魔法として行使していたと伝え聞いております」
「そんなこと、王都の禁書庫にも記載はなかったけど…」
「サラサ様が秘匿されたのです。竜化の存在及びサラサ様が竜となったことは、ヤマグチ家とそれに親しい人々にしか伝わっておりません」
一子相伝に近いものだったということか。
「話を戻します。我が身を竜へと変貌させたサラサ様は、かの山、今はサラサ火山と呼ばれている山にこもり、魔法で湯を生み出し続けていたのです。三百数十年前から、つい先日まで」
「待った。そんなこと、可能なのか?いくら魔力の多い魔物だからといって、常に湯を生成し続けるなんて…」
武富くんが前のめりになって聞く。
彼の疑問ももっともだ。人から竜になるのも驚きなのに、絶え間なく魔法を使い続けているなんて。
そもそも、竜になって自我が保てるのか?湯を湧かし続ける使命を、ずっと覚えていられるものなのか?
疑問が尽きない。
「私も、父から初めて聞かされたときは驚きました。ですが、信じるしかないのです。サラサ様の御業がなければ、サラサという街は存在できていないのですから」
滔々と語っていたセリュアの口調が、少し勢いを増した。
「私も父も祖母も、このことは口伝でしか知りません。他の皆もそうだと思います。増えすぎた魔物を駆除するために近づきこそすれ、サラサ火山の火口の中にまで入った者はいないのですから」
「それで、見に行ってほしいと」
「はい、そうです」
セリュアは一切ごまかさず、頷いた。
「全て包み隠さず言います。私は今、温泉が、湯が供給されなくなったというだけで、その原因がサラサ様にあると断じて勇者様方にお願いしております。本当は、火山や地層の変化が原因なだけかもしれませんが、それでも気になるのです。私の、私たちの祖に、なにかあったのではないかと」
「ちなみに、これまでの歴史でサラサ様の湯が途絶えたことは?」
答えは分かりきっているけど、念のため聞かなくてはならない。
「一度たりともありません。ですので、不安なのです」
胸の底の不安を吐露しておきながら、セリュアの目は澄み切っていた。心から協力してほしいという思いがひしひしと伝わってくる。
「どうかお願いします。サラサ様になにかあれば、救ってください。もしなにもなければ、私をどうして頂いても構いません」
「いや、それはいいよ」
僕は即答する。隣では武富くんが首を横に振っている。
「そうですか…。ですが、お願い致します」
深々と頭を下げるセリュア。紫の帯の結び目がこちらを向く。
「武富くん」
「ああ」
必死に熱弁する彼女を見て、もはや警戒心はなくなっていた。
本気だ。この人は、本気でサラサの街のことを、サラサ様のことを案じている。僕と武富くんは、そう信じることにした。
「セリュアさん、頭を上げてください」
「……はい」
言われた通り頭を上げるセリュアさんに、僕は笑顔で返す。
武富くんは慣れてないので、変な仏頂面だけど。
「承りました、セリュアさん。僕たちでサラサ火山に向かいます」
「っ!本当ですか!?」
セリュアさんは目に涙を浮かべながら、こちらに縋るようにして身を乗り出す。
「旅の疲れを癒やしたり、独自に情報収集をしたりするので少し時間を頂きますが、必ず行きます。火口まで行って、サラサ様の無事を確かめてきます」
「……ありがとうございます!」
彼女の目から光るものがあふれ出した。
「できるなら……、やる勇気があるなら、サラサ様の湯が湧かなくなったことを周知した方がいいぞ。こういうことは隠してると痛い目を見る」
「…はい。協力して頂けるのでしたら、周辺の宿と連携して告知したいと思います」
セリュアさんは泣きながら僕の言葉を聞いて、武富くんの言葉を受け止めた。
僕が頼みを了承し、武富くんが言いづらいことを言う。取り調べをする刑事のコンビみたいなロールプレイだ。
「……それでは、どうぞよしなに」
数分後。興奮冷めやらぬといった表情のまま泣いていたセリュアが出ていった。
途端に、部屋を支配していた得も言われぬ緊張感が弛緩する。
「どうだった、武富くん」
「どうもなにも、なあ」
僕と武富くんは顔を見合わせて、先ほどまで演説をしていた女将の評価をする。
「当たり前のことかもしれないが、旅館のことが第一って感じだったな。指摘されなきゃ産地偽装を隠し通すつもりだったろうし、サラサ様を救いたいという思いよりも、湯を元に戻したいという思いの方が強く思える」
「サラサ様は半ば伝説上の存在になっているんだろうね。だから目の前の、温泉をどうにかしたい気持ちが強くなる。経営している身というのもあるかもね」
「そうだな」
僕の感想に、短く頷く武富くん。
彼は疲れた様に首を振ると、ここまでの思案を踏みつぶすかのようにベッドの上にどっかと座った。
「なんとも食えない女将、ということでいいだろう、今は」
「だね」
僕も、自分のベッドに腰を下ろす。
僕と武富くんの目線がほぼ水平になる。
「それよりも、話しておきたいことがある。八宝についてのことだ」
待ってました。僕は心の中で手を打った。
部屋決めのとき、『一村と同じ部屋にしてくれ』と言った武富くんの真意が、今ここで分かるんだね。
「八宝のことは、中学が同じだったからよく知っている。だから言わせてほしい」
僕は目で先を促す。
「この先なにが起ころうとも、八宝のことを許してやってくれ」
武富くんはそう言うと、軽く頭を下げた。
「ずいぶん抽象的だね。まるでこれからなにが起こるか分かってるみたい」
「いや、それは分からん。三年間同じクラスだったが、八宝の動きが読めたことは一度もなかった」
そこまで断言できるなんてよっぽど気分屋なんだろうね、彼女は。
「これからなにが起こるのか、八宝がなにをするつもりなのかは分からない。だが、八宝は絶対に生きている。それだけは分かる」
「……それも勘?」
「そうだ。八宝は必ず生きていて、なにかをするために俺たちの下を離れた」
武富くんははっきりと言い切る。
その目には、なんとも言えない迫力があった。
「……自主的に離れたとは、考えもしなかったよ」
「あいつは、そういうことができる人間だ。やがて来る大きな結果のために、自らを投げ打てる人間なんだ」
なるほど。僕は皆とクラスが違かったし、遠くの中学校から進学してきたから、他の子の馴れ初めは分からない。
でも、誠実なこの男が友のことをこれほど強く言うのなら、信じるしかない。
八宝さんは生きている。生きて、なにかの目的のために別の場所で行動している。
「…………はあ」
僕はたっぷり考え込んだ後、小さくため息を漏らした。
ため息の瞬間、武富くんの肩が跳ねる。突拍子もないことを言ったお返しに罵倒されると思ったのだろう。
「武富くんの想い、伝わったよ。僕も、八宝さんが生きていると思うことにする」
「一村……」
今度は、武富くんが泣きそうになる番だった。表情の変化が分かりづらいけど、かすかに目が潤んでいるような気がする。
「また再会できる日を待つことにするよ。……これ以上話しても進展がないから、この話はおしまい」
「ああ、ありがとう」
こうして、誰よりも義理堅い男は、かつてのクラスメイトへの義理を果たした。
※※※
「はああああっ!」
渡会くんのかけ声とともに、獣のような魔物に深い傷が刻まれる。
「『ヴィヴィッド・トゥインクル』っ!」
武富くんの特殊魔法で、別の魔物が淡い水色の電流に晒される。
彼らの奮闘により、いくつもの傷を負った一頭と全身黒焦げの一頭が、ほぼ同時に倒れた。
「ふう、とりあえずこれで全部かな」
僕は辺りを見回しながら、軽く息を吐いて脱力する。
あれから三日後の朝十時過ぎ。充分な休息と情報収集を得た僕たち『サンライト方面チーム』は、サラサ火山へと向かった。
今はこうして魔物を倒しながら、火口を目指している最中だ。
「思ったより熱くないな。汗だらだらにならなくてよかったぜ」
「そうだね。せっかく温泉に入ったのに、また汗かいちゃう」
縦一列に並んだ僕たちの列において、前から二番目と三番目の渡会くんと京月さんが話に花を咲かせる。
「……」
「……」
対して、一番前を歩く武富くんと最後尾の僕は無言だった。
竜と温泉の話は、もちろん渡会くんと京月さんに共有した。しかし、八宝さんが絶対に生きているということは話せていなかった。
もしかしたら、火口でサラサ様とお喋りしている彼女がいるかもしれない。もしくはなんらかの理由で、サラサ様を手にかけた彼女がいるかもしれない。
なにが待ち受けているのか分からないという不安と、早くこの不安を解消したいという焦燥が僕と武富くんの胸の中を支配していた。
そう。
支配していたせいで、頭から抜け落ちていた。
湯都サラサに来る前、ガナ村はなぜ壊滅していたのか?何者が村を凍らせ、村民の命を奪ったのか?
「……」
一番先に火口の縁に着いた武富くんが、無言で中を覗き込んだ瞬間。
その答えが、ふと目の前に現れた。
「『フロスト・ニードル』」
「っ!?」
謎の声とともに、慌てて頭を引っ込める武富くん。
気づけば、彼の頭がさっきまであったところに無数の氷の針が打ち上がっていた。
「警戒して!」
「おうっ!」
「うんっ!」
僕は前の二人に号令を出す。一瞬遅れて異常に気づいた渡会くんと京月さんが、それぞれの武器を構える。
気配が一切しなかった。火山の熱のせいだろうか。
それとも、意図的に気配を消していた?
「っ!」
とここで、異様な音が辺りを包み込んだ。
つる、つる、という洗い立てのシンクを擦るかのような音が、火口から響いてくる。
九死に一生を得た武富くんの顔が引きつる。彼もまた、両腕のグローブをしっかりと構えて臨戦態勢だ。
「案外遅かったな」
ヴェクネロよりも低い、男性に似た声が空気を鳴らす。
先ほどの魔法の詠唱は、聞き間違いじゃなかったのか。
確定だ。
つる、つる、つる、つる。音がだんだん大きくなっていく。
「お、おい!おいまさか!」
渡会くんも気づく。京月さんも困惑と驚愕に入り乱れた表情を浮かばせる。
つる、つるるん。
火口の縁から、異形の魔物が這い上がってきた。
下半身はアザラシ、いやセイウチのようなでっぷりとした体躯。セイウチなら頭がついているところから、人間の上半身が生えている。上半身は筋骨隆々で、全身の体色は藍色が近いか。
そんな化け物が、サラサ火山の火口から出てきた。火口の内壁を、縁を凍らせて、滑るように移動しながら。
気温が十度ほど下がった感じがした。
「私の名はフローム」
これが竜のはずがない。熱と湯とは正反対にいる存在だから。
ここにいる全員が、もう答えを分かっている。
こいつは…。
「氷を操る魔族だ。勇者よ」
魔族だ!
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