山菜
あべせい
山菜
「天ぷら しらい」と看板がかかる店内。
テーブル席が2つ、あとはカウンターに6、7人坐れば満卓になる小さな天ぷら屋だ。
外観はそれほどでもないが、店内は厨房器具をはじめ、壁、カウンター、椅子、テーブルにいたるまで真新しい。お客は、時刻が早いせいか、30代半ばの男性客がひとりきり。
「おやじ、うまいッ。このわらび、どこで採った?」
「へえ、裏が山になっていまして、そこで」
おやじはカウンターの向こうで、天ぷらを揚げながら答える。
「この辺りに山なんて、あったかなァ?」
「山というほどじゃないですが、昔城が建っていたという城跡で、山でいけなければ、小高い丘ですかね」
「いけなかないが……城跡ね。戦国時代の城は、高いところに建てたというからな。そこで採れるのか……」
男性客は何か気になることがあるのか、天井の一点を見ていたが、
「おやじ、いま揚げているのは、フキだろう。それはどこで採った?」
「へえ、同じ裏のヤ、いえ、裏の丘で」
「山でいい。裏山だな」
「へエ」
「そうか。この店は、山菜の天ぷらがうまい、って聞いていたが、ここにある山菜は全部、裏山の産か」
おやじ、不審げに、
「それが、なにか?……」
「それじゃ、おやじは毎日裏山に登って、山菜を採っているというわけか」
「毎日というわけにはいきませんが、2日に一度、ってところですか」
「週に3日、裏山で山菜を採って、天ぷらにしてお客に出す」
「そうですね。昔は、市場で仕入れた野菜や魚を揚げていましたが、女性客には山菜が喜ばれるので、いつの間にか、山菜一辺倒になりました」
「いつの間にか、って、いつ頃からだ。1年前か、2年前か?」
「そうですね。去年の春からだから、1年半になりますか」
「1年半か。1年半の間、おやじは裏山で山菜を、タダ採って、お客に出して暮らしを立てているのか」
おやじ、なんだか雲行きが怪しいと感じはじめる。
「どうだ。だいぶ、儲かっただろう?」
おやじ、目が覚めたようにハッとして、
「お客さん、役所の方ですか」
男性客はおやじの問いを無視したまま、
「いくら儲けた? 仕入れはタダ、それで、こんな小さな天ぷらが一品、300円。儲かるよな」
男性客はそう言って、箸でつまんだ姫竹の天ぷらを口に入れた。
「タダとおっしゃいますが、手間ヒマかけて、採るンです。海で魚を獲るのと同じでしょうが」
「しかし、裏山じゃ、近い。交通費がかからない。道具といえば、カゴに軍手くらいか。船でマグロを獲りに行くのに比べれば、経費はかからないな」
「お客さん、何が言いたいンですか」
男性客はジャケットの内ポケットから、紙切れを取り出す。
「昨年度の申告は、収入950万円、必要経費が680万円だった。この経費は、ずいぶん水増ししているようだな……」
「お客さん、やっぱり税の方ですか!」
「そう見えるか?」
おやじ、男性客の服装を改めて見る。
ジャケットにジーンズのズボン、持ち物はブランドものの手提げ鞄が一つきり。サングラスを掛け、髪は短く刈り上げているようだが、野球帽を被っているので、年齢はよくわからない。
「きょうは非番。だけど、気になるので、立ち寄られた?」
男性客は、キッとおやじを見返す。
「おやじ、おれの顔を知らないのか。日本に帰ってきたのは、3年ぶりだ」
「3年ぶり?……」
「先々月までは、マグロ漁船に乗ってインド洋にいた」
「待ってください。インド洋でマグロを獲っている男……、聞いたことがあります……」
「そりゃそうだろう。よぼよぼの親父を置き去りにして、2年も3年もマグロを追いかけていたンだからな。道楽息子、親不孝者と評判を立てられて当たり前だ」
「あなた! 倉山家のお坊ちゃん!」
男、サングラスを外して、暗い目を覗かせる。
「30過ぎてお坊ちゃんでもないが。倉山の道楽息子だ」
おやじは、慌てて菜箸を置くと、店の暖簾を取り込みに行き、再びカウンターに戻った。
「あなたは、裏山をはじめ、この辺りの土地を多く所有しておられる倉山家の跡取り息子、比徒至(ひとし)さん」
「確かに倉山比徒至だが、ヨッちゃんに嫌われて、このザマだ」
「嫌われたなんて。うちの芳未(よしみ)は、あなたをとても好いていました。が、……」
「が? が、どうした?」
「あなた以上に、芳未を好いてくださる方が現れて、強引に嫁がされました」
比徒至、キッとなる。
「ウソをつけ! おやじ、おまえが相手の男の金に目がくらんで、娘を嫁がせた。そうだろうが!」
おやじ、懸命に首を横に振る。
「それは違います。娘も、三川さんの熱心な誘いが断りきれず、最後は惚れて惚れて、惚れぬいて、一緒になったと聞いています」
「三川と言ったな。よりによって、なんであいつなンだ」
「あの方がどうかしましたか?」
「同い年で、昔、一緒にワルさをしていた」
「そうですか。お知り合いですか」
「おやじ。この店はいつ新しくした。厨房器具に、椅子やテーブル、このカウンターも新しくなっている。どう安く見積もっても、1500万円は下らない。そんな金が、おやじにあったのか!」
おやじの額に汗が噴き出す。おやじは何も言えない。
「三川って野郎が、芳未と結婚する条件に、建築費一切を立て替えた。そう言ってみな」
「お坊ちゃん。それなら、言わせていただきます。3年前、どうして、芳未にはっきり返事をしてやってくださらなかったンですか」
「したさ。ある事情で、日本にいられなくなったが、3年待ってくれれば、おまえと必ず所帯を持つ。おれは、そう言って、芳未と別れた」
「その3年が長過ぎたンです。お坊ちゃん、その間、芳未に電話をくれましたか。手紙も葉書さえもなかった。きょうのきょうまで……」
「おやじ、それは違う。おれは毎週、メールをした。ところが、マグロ漁船に乗って1年ほどたった頃、突然、芳未から、『便りはしないで欲しい』とメールが来た。どうしてだ?」
おやじは押し黙る。答えを知っているからだ。
「おやじは、この天ぷら屋をリフォームしたくて、三川の息子に接近した。工務店の社長をしている三川鮎夢が、この店にきて、たまたまそのとき店を手伝っていた芳未に出会ったのだろう。三川の申し出に、おやじはグラッときた。芳未はそれを知って、親孝行を決意した。女房を亡くして、男手ひとつで育て上げた、ってことだったからな。それから、まもなく、鮎夢からマグロ漁船に手紙がきた。『芳未と結婚する、芳未は承知している』そんな意味のことが長々と書いてあった。しかし、おやじ。三川は、バツ2だ。おれと同じ35の若さで、前の女房を2人とも、3年で捨てている。おやじは、それを知って、芳未に結婚を勧めたのか」
「いいえ、あの方は、こんどこそ、ホンモノです。あの方は娘を大事にしてくださっています」
「バカ言え。おれは、おれのおやじが死んだって知らせを受けて、先々月帰って来た。芳未はその葬式に来てくれたが、どっちが遺族かと思うほど、ひどくやつれていた。声をかけるのが、はばかれるほどにな。芳未は幸せだというのか」
おやじは黙る。
「結婚して2年、たっているンだ。そろそろだ。鮎夢のやつが、女房に愛想を尽かすのは……」
「お坊ちゃん、私にどうしろとおっしゃるンですか」
「鮎夢は、周りから、別れろ、と言われると却ってヘソを曲げる。天邪鬼だ」
おやじは比徒至の顔をジーッと見つめる。
「三川に、家を増築したいと言ってみな」
「そりゃ無理ですよ。三川さんは最近、株で大損したらしく、ご機嫌が悪い。手持ちの賃貸マンションを一つ手放したと聞いています」
「だから、せびるンだ。芳未に言わせろ。もう50年もたっている家で、こんど台風がきたら倒れる、ってな」
「芳未はそんなことの言える女じゃありません」
「それはわかっている。だから、おやじが、娘がそう言っていると言えばいいだろうが」
おやじは黙り込んだ。
「どうした?」
「それがダメなんです……」
比徒至、ハッとする。ひらめくものがあった。
「おやじッ、おまえ……いったい、やつにいくら借りがあるンだ!」
おやじは手を休めて、下を向いたまま、
「千5百……」
「1500万! このリフォーム代に加えて、さらに1千5百万円も借りているのか」
比徒至は肩の力が抜けたように、ガクッと姿勢を崩す。
「芳未はどうしている?」
「あいつは可哀相に、無給の家政婦です。あの家には、女房面して三川さんの世話をやいている智果(ともか)という女がいて、そいつに使われています」
「智果! ひょっとして、そいつは日本人のくせに青い目をしてないか」
「父親がロシア人だ、って話です」
こんどは比徒至が押し黙る。
智果がこんなところに出て来ようとは。因果はめぐるか。比徒至は3年前を思い出す。
比徒至は高校時代から手のつけられないワルで、2度3度と警察に厄介になったことがある。しかし、母の死をきっかけに一念発起、父親の不動産屋をやめ、1本釣りの漁師になろうと決意。ところが、当時はまだ元気だった父親が猛反対。由緒ある倉山家の跡取りが、漁師になんかになってどうする、とすごい剣幕で怒った。
父親は倉山家が所有する膨大な土地を管理するため不動産会社をやっていて、比徒至にあとを任せるつもりでいた。その還暦を迎えたばかり父親に、近寄ってきたのが智果だった。
比徒至は父親の会社で働き、20代半ば頃から芳未と交際していた。父親の会社の事務員として働き出した智果は、数ヵ月で社長秘書を名乗り、ほかにいた2人の女性社員をアゴで使うようになった。
やがてその2人の女性社員はやめたいと比徒至に訴える。比徒至は、その夜、智果のマンションを訪ね、会社を退職して欲しいと言ったが、ミイラとりがミイラになってしまった。例え1度で目が覚めたとはいえ、翌日から智果は比徒至になれなれしくふるまい、そのようすを見た父親は一切を察知して激昂、元々血圧の高かった父親はその場で脳梗塞を起こして半身不随になった。芳未にもその事実が知れ、比徒至は家を飛び出た。
その後、智果がどうしたのか。噂では、半身不随の父親が弁護士と介護ヘルパーを雇って身の回りの世話を任せたことから、智果は居場所がなくなり、数ヵ月もしないうちにいなくなったという。
智果は金のあるところに寄って来る。砂糖に群がるアリのようなものだ。智果の母は、北海道で、身ごもったままロシア人に捨てられ、智果を生んだ。貧困のなかで暮らし、彼女がどんな生い立ちを送ったかはだれも知らない。
比徒至は、智果に会おうと考えた。智果の狙いは、三川家の資産だ。そのためには、三川の妻になる必要がある。それなら、三川と芳未の離婚には容易に協力するはずだからだ。しかし、なぜ三川は芳未と離婚しないのか。結婚したままで、どんなメリットがあるのか。
2日後の「天ぷら しらい」。
スーツ姿の男がひとりで暖簾をくぐった。
午後8時を過ぎているが、店内にお客はひとりもいない。カウンターの中の厨房にも、いるはずのおやじがいない。
カウンター中央の席の前には、ビールとグラス、お通しの小鉢、箸一膳が置かれている。
入ってきた男は、三川鮎夢。鮎夢はビールに触れてみる。冷たい。次いでグラスを持つ。これも冷えている。鮎夢は、グラスにビールを注ぎ、一気に干した。
「いらっしゃい」
厨房の奥にかかる暖簾を割って、比徒至が現れた。
2人は、高校時代、学校は異なるが、出会ったカラオケ店で意気投合し、一緒に大麻を吸って、ともに退学処分を受けた仲だ。会うのは、それ以来だから、10数年ぶり。
鮎夢は、料理人の白い調理服を着ている比徒至を見て首を傾げる。
「比徒至だな。久しぶりと言いたいところだが、こんなところに呼び出して、どういうつもりだ。天ぷら屋になったと披露したいのか」
「天ぷら屋は、これからこの店で修業してなるつもりだ」
「?」
「その前に所帯を持つ……」
そう言って、奥の暖簾に目をやる。
割烹着姿の女が現れる。
「智果! どうして、おまえがここにいるンだ」
智果はニコッとして、
「どうぞ」
鮎夢のグラスにビールを注いだ。
「どういうことだ!」
比徒至、横に並んでいる智果とチラッと目を合わせてから、
「鈍いやつだ。智果はおれと所帯を持つ」
「待て! それは許さん!」
智果が、笑顔のまま、
「どうして?」
「おまえはおれの女房だ」
比徒至は、わけがわからないという顔で、
「おまえには、すでに女房がいるだろうが」
「あいつとは別れた」
智果が身をのりだす。
「戸籍はまだ奥さんのままだわ」
鮎夢、ウーンとうなる。
比徒至、2枚のA3用紙をとりだして、鮎夢の前に並べた。
「なんだ……」
見て、
「離婚届に婚姻届……」
「わかるな。智果と一緒にいたいのなら、まず離婚だ。離婚しないと結婚はできン」
鮎夢、苦しい顔で。
「芳未は借金のカタだ。おいそれと手放すわけには……」
比徒至は笑って、
「おやじの借金をとりたてるために、娘を人質にとっているということか。智果、そういうことだ。こんな下司な男はあきらめて、おれの女房になれ」
智果は答えない。
「待て、比徒至。智果にも金を使っている。おまえに渡すわけにはいかない」
比徒至は、困り果てた表情の鮎夢を見て、ある提案をした。
鮎夢は、渋々承知する。
その夜、比徒至は智果と2人きりでじっくり話しあい、因果を含めた。
翌日から、比徒至は「天ぷら しらい」の厨房に入り、おやじのもとで天ぷら屋の修業を始めた。
5ヵ月後、おやじは「しらい」を出て鮎夢の建設会社と事務員兼雑用係として10年間の雇用契約を結んだ。
手取り16万円の給料だが、そのうち15万円は返済に当て、残る1万円は小遣い。芳未は、鮎夢との離婚が成立して比徒至の家に入った。1ヵ月後には入籍の予定だ。
一方、智果は、名実ともに鮎夢の女房になった。もともと気が強く、金銭勘定には細かかった智果は、経理を洗い直し、経費を極限まで切り詰めた。
しばらくすると夫鮎夢の小遣いにチェックを入れ、さらに資産管理にまで手を出すようになった。おかげで、鮎夢の会社は売上げ以上に収益が向上、鮎夢は智果に頭があがらなくなった。
9年後には、芳未のおやじは1500万円の借金を返済し終える。そうすれば、元通り「しらい」の店主に返り咲くことになっている。
ことはめでたしめでたし、といきたいところだが……。
さらに5ヵ月後。入籍から5ヵ月が経過した芳未に待望の赤ちゃん、男の子が生まれた。
その数日後には、鮎夢の正式な妻になった智果にもかわいい男の子が誕生した。
ところが、両家の男の子は、成長するに従い、芳未の子は鮎夢に、智果の子は比徒至に似てきた。これは、神さまのいたずらなのだろうか。ただ、芳未にも智果にも、思い当たることがあった……。
(了)
山菜 あべせい @abesei
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