54.一度でいいから代わって欲しい

 悲鳴と呻き声、怒号が行き交う小屋の中、私は用意された水筒から温かいお茶を飲む。落ち着くわ。早く暖かい屋敷に戻りたいわね。


 お腹の中に温かい物が入れば、ほかほかと体温が上がってくる。体内から温めるのも手っ取り早いけど、温かい物を飲み過ぎればトイレが近くなるし。難しい。となれば、屋敷に帰るのが先決だった。まだ暴れている夫に声をかける。


「シル、連れて帰って」


 おいで! 命令に忠実なワンコ属性の夫は、ぴたりと動きを止めて戻ってきた。簀巻きの材料ごと私を抱き上げる。ごとんと音がして、簀巻きから生まれるはずの温石が転がり落ちた。


「石?」


「お腹を温めていた温石ごと拉致されたの」


 妻を抱き上げたら、石が生まれる状況は滅多にないだろう。シルは固まった。温石は再利用するため、マノンがひょいっと拾い上げて袋にしまう。この世界、基本的に使い捨てはほぼない。


「ロザリー、あとはお願い。まだ処理してはダメよ?」


 もうひとつ転がった石を凝視し、私のやや赤くなった腹部を眺める。シルの形相が鬼の如く険しくなった。状況がやっと理解できたのね。このまま命令無視で飛びかかりそうな番犬に、待てを再び命じる。


「家に帰りたいの、シル。あれらは後で処分したいわ」


「後で? ……分かった」


 渋々と言った口調を崩さないものの、私の方が優先のシルは小屋の外に出た。優秀な騎士達が馬を持って駆け寄る。普通、天井に隠れるのって騎士よね? 公爵家嫡男や侍女じゃない。明らかにおかしい状況なのに、強い順で並べたら正しい気がした。


 微熱でぼんやりした私は、それ以上考えることを放棄する。なんでもいい。暖かい部屋とお風呂、温石をしっかりと抱いて眠りたかった。馬車はないので、シルに横抱きにされて馬に揺られる。


「シル、お腹が痛い」


「なんて可哀想なんだ。俺が代わってやりたい」


「私も代わって欲しい」


 一度でいい。男の人にこの痛みを味わい、共感して欲しいわ。きっと女性に優しくなれるから。幸いにして、この世界で女性の苦痛は三ヶ月に一度。それだけが救いだった。


 来月襲撃したなら、せめて風邪で寝込んだ時なら、もう少し優しく処分してあげたんだけど。侍女ロザリーに捕縛され、馬の後ろに繋いで走らされる罪人達を眺める。彼女、ロープの調整が上手になったわね。あれなら力尽きて引きずっても、膝から上は残るわ。


 感心しながら、目を閉じた。ふわふわした不思議な感覚と、爪先を包む温もりに微睡む。屋敷まで遠いのね。このまま揺られてると、いろいろ溢れちゃう。いくら黒いコートでも隠しきれないわ。揺れと激痛の間で、完全に手放せない意識が警告を発する。


「シル……吐く」


「いつでも受け止める」


 どんとこい! 嬉しそうに自分のコートで受け止めようとする夫の姿に、そういう男だったと肩を落とす。ここで馬の速度が変わった。


「馬車と合流する。移すから我慢して」


 足の遅い馬車は後発、馬に乗れる騎士を引き連れた先発隊で救出に向かったらしい。合流した馬車に乗せ替えられ、すぐにシルは外へ追い出された。代わりにロザリーとマノンが、改めて私を毛布で包む。腹部には用意してきた温石が当てられた。少しぬるいけど、最高よ。


 お礼を言った直後、意識が吸い込まれるように失神した。

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