第二十話

[第二十話]


 起きた。


 今日は四月六日土曜日。


 四月に入って学校に行く必要のない、初めての休日だ。


 時刻は九時。


 昨日は色々あって大変だったので、ぐっすり眠らせてもらった。


「ふぁあ…」


 あくびをして、ベッドから這い出す。


 さて、今日は午前中に読書を済ませ、午後にバイトに行く予定だ。


「まずは、張り切って読書するか」


 適当な部屋着に着替え、机に座って本を手に取る。


 今日読むのはミステリーだ。


 大学生のカップルが、食にまつわる事件を解決するストーリー。


「ふう」


 同じ体勢でいたので疲れた。軽く伸びをする。


 数時間で読み終わったら、ちょうどいい時間になった。


 そこそこの面白さだな。聞いたことのない名前の作家だし、こんなもんか。


 お昼にしよう。今日のお昼はカップラーメン。


 バイトの前に満腹になって動けなくなったら嫌だし、腹八分目にしておこう。


 そう思い至った俺は、キッチンが一体となっているリビングに移動。


 戸棚からカレー味のカップラーメンを取り出し、ふたを開け、やかんで沸騰させたお湯を注ぎ入れる。


 そしてその場で立ったまま、三分待つ。


 三分でできあがるのだから、わざわざ動いて他のことをするのも非効率だ。


「………」


 出来上がるのを待つ間に、昨日の静の言葉について考えてみる。


 ”悪いことばかりじゃなかった”。”体験してもらう”。


 なにか、新しいスキルでも会得したのだろうか。


 ライズは分かりやすい、剣士の戦い方。フクキチはちょっとゴリ押し気味の、槌を使った戦い方。


 キャンユーフライの大群を相手取った際、二人の戦い方は見たが、ローズの戦い方は見れなかったな。

 まあ、俺のせいなんだが。


「うーん…」


 彼女は槍を背負っていたが、魔物使いと言っていた。


 魔物に襲われただけで、近接戦闘のスキルを得たとは考えられない。


 となると、まさかフライをテイムしたとかか?


 なんだ?気になって仕方ないが、さっぱり分からない。


「はあ…」


 ずっと考え込んでいたせいで、三分などとうに過ぎ去っていた。


 俺が目の前にいながら、カップヌードルはすっかり伸びきっていたのだった。



 ※※※



 ふーっ。腹八分目といったところかな。 


 バイトのために洋服店で買っておいた白いワイシャツに着替え、出発の準備をする。


 基本的に手ぶらでいいので、何も持たずに玄関を出る。


 階段で一階に降り、寮前の停留所でバスを待つ。


 桜杏高校と俺たちが住んでいる寮がある山腹と麓のショッピングモールをつなぐバスは、十五分に一度来る。


 あんまり待たなくていいのが助かるな。


 ぼうっと突っ立って待っていると、中型くらいのバスがやってくる。


「こんにちは」


「こんにちは」


 すぐに乗り込み、運転手さんに挨拶をする。


 車内をざっと見るが、今日は紅絹先輩はいないようだ。


 そのままバスに揺られること十分。バスは目的地のショッピングモールに到着した。


 『きちんと』運賃を払い、バスを降りる。


 さらにてくてくと歩き、自動ドアが三つ並んだ大きな出入口からモールの中に入る。


 今日は熱くも寒くもない穏やかな晴れの日だ。モール内の通路には空調が効いていなかった。


 一階にはアイス屋やケーキ屋、カフェといった食べ物屋さんが占めている。


 ただ、今はそれらの店に用はない。


 キョロキョロと見るに留め、エスカレータに乗って二階へと上がる。


 バイト先は、少し奥まったところにある「まんてん書店」だ。


 モットーは『安さ、品揃え満点!あなたの心の星空満点!まんてん書店!』。


 なんとも言いがたい。はっきり言って、リアクションに困る。


 そんなことを考えながら店内に入り、「STAFF ONLY」の文字が書かれた扉から裏口を通る。


 事務所にたどり着くと、旧型の分厚いデスクトップパソコンが置かれたデスクに秋元さんが座っていた。


「こんにちは、店長」


「こんにちは、柊くん。更衣室の場所は分かるね?」


「はい」


 忙しいのか、モニターから目を離さずに挨拶を返してくる。


 店長というのも大変そうだ。稼ぎは良いんだろうが、それよりもストレスで体を壊してしまいそう。


 更衣室に入ると、俺以外に数人の人がいた。


 自分のロッカーからエプロンを取り出す。地がオレンジ色で、胸のあたりに白い文字で『まんてん書店』と刻まれている。


 紐を後ろ手でクロスさせてから結び、しわを整える。


 エプロンが着れたら姿見で身だしなみをチェックし、交代時間の十三時を待つ。


 三、二、一。


 更衣室の時計で、ちょうど十三時になった。

 

 中にいた人が一斉に部屋を飛び出す。


 昼番の人たちは次々と、廊下のカードリーダーに自分のカードをタッチしていく。


 俺の分はまだないので、後で店長に記録してもらう手はずだ。


 さあ、労働の始まりだ。


 俺は軽く自分の頬を叩き、気合を入れ直すのだった。



 ※※※



 最初の業務はレジ。


 やっぱりというべきか、俺のお目付け役は紅絹先輩だった。


「よろしくお願いします。紅絹先輩。先輩は朝番だったんですね」


「そーよ。早くバイト終わらせて遊びたいじゃない。火曜木曜は夜番だけど、土曜と日曜は朝番」


 人が来ないので、ちょっとだけ話してみる。


 ここのバイトは九時~十四時の朝番、十三時~十八時の昼番、十七時~二十二時の夜番があり、先輩は。


「お会計のときは、ポイントカードがあるのかしっかり聞くのよ。それから…」


 適当そうに見えて、意外にちゃんと教えてくれるんだなと、心の中で思う。


「あんた、失礼なこと考えていたでしょ」


 しまった。


 すぐ顔に出るんだから、考えるのもご法度だったんだ。


「適当そうに見えて、意外にちゃんと教えてくれるんだな、ですって?…いい度胸してるじゃない」


 俺の思っていたことを一言一句唱えた紅絹先輩。


 彼女の怒りの鍋が、ふつふつと煮えていくのを感じる。


「そんなこと、思ってるわけ…」


「言い訳は無駄よ。後で重たいものでも運ばせようかしら、それとも外のゴミ出しに…」


 先輩がぶつぶつと呪詛を唱えているところで、初めてのお客さんがやってきた。


「すいません、お会計お願いでき……って、透くん、織内先輩!?」


 落ち着いた高めの声。


 そこに立っていたのは、俺と先輩と同じ読書部に所属している要さんだった。


「あら要ちゃんじゃない。いいのよ、紅絹って呼んで(はあと)」


「こんにちは、要さん」


 渡りに船とばかりにやってきた読書部の同僚に、俺は平静を装って挨拶を交わす。


 変なギアが入った紅絹先輩の一言はスルーだ。


「お二人はここでバイトされてるんですか?」


「ええ、私は一年前から。こっちのは今日から」


「今日から!?それにしてはエプロン姿が様になってますね!」


 いまいち褒められているのか分からないが、一応「ありがとう」と答えておく。


「今日は部活の発表用に読みたい本を探してたんです」


「要ちゃんの発表ってまだ先でしょ。まだ読み始めなくてもいいんじゃない?」


「こういうことは前々から準備しておきたいんです。備えあれば患いなし、です」


 小動物のような顔で要さんがにっこり微笑む。


 それを見た俺は、内を読まれないようにポーカーフェイスになって(かわいい)と思う。


「なによ?急に硬直して」


「お腹痛いんですか?」


 どうやら成功したみたいだ。これからはポーカーフェイスで無表情を貫くとしよう。


 その後、二言三言他愛もない会話をし、最後に「お仕事頑張ってください!」と言い残して、彼女は店を後にしたのだった。



 ※※※



 寮に戻ると、時刻は十九時半。


 紅絹先輩に一時間ほどしごかれた後、残りの四時間をそつなくこなして初日のバイトを終えた俺は、要さんとチャットをしていた。


『私もまんてん書店のバイトに応募してみようと思います。お二人がいれば、何かと心強いですし』


 そんなに信頼されることをしたか?と思いつつ、チャットで『それは嬉しい。一緒に働けることになったらよろしく』と返しておく。


 シャワー上がりに冷たい牛乳を飲み、数時間前に彼女とした会話を反芻する。


 あのときの笑顔はかわいかった。心の一ページに刻んでおこう。


 改めて喜びをかみしめてから、俺は夕食の準備に取りかかった。


 今日の晩ご飯はご飯、味噌汁、厚揚げ豆腐とほうれんそうのお浸し。


 朝は食べていないし、昼はカップラーメンだ。野菜やその他の栄養もちゃんと摂らないとな。


「うん」


 美味い。


 自分は料理ができるとは思っていないが、自炊したものは少し美味しく感じるのが不思議だ。


 まあ、それはいいとして。


 夜は[AnotherWorld]にログインするのは確定だが、何をして遊ぼうか。


 そう考えに耽りつつ、俺は黙々と箸を進めるのであった。 

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