第十六話

[第十六話]


 お風呂に入って少し勉強して、ぐっすり寝ました。


 今日は四月五日金曜日。


 [AnotherWorld]では、昇、彰、静と一緒に狩りに行く約束をした日だな。


 学業面では、一時間目からVRラーニングという面白そうな授業がある。


 VRラーニングとはぶっちゃけると、丸々一時間を使ってVRソフトの体験をするという桜杏高校独自の授業の名称だ。

 

 一応、最新技術に触れ、VRの知識、技術、経験の会得に励むという大義名分はあるが、やっていることは『チェリーギア』を使った遊びみたいなものだ。


 朝からワクワクが止まらない。今日も張り切っていこう。


 一瞬で目が覚めた俺はささっと朝食を済ませ、無難な服に着替えて登校する。


 このサイクルも今日で五回目だ。ちょっと慣れてきた。


「ご機嫌うるわしゅうですわ、透」


 学校に向かう道中、聞き慣れた声がした。


 振り向くと、静がいた。


「おう。静、おはよう」


「今日の狩りは覚えていらして?みんなで行く予定でしたわよね」


「もちろん覚えてるぞ。今から楽しみだ」


「楽しみですわね。腕が鳴りますわ」


 せっかくなので並んで歩きつつ、会話に華を咲かせる。


「そういえば、今日はVRラーニングがありましてよ」


「そうだな。俺はサイトシーイングを体験してみたい」


 授業形式は分からないが、やりたいソフトを選べるとするなら、3Dの仮想空間上で世界各地を観光できるVRサイトシーイングに注目している。


「旅行なら現実でも行けましてよ。私はVRオペですわ!」


「えっ?」


 一番人気がないと思っていた名前が出てきたので、驚きの声が出てしまう。


「VRは仮想空間なんですから、現実では体験できない経験をするのが醍醐味ってやつですわ!」


「確かに、それも一理あるが…」


「そして、私たちが最も体験できないであろう経験はずばり、医療、とりわけ外科的手術ですわ!」


「正論は正論だが、血と、その、患部がグロテスク…」


 VRオペは現在の医療現場でも教材として用いられているソフトだ。手術室の中の一切合切がダイレクトに表現されている。

  

 つまり、グロい。精神への負担が非常に大きいのだ。


「そんな弱腰では、スーパードクターになれません!わたくしならどんな患者でも救ってみせますわ!」


「そのやる気はどこから来ているんだ…」


 自信満々で意気込む静を尻目に、俺はやっぱり変わってるなあと若干引いてしまったのだった。



 ※※※



「よしそれじゃ、VRラーニングの授業を始めるぞ」


 なんとVRラーニングの受け持ちはあのアロハ短パンだった。


 専門性なんてあったものではないので、特に決められた先生がおらず、各クラスの担任が受け持つらしい。


「デベロップメントでやったからソフトの開き方はわかるな。まずはVRラーニングという名前のソフトを開いてみてくれ」


 やけに大きな声で一年二組の担任が言う。毎日毎日元気だな、この先生は。


 レクリエーション室1でチェリーギアを装着しながら、底抜けに愉快な教師の話を聞く。


「この授業は完全に自由だ!VRラーニングの中にあるどんなソフトを遊んでみても構わないぞ。ただ、こっそり[AnotherWorld]を開くなんて真似はするなよ?」


 あまり笑えないギャグ。この人はこういう人だ、諦めるしかない。


「それじゃ、解散!」


 がなり声がVR空間にまで響く。だからうるさいっての。


 とはいえ、この授業に限ってはアロハ短パンで僥倖だったと言えよう。自主性という名の丸投げで、VRオペをやらされることにならなくてよかった。


「まあ、自由でよかったと思うか」


 こうして俺はVRサイトシーイングを丸々一時間分堪能し、今日のVRラーニングの授業は終わった。


 ちなみに、授業の中身はばっさりカット。


 別に説明して面白いことではないからな。仮想空間なので名所の空気を肌で感じたり、現地の美味しい料理を食べたりはできない。


 ちょっとチープに聞こえるかもしれないが、リアルなビデオ観光みたいなものだ。ただ、シームレスに広がる絶景は壮観で、大変楽しめた。


 あ、現場の柊からは以上です。



 ※※※



 一時間目に有意義な時間を過ごした俺は、その後の通常授業をそつなくこなし、お昼休みを迎えていた。


「食欲がないですわ…」


 案の定、静はぐったりと食堂のテーブルに突っ伏していた。心なしかポニーテールもしょんぼりとしている。


「静のやつ、どうしたんだ?」


「一時間目にVRオペをやったんだ」


「あー…」


「あれはちょっとね……」


 昇と彰は察したみたいだった。


 そう、今朝あんなに息巻いていた静は無謀にもVRオペに挑戦し、もののみごとにグロッキー状態になって帰ってきたのだった。


「俺は初めから、やめた方がいいんじゃないかって思ってた」


「だったら止めてほしかったですわ…」


「あんなに意気揚々としてたからな、野暮だと判断した」


 悲しいかな。人は失敗を経験するまで、それが失敗だったかどうかは分からないものだ。


 少ししょっぱいきつねうどんをすすりながら、俺はしみじみとそう思う。


 同じ卓では、昇はカレー、彰は親子丼を食べている。あなたたちも飽きないねえ。


 そして、静は何も頼めていない。まさに、当然の帰結というやつだ。


「お腹が空いてるのに食べ物が喉を通らないこの感じ、いやですわあっ!!!」


 静の悲痛な叫びをBGMに、俺たちは黙々と昼食を食べ進めるのだった。



 ※※※



「ちょっと」


 約一名を除いて無事午後の授業も終わり、部活のない俺はいざ帰ろうと下駄箱までやって来ていた。


 しかし、呼び止めるぶっきらぼうな声。


 紅絹先輩だった。


 そういえば、お金を返すって言われてたなあ。


「これ、送迎バスのお金ね。昨日はごめんなさい。…それで、面接はどうだった?」


 やはり気になるのか、わずかに膨らませた右手を差し出しながら紅絹先輩が聞いてくる。


「合格でした。人との関わりを養いたいって言ったら即決でOKもらいましたよ」


「やっぱりね」


 結果をざっくり伝えると、顔色一つ変えずに彼女はうんうんと頷く。


「あんたしっかりしてるもん」


 対して付き合いがあるわけではないのに、絶対の自信をもって突きつけられた一言。


 それを聞いた俺は心なしか、澄んだ気持ちになった。


 上手く説明できないが、俺と紅絹先輩の間にあった、俺が勝手に苦手な人だと思って無意識に張っていた心の壁のようなものが取っ払われた気がした。


「そんなことないですよ」


「そんなことあるわ、私が言ってるんだから」


 だがしかし、気が強いのは間違いないようだ。


「とにかく、これからはバイトでもよろしくね」


「はい」


 さっきまで小銭を握っていた、人肌の温もりのある右手。


 遠慮がちに差し伸べられたその手を、俺は優しく握って握手を交わすのだった。


 ………。


 ちょっと気持ち悪いから、温もり云々は見なかったことにしてほしい。

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