映画が観たいだけの男

春雷

第1話

 映画が観たい。できることなら、独りで部屋に籠って観たい。もっと言えば、暗くて暖房の効いた心地のよい部屋で、ホラー映画をじっくり観たい。

 若者は夢や希望を持てと、いつの時代も散々言われてきたわけだが、俺の夢らしい夢と言えば、一日中映画を観ていたい、ただそれだけなのである。夢というのはつまりは欲望で、俺には映画以外の欲望など皆無と言っていい。恋人も要らないし、友達も要らない。旅行とかどうでもいいし、飯も食いたくない。漫画も小説も音楽も別に要らない。ただただ映画が観たい。それだけだ。それ以上でも以下でもない。

 地位も名誉も金も何もかも、俺にとっては不要だ。ただ映画が観られるのなら、本当に何にも要らないのだ。

 しかし、現実には、やらなければならないことがたくさんある。

 大学を卒業しなければならないし、勉強も就職活動もしなきゃならないし、飯を作って食わなきゃいけないし、バイトをしてお金を稼がなきゃならない。親の期待に応えないといけないし、友達のラインに返信しなきゃだし、光熱費払わないといけないし、バイトのシフト調整もしなきゃだし、奨学金の説明会も行かなきゃいけないし……。

 ああ、もう、面倒くせえ!

 俺はただ映画が観たいだけなのに、何でこんな煩わしい楽しくないことを延々しなきゃいけないのだ。楽しくない面白くない面倒くさい。何も考えずただ映画だけを観ていたい。将来の不安とか、憂鬱とか、そういうの全部忘れて、映画に没頭していたい。夢中になっていたい。でもそうは問屋が卸さない。現実は残酷で、そんな夢のような生活を許してはくれない。許してくれるとすれば、超がつくほどの大金持ちだけだろう。

 俺には金もないし、将来設計もないし、とにかく地に足がついていない。大学の講義もサボりまくったせいで、卒業単位もぎりぎりだ。まじでどうしよう……。

 俺は一人暮らしのアパートの一室で、天井を眺めながら、気まぐれに買ったファンタグレープを振る。むしゃくしゃすると、炭酸を振る癖が、俺にはある。

 今日の講義は嫌いな教授の講義だったので、どうにも行く気がしなくて、サボった。自主休校って奴だ。戦略的撤退とも言う。教授の偉そうな口調が鼻について、あんまり講義の内容が入ってこないため、おそらく期末テストも駄目だろうから、今の内に諦めておいた方が時間の節約になる、と、そういう言い訳を考えておく。

 今は冬。俺の誕生日が一週間後に来て、俺は二十一歳になる。大学三年生。周りのみんなはインターンに行ったり、公務員講座に行ったりなんかして、しっかりと地に足ついた将来設計を立てている様子だ。俺は何にもせず、暇さえあれば映画を観ているだけ。何か勉強をしなければいけないな、と思うのだが、勉強は昔から嫌いで、今更何をしても俺の頭は良くなりそうもないし、勉強しても仕方がないという気がする。

 馬鹿は死ぬまで治らないと言う。なら俺は死ぬしかないのだろうか。

 どうせ死ぬしかないのなら、もう少し映画を観ていたいな。

 そういう風にして、俺は今日も生きているわけだ。

 エアコンはあるのだが、前の住民が置いていった奴なので、古くて、最近調子が悪い。暖房のボタンを押しているのに冷房になったりする。天邪鬼なのかなと思い、冷房のボタンを押してみると、今度はちゃんと冷房になった。とにかく俺を冷やしたいらしい。仕方がないので、エアコンを切ると、密閉されていない窓から隙間風が入り込んできてとにかく寒い。慌ててコートを着込むけど、寒くて仕方ない。ここは北極か? あるいは南極か。どちらにせよ極地にいることには変わりがない。

 身体を温めようと思い、電気ポッドで湯を沸かし、カップラーメンを食べることにする。映画が観たいのだが、こう寒くては観られたものではない。凍えて死んでしまう。さてカップラーメンはどこかな、と探してみたのだが、どこにもなかった。昨日買い忘れていたのだ。そんなことを忘れているなんて、俺は馬鹿か。あと電気ポッドも先週壊れて捨てたんだった。

 もういいや。風邪ひいてもいいし、映画観よう。そう思い、映りの悪いテレビの前に座ると、電話が来た。

「誰だよ」

 テーブルの上にある携帯を手に取り、画面を見ると、「母」と書いてあった。携帯を叩き壊してやりたい衝動に駆られたが、携帯まで壊れてしまっては、現代社会に取り残されてしまうので、普通に「拒否」のボタンを押した。あと母の通知はオフにした。父はすでにオフにしてある。家族で通知がオフになっていないのは、兄と死んだ祖父ちゃんだけだ。祖父ちゃんから電話がかかってきたとしても、怖くて取らないだろうけど。

 もう邪魔ばかりだ。まあ、いい。俺は映画を観るため、テレビの電源を入れようとした(リモコンは消失済み)。その時、ピンポーンという軽快な音が鳴った。俺の部屋に誰か尋ねてきたのだ。今は午前11時。友達との約束などはしていない。

「全く、誰だこんな時間に……」

 何故か青一色で塗られているアパートのドアを開けると、「ピサお届けに参りました」と言われた。

「頼んでないです」

「え?」

 と言うのは、配達員の若い男。

「ああ、いや。いいです。いくらですか?」

 俺は諦めて支払おうと思った。

「一万円になります」

「やっぱ頼んでないです。一万円?」

「金粉ピザご注文じゃなかったですか?」

「滅茶苦茶頼んでないです。一生頼む機会ないと思います」

「じゃあキャンセルにしますか?」

「キャンセルって言うか……、頼んでないんですけどね」

「キャンセル料一万円になります」

「キャンセルの意味ないですね、それ」

 どういうシステムで動いているんだ、そのピザ屋。

「いや、まじで頼んでないんですよ。もしかして、新手の詐欺か何かですか?」

 そう言うと、相手はちっと舌打ちして、「間違えましたー、すみません」とか何とか言って去っていった。本当に新手の詐欺だったのかもしれない。詐欺も巧妙化し過ぎて迷走しているのかもしれないな。

 邪魔が去ったところで、ようやく落ち着ける。映画を観ようと、俺は薄汚れた床に腰を下ろそうとした、その時、再びインターホンが鳴らされた。

 嘘だろう、と思いながら、またドアを開ける。

「エロ本五十冊お届けに参りました」

「頼んでないです。あと、そういうのあんまり言わない方がいいと思いますけど」

「エロ本……、ご注文されてないですか?」

「ご注文されてないです。帰ってください」

「もしかして、エロ本四十冊のお客様でしたか?」

「一冊も頼んでないです。そんな大量に買っても使いきれないんで」

「本棚もご一緒にご注文された方では……」

「ないです。エロ本買い過ぎて新しい本棚が必要になったことありません」

「エロ本棚のお客様ではない?」

「全然違います。何すかエロ本棚って。もう帰ってください。また詐欺ですか?」

 そう言うと、エロガキが、と呟いて去っていった。新進気鋭の詐欺師だったのかもしれない。エロガキであることは認めるけど。

 俺はやっと映画が観られるな、と思い、テレビの前に座ろうとした。その時、またインターホンが鳴った。インターホンはもう壊そうと決意した。

 ドアを開けると、大きな段ボールと薄い段ボールを持っている男。

「ピザとエロ本お届けに参りました」

「同時に頼まねえよ」

 丁重に断ると、普通に帰っていった。前衛的な詐欺師ではなかったのかもしれない。ということは、彼は普通の配達員で、食欲と性欲を一気に満たそうとした人が、どこかにいるということになる。己の欲望に忠実なんだな、その人は。

 そんなことはどうでもいい。今は映画だ。

 ようやく映画が観られると思い、気分上々でいると、携帯が騒ぎ出した。

「ん?」

 迷惑メールかな、と思ったが違った。警報だった。何の警報だろう。見ると、どうやらこの付近に隕石が落ちるらしい。隕石? アルマゲドンじゃないんだから。

「あれ……」

 よく見ると、警報は三時間前に出されている。俺の間抜けな携帯が、今になってよやく、警報を受信したらしい。

「じゃあ、そろそろ隕石が落ちるってことか?」

 だとしたら、何であいつらは律儀にピザとかエロ本を届けに来たんだよ、という疑問が湧いたが、そんなことを考える暇もなく、俺のアパートの天井を隕石が突き破った。


 百年後。

 プシューという音がして、俺は目覚めた。

 全く見知らぬ天井。青白い天井。その天井はとても遠くに見える。天井が高いのだろう。さて、ここはどこだ? 俺は確か……。

 記憶を辿ろうとしたところで、声をかけてくる人がいた。

「目覚めたかね」

 頭の中に直接声をかけてきたわけではなく、普通に声をかけてきたのは、初老の眼鏡をかけた男性だった。白衣を着ている。医者か、研究者だろう。

「目覚めはしましたけど、まだ夢の中にいるみたいな感じです。ここは、どこですか?」

 俺は身を起こしながら言った。俺はコールドスリープ的なベッドに寝かされていたらしい。周囲を見ると、コードやどでかい機械類がごちゃごちゃと置いてあり、他の研究員らしき人々がパソコンを睨んでキーボードを叩き、何かをひたすら打ち込んでいた。タイピング選手権の会場ではないようだし、何か仕事をしているのだろう。

「君は、隕石の被害にあってね。奇跡的に一命をとりとめたのだが、当時の医術では治せない深刻な細菌に感染してしまっていてね。君のお婆さんの希望でコールドスリープすることにしたんだよ。今は君が事故に遭ってから百年経っている」

「あんまり年配の方が希望する印象はなかったのですが、なるほど、そうですか。父と母は?」

「大学さえ卒業できるなら何でもいいと」

「息子が死にそうな時に大学の話……」

「将来が心配だとも仰っていたようだよ」

「心配のレベルがちょっとずれてる気がするけど、まあいいです」

「あとピザとエロ本の請求書も来ている」

「頼んでないのに……。しかも一世紀経ってるのに……」

「体調はどうかね?」

 彼はやっと医者っぽいことを言う。医者かどうかは知らないけど。悪の組織の幹部ということもあり得る。

「普通ですね」

「じゃあ、これから詳しく検査しよう。立ち上がれるかな? 検査室まで案内するよ」

「あの……、検査とかそういうのはいいんで、映画観ていいですか?」

「は?」

「映画です。押井守のわけわかんない奴とか観たくて」

「どれのことを言っているのか知らんが、検査の後にしてくれ」

「いや、検査とかどうでもいいんで、映画観ていいですか?」

「だから、検査の後なら、観てもいいから」

「今がいいです」

「今は駄目だ」

「じゃあ、検査中に観てもいいですか?」

「検査しながら観ることはできない」

「じゃあ検査やめます」

「あの、君ね……」

 呆れた様子で、医者は研究員らしき人を呼び寄せ、「コールドスリープは、人体に悪影響を及ぼしているのかもしれん。話が通じない」と言った。

「詳しく検査する必要がありそうだ」

「ちょっと待ってください。その検査ってどのくらいかかるんですか?」

「一日がかりだ」

「一日⁉」

「その検査のあとも、君には入院してもらって、経過観察を行いたいと思っている。何せ国のバックアップもある重要な研究だからね。慎重にやらないと。これからのコールドスリープ事業にも影響が出てくる」

「ちょっと待ってよ。じゃあ映画が観られるのは、いつになるんですか?」

「退院してからだ」

「退院してから? 何で?」

「君の状態を見るに、映画などの感情を揺さぶる娯楽を見せると、かなり危険な状態に陥りかねないと判断した。鎮静剤を打ち、安らかな気持ちになるクラシックなどを聴かせ、慎重に経過観察を行いたいと思う」

「おい、ふざけんなよ。百年も待ってるんだ。今すぐ観させてくれよ!」

 俺が医者に飛び掛かろうとすると、医者が俺の腕に麻酔を打った。すぐに意識がぼやけて、朦朧とした。風景がぐにゃりと歪み、とうとうぶっ倒れた。

「……映画が、観たいだけなのに……、他には、何も要らないのに……」

 難解な映画を観た時のように、何もかもが分からなくなり、俺は眠ってしまった。

 眠っても、映画は観られないのに……。


 気が付くと、映画館にいた。スクリーンには、エンドロールが流れている。

「君」

 話しかけてくる奴がいた。エンドロールまで黙って観てほしいものだ、と俺は思った。そいつの顔は暗くてよく見えなかったが、若い男だと言うことは、声で判断できた。周囲を見ると、どうやら俺とこいつ以外、客はいないらしい。映画も斜陽産業なのか、と思った。

「君は、どうして映画が好きなんだい?」

 とそいつは俺に訊く。

「さあ……、自分の人生だけじゃつまらないからじゃねえか?」

「なるほど。では君は、自分の人生に満足していない、というわけかい?」

「満足してる奴の方が少ないと思うけどな」

「もし君の人生が映画になったとしたら、観客はどう感じると思う?」

「つまんないって席を立っちゃうんじゃないかな」

「じゃあ面白くするためにはどうすればいいと思う?」

「どうもしないさ。他人に見せるために生きているわけじゃないし」

「そうか、それもそうだね」

「人生なんてのは、誰が何と言おうとも、やりたいことをやればいいのさ」

「現実を犠牲にしてでも?」

 俺は頷く。「人生ってのは、自分が最も重要だと思うこと、つまり自分の中で優先順位が高いことができたのなら、それでいいんだと思う。俺の場合は、映画が観られたなら、それで人生ハッピーなのさ」

「でも……、そんなことばかり言っていられないだろう? 生活しなきゃいけないし」

「そうだけどさ、でも、障害が多い方が燃えるって、ちょっと思うんだ。人生って奴は、ままならないものだけど、辛いことや悲しいことばかりだけどさ、映画と一緒で、それを乗り越えた時に、見える景色が変わって、楽しくて、嬉しいんだと思う。障害を乗り越え、俺自身の中で変化が起きて、人生はより良いものになる。賞なんか貰えなくても、俺という観客を楽しませることができたなら、それでいいんだ。どうせ人生は、自主製作だし」

「親というスポンサーがいるだろ?」

「スポンサーの意見を聞き過ぎると、駄作になる」

 彼はふふ、と笑って、それが君の作家性なら仕方ないね、と言った。

 エンドロールが終り、俺は席を立った。


 目覚めると、見知った天井だった。起き上がって周囲を見ても、見知った光景だった。俺の部屋だ。散らかっていて、薄汚れた部屋。どうしようもない大学生の、一人暮らしの部屋。

 ポンポコポンと妙な音楽が鳴っているな、と思ったら、携帯が鳴っていた。画面を見ると、母親からの電話だった。

 また小言を言われるのだろう。早く就職しなさいとか、大学の方はどうなのとか、彼女は出来たのとか、そういうようなことを。

 ただ、まあ、そろそろ俺もやるべきことをやらなきゃな。逃げてばかりじゃ、つまらない人生になってしまう。

 何かを乗り越えてこそ、人生は面白いものになる。なら、映画を観るために俺はどんな苦労でも引き受けよう。

 俺は「通話」のボタンを押した。

「もしもし、母さん?」

 その時、何を思ったのか、テーブルに置かれていたファンタグレープを開けた。すると中身が噴き出して、携帯にかかって壊れた。電話も当然切れた。

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映画が観たいだけの男 春雷 @syunrai3333

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