ネンリンデカⅢ長安からの帰還
東 風天 あずまふーてん
第1話 タイムスリップ
「まだ、来ないな!何度も電話を掛けてるのに出やしない……もう新幹線が出発しちまうぞ!」
「仕方ない!こうなるともう、置いていくしかないな……」
野川慎太が、ホームを歩く乗客一人一人を、苛つき視線で踏み倒しながらも発見できないと分かると冷たく言い捨てた。
「ああ、そうしよう……向こうで合流すりゃ済むことだ!」
ナッツを口に入れては、奥歯でポリポリ潰して食べている皆川傑も同意見だ。
「快斗って、修学旅行の朝も遅刻して来てたわよね!」
三色都真子は記憶の友人と手を繋ぐ。
香原木俊介も心臓の脈を鳴らしていたが、とうとう新幹線の発車メロディが耳奥に届くと諦めの空気を吸い込む。
「あーあ、鳴っちゃったよ!京都で待つかしかないか……」
俊介は十六ピースの新幹線の重力を背中に受けて、無情にも滑るように動き出すのを感じた。
「あっ!快斗よ!」
都真子の視線は、さっと開いた正面の自動ドアから顔から湯気を上らせてひょっこり現れた色黒の男に釘付けになった。
俊介も首がねじれるほど振り返ると、こめかみの皮を引きつらせた山田快斗がこっちにやって来るのを目にした。
「フーッ!ダメかと思った……通路で迷ってさ、走りに走って、とっても電話に出るどころじゃなかったよ……」
「お前、寝坊したのか!まあ間に合ってよかったというか……いくらプロサッカー選手でも新幹線には追い付けないからな!」
慎太が追い打ちをかけるように冗談を突き刺した。
「冷たい水ないかな?……喉がカラカラでさ!なにせ京都や奈良なんて修学旅行以来だからな、妙に焦っちまったよ!」
「お前が焦る?そりゃ修学旅行の悪夢でも蘇ったのか……お前が掛布団の下に枕や座布団を沈めて人間の形に見せかけて違う部屋に遊びに行ったおかげで、それが先生にばれて廊下正座だったよな!あの時は足が痺れて参ったぞ!」
傑がにんまりした顔に思い出し笑いを付け加える。
「何であんなことをしたんだっけな……いやあ、もう忘れたな!お前だって、学級委員のくせに道案内を間違えて、みんなの予定を狂わしただろうよ」
快斗が責めるように言うと傑は矛先を慎太に向け直した。
「慎太が、その重量で部屋の座卓に上って見事に足を破壊したから、全員、連帯責任で廊下正座だったよな。お前らのおかげで二度も正座させられて膝をガクガクさせながら歩いたっけな」
「まあ、みんな馬鹿ね!自業自得ってやつだわ!」
「ほう、俺だって知ってることがあるぞ……都真子だってな、奈良に行く電車で切符を落として駅から出られなくなって泣きそうになっていたんだぞ!」
都真子がとたんに顔の表面を酢蛸にして快斗に詰め寄った。
「快斗!何で知ってるのよ!あっ、分かった!あんたが付き合っていた香澄が喋ったのね!」
「ほんと珍道中だな」
俊介は知らん顔の羊になっている。
「えーっ、俊介だって奈良公園で鹿に噛まれて、その弾みでうっかり学校のデジカメを石畳に落として壊したのよ。代わりのデジカメを先生が貸してくれたけど、そうじゃなかったらグループの写真を一枚も撮れないところだったんだからね!」
都真子が俊介の失敗を水を撒くようにぶちまけた。
「何だよ!俊介!自分だけ何にもなかった顔しやがって!」
「ああ、そういうこともあったみたいだけど……ところで今日は奈良から行くんだっけ?」
「おいおい、話を逸らすなよ!」
「先に奈良を見ようって決めたはずよ。私は春日大社の御神木を見に行きたいわ!」
都真子が、駅で買った全員分の駅弁やサンドイッチの包みをトランプのように配りながら嬉しそうに口走る。
「春日大社には樹齢千年以上の杉や楠があるからな」
「それがさ、奈良市警の知り合いからね……最近、文化財にいたずらをする奴が多くて、中でも、御神木に文字を刻まれて困ってるっていうのよ。俊介、TS1で犯人を見つけてやってくれない?」
「何だい……そのTS1って?」
傑の耳が聞きなれない単語に即座に反応を示した。
「あのね、俊介って、すごい発明したのよ!俊介!この人たちには言っちゃっていいでしょう?」
「俊介!隠し事なんて水臭いぞ!何なんだ、そのティエス何とかって言うのは?」
快斗も味付け肉を口に加えたまま俊介を箸で突いた。
「そうだ、そうだ!俺も知りたいな!」
慎太に至っては、その牛のような胃袋に駅弁をぺろりと飲み込んだ後、サンドイッチにまで手を伸ばしている。
「実はね、俊介が植物オタクなのは皆知っているでしょ。その研究成果としてね、樹木というのは、その幹の内部に……つまり、年輪の部分にね、人間の脳みたいな記憶の貯蔵庫があることを発見したのよ!そればかりじゃなくて、その記憶を映像として取り出す機械まで発明したんだから!」
都真子が謎めいた顔付きになって説明をぶつと、皆、目を丸くして驚いた。
「凄いな!つまり、植物にも物事を記憶する力があるってことか?」
「そうだ!樹木ってのは、言うなれば心の目があるんだ!だから、目の前で起きた出来事をちゃんと記憶して年輪の中に閉じ込めているのさ。だから、それを取り出すことができれば、人が見ていない所で起きた事件も再現することができるという訳だ。そうは言っても、この研究は内容がとっぴ過ぎていて信じてもらえないだろうなと思っているから、まだ学会へも発表はしていないけどな……」
「俺は信じるぞ!植物だって生き物だ。音楽には反応するって言うじゃないか!そうなると、犯罪捜査にはぴったりだ!誰も見ていない誘拐事件だって其処に樹木が立っていれば見てるってわけだろ……」
傑は、感心して骨まで震わすと、都真子も目を細めて誇らしげな口調を響かせる。
「当然、公にはしていないけど、もうそれで何件か事件を解決してるのよ!」
「そうだったのか?じゃ、俺の捜索もそのTS1が一役買ったのか?」
「いや、お前の行方不明事件はTS1は関係ない!皆の協力で見つけたんだけどな……」
「そうなのか!差し当たり、今回の旅行にその機械を持って来ているのか?」
「ああ、後で奈良の御神木に行った時にお披露目するよ」
「そりゃ、楽しみだ!」
こうして五人は、口から泡を飛ばして話に花を咲かせていると、あれよあれよという間に時間は過ぎ去り、京都駅到着のアナウンスが流れるやいなや慌てて下車の準備に取り掛かる。
「ええと、奈良に行くんだから……ええと、どっちかしら……あった、あった!こっちよ!」
ホームに降りて先頭を歩く都真子は、改札を出た先に近鉄線を発見し誘導の声を上げた。
歴史学者の傑は、木津川やら田園風景やら、のんびりした風景が広がるのを車窓から眺めていると、その一方で、古都の赤い土が目に入り、戦国の世に多くの武士が流した血が沁み込む姿を想像している。
やがて近鉄奈良駅へ到着し、都真子を先頭に登大路へ出る。
「JRの奈良駅よりも、こっちの方が、東大寺や春日大社、そして、人慣れした鹿が群れ遊ぶ奈良公園には近いわよ」
「この道は何となく見覚えがあるな……真っ直ぐ行けば東大寺の大仏だ!こうして見ると、制服姿の学生やTシャツ短パンの外国人、単独行動の鹿は相変わらずだ」
奈良公園に入ると、快斗が真っ先に鹿せんべいを買ったが、鹿に纏わりつかれ、慌てて南大門の階段を駆け上がった。
傑は、恐ろしさより可愛げに感じる金剛力士像を見上げる。
「向かって左側の力士の開いた口は宇宙の始まりの言葉、阿と言い、右側の力士の結んだ口は宇宙の完成を表す、吽と言っているから、この二体で阿吽と言って全宇宙は言葉だと言っているわけだ」
「ほう、さすが大学の先生だな。そんな意味があるのか?」
「そればかりか、阿は道を求める心、吽は悟りや智慧を表すとされたり、阿吽の呼吸なんて言うと、以心伝心、つまり、心と心による暗黙のコミュニケーションを表すとされたりしているのさ。それに二体で一対だから仁王とも言うんだ」
「傑がいればガイドはいらないな!しかし、王が二人と言うのも何だな。いったい、どっちが偉いんだ?」
快斗が問いかけると、俊介が横合いから口を挟んだ。
「俺も植物を研究する者として思うけど、植物や生物にも雄と雌があるように、みんな、対になっているじゃないか。他にも、右と左、明と暗、善と悪、みんなそうだろ。対になっているものは、どっちが偉いは無いんじゃないか?お互いに片方がなければ片方は無いんだからな。だから、王様って一人しかいないと見えるかもしれないが、実は、国民がいてこその王だとすれば、やっぱり、王と民衆で対になってるじゃないのか?」
「何をぐずぐずしてるの!早く、早く!哲学談義はいいけど、あちこち脱線してたら日が暮れるわ!」
すたすた、先を歩く都真子が時間を気にして皆の尻を叩くと、ペースは上がり大仏殿と大仏を足早に見た後、やっと都真子の目に春日大社の参道が映った。
「春日大社って、武甕槌命って神様が祀られているんだけど、茨城県の鹿島神宮から藤原氏の氏神として迎えられたんだって、その時、武甕槌命は白い鹿に乗って来たから鹿は神様の使いとして大事にされているのさ」
傑が解説の槍を投げる。
「タケミカヅチノミコトか……鹿島と言うことは、ここの神様は関東地方から来た神様なんだな。ところで、この広い場所をどういう順路で見るんだ?」
成り行きまかせの快斗に尋ねられた都真子はぺらぺらと説明を始めた。
「いいかな、快斗くん!私が持ってるガイドブックだと、何しろ、春日大社の敷地は、東京ドーム二十二個分よ!この参道をまっすぐに行って、万葉植物園を通り過ぎたら、二の鳥居に行って南門から入り、幣殿、舞殿、特別参拝となって……」
「分かった、分かった……都真子に任せるよ!」
都真子は二の鳥居から階段を上って南門から入り特別参拝を申し込んだ。
「途中にもたくさん燈籠があったが、すごい数だな。そう言えば、カルナック神殿の参道に並んだスフィンクスみたいだ!」
「そうよ、神聖な場所に入るためには清い心で願いを持たないとね。石燈籠が二千、釣燈籠千だから、合計三千の燈籠で心を清めてね」
五人は朱色の中門、釣燈籠、回廊、万燈籠などを巡りやっと大杉の前に立つ。
「すごい杉だな!樹齢千年か!こっちの幹は屋根を突き破って伸びてるぞ!」
「それは柏槙と言って杉ではないわ!全く、この神聖な大杉に文字を書くなんて、とんでもない奴がいるわね!きっと罰が当たってるわよ!」
俊介は背負っていたバックパックを降ろし真っ黒な機器を取り出した。
「これがTS1だ!」
怪し気な機器の姿と、ひたと見つめた傑が口を開いた。
「それが……TS1っていうのか?」
「これが木へ取り付ける本体、そっちは手元で見るモニターだ。始めるぞ」
俊介がTS1のスイッチを入れると、カチッと本体から音がして蝙蝠のような黒い羽根が開いた。
さらに、落書きをされた日付や時刻をセットしてから大杉に取り付け、リモコンで作動スイッチを入れる。
「最初はびっくりするような映像が出るから驚かないで!」
先刻承知の都真子が注意するやいなや、ふいに映像が映り、画面を覗き込んでいた快斗が叫んだ。
「うわっ!物凄い炎だ!うえっ!顔の皮膚が焼けただれた坊さんが倒れ込んできたぞ!」
「平安時代の南都焼討の火災だろうか……それとも室町時代の落雷の火災だろうか……凄いぞ!何百年も前の映像が映るなんて!びっくりだ!」
傑が感心して声を上げる。
「あれっ、映像がぷっつり消えた!画面には粒子が流れてる……」
慎太が不思議そうな顔をした。
「さあ、次から欲しい映像が映るはずだが……出たっ!」
「こいつね!丸刈りの男が何か書いてるわ!でも、この位置じゃ、手元が見えないわ!あの真正面にあるリンゴの木から見れば書いた文字まで映るわよ」
「分かった!そうしよう!」
ところが大杉からTS1を取り外そうと手を伸ばしたその瞬間だ!
俊介の目には、突如、周囲の空間が大きく渦を巻き始め、自分も含めその中央にいた人間が次々と大空に舞い上がる光景が映った。
見えない力でどんどん押し上げられる傑も、やがて真下に広がる奈良の街並みが目に入る程上昇したのが分かると、俊介に向って大声で叫んだ。
「うわっ、俊介!これは……どうなっているんだ!いったい、この竜巻はどこから現れたんだ?」
「竜巻?俺も分からん!待てよ……もしや……」
俊介は、旋風に喉を圧迫されながら叫ぶと、いきなり上昇がピタッと止んで、今度は真下の大杉に向かって急降下する自分を知る。
横目を流すと四人も同様に下降中だ。
「まずい!このままじゃ大杉にぶつかる!」
だが、恐怖に包まれたその一瞬、俊介は意識が薄れるのを感じた。
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