第2話

「ん、んぅ……」


 頭に残る痛みに顔を歪めながら、ナエマは目を覚ました。

 両足は地面についておらず、体が上下に揺れている。


「な、何です!?」

「気付いたか」


 シーリュウの声がして、そこでナエマはやっとシーリュウの肩に担がれているのだと理解した。


「ちょっと、下ろしていただけませんか!?」

「……うるさい」


 言いながらもシーリュウはナエマとナエマの持ち物のトランクを地面に下ろした。

 地面に立ったナエマは状況を理解しようと目を閉じて、何があったか記憶を辿る。

 そして思い出した。シーリュウに殴られて気絶したことを。この頭の痛みはトランクの角で殴られたものだということを。


「あっ、あなた、私を殴りつけましたね!」

「そうするしかなかった」


 悪びれずにシーリュウは言う。


「ま、魔物は!?」

「倒した」

「倒した……って、あなた一人で!? それに、手枷は!?」

「……どこか、いった」


 言ってシーリュウはそっぽを向いた。


「そんな嘘に騙されるものですか!」


 怒るナエマにシーリュウは動じない。


「お前、怒る前に、感謝する。ワタシに」

「何故!?」

「ワタシ、いなかったら、お前、死んでいた。魔物の腹の中」

「っ……」


 それはそうだ、とナエマは気を落ち着かせた。


「……確かに。私はあなたに感謝しなければならないようです」


 ナエマはシーリュウに頭を垂れた。


「ありがとうございます、シーリュウさん。私がこうして生きているのはあなたのおかげです。必ずお礼をさせていただきます」


 シーリュウはここまで真摯に感謝されるとは思わず、困ったような顔をしていた。それは下を向いていたナエマには見えなかったが。


「しかし、それとこれとは話が別です!」


 がばっと顔を上げたナエマは、まだ痛む頭部を差してシーリュウに迫った。


「なぜ私を殴る必要があったのですか!」

「戦えない男、邪魔」

「ぐ、ぅ……」


 たった二言で綺麗に斬られたナエマは何も言い返すことはできなかった。

 確かに、自分がいたことで何かの助けになったかと言うと、多分ならなかっただろう。

 どんな手段か知らないがシーリュウは牢を抜け出す算段があったし、その気になれば鉄の手枷だって外せたのだ。それくらいできるなら魔物を倒すことも苦ではなかったろう。

 実際、シーリュウは魔物と戦ったあとだというのに傷一つ負っていないどころか、気を失ったナエマを担いで歩いていたほどである。


「……ん?」


 そこまで考えてナエマは眉を寄せた。


「シーリュウさん、どうして私を連れてきたのですか?」

「最初、逃げる、思った。でも教会の人間、敵に回す、厄介。お前の仲間に会う、それくらい、する」

「そ、そうですか……」


 善心からくる人助けではなく打算から来る人助けと知り、ナエマは顔を引きつらせて笑った。


「早く歩け。夜になる前に」


 言ってシーリュウは森の中の道を歩き出した。

 ナエマは慌てて辺りを見渡す。

 夜になる前と言ったが、ほぼ夜だ。

 よくこんなに暗い森の中を一人で歩けるものだ、とナエマは驚いた。


「ま、待ってください! ランタンがあります!」

 

 ナエマはシーリュウにそう呼びかけ、彼の置いていったトランクを開ける。

 悪魔祓いの道具一式が詰まったトランクだ。

 ナエマは悪魔と直接戦う力はないものの、道具だけはいつも持ち歩いている。

 その中から蝋燭を取り出し、火打石を打って火口に火をつけると蝋燭の芯にその火を移した。それをガラスのランタンに入れる。

 ナエマはランタンを持って足を止めたシーリュウの横まで歩いていった。


「たまには役に立つ」


 ナエマは言い返したかったが、魔物との戦いで役に立たなかったのは確かなので言葉を飲み込んだ。


「御者の話では、日が暮れる頃には旅籠に着くという話でしたが……」

「そうだ」


 蝋燭の頼りない明かりを頼りに夜の森を歩くのかと思うと、ナエマは少し気後れしそうになる。

 しかし、シーリュウが一人で先に歩いていくのを見て、慌ててその後を追った。


「……シーリュウさん、どうやってあの魔物を倒したのですか。強い魔物のように思えましたが……」


 ナエマはシーリュウに尋ねた。


「言う義理、あるか」

「……そう、ですね」


 シーリュウの答えを聞いて、珍しく覇気のない声をしてナエマは言った。

 それを不審に思ったシーリュウはナエマの様子を窺う。


「……私にも、戦える力があれば……。魔物や悪魔と渡り合うだけの力があれば、あのとき……」

「力、あるだけでは駄目。心、伴っていないと、戦場、立てない」


 シーリュウの言葉に、ナエマはシーリュウの顔を見た。

 真っ直ぐと前を向いていて、その瞳には迷いなどないように見える。

 確かに、いくら強大な力があっても魔物や悪魔と命のやり取りをする覚悟が決まっていないと、それは力を持っていないのと同じだろう。


「その通りですね。……私は意気地なしだ。戦いが怖くて聖騎士団からも逃げ出した」

「臆病者」


 シーリュウの言葉にナエマは苦笑いした。婉曲な皮肉だったら怒ることもあろうが、ここまで直球に言われると気持ちよさすらある。


「シーリュウさんは、戦うための教育をどこかで受けたのですか」

「……ワタシの家、武門だった」


 シーリュウは顔を顰めて零した。

 その様子に、ナエマは思い出したくないことなのだろうと察した。武門というからには貴族のようなものだろうが、彼が国を捨てて商人をしているということは家にいられないような事情があったのだろう。

 ナエマは何か話題を探して辺りを見回すと、木々の間に炎の光が見えた。


「旅籠、でしょうか……」

「近付けばわかる」


 言ってシーリュウは歩く速度を早めた。ナエマもそれについていく。

 歩いているとやがて開けた場所に出て、腰ほどの石の塀が築かれた広場がある。

 その中に木造りの大きな旅籠があった。炎は戸のそばに据えられた松明のものだ。外の馬小屋には馬が何頭も繋がれている。


「これで今夜は休めそうですね!」


 シーリュウは答えずに険しい顔をしていた。


「どうしました?」

「……いいや、腹が減った」


 言ってシーリュウはまた歩き出した。



 二人が旅籠の中に入ろうと近付くと様子がおかしいことに気付く。

 人の気配はするのに、妙に静かだ。

 窓から様子を窺おうとしても、当然ながら夜では木の窓は閉じられている。

 ナエマが戸を開けようと手をかけても戸は開かなかった。

 そして、中から女のすすり泣くような声が聞こえる。

 ナエマは戸を叩いて大きな声で言った。


「夜分遅くに失礼いたします! 中に入れていただけませんか!」


 すると中で人が動く気配がし、戸にある覗き窓が開いた。

 覗き窓からは白髪の老人がこちらを睨んでいる。


「でけえ声出すんじゃねえ。魔物に気付かれるだろうが」

「し、失礼しました……」


 ナエマが詫びると、老人はナエマをじろじろと見つめた。


「し、司祭様ですか? こちらこそ失礼を。魔物に襲われませんでしたか」

 

 ナエマの出で立ちを見て教会の司祭とわかると、老人は言葉遣いを変えた。


「ええ、襲われましたが……った!」


 襲われたがシーリュウが倒したので無事だった、と言おうとしたところを、シーリュウが思い切りナエマの足を踏みつけたのだ。


「何をするんです!」


 シーリュウは無言で、言うなと口の前で人差し指を立てている。


「魔物に襲われましたが、私の連れが倒しました」


 シーリュウを無視してナエマは言った。シーリュウが隣で舌打ちしている。


「ほ、本当ですか?」


 老人は驚いたようにナエマに問う。狭い覗き窓からはシーリュウが見えないのだ。


「中に入れていただけると、助かるのですが……」

「そ、そうだ、入ってください」


 言うと閂が外される音がして、扉が開かれた。

 老人はナエマを歓迎するように笑ったが、その後ろに控えるシーリュウを見て戸惑う様子を見せた。


「その、異国人では……」

「私は彼に助けられました」

「司祭様が、そう言うなら……」


 言って老人は中に入れるように道を開けた。


「司祭様だ! 魔物も倒したらしい!」


 老人は旅籠の中にいる全員に聞こえるように大声で言った。

 すると、中にいた人々がわあっと歓声を上げる。

 旅籠の中は蝋燭の明かりで満たされ、一階の食事処に所狭しと人が集まっていた。四十人ほどはいるだろうか。

 椅子に座りきれない人間は床に座っている。今まで魔物の気配に怯えていたのだろう。

 彼らは司祭様だ、司祭様だ、とナエマを見て祈りの仕草を見せる。

 そして、手近なテーブル席に座っていた一行がナエマ達に席を譲った。


「いえ、私は床でも構いませんが……」

「司祭様にそんなことをさせるわけには……!」


 一行の男が食い下がったので、ナエマは渋々と空いた席に座った。

 ナエマは空いた向かいの席を指し、シーリュウにそこに座れと示す。シーリュウは大人しく席に座った。

 すると、皿に盛られた干し肉とパンが老人によって運ばれてきた。


「申し訳ありません、まともな食事も出せず……。食料を運んでくる商人が魔物に襲われて、この有様で……」

「いえ、貴重な食料を分けていただき、感謝いたします」


 ナエマが老人に言ったとき、部屋の奥から子供が走り寄ってきた。


「嘘つき!」

「やめなさい!」


 ナエマにそう叫んだ子供を母親が取り押さえて叱りつける。


「嘘つき!」

 

 なおも止まらない子供は、首から提げていたものを外してナエマに投げつけた。戸惑っていたナエマはそれに何の対応もできず、顔に当たった。

 膝の上に落ちたそれを手に取ってみると、教会のシンボルである、翼に抱かれた七枚の花弁を持った薔薇のロザリオだった。


「神様に祈れば助けてくれるって言った! でも父さんは魔物に食われて死んだ! 嘘つきだ!」

「…………」


 ナエマはロザリオが当たった頬に手をやり、立ち上がって少年の元まで近寄ると視線を合わせるように膝をついた。


「君、名前は?」


 ナエマは微笑んで少年に問いかけた。

 少年は怒られるのかと思って体をびくつかせたが、そうではないと知ると恐る恐るナエマのことを見ている。


「……クレル」


 少年は名乗った。


「クレル。いい名前ですね。勇敢に戦った聖騎士の名前です。お父様がつけられたのですか?」


 こくり、とクレルは頷いた。


「あなたが怒るということは、それだけ神を信じていた証です。よい子ですね」

「でも、父さんは……」

「あなたのお父様は強く願ったのです。自分の命よりもあなたとお母様が助かることを願った。その願いを神が聞き、叶えてくださったのです。あなたも魔物に会ったならわかるはずです。あのような恐ろしい魔物に出会いながら生き延びていることが、どれだけ幸運なことか。お父様はその幸運を呼び寄せたのです」

「……でも、もっと父さんと、一緒に、いたかった……」


 言ってクレルは泣きじゃくってしまった。

 それを宥めるようにナエマはクレルの頭を撫でる。


「私も似たような経験があります。私のいた街は、悪魔によって滅ぼされました。街の人も、父も、母も……。この世で一番固く結ばれていると思っていた双子の兄さえ、悪魔は奪っていきました。一人残された私は司祭に問いました。なぜ自分だけが生き残ったのかと。すると司祭は、私に与えられた使命があるからだ、と答えました。以来、私はずっと悪魔を追っています。悪魔を討伐することが私の使命なのです」


 ナエマはそう言って立ち上がると、部屋の皆に聞こえるように大きな声で言う。


「あなた方は神に与えられた使命があって、今この場にいるのです。魔物に襲われて亡くなった方もいらっしゃるでしょう。自分が生き残ったことを悔やむ方もいるでしょう。しかし、世界とは目に見えるものだけではありません。むしろ、目に見えることのほうが少ないのです。神も死者も、目には見えずとも常に傍にいらっしゃるのです。死の別れは永久ではありません。あなた方が亡くなった方を胸に留めていれば、あなた方の中に生きているのです。そして来るべきとき、あらゆる生命が復活するとき、再び会うことができるでしょう。今を生きる我々にできることは、正しき行いをし、使命を果たすことです。今はまだ何を為すべきかわからないかもしれません。しかし、いつか訪れるでしょう。この瞬間のために生きていたのだとわかるときが。私も、今ここで皆様の力になるために、この場を訪れる運命だったのだと信じています。皆様に神のご加護があらんことを」


 ナエマがそう結ぶと、その場にいた皆は手を合わせて祈りの言葉を口にした。

 そしてナエマは再びクレルの前に膝をついた。


「クレル、あなたにも必ず使命がある。その使命を成し遂げるために、神も、そしてお父様も力をお貸しになるでしょう。泣かないで、上を向きなさい。お母様の言うことをよく聞いて、大きくなったら、お母様を守るのです。わかりましたね?」


 クレルはナエマの言うことに頷いた。

 言ってナエマはクレルに微笑み、先ほど投げられたロザリオを手袋を嵌めた右手に乗せ、クレルに差し出した。


 「手を乗せてください」


 ナエマの言葉に疑問符を浮かべながら、クレルはロザリオの上に手を乗せた。

 するとナエマは満足そうに笑い、目を閉じて祈りの言葉を口にした。


「神よ。我らをいかなる困難よりお守りください。晴れない空はなく、止まない雨もなく、明けない夜もない。苦しみを耐え忍ぶ力を、そして一歩を踏み出す力を、我らに与えてください」


 祈りを終えたナエマが目を開けると、クレルが信じられないという顔でナエマのことを見ていた。

 ナエマとクレルの手の隙間から光が漏れている。

 クレルが恐る恐る手を退けると、鉄でできたロザリオが銀の光を放っていた。

 隣にいるクレルの母も信じられないという目で光るロザリオを見ている。


「どうです、すごいでしょう?」


 言ってナエマは悪戯っぽく笑った。


「どうやったの!?」

「私が何かをしたのではありません。これも神の御業です」


 ナエマは言いながら、光を放つロザリオをクレルの首にかけてやった。


「大事になさい。あなたとお母様を守ってくれます」

「奇跡です……! ありがとうございます……!」


 母はそう言って何回も頭を下げた。

 そして、今度はその様子を見守っていた部屋の中の人間がどっとナエマに詰め寄った。


「司祭様、俺にも!」

「私にもお願いいたします!」

「僕のほうが先だ!」

「み、皆様焦らず! 順番に皆様の元を回りますから!」


 言ってナエマは皆を静め、一人一人の言葉や嘆きを真摯に聞き、祈りの言葉を唱え、ロザリオに光を灯していった。

 ロザリオを持っていない者もいたので持ち歩いていたものを与えようと、ナエマはトランクの置いてある席に戻った。しかし、そこにシーリュウの姿はなかった。腹が減っていると言っていたのに食事も手つかずだ。


「おや、私の連れは……?」


 ナエマは近くにいた人間に尋ねた。


「さあ……? さっき、何も言わずに外に出ていきました」

「……そう、ですか」


 何かおかしいと思ったものの、早くとせがまれてナエマはまた別の者の元に向かった。

 やがてナエマは全員に祈りの言葉を唱え、そのロザリオに光を灯した。

 旅籠にいる全員は、その業を前に心が落ち着いたようだった。一部では歓談する余裕さえ出てきたようだ。

 これだけ気が確かなら大丈夫だろう、とナエマは頷いた。

 そして席に戻るも、まだシーリュウの姿はなかった。

 大分時間が経っているのに、まだ戻っていないのか。


「失礼、連れを探して参ります。すぐに戻ります」

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