私、真ボスになりたいわけじゃないんだけど。

田中鈴木

第1話

 禍々しい装飾の玉座に導かれ、腰掛ける。

 その前に跪くのは、黒に金糸の刺繍を施したローブを羽織る男。暗く鋭い瞳には、今は狂気の、いや狂喜の色が浮かんでいる。


「おお、お待ちしておりました我が主にして救世主よ。何なりとご命令を」

「それじゃあ」


 私が口を開くと、灰色の肌の男の目が期待に輝いた。


「──何がどうなってるのか説明してくれる?」




 私、弓原飛鳥は母親に付き合ってパワースポット巡りのバスツアーに参加していた。

 私はパワースポットとやらに何の興味もないが、母はスピリチュアルとか何とかが大好きでよく出掛けていた。今日は高校も試験休みだし、たまに付き合うと機嫌が良くなって臨時のお小遣いも出るので、まあいいかと付いてきたのだ。

 説明によると気脈の上に立っているらしい山寺の階段を登り、本殿に出る。ツアーガイドの説明を聞く気にもなれず、一人離れて廊下をぐるりと回ってみる。

 何だか途中に膝丈くらいの衝立がいくつか置いてあったが、立入禁止とも書いていなかったのでそのまま進むと裏手に出た。山の斜面に建てられているこの寺は崖に張り出しているらしく、景色は素晴らしいが欄干の向こうはフリーフォールの絶壁だ。

 落ちたら死ぬなこれ、と思って下を覗き込むのと、手をかけていた欄干がぐらっとするのが同時だった。え、と思った瞬間には、私の体は宙に放り出されていた。


 ──はずだったが、気が付けば私は見知らぬ場所にいた。

 四方を石造りの壁に囲まれた小部屋。床には何だかよく分からない模様が描かれている。どこにも窓はないが、全体的に発光しているのか中は明るい。


「…何これ」


 ぱっと見、自分の体に異常はない。服もさっきと同じパーカーにコート、あったか素材のスキニー。特に汚れも傷もない。スニーカー…は本殿に上がる時に脱いで、今は靴下だけだ。

 コートのポケットに突っ込んでいたスマホを取り出す。

 圏外。

 いつも通り使えはするが、ずっと圏外だ。地図アプリのGPSも動かず、ぼんやり日本地図全体が表示される。

 少し迷ってから、一つだけある扉に手をかける。重そうな木製の扉は、あっけないほどすんなりと開いた。

 扉の外は廊下のような場所だった。同じく石造りの壁に、等間隔に松明が焚かれている。先が見通せないほど長いそこを進むと、今度は階段が現れた。見上げると、また扉が見える。

 進むべきかどうか。

 少しためらったが、ここに留まっていてもどうにもならなそうだ。階段を上り、扉を押す。こちらもまた、あっけなく開いた。


 何かが焦げたような臭いが鼻を突く。

 正面には大きな壁のようなものがあって、向こう側の様子は見えない。だが、何だか不穏な気配は感じる。

 何かこう、争い事の気配、というか。

 また階段を下りて戻ろうか。

 いや戻ったところで正解かどうか分からない。じっと息を殺して耳を澄ますが、気持ち悪いくらいに静かだ。何の音も聞こえない。

 そっと壁のようなものを回り込む。どうやらだだっ広い広間のようだ。壁の続く向こうには、巨大な柱の列が見えている。その先には空。雲一つない青空だ。

 床には所々何かが弾けたような跡が残っている。その跡を目で追っていくと、別のモノが目に入った。


 人。


 どくりと心臓が跳ねる。人が倒れている。動いて、ない。死んでる?

 恐る恐る人影に近付いていくが、全く動きがない。広い空間の中に、倒れている人。動いているのは私一人。現実感のない情景にくらくらする。夢を見てる?何なんだろうこれ。靴下を通して感じる床の冷たさだけが、妙に生々しい。

 倒れているのは男性、のようだった。黒っぽい服を着て、うつ伏せになっている。肌は生気がなく…というか、元々そういう色なのか灰色だ。髪は真っ白。目は閉じている。若くは見えないけど、老人でもなさそうな、何とも言えない感じ。ぱっと見、大きな傷とかは見当たらない。


「あの…」


 声をかけ、手を伸ばした瞬間。

 ぶわっと私から光が溢れ出した。


「ぅえ!?」


 光は倒れている男に降り注ぐ。ぐいぐい流れる光は止まる気配がない。状況が全く分からないまま呆然と立っていると、徐々に光は弱まり、止まった。

 びくり、と男の体が動いた。じわりと目を開く。暗赤色の瞳が焦点を結び、周囲を見回す。私の姿を捉えると動きが止まり、そして。

 飛び起きて平伏した。私に。固まる私を気にも留めず、男の歓喜に満ちた声が響く。


「この日を心待ちにしておりました、我が主」




 そして壁…だと思っていた玉座に案内され、今に至る。何やら魔物っぽい彫刻がたくさんあって、端から端まで20mくらいあるんじゃなかろうか。そこに座るコートにあったかスキニーの女子高生。何だこれ。

 何がどうなっているのか説明を、という私の言葉に対して、男はなぜ自分が倒れていたのかを説明し始めた。いや違うそうじゃない。私は、何で私がここにいるのかを知りたいんだ。

 

 男によると、ここは城、らしい。男は国王で、この地域一帯を支配している。いや、いた。つい先程、忌々しき侵入者により男は倒され、王権の象徴である錫杖と指輪を奪われたというのだ。

 というか話を聞いている限り、この男は魔術研究に没頭するあまり国政を蔑ろにしていたようだ。増えていく魔物を恐れて家臣は減り、国民は逃げていった。荒地が増え魔物の跋扈する国。そしてそこに君臨する王。


 ──それって魔王では。


 心の中でツッコミを入れておく。それであれか、魔王討伐のために勇者が来て魔王を倒しめでたしめでたし、みたいな話なんじゃない?


「そして打ち倒された私めが命尽きようとしていたところに、貴方様が現れたのです。全身を満たしていく魔力に救われ、その御姿を一目見た瞬間に全てを理解いたしました。この御方こそ我が主にして救世主であると」


 私、かなり余計なことしちゃった?あとこの人思い込み激しくない?怖。


「その黒髪と漆黒の瞳。この世界のどのようなものとも異なる魔力。私めが幻視した救世主の御姿に間違いありません。我が召喚の呼び掛けに応えていただきまして幸甚の限りにございます」


 …召喚?


「さあ、何なりとご命令を。私めは貴方様の忠実な僕にございます」

「…お前のせいかよ!」


 色々分からないことだらけだけど、とりあえず一つ分かった。こいつが召喚とやらをしたせいで、私がここに引っ張られた。何で日本のパワースポットの山寺からいかにも西洋ファンタジーなここに繋がるのかは納得できないけど。

 玉座にぐでんと横になる。やたらと大きいせいで背もたれに寄りかかることすらできない。これじゃ石造りの舞台だ。

 疲れた。なんか一気に疲れた。とりあえず休みたい。そして帰りたい。


「…とりあえず帰りたい。帰して」

「帰る、とは?」

「んー?」


 何だか面倒臭くなってきて、転がったまま生返事をする。早く帰らないとバスの時間に間に合わない。高校生にもなって迷子扱いは流石に恥ずかしい。


「我が主、貴方様は御自身の意思でこちらに顕現されたのでは?私めの召喚の儀は研究途上で、まだ不十分なもの。我が主の御力無くしては成立しないものと愚考いたしますが」

「え」


 私の意思?御力?いや知らんし。どうやってこんな知りもしない世界に飛ぶことができるというのだ。学校行きたくなーいとか誰でも思うようなことは考えたりしたけど、だからってそんなことで別の世界に飛んでたら誰もいなくなるでしょ。

 本当に何が何だか分からないけれど、一つはっきりした。

 どうやら私、すぐには帰れないらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る