言葉「シュレディンガーの猫」の二次創作
ある時、SNSでガラス戸に入った皿の写真がバズっていた。今は大丈夫だが、戸棚を開けると割れてしまう。この状態に対して「シュレディンガーの皿」という反応かいくつもあった。いやいやいや。どちらかというと正反対じゃね? と。現状皿が割れていないのは見えているし、戸棚を開けたら割れるだろうことは確定している。つまり、何の事象も重なっていないし、それが確認できるのである。
言葉の使い方なんて自由でいい、と思うのだけれど、少し心配がある。言葉が一般化することによって、元の概念を「知っていると勘違いしている人」がいるのではないかということ。
これを最初に感じたのは、「反比例」だ。日常で「○○に反比例して」と言われるのは、ほとんどは比例関係に対してである。で、家庭教師や塾講師の経験から、反比例でつまずいている子供が多いことは知っている。そしてテストではそんなに反比例の問題は出てこないので、平均点ぐらいを目指す子は「理解しようとせず放っておく」場合が多い。大人になって突然理解できる、ということはおそらくほとんどなくて、「反比例を理解しないまま成長した人」は結構いると思う。
そんな中反比例でないものに反比例と表現するのが定着していたら? 「反比例ってそういうことか」となんとなく理解しているつもりになっているかもしれない。
この感覚、「二次創作だけ読んだとき」に似ているな、と思った。多くの二次創作を読むと、原作を知ったつもりになる。だが、原作に触れるとなんか違ったりするのだ。でこれ、原作に触れないままのパターンもあり得る。わかったつもりのまま過ごすのだ。
言葉にも二次創作があって、原作たる概念が勘違いされていくとすれば。多分そう言う言葉は使ってないだろうけど、内容的には論文や本があると思うので、探してみよう。
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