変な先生
「清水君、あそこに格安で住まない?」
大学生の時、私は言われた。「あそこ」とは、大学近くの、カフェのすぐ横のアパートだった。
安く住めるなら願ったりだったが、そんな都合のいい話には裏がある。
そのカフェは、先生が借りて学生たちがバイトで運営していた。先生はそういうことが好きなのである。そして、着替え場所がないのが問題となっていた。そこで、「着替えの時間だけ清水君が家を出て、その後は普通に住んでよ」と言うのである。どこからそんな発想が出てくるのか。
だいたい着替えた後の部屋に戻ってくるのもなんか変な感じだし、私の家で着替える人も嫌だろう。
「お断りします」
結構即断だった。
「清水君僕の代わりに授業するか、僕のお母さんを観光案内してよ」
また変なことを言い出す。
東京から先生の母親がやってくるという。しかし先生には授業がある。で、後半はぎりぎりわかる。しかし前半はどういうことだ。
「清水君は進行してくれたらいいから」
そんなことが大学にばれたら大変だし、そもそも私と先生は別分野の人間だった。いきなり知らない若者が来て、「では授業します」では学生も面食らうだろう。
「観光案内の方で……」
そんなわけで私は、初めて会う先生のお母さんといろいろなところに行ったのである。
そんな先生の提案に、乗りかけたことがある。阿蘇で塾をやる話である。もともと阿蘇には私の指導教官が住んでいた。その先生は自然を満喫して暮らしたいということで、畑仕事も大いにやりたかったのである。しかし個人で畑をできる範囲は限られるらしい。家の面積に比例するとかで、「それならもう一軒建ててしまおう」と、指導教官は家を二件持つことになった。
余った方は、私の先輩が借りて塾をすることになった。しかしその先輩は、夢を追って東京に出ることになった。そこで空いた家を先生が借りて、塾を引き継ごうとなったのである。
阿蘇に住むのは悪くないことだと思った。塾が必要とされているなら、やりがいもあると思った。けれどもここで、カフェの一件が絡んでくる。
カフェは一見楽しげにやっていけてるようだったが、テスト期間などを中心にバイトが足りず、休むこともあった。先生が赤字を補填するため、何とか黒字にしようという気概もみられなかった。
「みんなに責任を持たせないとだめですよ」
私は言った。
「責任を持たずに若い子に何かをやらせたいんだ」
先生は言った。
方針の違いから、私は先生の夢を手伝わないことになった。
先生は変な人で、それは研究室に入るだけでわかった。でっかいスピーカーやモニターがまず目につく。シアタールームのようだった。そして本棚には専門書ももちろんあるのだが、あんまりよく思われないであろうDVDがたくさん置かれていた。ぎりぎり書けるのは「若いころの裕木奈江のDVD」というところから皆さん想像してください。
とにかく自分がしたいことを追い求める人だった。常識にとらわれない人だった。そんな先生が、入院することになった。心の病だったと聞く。
ある日、その先生と大学裏の居酒屋で会った。
「先生、良くなったんですか」
「一時帰宅でね」
「飲んでいいんですか」
「飲むなとは言われなかったよ」
その後、一緒にいた女の子に「かわいいね、かわいいね」と言っていた。
それ以来、先生とは話していない。研究室が違うので、復帰していたかどうかもわからない。時折先生のことを思い出して、「またなんか変ことしてるんだろうなあ」と推測している。
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