第十話「変わるということ」

「あなた何してるのよ!?」


エレナの怒声が床に正座させられているアランに向けて発せられる。


「いや、その……まさかこんなことになるとは思わなくて……」


「言い訳しないで!」


現在アランは昨日あったことを洗いざらいエレナに話し、怒られている最中だ。


「はい……すいませんでした……」


昨日アランと対峙したときはあんなに大きく感じたのに、今はなんだかとても小さく見える。


まぁ、俺たちのためだとはいえ、やらかしてしまったのだから自業自得である。

アランはいいやつだが、たまに雑というか野蛮な考えになるからな。


「このままアリスちゃん出てこなくなっちゃったらどうするのよ」


そう、事態は深刻である。このままトラウマが刻まれ、引きこもりなんてこともあり得る。

大袈裟だと思うかもしれないが心の傷というのは思ったより深く、治りづらいものなのだ。

……俺も前世でそういった経験があるから分かる。


俺の中に40歳くらいになったアリスが床ドンして、舌打ちしている光景が浮かんできた。

いかん、なんとかしないと。

この世界に現代社会の問題を生み出してしまってはいけない。


「俺が様子を」


「だめよ。もっと怖がらせたらどうするのよ」


アランが立ち上がろうとして、エレナにぴしゃりと断られ、また正座に戻った。


俺が様子を見に行ってみるか。いつも一緒にいるのだ。なにか話してくれるかもしれない。


僕が行くよ。そう言おうとしたその時、それまで夕飯の支度をしていたナタリアが声を上げた。


「私が行ってまいります」


たしかにアリスのことならナタリアさんに任せるべきだ。

俺たちは他人だが、ナタリアとアリスは親子なのだ。俺達には話しずらいことも話すだろう。


「……そうね、ナタリア、悪いけどアランの尻ぬぐい任せるわね」


エレナがそう言うと、ナタリアは少し微笑んで


「分かりました」


と言い、アリスのいる部屋へと向かった。


———————————


アリス視点


「ん……」


ベッドの上で目が覚める。

いつもはママと一緒に寝ているので少し窮屈だが、今はむしろ大きすぎるくらいだ。


寝返りを打って窓の外を見ると、もう空は赤く染まっていた。

どうやら昼寝をしてしまっていたようだ。


しかし、昼寝をしても今の自分の気持ちは晴れていなかった。


「夜ごはんのお手伝い行かなきゃ」


そう口に出して動こうとするが、ドアの前まで来たら、それ以上進めなくなる。

私はドアに背を向け、バフッと音を立てながらベッドに飛び込んだ。


きっかけは好奇心からだった。師匠が来たその日にママが読んでくれたノア様の冒険の本。

すっごいカッコいいと思ったし、そんな人に魔術を教えてもらえるギルが羨ましかった。


けど次の日に自分にも教えてくれると言われ驚いたが、それ以上に嬉しかった。

それからがんばって第一位階の魔術を覚えると、ある考えが浮かんできた。


魔術が使えれば、自分でもみんなを守れるんじゃないか?と

私が強くなれば人さらいにさらわれる事なんてなくなるし、荒猪みたいな怖い敵に襲われても返り討ちにできるんじゃないか。

このまま私が何もできないままだと、同じようなことになったらまたギルやママに守られるだけになってしまう。

守られるんじゃなくて、守るんだ。そのためにがんばろう。


そう決意し修業をしてきて、少しづつだけどその目標に近づいている。そう思いあがっていた。


そのささやかな自信が昨日へし折られた。


旦那様の圧を前に自分は何もできなかった。けどギルは違った。ギルだって怖かったはずなのに戦っていた。


その光景を見ていて、あぁ私は何も変わっていないんだな、と分かってしまった。

魔術が使えたからなんだというのか。私自身が臆病なのだから、誰かを守るなんていうのは無理な目標だったのだ。


なにもできない自分が恥ずかしくなった。

外の世界が怖い。自分の無力さを思い知らされるのが怖い。

そう思ってしまうと、ドアから外に出ることができなくなっていた。


私はそこからしばらく、またベッドの上で横になっていた。


喉が渇いたのでベッドから立ち上がり、机の上にあった空のコップに「水球ウォーターボール」で水を満たし、飲む。

机の上には昼に寝ている間にママが持ってきてくれていたのだろうか、パンとシチューが置いてあった。


それらを少し食べると、またベッドに倒れた。


今日はこのまま眠ってしまおう。

そう思った時だった。


少し軋んだ音を立ててドアが開いた。


「ママ……」


開けられたドアにはママが立っていた。


ママは一度私と目を合わせると、部屋を見渡した。

そしてつかつかと窓まで歩くと、窓を開けた。


「空気が悪いわ。換気しなさい」


窓から新鮮な空気が入ってくる。たしかにずっと換気していなかったから空気がよどんでいた。

そこからママはベッドの方まで来て、私の隣に座った。


だが、「なにがあったのか」とか「なんでこんなことをしているのか」とかの言葉はなく、ただそこに座っているだけだった。


普段と変わらない様子で傍にいてくれる。

それがなんだか安心して、私はしばらくそうしていた。


「聞かないの?」


それが不思議に思えた私はママに聞くことにした。


「えぇ。言いたくないのでしょう?無理やり聞こうとは思わないわ」


優しい声で返事が返ってくる。


私はその声を聴くと、なぜだかわからないけど、今まで考えていたことを話す気持ちになった。


「あのね……」


そこからは止まらなかった。悩んでいたことが堰を切ったように流れて、ずっと喋っていたと思う。


「そう……そういうことだったの」


「ひぐっ……うん」


私の目には気づいたら涙があふれていた。


「……」


ママが無言で手を伸ばしてきた。

こんなことでいちいち泣くなと、怒ってはたかれるのだろうか。


私は衝撃に備えて目をぎゅっと瞑った。


しかし、思ったような痛みは来ず、代わりにほっぺたがむにゅと、つままれた。


「ふぇ?」


「いい?アリス。あなたは一つ勘違いをしているわ」


目を開けると間近にママの顔があった。


「あなたは自分を臆病だと言ったけれど、人はだれでも臆病なの」


ママは私の頬から手を離すと、真剣なまなざしで私を見た。


「皆嫌なことや怖いことがあって、そこから逃げたりもしている。今のあなたと同じ」


「ママも?」


「そうよ。ママも前の屋敷で嫌がらせをされた時は、泣いたりして何度辞めたいと思ったか分からないわ」


あのいつも冷静なママからは想像できない言葉だった。


「だから嫌なことから一旦逃げることは悪いことだとは思わない。でもそこで終わっちゃダメ。休んだらもう一度その嫌なことに向き合うの。そしてしっかり乗り越える。それができたらきっと、本当の意味で変われるわ」


「もう一度……向き合う……」


「そう。アリス、あなたは今チャンスをもらった。それをどうするかはあなた次第」


私にそんなことができるのだろうか。今までずっと色々な人に助けてもらってばかりだったのに。


「大丈夫、アリスならできるわ」


私の考えていることが分かったのか、ママはニッコリと笑ってそう言った。


その笑顔を見た瞬間、今までの悲しい気持ちは吹き飛んだ。

代わりに胸に入ってきたのは勇気。


「うん……!私やってみる!」


今度こそ挫けない。私はそう決意した。


その日はそのままママと寝た。

いつもと変わらないはずのベッドがなんだか今日はいつもより温かく感じた。


_______


翌日


動ける格好に着替え、外に出る。


「あ、あの旦那様!」


「お、おぅ。どうしたアリス?」


私は朝の素振りをしていた旦那様に声をかける。


旦那様は一昨日のことがあったからか、私が声をかけたことに驚いていた。

正直まだちょっと怖いが、この程度我慢できなければこれからやることなど話にならない。


「わ、私にもう一度あの稽古をつけて頂けないでしょうか!」


私の言葉を聞いた瞬間、旦那様の顔が複雑な顔になる。

頼みなら聞いてあげたいけど、また怖がらせてしまわないか。そんな顔だ。


「別に構わないが……大丈夫?」


「大丈夫です!」


私は食い気味に返事をする。


「……そうか。そこにある木刀を使ってくれ」


いつもと違う私に何かを感じ取ったのか、旦那様は真剣な表情になる。


私は木刀を構え、旦那様と対峙する。


「始めるぞ」


凄まじい圧が私を襲った。手が震え、今すぐに逃げ出したくなる。


「うっ……!」


『大丈夫、アリスならできるわ』


しかし、昨日のママの言葉を思い出し踏みとどまる。

乗り越える。そう決めたのだ。


「うわぁぁぁぁぁぁ!!」


木刀を握り締め、悲鳴とも判別のつかない声を上げながら、私は一歩踏み出した。


(待っててねギル。私、すぐに追いつくから!)

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